八塩折之酒を盛られた魔法使いの夜
とりあえず、べろべろ。
そう、べろべろである。
つまるところ、ずぶろく。
ぐんでんぐでん。
男はどっかの東の果ての戦士が、酔いが極まると人は『べろべろ』状態という形容詞を使うのだと言っていたのを思い出していた。
その時はなんだその例え方、と思ったのだがこれ如何に。
まさしくべろべろ。
まったくもってべろべろとはよくできた言葉。
まったくたしかにべろべろ。
べろんべろん。
男はよろめきながらなんとかベッドに腰を下ろし、持っていた瓶に口をつけた。
口の中に広がる苦くも甘い旨味、喉に灼けるような感覚が走り、鼻に抜ける良き香、そして臓腑に落ちる熱く重い酒精。
良い、とにかく良い。
これは良い酒。
と男は再び瓶に口を付けようとした。
しかし、いつの間にか横に座っていた男がそれを横取り口付け飲んでしまう。
男は、怒るどころか魅入ってしまった。
健康的に焼けた肌が朱に染まってる。
それから嚥下により生じる上下するのどぼとけ。
瓶から離れた唇を舐める舌。
明らかに旨いと緩む口元。
それらをじぃと魅入り瓶を奪い取る。
そして飲む。
良い、とにかく良い。
「はははははは、べろべろー」
恐ろしいほどに耳に体に優しい声色の主が、愉快と笑い男の身体に崩れ落ちてくる。
「ははは、軟弱ものめがぁはははっ!」
男もこの笑う男と同等に酔っているのだが、そんなこと認めず強がる。
「おれ、こんな、酒で酔うのは生まれてはじめてだ!楽しいなあ、えーと…なんとかのにいさん…なんだったか、あれー?なんだったかな?」
酔いの愉快さに表情筋が緩みっぱなしの男が首を傾げた。
蕩けた瞳はまさしく酔っ払いのそれであり、ザルだと言っていたのが嘘のように出来上がっていた。
そして、そう問われた男は、
「ああ?…???ああわれはいだいな、なんかいだいな我ぞ!」
己の全てを忘却しちゃっていた。
立派な酔っ払いはそれでもとりえあえず偉大だと言い張る。
頭が上手にあれしないけど、そこだけは譲れない、気がした。
「そうかぁそうかぁ、いだいなにいさんか、あはははは、いいね!いいね!」
「ふはははは、貴様さては我のあれだな?そうだな?よいよい!さあくるがよい!」
そういうやいなや、自称偉大な男は腰を下ろしていたベッドへ堂々と寝そべり、鍛え抜かれた男の腕を取り我が元へ引いた。
「へあ…?ここおれの寝床じゃなかったかぁ?」
くるがよいと言われても、この寝所は確か自分の場所だった気がする。
愉快気に笑っていた男は引かれる強さに身を任せながら、とりあえず疑問を口にした。
それは何か試している、様子なのだけれども自称偉大なる男は酔っ払いなので気付けない。
「我があるところ、これ全て我の物なのである」
「ふふ、そいつはすげぇな、にぃさん。ん、あれ、なにしてんだ、にぃさん、そこはおれのけっ…」
偉大な男は語るべきことはないと、己の唇で男の唇を塞いだ。
漏れる吐息に驚きはあったが拒絶は混ざらない。
偉大な男は舌を咥内へ侵入させ、男の舌を絡めとる。
それと並行して慣れた手つきで男の身体をまさぐった。
腕と胸に迎えた身体は、想像以上に鍛えられていた。
臀部の固さ、今まさに触れている背中の筋肉。
どれも一流の戦士の肉体であった。
柔らかな女の身体に勝るものなどないが、これは良い。
実に良い。
なんか良い。
過去に何度か男を抱いたことはあるものの、こんなに固い身体を抱いたことはなかった。
こんな固いものを抱いて楽しむ性癖もない。
しかしこの者は抱くに値する。
肌を重ねるにとにかく相応しい。
舌の熱さが良い。
触れる肌のすべらかさも良い。
匂いも良い。
気配も良い。
酒精に負けぬ味が良い。
全てが良い。
唇を開放してやると真っ青な瞳の男がそれを潤ませ、こちらを熱く射抜こうとしてくる。
「ああ…よき、よいぞ、戦士よ…」
その視線に思わずぞくりと身を震わせた偉大な男は、筋肉の凹凸を指先で楽しみながら服を脱がしにかかる。
戦士に服などそも必要なく、我の前で服など着るなど不敬であるからして?そも我以外にこれの肉体を愉しむ資格などないし?とかく服など不要であるからして?我の寝所にあるということは、これ全裸であるべきであり?抵抗する筋と正義などなく?とにかく、脱がさねばならぬのだ。
と、大分酔っ払い理論を炸裂させながら、偉大な男は戦士の裸を拝もうとする。
「そいつはちょっと、だめだなぁ」
「な、なんだと?」
拒絶の言葉に偉大な男は大いに慌てた。
そして怒りより何故か胸が痛くて仕方がなくなった。
それがなんなのかは分からない。
酔っているのだ。
「にぃさんも、脱いでくれねぇと、な」
先ほどとは意味の違った笑みを浮かべ、戦士と呼ばれた男が腹の上に跨り、上着を纏めて脱ぎ捨てた。
立派で雄々しい裸であった。
まさか服の下も同様に肌が焼けているとは美しい。
彫刻的美しさに見惚れてしまった偉大な男の服を戦士が脱がし始める。
男もまた抵抗せず、隆起する肉を口を半開きにして見つめながら、すべてにおいて身を任せた。
ふたりはすっかり全裸になり互いの躰をまさぐりあった。
熱い身体に熱い手だった。
心臓の音が早すぎて五月蠅い。
血流が巡るグツグツと煮えたぎって駆け巡る。
「あ…ちょっとま…にぃさっ…あっ…んっ…」
「ここが弱いのだな、ふはは…よい…ほら…」
「あぁン…にぃさ…こんな…ああ…」
「だいじょうぶ…むたいはせんよ…」
「あは…やっと…してくれたぁ…」
八塩折之酒。
それは東の果ての八頭の蛇を酔わせた神折の酒。
つまるところ、神も酔わす酒。
という話付きで振舞われた昨夜の酒。
味は非常に旨かった。
そして異様に飲みやすかった。
なんとも軽やかに、水のように飲めてしまった。
けれど酒精は残酷なまでに強かった。
我を前後不覚まで酔わすとはなかなかの物。
東の果ての神から賜ったと言って振舞った新参者めが。
盛った話と思ったが、まさか本当だったとは。
この偉大なる魔法使いルデルーを酔わすとは。
まったく。
うん。
で、我、やったようだな。
うん。
そうか。
やったか。
うん。
いやぁ。
いや、うん。
我の背中に回された両腕の強さ。
心酔わす嬌声。
甘やかな、それでいて身も心も蕩けさす快感。
致した事すべては覚えている。
もちろん。
だが。
が。
が。
ああ。
「…あ…おはよ…るでるーのにーさん…」
「う、うむ…おはよう…トクサ…」
嬉しそうにトクサが笑顔を見せる。
東の果ての人々の特徴である真っ黒い髪に寝癖が付いている。
瞳の色はこの辺りでは珍しくない青だ。
けれど東の果てでは、この青い瞳は災いを齎すと言われているそうだ。
だからトクサは東の果てから一人、この西大陸に流れ付いた。
恬淡とした性格の所為で苦をあまり感じさせないのが、我には痛ましく見えた。
だからとびきり甘やかしてしまった。
我は長命故に、子供を可愛がるとはこの事かと最初は思っていたのだが。
芽生えてしまった、感情が。
求めてしまった。
トクサを。
愛しいと。
芽生えた気持ちは隠した。
しかし、バレつつあった。
バレた。
同じだと言われた。
気持ち同じだと、告白された。
その気持ちを受け止めるに受け入れるに、トクサの将来を慮った。
未来ある若者。
優れた戦士。
傭兵団なぞ辞めて安定職に就かせ、まっとうな家族を作り、安寧の家で生を終わらせる。
我はそれが普通の幸せだと考えていた。
それを与えたいと言ったら、それはおれの求める幸せじゃないと拒絶された。
だから、まさか、うん。
こんな手に出られるとは。
酔った勢いでという作戦に出られ、まんまと嵌まるとは。
嬉しそうにトクサが抱き付いてくる。
おお、この温もり。
手放せぬ。
「なぁルデール?」
「…なんぞや」
『にぃさん』の敬称をあえて使わなかったか。
そうか。
まぁ、うん、そうだよなぁ…。
「…せきにん…」
上目づかいで言わなくともよいよい。
でも卑怯な手を使った後ろ暗さは覚えているようだ。
我は安心させるようにトクサの頭を撫でた。
聞けば頭を撫でてくれたのは、我が初めてだったそうだ。
この傭兵団に所属する事を決めたのも、我が居たからだそうだ。
ああ、くそ。
愛い奴め。
「責任というのは貴様も取らねばならんぞ?長命の呪いを掛けられた魔法使いの嫁になるという事は、我の精神を守らねばならぬという事であるぞ?」
「すっげぇとる。大事にする。なんでもする。ルデールのにぃさんと、居たいんだ」
曇りなき青き眼。
それに見つめられてしまったら、もう。
「…ならまずは書類上は婚姻、契約魔法を施し、我が死ぬ時死ね」
「わーい!やったあああ!るでーるのにぃさんだいすきっ!」
悍ましい事を言った筈なのだが、トクサは手放しで大喜び。
我に抱き付いてきた。
離れたくないとだたこねる幼子のようだった。
離れたくないと甘える恋人であった。
「…あ、もっかい、する?…しよ?な?るーでるぅ…」
…おのれ、愛い奴めがっ。