プロローグ
「なら、お前をあたしの王にしてやる」
────ガンッ!と、髪を掴んで持ち上げていた頭を乱暴に地面に叩きつける。
頭は軽く一つバウンドしてそこに繋がった身体がビクリと身じろいだ、気がする。
想定よりも良い音がした。草花が緩衝材となって受け止めるかと思ったがその下の地面にしっかり叩きつけられたようだった。
起きちゃうかな、と思ったがよほど深く意識を落としているのか、目を覚ます気配はない。
その方が面倒が少なくてありがたくはあった。
顔を上げると、王子様の視線が倒れた男子生徒に向いている。
この状況下でもなんの感情も読み取れない鉄面皮を保っているが、心配なのだろうか。
でも大丈夫だ。
もし死んでたとしても、ひ弱な女の力で死ぬこいつが悪い。
リアは三日月の如き裂けた笑みを口に貼り付けて、一歩、また一歩と弾むような歩みで彼の元に近づいて行く。足の付け根まであるプラチナブロンドがふわふわと揺れていた。
そうして彼の真ん前までやって来ると、黒レースの手袋を嵌めた右手をピストルの形にしてその額に突きつける。
銃でもナイフでもない。たかだか少女の華奢な手だ。
側から見ればお遊びにしか見えないだろう。
だがきっと、彼は今自分が生死の境にいることを知っている。
だからこそこの指先を突き付けられた男子生徒を救おうとしたのだろうから。
「王様ってさぁ、何の為にいるのか分かる?」
死の瀬戸際に立たされているというのに、微動だにしない氷晶の美貌に流石は攻略対象者、と妙な感心を抱く。
正確なところは知らないが、この顔で肩書きが王子ならまず間違いないだろう。
まあ、そのお綺麗な顔も今後の対応によっては焦げ付いてしまうかもしれないが。
リアの内心を察しているのかいないのか、目の前の男は自分に向けられた指など見えていない様子で淡々と口を開く。
「全ての責任を取る為に」
声が震えることも、うわずることも無い。
完璧に予習を済ませて来た生徒が教師の質問に答えるかのような、落ち着き払った態度だった。
「正解っ!」
この場の教師たる彼女は、花開くような満面の笑みで応える。
そしてその無邪気な笑顔のまま、事もなげに続けた。
「絶対に地獄に堕としてやろうと思っている奴らがいんの」
愛らしい天使の笑みに目ばかりがどす黒く濁っていた。
「でもあたしの力じゃ叶えられそうに無かったし、もう時間もあまりなかったからね。この学舎ごと燃やしちゃえば良いかって思ったの」
全員殺せば、きっと叶うはずだよね?
内緒話をするかのようにコソコソと声を潜めてはいたずらっぽく笑う。
「でも雑な計画だよなぁとは思ってんの。運良く無傷で生き延びるゴミが出てもおかしくないし」
呆れた風に、仕方がないとでも言うような困った笑みで笑う。
「だからさ、あんたが手伝ってよ。王様らしくあたしを導いてよ。王子様なら貴族のことも詳しいでしょ?」
親に甘えるように、欲しいものをねだるように子供じみた態度で笑う。
「そんでもし、あたしの目的が果たせなかった時には───」
胸ぐらを掴み自分の顔近くまで引き下ろしてやる。
笑みの抜け落ちた真っ黒の目が彼を見つめた。
「お前が責任を取れ」
表面上はあった少女の甘さが消え去った声だ。
指の代わりに突きつけられた怨恨の刃だった。
「あたしが殺せなかった奴らの代わりにお前が死ね。あいつらの罪全部をひっ被ってお前が死ね。生まれてきたことを後悔しながら、この世の誰よりも苦しんで苦しんで焼けて燃えて死ね」
一陣の風が二人の間を吹き抜ける。
彼女の言葉など知らぬかのように清々しい青空が広がり、その下を草木がそよいでいる。
何か一つでも掛け違えていれば地獄絵図に成り果てていたとは思えない程に、麗らかな日だった。
「分かった」
どこまでも端的な言葉で返す彼に、リアはつまらなそうな顔で放り投げるように手を離した。
相変わらず感情の分からない、人間味の無い男だ。
権力者というものは無駄に言葉尻を着飾るのが趣味では無かったのか。それとも脅しに屈しない堂々たる態度こそが帝王教育の賜物とでも言うのか。
「理不尽だなぁって思う?」
無言で乱れた制服の首元を正しているその人に、リアは間延びした声で問いかける。
自分でやっているくせに憐れむような表情をしていた。
彼は何もしていない。
偶々この場に居たというだけで、偶々王子として生まれたというだけで、もしかすると攻略対象かもしれないという理由だけで、リアの八つ当たりに付き合わされている。
でもリアからすれば、それだけで十分な理由だった。
憎かった。嫌いだった。
守れないと分かりきった約束をして、期待だけさせて去っていった嘘つきも、リア達を虐げ続け、最後には虐殺の片棒を担いだ領主も、自ら悪役令嬢を名乗る何も見えていない馬鹿女も、努力の甲斐なくリアの手からこぼれ落ちた人々も、全部、全部。
あのゲームに関わる全部、自分の運命とも呼べる全てが、ただひたすらに憎かった。
ましてや攻略対象、ましてや貴族の上に立つ王族である。
リアが憎まない訳がない。
「あたしもね、ずぅっと理不尽だなぁって思ってるよ」
この世界に生まれ落ちてからずっと、ずっとだ。
勝手に与えては勝手に奪われる。
勝手に現れては勝手に去って行く。
その全てが、腹立たしくて腹立たしくて仕方がなかった。
書きたいシーンがものすごく先だったのでプロローグに持って来ました。
当面はここ目指して頑張ります。