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第7話 夕暮れ、ディグとの言い合い

「どうせ今年もあたしでしょ。もうチャナト配って解散しよーよ」


ディグがどう返すのか、皆が固唾を飲んで見守る中、空気を読まずに言い放ったのはリアだ。


「でもリア、お前それだとチャナトもらえねーじゃん!」

「だから要らないって。木炭で良いよ。良いじゃん木炭、火起こせるし」

「お前火起こせねーじゃん!」

「やかましい」


同年代の子供でまともに火起こしを出来ないのは彼女くらいだった。


 仕方がないだろう、マッチだのライターだのと文明の利器に甘やかされまくった現代人だったんだから。

 むしろあの火打ち石とかいう、火花を起こせるだけの道具でちゃっちゃと火をつけられる方がどうかしている。そもそも木炭で火起こしはしないが。


 気遣わしげなジルやその他の子供たちの表情にリアはげんなりした。

 どうも彼らは大人も子供もみんなが大好きなチャナトを、リアだけが好きではないという事実を信じきれていない節がある。もらえないから無理をしている、強がっていると思い込んでいるのだ。


 断言するがリアはチャナトが嫌いだ。

 このチャナト、元現代人のリアの舌が肥えすぎているだけかもしれない……いや、確実にそうなのだが、全くもって美味しくない。

 スコーンのような、と例えたが前の世界で食べられたスコーンに比べれば遥かに歯触りが悪い。噛んだ時には湿った段ボールのような感触で噛みちぎるのが難しいし、湿った段ボールのくせに口内の水分をほとんど持って行かれる。そして甘みを担う生地に含めた木の実は全然甘くない上に出てくるとネチャリと歯に張り付くのが尚更不快だった。


 けれどもリア以外の子供たちは食べる機会の少ない甘味に我先にと食べ出すし、大人たちもチャナトを目の前にするとどこか浮き足だった空気がある。心底不味いと思っているのはリアだけのようだった。

 何度でも言うがリアには成人女性として生きた記憶がある。好きじゃないとはそれとなく伝えているものの、具体的にどこがどう不味いのか嫌いなのかとはっきり口にしたことはない。みんなが美味しいと感じているものに対して水を差すのを控えるくらいの分別はあるのだ。

 しかしその気遣いのために毎回こうして誤解が生じるのだから、リアがうんざりするのも無理は無かった。


「ディグさん、例年通りで良いよ。早くチャナト配っちゃお」

「………うーん」


リアはこの中で唯一彼女が本当にチャナトを好きではないのだと理解しているらしいディグから説得しにかかる。

 けれどもディグは相変わらずの困り顔だった。彼女の行いに対する自分の意見を有耶無耶にしたまま流して良いものかと悩んでいたのだ。


 いつも不満の多いリアは、この集会に限ってひどく聞き分けが良い。毎回自分の行いが一番の悪事だと認定されても、特に言い返すことなくすんなり受け入れていた。もしかしたらチャナトを食べたくないだけかもしれないが。

 むしろその認定に不満そうなのは他の子供たちだ。だが誰かがリアを庇うような発言をすれば、彼女はさっさと終わらせろと先をせっつく。


 ディグは少しの間目をつぶって、どのような言葉でリアの話を引き出すか考える。


 いい加減、なあなあにしようとする彼女に甘えるのはやめるべきだと思った。


「リアはさ、友だちが服を取られたからやり返したんだよね」

「そうだけど」

「友だちの服を取り返すだけじゃだめだったのかな?」


尋ねてきたディグに、これみよがしに大きなため息をついてやる。

 わざわざ面倒事を深掘りするなぁ、と思ったからだ。

 面倒事とは、リアにとってではなくディグにとってである。


 リアがやったのは確実に悪いことだ。その裏にどんな事情があろうと行動自体の悪質さは変わらないし、道徳的基準でもって肯定することは無理だろう。

 この場は大人のディグが道徳的規範を子供たちに教える場でもある。故にディグは絶対にリアの行いを認める訳にはいかない、それぐらいはリアも分かっていた。一方で自分のために行われた悪事は肯定したくなるのが人情であることも。


 多分、今自分と共に火を囲んでいる子供たちは割と自分寄りの心情だろうと彼女は考えている。

 この村の人々は異様なほど善人ばかりで、それは子供たちも例外ではない。信じられないことに、散々周囲の村からいじめられてもリアが現れるまでは誰一人としてやり返す者がいなかったのだ。彼らはただやめろと叫んだり止めようとしたりするだけで、一度も暴力に訴えなかった。本当に同じ人間かと思う。

 しかし、だからと言って傷ついていないはずもない。自分たちの悲しみや悔しさを怒りにして全力で反撃するリアを、正しくないとは知っていても否定するのが難しいであろうことは想像に容易い。事情を話せば話すほど、子供らの心情はリアに傾いていくに違いなかった。


 だからこそ気を遣って、彼と子供たちの間に溝が出来ないよう話を有耶無耶にしていたというのに。


 やめておきなよ、と視線で訴えてもディグは真っ直ぐに見つめ返すだけだ。彼女が質問に答えるまで終わらせるつもりは無さそうだった。

 リアは小さくため息をつき、渋々口を開く。結局自分がこの人を信頼できるのも、こういう部分のせいなのかもしれない、と思いながら。


「あっちから仕掛けてきたのに、何でそれだけで済ませてやんなきゃいけないのさ」


リアは挑むような生意気な顔つきで、つっけんどんに言った。


 返すディグの声音は冷静なままだったが、幾分か先ほどまでの柔らかさが削がれている。


「リアは彼らに嫌な思いをして欲しかったの?」

「そうだよ。少なくともうちのが傷付けられた分と同じぐらいは酷い目に合わせてやろうと思った」

「酷い目に合わせてそれで?意味はある?」


質問しているのに訴えかけるようなディグの声音が神経を逆撫でする。リアの返答も幾分語気が荒くなっていった。


「あるよ!ちゃんと反撃されるんだって向こうは覚えるはずだから。そしたらこれ以上下らない真似はしなくなるでしょ」

「でも彼らのいじめは止まらないね」

「………あいつら頭が悪いんだよ。反省も学習もしないの」


ディグの顔が歪んだ。言おうか言うまいか、逡巡している表情だった。


 彼は膝に手をついて屈み、リアに顔を近づけると、悩む表情のまま口を開く。


「向こうもやり返してるんだとは、思わない?」

「……っ!」


リアの顔もまた、歪む。

 ディグが言っているのはつまり、向こうが子供たちをいじめてくる原因が、仕返しをするリアにこそあるのではないかということに他ならなかった。

 彼女はギュッと眉根に皺を寄せてディグを睨み付け、唸るように言う。


「あたしがやり返す前には、あいつらも何もして来なかったの?」

「いいや、僕が小さい頃もやられていたよ」

「だったらあたしがやり返そうが関係ないでしょ。それとも何?何もせずただいじめられろって?」

「それは違う。暴力を振るわれそうになったら逃げてほしいし、悪口を言われたなら否定して返してほしい。何かされる度僕や他の大人に相談してほしい」


穏やかな口調でディグは語る。子供ら一人一人に語りかける時の彼の声は、いつも優しかった。


 しかし今、リアに対して続けられた言葉には、否定を許さない断固とした厳しさが宿っている。


「でも同じようにやり返すのは、絶対に違う」

「そんなの何もしないのと変わらないんだよっ!!」


リアの叫びに周囲の子供らがビクッと震えた。けれどそれに気づかないままリアは喚き散らす。


「結局あいつらが言うこと聞くのって向こうの大人じゃん!ろくに自分で理由も考えないまま鬱憤ばらしのためにあたしらを馬鹿にしてくる阿呆どもだよ!ディグさんたちが何言ったってこれっぽっちも耳貸さないでしょうが!!」

「こちらがやり返したら向こうだって引っ込みがつかなくなる。遊びじゃなく仕返しとしてやっているから彼らのいじめ方だって酷くなっているんだろう」

「それで良い!その方がずっとマシだ!虫ケラみたいに暇つぶしでなぶられるくらいなら、対等に憎み合ってた方がよっぽど──」

「リア!!」


ずっと落ち着いた態度を崩さなかったディグがとうとう怒声を上げた、その時。


「ぅ、うう……うぇええええん…………」


ハッ、と二人が振り返ればフィーネが泣き出していた。レーナが抱き締め、ピーツが笑いかけることであやしている。リアを庇った少年もまた、ポロポロと涙をこぼして泣いていた。


 祭日の賑やかな雰囲気は跡形もない。

 夜の気配が染み入るように、子供たちの間に影を落としていた。


「………ああ、ごめんね。怖かったね。リアも、怒鳴ってごめん」

「別に……」


先に声を荒げたのはリアだ。ディグは最後の最後までずっと冷静な態度を保っていた。


「夜も更けてきたし、リアの言う通りチャナトを配って終わらせておけば良かったね」


いつものように笑おうとしたディグの笑みは、少しばかり力無く見える。


「……………っ、………………ぁ…あたしも手伝うから、早くチャナト配ろうよ」


なにか言おうとして、思いつかず、結局口を出たのは例年通りの先をせっつく言葉だった。


 毎年、会が終わってチャナトを配る時になれば子供たちの顔は花開くように輝いていた。今年もそうなるはずだったのに、今は皆が皆、暗い表情のまま座っている。


 別に、あたしのせいじゃない。


 リアは下唇を噛む。

 この場で収集のつく話でないと察していたからこそ、自分はいつも有耶無耶にしようとしてきたのだ。

 それなのに、ディグがわざわざ話し合おうとするから、だから──


 誰に責められている訳でもないというのに、ひたすら脳内で自己弁護と責任逃れを捲し立てる自身が情けなかった。


 子供らの話し声は一つも聞こえて来ず、パチパチと燃えるイフェルトの音だけが場に響く。


 ただただ居た堪れなかった。

 早く配り終えて、さっさと帰ろう。明日になればこの気まずい雰囲気も無くなっているに違いない、そう思ってチャナトの入った籠を拾おうとして、


「おいリア。あれ言わなくて良いのかよ」


ジョアに水を差された。

 ミリーの時と同じ台詞だ。


「………ん?あれ?」

「おいおい今日の話だぞ!流石に忘れたとは言わせねーぞ!」

「………………………!え、あれ!?」


思い浮かんだのは井戸での水汲みである。


 リアはえぇ………と面倒臭そうな顔をした。正直なところ早くチャナトを配ってすぐにでもこの場を去りたい。


「あたしの告白聞いたでしょ………あれより悪くはないじゃん」

「悪いことは大小関係なく悪いだろ!おれあの後しばらく腕痛かったんだからな」

「えぇ………もう良いよ。はいチャナト」

「おれは賄賂には屈しない!!」


どこでそんな言葉を覚えたのやら。しかし屈しないと言ったものの目はチャナトに釘付けである。すぐにでも食べたそうにじゅるり、とよだれまで出ていた。


「ジョアの気持ちわかるわぁ。おれなんか今でも腕いてーもん」

「はい、チャナト」

「うっめー!」


こっち(ジル)は秒で屈した。一瞬で陥落するなら出て来ないで欲しい。


 この流れは……と嫌な予感がしてミリーの方を見る。目の合った彼女はいたずらっぽく笑ってから、ピッとまっすぐ手を挙げた。


「ディグさん!リアまだ言ってないことある!」


チクリである。


「ん、何かな?」

「今日私たち、井戸でリアの水汲みを手伝わされたの!みんなが止めたのに絶対自分じゃ持ち上げられない大人用のバケツを井戸に落として………はじめっから私たちに手伝わせる気でいたんです!」

「それわたしも見たー!」

「ぼくも!うでいてー」

「ん!」


そばで見ていただけのレーナとピーツ、ついでに泣き跡を残したフィーネまでもがミリーの援護についた。

 リアは益々苦々しい顔つきになる。というかピーツは腕痛く無いだろ。


「…………はい!みんなーチャナトだよー!」


困った彼女はとりあえずチャナトを配って黙らせにかかった。


「あんたねぇ………ほまかふんじゃ、ング、ふぁいわよ(誤魔化すんじゃないわよ)」

「もーリアはぁ………ングふぁべものらしとけば、モグ、ひいとおもって(食べもの出しとけば良いと思って)」

「チャナトおいしい!」

「ん!」


事情を知らない他の子供らにも余計なことを言われる前にさっさとチャナトを与えていく。


「はい、はい、はーい!おいしいねー良かったねー」

「リア」

「はい、はい、はい!今のでおしまいです!じゃ、解散ってことで!」

「リア」


ぽん、と肩を叩かれる。


「まだ君に木炭を渡していなかったね。話したいこともあるから、残るように」


いつにもまして優しげなディグの笑顔に、リアは笑みを引き攣らせた。

 視界の端で、ニヤニヤクスクスと笑っているジョアとミリーが恨めしい。


「正直に話さないとダメだぞーリア!」

「リア姉は他にもやらかしてたのー?」

「チャナトうめー!」


子供らが再び、やんややんやと騒ぎ出す。


 気づけばイフェルトの周りには、再び子供たちの明るい声と賑わいが戻って来ていた。

 


 







 




 



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