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第8話 夕暮れ、悪い子供に祈りを

「よいしょっと」


子供らが去り、ディグとリアの二人きりになると、彼はリアの隣に腰を下ろした。


「………木炭は?」

「話したいことがあるって言っただろう。後であげる」

「………はぁい」


ホウと吐いた息が、ポツリ、ポツリと星が浮かびはじめた空に白く広がって散る。  


 前世の街中では高層ビルで区切られていた空は、今では何ものにも遮られることなくその広大さをリアに見せつけている。

 数年に及ぶこちらの暮らしで見慣れきっているため今更何かを思うことは無かったが、顔を合わせるのが気まずいので、熱心に眺めるふりをした。


 一つ、ヒュンヒュンと早く動く星があった。人工衛星──じゃない。浮遊体である。


 『ピュイー?ピュウー?』と心配そうにディグとリアの間を行ったり来たりしていたため、鬱陶しがったリアに「空でも飛んでて!」と怒鳴られたのである。「えっ」とディグに言われてしまった。違う、あんたじゃない。


 話したいことがあると言ったディグは中々話し出さなかった。

 どんな表情をしているのか確かめたいが、やはりどうにも気まずく、浮遊体も見飽きたリアは今度はパチパチと燃える焚き火を眺めることにした。

 時折ディグが薪を焚べていたイフェルトの火は、集会が始まった時と同じ大きさで燃え続けている。


「あのさ、」


何も言う気配のないディグに痺れを切らし、リアの方から口を開く。


「分かってはいるんだよね。あたしが悪いって」


顔は見ないままだ。火に照らされた自分の指先を見ながら、ポツリと言った。


「そうだね」


ディグがゆっくりと頷く。リアが話し出すのを待っていたのかもしれなかった。


「友達に手伝ってもらいたいなら、言葉で頼まないと」

「あ、そっち?」


咄嗟に振り返りディグと顔が合う。


「そうだよ。手伝わざるを得ない状況に追い込むなんて、友達相手にやることじゃないだろう」

「あー……まあ、うん。あたしが悪かったです………」


ディグは大真面目な顔をしていた。おっしゃる通りですけど………と腑に落ちない表情でリアは頷く。思ってた内容と違って拍子抜けした。


「そんなにたくさんの水を何に使いたかったの?」

「………水なんて、あればあるだけ良いでしょ。丁度居たから手伝わせただけだよ」

「嘘ではないんだろうけど」


ディグは苦笑して、仕方がない子供を見る目を向けてくる。


「本当のことでもないよね。変に悪ぶるのは君の悪いくせだ」

「別に悪ぶってないし………」


 自分から発されたあからさまに拗ねた声に、リアは微妙な顔になった。

 前世で亡くなるまでに重ねた年齢と今世で過ごした年齢を考えれば、精神年齢はリアの方が上のはずだ。なんなら合わせなくとも前世だけでディグの歳を上回っている。

 だのに、何故大人に説教をされる子供の絵面とそのやり取りに全く違和感が無いのだろうか。リアは訝しんだ。

 やっぱり体と環境に精神が引き摺られているのだろう。絶対そう。じゃなかったら、前世の自分がほとんど人間的成長をしていなかったみたいじゃないか、そんなまさか。


 ゔう〜と悩み始めたリアの様子に、案の定彼はなにか勘違いをしたらしい。


「悪い、っていうのは言いすぎたかな?」


「気にしてない………」とボソボソ返すも態度が態度だったので強がりだと思われたようだ。フォローをするように彼は続ける。


「君のやりたいこと、やって欲しいことを正直に伝えた方が、周りの人もちゃんと耳を傾けてくれるはずだと思ったんだよ」


リアは顔を顰めた。そんなことはとっくの昔から分かっていた。

 わざわざディグの言う、悪ぶった態度で伝えている今でさえリアの要望を汲んでくれるお人好しな人々なのだ。困ってることを正直に話したら、喜んで手を貸してくれるに違いなかった。

 

「結局何に使いたかったのか、聞いても良い?」


少しの躊躇いを含んだ問いに、まるで言い訳をするかのようにリアは答える。


「母さんに、食べさせたいものがあって………水がたくさんいるって聞いたから」


ディグは少しだけ呆れたふうに笑った。


「それをそのまま言えば、あの子たちなら手伝ってくれたろうに」

「それが嫌なんだよ」


ディグの目が瞬く。

 リアは理由を説明するでもなく、真っ直ぐに目を合わせると噛み砕くようにもう一度言った。


「それが嫌なの」


それきり顔を背け、再度焚き火を眺める。

 何故と問われても答えるつもりは無かった。


 薪が焼け、弾ける音が耳に心地いい。遠くでフクロウの鳴く声もする。

 この村の人々は、大事な話であればある程一個一個考えながら慎重に言葉を選ぶ傾向が強い。ディグもその例に漏れず、考え込んでしまうために会話が止まることがしばしばあった。


 前世では会話が止まると居た堪れないばかりだったのに、今世ではこの沈黙が嫌いではない。

 彼らの性質上会話が止まることがあると自分が理解しているのもあるが、何より、会話の最中には耳に留めなかったものたちに、ふと耳を澄ませる時間は悪くなかった。


 耳を澄ませながら、ぼんやりと先程言った言葉について考える。

 伝わるかな、とディグに思う。

 伝わって欲しいのかな、と自分に思う。

 ただ、伝わらなかったからと言って理由を懇切丁寧に説明することを求められるのは絶対に嫌だったし、伝わったからと言ってこういうことかと自分の内心をベラベラ並び立てられるのはもっと嫌だった。もしそんなことをされた暁には木炭も要らないからさっさと帰ってやろうと思う。


 子供の姿なのだ。多少の我儘は許される姿である。精神年齢がどうのこうのと言っていないで存分に活かせば良い。


 リアが耐えきれず先に口を開いた時よりも長い沈黙が続く。今度はもう、自分から話しかける気は無かった。


「君たちと接していると………」


どれだけの時間が経ったのだろうか。リアが特に熱心に聴き入っていたフクロウが鳴き止んだ頃、漸くディグが話し出す。


「自分に上から目線で教えるなんて資格があるのか、疑問に思うことがよくあるよ」


 ………伝わったのだろうか?


 分からなかったという白旗宣言にも聞こえるし、リアの思いを理解した上での発言のようにも聞こえた。

 要するに、よく分からない。


「ジョアは凄いね」


彼も焚き火を見つめたまま、独り言のように呟く。


「彼のおかげでみんなを暗い顔で帰さずに済んだ。………リアの気持ちも分かってたのかもしれないね」


リアはゆっくりと瞬きをする。

 それからフゥと息を吐いて、これまたゆっくりと吸い、唇を湿らせてからやおら口を開いた。


「ジョアは……ガキっぽいとこもあるけど結構人のこと見てるよ」

「みたいだ」


再び無言の時間が訪れる。またフクロウの声が聞こえないだろうかと耳をそば立てたものの、つれないことに鳴くのをやめてしまったらしい。

 その他にも鳥の鳴き声はいくつか聴こえていたが、彼女はフクロウの声が一番好きだった。それしか分からないからだった。


「僕もね、」


唐突に響いたディグの声に、意識を引き戻される。


「分かってはいるんだよ」

「………何を?」

「リアはさっき、僕たち大人に相談しても、何もしないのと変わらないって言ってたね」


直接答えられはしなかったが、続けられた内容でなんとなく彼の言いたいことが分かった。


 ディグは寂しそうな笑顔で言う。


「僕らが頼りないから、リアはやり返すしか無いんだよね」


いや〜〜〜それはどうだろう?とリアは思った。


 正直なところ、大人たちがいじめへの対抗手段として頼りないのは本当だ。

 子供たちの訴えを聞くたびにきちんと向こうに抗議してくれるのだが、向こうは大人を含めたウェルツ村全体を見下しているため聞く耳を持っていない。向こうの大人から子供へ真っ当な注意がいっているとは思えなかったし、大人たちもそれを分かっているから近頃はいじめられた子供を慰めるくらいしか出来ていなかった。


 しかし、仮にウェルツの大人たちが頼りになり、向こうも自分たちの教育を反省してきちんと子を叱りつける大人ばかりだったとして、リアが殴られた時に殴り返さないかというとかなり微妙なところである。

 リアの中では先に手を出した相手が真っ当に叱られることと、自分がその相手を殴り返すことにはなんら関係がなかった。本当に法治国家で暮らしていたのだろうか。


 目には目を、歯には歯をの要領でやり返し、理不尽に手を出して来た方がきっちり大人たちに絞られ、それでやっとイーブンだというのがリアの持論だった。

 しかしそんなことを宣えばお説教タイムの再来は間違いないので殊勝に頷いておく。


「…………リア?」

「何?」

「いやなんか、ろくでもないことを考えている気がして」


察しが良い。


 リアは慌てて話をズラす。


「分かってたなら、なんであの場で話し合おうとしたのさ。せめて他の子がいない場所で話せば良かったのに」


ズラしたとはいえ本筋の続きだ。

 大人側の力不足を自覚しているのに、そこを避けてリアの行いを責められるような器用さは彼には無い。

 リアは頭に血が昇っていて、完全にディグを言い負かすことしか考えていなかった。もし口論が中断されていなければ何も言い返せなくなっていたのはディグの方だったろう。


「だってあそこにいたみんな、ほとんど関係のある子たちじゃないか」


痛みを堪えるような皺のよった笑みだった。

 関係のある、とはつまりいじめられたことがある、という意味に他ならない。


「それに君はあの子らのためにやり返してるんだろう。なら彼らも聞くべきだと思ったんだよ」


凛とした表情でそこまで言ってから、クシャリと歪む。


「……思ったんだけどなぁ」


聞くべき、と言いながらも後悔している顔だった。

 ハァアア……と深いため息をついてから、ディグはボソリと言う。


「父さんなら、もっと上手くやれたのかな」


彼は教会の祭司である父の養い子だった。今日集会を取り仕切っていたのもそのためだ。

 彼がまだ子供の頃には今のディグの役目は父親が担っていたはずだった。


「でもほら、ヨウゼフさんもいじめを解決できてる訳じゃないし」


ヨウゼフ、というのがその父の名前だ。

 ディグは苦笑いをして「手厳しいね……」と言った。

「え、まあ、うん」とリアはぎこちなく返す。

 リア的にはディグのフォローをしたつもりだったのだ。フォローが下手過ぎる。


「……もう随分経っちゃったな。長々と付き合わせてごめんね」

「許さない……」

「許されないかぁ」


軽口を叩きながらディグは懐から細長い木炭を一本取り出す。


「はい、じゃあこれね。」

「うん」


差し出されたリアの手の平に木炭を置き、彼女の指を丁寧に折り畳んで握らせる。その上からディグの両手がリアの木炭を握った手を包んだ。


「『かの者の罪は燃え落ちました。どうか天の国へのお導きがありますように』………」


目を閉じたディグが呪文のような妙な言葉を唱える。

 木炭を受け取る子供に対しての決まり文句だった。以前意味を教わっていたので、リアは祈りの言葉であると知っていた。そして渡される木炭の意味も共に知っていた。

 燃え尽きたものを持たせることで、罪のある子供の替わりにしていると初めて木炭を受け取った年に教わったのだ。

 その子供が地獄に連れていかれないように、焼かれ続けることのないようにという、人々の祈りであった。


 祝詞を唱えながら、ディグはしっかりとリアの手を握る。リアの手がちゃんと木炭を握るように、しっかりと。


 包まれた自身の手を見て、リアは多分、と思う。


 多分、ディグがやり返して欲しくない本当の理由は、あたしに地獄へ落ちて欲しくないからなんだろうなと。


 自惚れた発想ではあるが、数年間の交流と毎年の同じこのやり取りを繰り返すうちにほとんど確信に至っていた。


 彼は聖職者の息子なだけあって非常に信心深い。けれども地獄だの天国だのに全然ピンと来ていないリアには、その理論が響かないことをきっとディグは悟っていた。だから彼女の納得しやすい別の理由で止めてくるのだろう。それはそれで本音ではあるのだろうけども。

 祝詞が終わり、パッと手を離したディグは笑顔で言う。


「はい、終わり。もう帰っていいよ。引き止めて悪かったね」


ディグにはもうしばらく火の番をする役割があった。一晩中という訳ではなく、一定時間が過ぎれば村の他の者と交代するのだが。

 リアは少し歩き出してから、すぐに立ち止まり、振り返って言う。


「ディグさんがさぁ」

「うん」

「やり返すのはダメって思う一番の理由って何?」


恐らく、自分が勝手に予想している理由が返ってこないことは分かっていた。

 彼は相手と状況によって本音を使い分けられる人物だったから、リアに対して宗教的な理屈で話をすることはまずないだろう。


 それでも、適当な答えを返す人でもないので聞いてみたかった。

 ディグはうーんと少し悩んでから口を開く。今度は長々と沈黙されるようなことは無かった。


「訳が分からなくなるから、かな」

「何それ」


それこそ訳が分からないと、リアは笑った。





 


 


 

 

 




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