Episode:32
このストーリもこれで完結です。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
事件の全貌が白日の下に晒されるまで、そう時間はかからなかった。
エヴァン神父――否。
その敬虔な仮面の奥に潜んでいた男、難波六宗の悪行は、もはや隠し通せるものではなかった。
違法な人体改造。
孤児の拉致と監禁。
宗教の名を借りた資金洗浄と人身売買。
そして禁忌の技術、《エリーニュス》。
積み重ねられた証拠の山は、彼が築き上げた“聖職者”という偶像を、無慈悲なまでに打ち砕いた。
ブリュンヒルデ教会は、信仰の場などではなかった。
それはただ一人の狂った研究者が、神を騙り、自身の欲望を正当化するための――歪んだ研究室だったのだ。
事実が公になると同時に、教会は即日解散。
事件の根幹を成していた禁忌の技術――《エリーニュス》の使用および製造は、緊急法案として可決され、全面的に禁止された。
研究資料は押収され、関連施設はすべて封鎖。
同様の技術が再び闇に芽吹かぬよう、厳重な監視体制が敷かれることとなった。
研究材料として教会に匿われていた孤児たちは、警察の手によって無事に保護された。
今はそれぞれ別の施設へと引き取られ、新たな生活を始めている。
怯えきった目で世界を見ていた子供たちにも、
ようやく“朝”が訪れたのだ。
さらに、裏で賄賂を受け取り事件を黙認していた警察上層部も、芋づる式に摘発。
長年、街を覆っていた腐臭は、一気に表へと引きずり出された。
街は一時的な混乱に包まれたが――
それでも秩序は、かろうじて保たれていた。
「この歳で過労死は勘弁してほしいんだがね……」
山のような書類に囲まれながら、草壁がぼやく程度には。
だが、それは決して悲劇ではない。
溜まりきった膿が、ようやく排出されただけの話だ。
痛みを伴う浄化ではあったが――
それでも街は、確実に前へ進んでいた。
――そして今、この街は。
確かに、“生まれ変わろう”としていた。
○
白い病室。
柔らかな日差しが、カーテン越しに静かに差し込んでいた。
ベッドの上で、少女がゆっくりと瞬きをする。
「……アリス」
隣の椅子に腰掛けていたベオルが、恐る恐るその名を呼ぶ。
すると彼女は、少し困ったように――それでも確かに“生きている”笑顔を浮かべた。
「だいじょうぶ……まだ、ふらふらするけど」
エリーニュスの後遺症は残っていた。
低下した身体能力。神経を這う鈍い痛み。
時折、胸の奥を締めつけるような激痛。
完治には長いリハビリが必要だと、医師は淡々と告げていた。
それでも――。
彼女は、戻ってきた。
失われかけた心も、奪われたはずの名前も、
今は確かに、この小さな身体の中にある。
それだけで、ベオルは胸の奥から、深く息を吐いた。
戦場で何度も死線を越えてきた男が、初めて味わう種類の安堵だった。
だが、現実は優しくない。
教会は解散し、居場所は消えた。
元傭兵の自分なら、野宿でも構わない。
だが――
弱りきったこの子を、そんな場所に連れて行くわけにはいかない。
「……どうしたものか」
思わず漏れた独り言。
するとそれを聞いていたアリスが、視線を天井からベオルへ移し、
小さく、しかしはっきりと口を開いた。
「あ……あのね」
一瞬、言葉を探すように間を置いてから。
「……相談したいことが、あるの」
その声は、まだ弱々しい。
けれど確かに、“自分の意思”を持った少女のものだった。
○
一方、病院の外――喫煙所。
ジャックと草壁は、並んで煙草をくゆらせていた。
昼下がりの空気に、白い煙がゆっくりと溶けていく。
「保護観察……ですか?」
「あぁ」
草壁は紫煙を吐きながら、短く頷く。
「確かにあの子は、あの機械……えーと……」
「エリーニュスです」
「そうそう、それだ」
わざとらしく咳払いをしてから、草壁は言葉を続けた。
「エリーニュス等の違法改造を受けた存在は、本来なら問答無用で取り締まり対象だ。だがな――」
彼は指を一本、立てる。
「あの子は同意していない手術だったこと」
二本目。
「難波六宗に利用されていた、明確な被害者であること」
三本目。
「そして……まだ、子供だってことだ」
草壁は煙草をくわえ直し、低く息を吐く。
「以上を踏まえて、保護者である獣人のベオルと、国家認定されてるお前が保護観察者として、あの子を様子を逐一見ておくこと。それを条件に、上を黙らせた」
それは、法律の“隙間”を最大限に使った、精一杯の温情だった。
「……借りは、必ず返します」
「返さなくていい」
草壁は、ほんの一瞬だけ目を伏せる。
「今回はな……俺たち大人が、何もしてやれなかった」
煙草を灰皿に押し付け、火を消す。
そして、ふと思い出したように口を開いた。
「それと……彼女のことだが……」
「……シスター・オルカ、ですか?」
「そうだ。あの狂信者」
「狂信者って……」
「随分とお前にお熱じゃないか。なぁ、死神さん」
「茶化さないでください……それで、彼女がどうかしましたか?」
シスター・オルカは、自らの罪をすべて告白した。
改造への加担。
エヴァンへの協力。
そして――彼を手にかけた事実も。
情状酌量の余地はなく、判決は――無期懲役。
それでも彼女は、微笑んでいた。
『生きて、償います』
そう言い残し、鉄の扉の向こうへと消えていった。
その背中は、もう“死神”を求める少女のものではなかった。
「あぁ、刑務所の中でも模範囚らしいぞ」
「……そうですか」
「喧嘩してる連中を制圧した、なんて話も聞く」
「相変わらずですね」
草壁は頭をかき、少し歯切れ悪く続ける。
「ただ……まぁ……」
「何ですか?」
「刑務所の中でな。死神がいかに素晴らしい存在か、熱弁して回ってるらしい」
「……はい?」
あまりに予想外の報告に、ジャックの思考は一瞬、完全に停止した。
「まぁ、頑張れよ。死神さん」
気まずさを誤魔化すように、草壁は吸い残っているにもかかわらず煙草を灰皿に捨て、そのまま背を向ける。
「草壁警部!」
ジャックは呼び止め、深く頭を下げた。
「今回は、本当に助かりました。ありがとうございました」
草壁は振り向かない。
ただ、片手をひらりと挙げて、それだけを合図に歩いていった。
白い煙だけが、その背中を追うように、静かに空へと昇っていった。
○
――それから、しばらくして。
「……ねぇ、ジャック」
「はい。どうしましたか?」
控えめに名を呼ぶ声。
振り向くと、そこには退院したばかりのアリスがいた。
「私……ここで、働いてもいい?」
「おい、俺もだ!」
彼女の腕に、ベオルが当然のように腕を絡める。
二人は、まるで示し合わせたかのように声を揃えた。
場所はランタン相談所。
アリスの退院を祝う、ささやかな席の最中だった。
「“ここ”というと……この相談所、ですか?」
アリスは、黙ってこくりと頷く。
そして、少し考えるように視線を落としてから、言葉を紡いだ。
「あのね……私、今まで……たくさんの人に助けてもらって、生きてきたの」
ジャックは何も言わず、ただ耳を傾ける。
「ベオルに……草壁さんに……病院の人たちに……それから……ジャックにも」
一つひとつ名前を挙げるたび、アリスは両手を強く握りしめた。
その瞳には、もう迷いはない。
「だから……今度は……」
小さく息を吸って。
「……私が、誰かを助けたいの」
「……」
「俺からも、いいか」
今度は、ベオルが少し照れたように手を挙げた。
「今回の件で、お前には返しきれねぇほどの恩を受けた。だからよ……」
「……」
「これからは、俺が。お前の力になりたいんだ」
決して器用な言い回しではない。
だが、その言葉は真っ直ぐで、重かった。
「お二人とも……」
ジャックは一度、視線を伏せる。
カボチャの仮面の奥で、何かを噛みしめるように。
――助ける側と、助けられる側。
いつの間にか、その境界は消えていた。
そこにいるのは、ただ前を向こうとする三人だけだった。
ジャックは、しばらく黙って二人を見つめていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……分かりました」
その声は、いつもより少しだけ柔らかい。
「この相談所は、人の行き場を見つける場所です。迷子も、罪を背負った者も、居場所を失った者も――」
「……」
「灯りを必要とするなら、拒みません」
ジャックは、二人に向けて静かに頷いた。
「ようこそ、ランタン相談所へ」
アリスの表情が、ぱっと明るくなる。
ベオルは照れ隠しのように鼻を鳴らした。
その日の夕暮れ。
古びた相談所の軒先に、新しい看板が掛けられた。
――新生・ランタン相談所。
夜が訪れ、街に闇が満ちても。
小さな建物の窓からは、変わらず温かな灯りが漏れている。
罪を抱えた者のために。
行き場を失った者のために。
そして――生き直そうとする者のために。
今日もまた、ランタンは静かに灯り続けていた。
【完結】
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