81 一方その頃(6)
『やあ聞こえるかい?』
からまったようなノイズの後、鼓膜に響く悠々とした声。
「聞こえています」
俺が答えると、無線の奥の職員——フィンセントさんが朗らかに続けた。
『君のお望み通り、空間を繋げておいた。後は君がくぐるだけだ』
「分かりました。協力して頂き感謝します」
『固いなあ。そう気を張らずとも、提案者は僕だ。君一人が背負うことじゃない。共犯者同士、共にこの罪を隠し通そうじゃないか』
「数が増えるだけで、罪が分散されるわけではないでしょう」
通信室を出てすぐ、フィンセントさんが追いかけてきたかと思えば、名案があると言い始めた。
封鎖中の一階層へ行く手段があるから、と。
俺は目の前にそびえたつ巨大な門を見上げる。
三階層重要施設の一つ、拷問場ゲートだ。
本来、この門の先には囚人たちの刑罰に使うための特別なフィールドが繋がっている⋯⋯が、今は違う。
現在、この門が結ぶのは三階層と一階層だ。
本来、階層間の移動は各階層にある階段と昇降機に限られる。
拷問場ゲートを改造し、別階層につなげるなど前代未聞だ。
だが、数カ月前、その前代未聞の事態を引き起こした天才がいた。
既に監視下から外れている彼女を、この数十分の間でどう動かしたのか。
「——ですが、随分と手際が良いですね」
『これでも警備部部長だからね。色々と手があるのさ』
彼の言う手というのはいわゆる裏のルートだ。
この件が表沙汰となれば、処罰は免れない。
『それに、僕は本能に忠実に生きるタイプでね。ドライな君が、自ら首を突っ込みに行くものだから興味が湧いたんだ』
やはり本音はそちらのようだ。
『とはいえ、僕も怒られるのは嫌だからね。なるべく目立たないように行動するよう頼むよ』
「戦闘は避けられませんよ」
どう考えても無茶な注文だ。
一階層では今でも戦闘状態が続いている。
その中に飛び込んでいくのだから、どう動こうにも監視カメラは避けられない。
だが、その後もフィンセントさんは念押ししてくるので仕方なくため息を吐く。
「分かりました。ですが、完全には不可能です。万が一の時の覚悟は決めておいてください。俺は、後戻りするつもりはありません」
自分の立場と監獄を天秤にかけた。
監獄を守るためならば、自分がどうなろうと構わない、そう覚悟を決めている。
——ここに来た時からずっと変わらない。
『覚悟だなんて重いもの、性には合わないけどね、了解したよ』
そこで会話は中断された。
俺はゲートに片足を踏み込む。
「その先にいるのは七階層の囚人、本物のカミサマだ。君が生きてこの三階層へ戻って来られることを祈っているよ」
——祈る。
一体誰に祈るというのか。
その言葉が彼なりの冗談であることは分かっていたが、俺は疑問を抱かずにはいられなかった。
本来祈りを捧げる対象であるはずの神が、ディオスガルグには収監されている。
人間を導き、天使を従える、そんな清廉潔白であるはずの神でさえも罪を犯すとなれば、純潔なその祈りは一体誰が叶えるというのか。
初めから、完全に潔白な者など存在し得ないのだ。
人間も、妖精も、悪魔も、天使も、神も罪を犯すのだから。
だが、犯した罪は、誰かが正すしかない。
そこに潔白を求めてはならない。
つまりは罪人同士の救済だ。
手を穢した者たちが、血で濡れた手を差し伸べて、その手を取った者の手はまた血で穢れる。
全てその繰り返しだ。
「必ず、守り抜いてみせる」
景色が変わり、無線機のノイズが激しくなった。
悠々としたあの声はもう聞こえない。
ここは三区、隣接するのは軍事部や医務室などのある二区か。
「ヘラクレスか」
白亜の門から出て間もなく、冷ややかな少女の声が届いた。
少女の背後には何人もの死体が転がっていた。
そのなかに見知った顔の職員がいた。
確か西条の加わった捜査班の一員だったはずだ。
「⋯⋯お前がヘカテーだな」
剣を抜き、その切っ先を視線の先に立つ少女へ向ける。
「いかにも⋯⋯だが、そう言い切るには、そなたの答えはふさわしくない」
少女は、裸足の足でゆっくりと歩を進める。
「我が名はディオ。ヘカテーとは我らの総称である」
神でさえ罪を犯す。
ならば、罪を裁くはずの立場にいる神々は、誰が裁くのか。
「ならばディオ、俺がお前を裁く。この階層から、出られると思うな」
細まる少女の瞳に青い炎が浮かび上がった。




