87 禁忌
「ユーティウス・レイル⋯⋯」
テラは名前を口にして、思い出したというように相槌を打った。
エナの表情は相変わらずだったが、俺の話に関心を持っていることは何となく分かった。
「ユーティウスさんは、ゴブリンが死んでいるのを発見し、通報したところが監視カメラに映っています。それはマキノさんやテラも知ってますよね」
「西条くんの言う通りやね」
「はいっ、ハッキリ映っているのを見ました! 間違いないですよっ!」
マキノさんとテラが頷く。
「監視塔で事情聴取した時、ユーティウスさんは薬を飲んでも症状が改善せず、辛そうな様子だった」
頭痛に吐き気、近頃眠れていないようで目元に濃いクマも浮かんでいた。
まさしく呪いの症状だったから何も疑問には思わなかった。
「洞窟で会った職員も目元にクマがあって顔色も悪かった。ユーティウスさんが初めに体調不良を訴えたのは一週間前。同じ体調不良を訴えた他の職員はここニ、三日の間だと証言しているところを考えると、ユーティウスさんはいわゆる初期患者になる。でも、俺が彼に会ったのは二日前と今日。その間他の職員の症状は悪化しているにも関わらず、ユーティウスさんは今日までずっと症状が変化していない。職員寮には闇鏡があり、ヘカテーの一人が仕掛けた呪印を日常的に目にしているのに」
細かく見れば、重くはなっているのかもしれないが、少なくとも目に見えた重症化も緩和もしていない状態。
「経過日数、鏡に映らない職員と回復し鏡に映るようになった職員。生物を操る魔法と職員寮の闇鏡。全ての情報を合わせると、一つの可能性が見えてきた。ユーティウス・レイルは初めから呪いにかかってなどいない。共犯者だって」
「で、でも、それじゃ体調不良は、呪いの副作用は一体どうなるんですかっ?」
「だからこそ共犯者なんだ」
テラの追及に俺は答える。
「ヘカテーは生物を操る魔法を使えるから、ユーティウスさんはヘカテーに操られていたと考えれば全ての辻褄が合う。一階層の職員であるユーティウスさんなら職員寮に入って闇鏡を隠すこともできる。ただユーティウスさんも日中は仕事がある。怪しまれてしまうから仕事を放りだすわけにはいかない。だから皆が寝静まる就寝時に実行させた。ユーティウスさんを操り夜中に作業をさせていたから寝不足になっていたんだ」
「えっと⋯⋯つまりっ、ただの体調不良だったってことですか?」
「その通りだ」と頷く。
ユーティウスさんが抱えた頭痛や眩暈、吐き気などの症状、目元のクマは睡眠不足由来のただの体調不良だったわけだ。
「呪いでもなんでもない、ただの体調不良ならカメラにも鏡にも映るし、呪いの副作用と似てたから怪しまれなかった。それに⋯⋯」
俺は事情聴取の時に気になったことを思い出す。
「ユーティウスさんは腕を怪我していた。普段は袖に隠れて見えない左腕の内側。ユーティウスさんは剣の手入れの時に怪我をしたはずと言ってたが、それなら柄を握る左腕よりも刃に当たりやすい右腕に怪我をするはずだ。それに、そんな場所を切れば誰だってすぐに気づく。でもあの時ユーティウスさんの反応は曖昧だった」
監視塔で尋ねた時、初めユーティウスさんは「どこかで切ってしまった」と言っていた。
「俺は魔法のことはよく分からない。でも、少なくとも操られている時の記憶はユーティウスさんにはない。そうなれば、操られている状態で怪我をしてもどこで何をして怪我をしたのか覚えていなくても不思議じゃない」
怪我は恐らくだが、高い所に手を伸ばした時に付いたものだろうと思う。
つまり闇鏡を設置しようとした時だ。
「⋯⋯英雄を導くことは容易ではない。迷宮へ誘うには王の命令、そして動く駒が必要」
沈黙を貫いていたエナが口を開いた。
何を思い、考えているのかは分からない。
ただ、ターコイズの瞳には変わらず俺だけが映っている。
「それは、正解ってことでいいのか?」
エナが目を瞑る。
そしてそれは肯定を示していた。
「なんで、ユーティウスさんを⋯⋯!」
「意味などない。それ以外を選んだとしても、意味はない。神の駒は駒に過ぎない。英雄を導くための生贄。歴史の中に、名も伝えられないままに白紙を埋めるだけの存在」
あまりに残酷な話だった。
悪魔だろうが天使だろうが、人間であろうが同じ生命であることに変わらない。
なのに、エナはユーティウスさんを、職員たちを自分に従うだけの駒だと言った。
意思も、命も、尊厳も、彼女たちにとっては全て、ほんの些末な事に過ぎない。
「⋯⋯ヘカテー、大勢の職員を傷つけ、殺した罪を、償ってもらう」
このディオスガルグで永久に。
「ようゆうたわ、西条くん」
マキノさんが一歩進み出る。
「さあ、最終決戦といきましょか。君も、そう長居はしとうないやろ?」
「⋯⋯」
エナは答えない。
目を伏せ、じっと動きを止める。
しかし、ここまでの事件を起こしておいて、彼女がただ黙って大人しく捕まるはずもない。
俯きがちだったエナがゆっくりと顔を上げる。
ターコイズの瞳が静かに瞬きし、ただ一言告げた。
「操術——プーパルス」
また雫が落ちた。
毒毒しい紫色の魔法陣があちこちに展開される。
そして、地面がボコボコと泡立ち始める。
「⋯⋯迷宮の章は閉幕し、待ち受けるは沼の章。かつての栄光の影に埋もれた戦士たちが再び舞台へと上がる」
沼と化した地面から姿を現わしたのは灰色の人型。
落ちくぼんだ瞳と、だらんと垂れ下がった四肢——まるで死人のようだった。
地面から次々に這い上がる死人の姿の人形たちは百体を優に超えていた。
まさしく地獄絵図だ。
いくらなんでもこの数をマキノさん一人で相手するのは不可能に思えた。
軍事部は職員たちの安全確保と救護に回り、他の職員たちも既に疲弊しきっている。
窮地に訪れた再びの窮地。
この場にいる職員の間に、静かに、死の予感が迫り始める。
しかし、マキノさんだけは決して慄くことはなかった。
そっと一つ息を吐くと、意を決したように瞼を開く。
「一階層は地上階に直結する唯一の階層。例え囚人が全員牢から逃げ出そうとも、決して逃がさへん仕掛けも備わっとるんよ。囚人のお嬢さんは知りはらへんかもしれんけどね」
マキノさんは続ける。
「申し訳あらへんけど、皆さん今から見るもんは企業秘密ゆうことでお願いします」
マキノさんは人差し指を添え、冗談っぽく笑みを浮かべると——
「禁忌契約——開錠」
地面が大きく揺れた。
籠の中でグラグラと揺すぶられているような状態に不安が押し寄せる。
これがマキノさんの発動した魔法であることは確かだったが、誰一人これから何が起きるのか理解している者はいなかった。
長官補佐であるテラでさえも。
エナにより呼び出された人形たちは臆することなく自分たちの方へ進行する。
人形が中央に迫り、耐えかねた職員が魔法を詠唱しようと口を開いた時だった。
壁が崩れ、そこから土の巨大な人型が現れた。
左右の灰色の石壁を割り、人型は地面に降り立つ。
「ゴーレムだ⋯⋯」
瞳を光らせ太く硬い四肢を動かし、灰色のゴーレムは人形を次々に粉砕していく。
人形は抵抗する間もなく、悲痛の声を上げながら消滅していく。
それは、あまりに一方的な戦いだった。
俺も、その場に突っ立ったまま、ただ茫然と見つめていた。




