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91 鎖と闇(1)

 一階層を中心に発令されていた全面封鎖は、ヘカテー消滅の約一時間後に解除された。

 医療部の職員に貰った疲労回復薬のおかげで、俺はすっかり元気を取り戻した。

 就寝時刻に近づいてくると、俺を始め、他階層に所属する職員たちはそれぞれの階層へと戻ることになった。

 重症を負い、一人では動けない職員は特別処置として医療部に留まることとなった。

 無事治癒魔法で動けるまで回復した室町さんも地上一階層へと戻った。


 三階層へ着くと、随分と久しぶりのような気分になった。

 まるで実家に帰って来たような安心感が湧いて、また眠気が押し寄せてくる。


 だが、眠るわけにはいかない。


 現在行われている第三会議室での緊急会議。

 後三分で就寝時刻だ。


 俺は、会議室近くの柱の影で会議が終わるのを待っていた。

 本来ならば、とっくに寮に戻っていなければならない時間。

 バレたら処罰を受けることになるのだし、明日になってタイミングが合った時に聞けばいいじゃないか、そう思う自分もいる。 

 しかしそれでも、どうしても大人しくはしていられなかった。

 今日のうちに全部、解決しておきたかった。


 会議は随分と長引いているようだった。

 就寝時刻になり、そして三十分が過ぎたところで、ようやく会議室の扉が開いた。

 俺は柱の影に身を隠しながら、その人物が出てくるまで待った。

 初めに出てきたのはフィンセントさんだった。

 その次に橋雪さん、後ろにはルアスさんの姿もあった。

 続いて知らない職員がゾロゾロと中から出てきて、パッタリと途切れる。

 目的の職員は出てきていない。

 まだ中にいるのかもしれない。


 俺は高級職員たちの姿が見えなくなるのを見計らい、会議室に近づく。

 耳をそばだてると中からヒソヒソと声が聞こえた。

 話の内容は分からなかったが、恐らく李岳さんとマキノさんだ。

 俺は意を決して開いた扉の内側をノックした。

 ピタと声が止み、扉の方へ振り返った二人と目があった。


「西条君⋯⋯? 就寝時刻はとうに過ぎているよ」


 この場にいるはずのない俺がいることに、李岳さんは驚いていた。

 そしてチラと自分の懐中時計を覗き見て言う。


「すみません、罰は後で受けます。⋯⋯でも、どうしても知りたかったんです」

「知りたいこと?」


 李岳さんは眉をひそめた。

 マキノさんは、俺のただならぬ様子を察してか、扉を閉め、話をする許可を与えてくれた。

 

「寮抜け出して、橋雪くんやフィンセントくんでもなく、うちに聞きたいことゆうんは何なん?」


 この期に及んでも、怖気づいてしまっていた。

 一体どう切り出せばいいのか、門前払いはされなかったが、答えてくれるかは別の話だ。

 慎重に、言わなければならない。

 俺は一呼吸おいて、震える唇を何とか動かして尋ねる。


「真実を知りたいんです。序曲事件の後、フィリエスさんが殺されていた事、俺はあの時マキノさんが教えてくれるまで知りませんでした。あの事件は俺を殺す⋯⋯ために起こされたものでした。なのに、俺はフィリエスさんが何で俺を殺そうとしたのかも、フィリエスさんがどうなったのかも、知らされることはなかった。それが、どうしても悔しくて」


 仕方のないことだとは分かっている。

 会社の重要な情報を一般の社員に知らせないように、ディオスガルグの重大機密を俺が知るなんて許されない事だっていうのも。

 理屈では分かっている。


「今回もそうです。ヘカテーの分身体は俺の事をテセウス——英雄と呼びました。ただの傲慢、自意識過剰なのかもしれません。でも、俺は今回の事件に全く関係がなかったわけではないはずです。ヘカテーがどうなったのか、フィリエスさんは、ヘカテーに殺されたのか、殺されたのならどうして、殺したのか、どうして、二人は俺を特別視していたのか⋯⋯それを、知りたいんです」


 言ってしまった。

 体が熱くなっているのが分かる。

 二人は俺が話している最中、複雑な表情を浮かべながら黙って耳を傾けてくれていた。

 話し終わった後も、どうやって答えれば良いのか、返答に迷っているようにも思えた。

 

「西条くんの気持ちはよう分かるよ。自分の事やのに、全部、置いてけぼりにされてるような感じなんやろう?」


 マキノさんの言う通りだ。

 自分の知らないところで、話が前に進んでいく。

 気が付いた時にはもう既に全部終わっていて、払拭出来なかった不安と疑念だけがずっと、心の中に溜まり続けていく。

 橋雪さんは機密事項だと言って教えてくれなかった。

 橋雪さんの行動は正しい。

 

「橋雪くんはあんな感じで真面目さんやし、司令部補佐官のあの娘も深いところはよう知らんやろうし、それでうちなら、って思うてくれはったんかな」


 全部当たりだ。

 マキノさんはフワフワとして見えるが、意外に鋭いところがあると最近になって気づいた。

 流石は一階層の階層長と人事部部長を兼任しているだけある。


「ええよ、教えたる。でも、知ったらもう二度と、純粋に、全うにここで働いていけんくなるかもしれへん。その覚悟は西条くんにあるん?」

「長官⋯⋯っ」


 事は重大だ。

 普段はマキノさんの意思に委ねている李岳さんも黙ってはいられなかったのだろう。

 マキノさんに話を続けさせるまいと押し止める。


「長官、分かっておられるのですか? これは遊びではないんですよ。規則を破れば、今度は階層長の座を失うだけじゃ済まない」


 これだけ焦っている李岳さんは初めて見た。

 李岳さんの穏やかな表情は一変して、一階層でディオと対峙していた時よりもずっと厳しい顔つきになっている。

 それだけに、俺は今から語られるであろう真実の重さに躊躇した。

 でも、もう手遅れだ。

 皿まで飲み込む覚悟を決めなければならない。

 でなければ、この闇には踏み込めない。


「分かっとるよ。でも、君は知りたいんやろ。でも、今から話すんは不確定な事が多い。いくら西条くん相手ゆうたって、うちも不確定な情報を教えるわけにはいきまへん。だから、不確定な事は全部伏せさしてもらいます。それでもええなら、うちは、うちの知ってる真実を、西条くんに伝えるつもりやよ」

 

 マキノさんは俺の肯定を受け止めると、やんわりと口角を上げる。

 李岳さんは、マキノさんの固い意思を前に折れる事を選んだ。

 これ以上、自分が何か言ってしまわないようにと配慮したのか、輪から外れ後ろに下がった。


「まず、囚人ヘカテーについて話さなあかんね」


 そしてマキノさんは話してくれた。

 本来、知る事は許されない事件の顛末を。


「西条くんは、一階層におったヘカテーがヘカテーそのものではないんゆうのは知ってはったよね」


 俺は頷く。


「はい。本体は七階層の囚人で、彼女たちはその囚人の魂の分身体だと」


 分身体の数は三体。

 エナ、ディオ、トリア——分身体とはいえど、彼女たちは性格も身に纏う雰囲気もバラバラで、生きた一人の少女だった。


「そう、本体は七階層の囚人ヘカテー。でも、彼女自身もヘカテーであってヘカテーではないんよ」

「どういうことですか?」

「冥府の神の一柱であり「死者達の王女」いう異名でも知られた女神、ヘカテーと同じ名前を持った悪魔。それが彼女、ヘカテー・クレネシア。クレネシアは彼女の本当の名前や」


 ヘカテー・クレネシア⋯⋯。

 俺は、最下層にいるであろう少女の姿を想像し、頭の中でその名前を反芻する。


「どうして、神と同じ名前を? 悪魔と神って対極にいる種族だと思うんですけど」


 悪魔が住むのは冥界——つまり地獄だ。

 対して神がいるのは神界。

 天界よりもさらに高くに位置する神々の住む世界。


 俺の勝手なイメージとしては、両者は相対する関係だと思っていた。

 欲望に忠実な悪魔と、万物を生み出し、導く神。

 文字通り天と地ほどの差がある。


「これは人間の、今まで異世界ゆう存在に触れて来んかった西条くんは分からんかもしれへんけど、六世界には権使、ゆう存在がおるんよ」


 権使——それは、一言でいえば神と同じ名を名乗る事を許された者たちのことだ。

 権使になる条件は極シンプルだ。

 神に忠実であり、神からの絶大な信頼を与えられた者。

 自分と同じ名前を名乗らせても申し分ないほどの素質と実力を持った者。


「権使が持つ権能は神と同じ名前を名乗る許可だけやない。他にも六世界の渡界権や神への謁見、神の命を直々に受ける権能が与えられる。⋯⋯こういうとあまりええもんに聞こえへんかもしれへんけど、権使が別格の存在ゆわれる所以は、神と同じ能力が使えるゆう事と、どの種族のどんな立場のもんでも選ばれる可能性があるゆうことです」


 全ての種族、全ての階級、全ての年齢が平等に、実力を認められさえすればその権能を得られる。

 つまり、極端な事を言えば、人間の幼稚園児だって実力さえ認められれば権使になれるということだ。

 それは、究極の実力至上主義の形そのもの。

 だからこそ、権使は全ての世界で一目置かれる存在であり、そして欠落者と呼ばれている。

 それは、優れた才能を持つ芸術家や学者が持つ常人には理解されない特異性を表わしている。

 何かを極めた者は何かが欠けている。

 それと同じように、全てに関して並み外れた、それこそ神がかった能力を持つ彼らは大きなものが欠落している。

 それが他人を思いやる心なのか、身体の問題なのかは人それぞれだ。

 しかし、そんな彼らが神と同じ力を持ち、万が一敵に回ったのだとすれば、大きな脅威となる。


「そんな相手と戦ってたのか⋯⋯」


 改めて考えても、俺の行動は命知らずそのものだった。

 神を三体相手にしているようなものなのだから、一階層の封鎖は、職員たちにとって絶望の勧告でしかない。

 死ねと言われているようなものだ。

 そこでまた引っかかる。


「権使三体の脅威を他階層に及ぼさないため、それは分かっています。でも、軍事部の派遣や他階層からの支援は別のはずです。ヘカテー・クレネシアに対抗できる職員だっていたはずなのに⋯⋯」


 どうしてしなかったのか。

 ディオスガルグが雇用する職員は六世界の住人だ。

 つまり中には神も含まれているということ。

 数は少ないのかもしれないが、神と同じ力を持つ権使と渡り合える職員は、ここにはいくらだっているはずだ。


 なのに監獄はその選択をしなかった。

 駐在の軍事部少数班と李岳さんやマキノさん、大勢の職員たちのおかげで一階層は崩壊を免れた。

 もし支援が来ていれば、もっと早くに分身体を捕らえられたはずだし、あんなに多くの被害だって出なかっただろう。

 フィリエスさんの時と同じだ。

 この監獄は仲間を助ける事に、何を躊躇しているのだろうか。

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