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80 英雄の名前

 突き飛ばされた俺は後ろへ吹き飛び尻を激しく地面に打ち付けられる。


「⋯⋯全く、厄介なことをしてくれたものだ」


 少女の表情には全く感情が浮かんでいなかったが、その声色はどこか怒りをはらんでいるように思えた。

 この口調、冷たい雰囲気⋯⋯もしかしてディオか?

 節々が痛むが気にしている暇はない。

 

「⋯⋯ッ! トリアはっ、トリアは何処へ!」

「我とトリアの違いが分かるのか」


 感情の揺らぎは見えないが、口調から驚いているのを察する。

 自分でそう言うほど、トリアとディオ⋯⋯そしてエナはそっくりだった。

 でも、俺には何故か分かった。

 三人とも本当に僅かだけど、身に纏う雰囲気が違うのだ。

 それに口調も。

 他の人からすれば大した違いではないのかもしれない。

 それでも、同じ顔と声なのにまるで別人のように、異なっているように見えた。


 剣先をディオに向けたまま少しずつ距離を取る。

 向き合ったまま睨み合う時間が続き、段々と集中力が切れてきた。

 トリアは感情が表に出やすかったが、彼女——ディオは全く腹の内が読めない。

 トリアがどこに消えたのかは分からないが、彼女がいないということは目の呪印が六区に広がることはない。

 だが、どちらにせよディオをあそこへ向かわせるわけにはいかない。

 俺がやるべきことは同じだ。

 覚悟を決め、足を踏み出し力を入れた時だった。

 ディオがゆっくりと息を吐いた。


「勇敢なるテセウスは我に挑む、か。だが、生憎我の職分は英雄を導くことにある。それが成し遂げられなければ、かの意を遂行することが叶わない」

「君と同じ顔をした彼女にも聞いたが、そのテセウスっていうのは何なんだよ。それに、かの意ってのは一体誰のことだ」


 確かエナも言っていたことだ。

 動き出した歯車は止まらないだの、旋律がどうのって。

 ディオやエナがそう言うってことは、例の七階層にいる囚人のことを指しているのか?

 一階層にいる三人がいわゆる分身というやつなら、七階層にいるのは本体だ。

 分身が本体の目的を遂行しようとしているのだとしたら話は合う。

 問題はその目的が何なのかだが。


「テセウスとは英雄の名である。我が君は英雄を求めておられる。ゆえに、我は君の意向に沿うかの意に応じるのみ」

「さっぱり分からないな」


 ディオが答えないということはつまり、かの意ってのが誰を指しているのかは教えられないってことだろう。


「じゃあ、君の言うその英雄テセウスが俺ってことなんだな」

「いかにも」


 正直それもよく分からないが、繰り返し俺をテセウスだと呼ぶのならそういうことなのだろう。

 ディオが肯定する。


「残念だが、俺は君の言うテセウスでも英雄でもない。⋯⋯ってこれは前にトリアに言ったんだが、情報共有はしてないのか?」

「愚問だ。我らは同じ魂を分けた存在。トリアの記憶は我の記憶であり、我の記憶はエナの記憶である。見たもの、感じたもの、触れた感触の全ては共有されている。そなたがいくら否定したところで運命は覆らぬ。テセウスはテセウスであり、ヘラクレスはヘラクレスなのだから」


 トリアと違い、ディオはよく話すタイプらしい。

 話す内容はサッパリ意味不明だが、段々と分かってきた。

 彼女の主君、もしくは彼女が俺を英雄に仕立て上げようとしているということだ。


「なら、君たちの目的は俺ってことだろ。なら一階層は何も関係ない。これ以上関係ない職員たちを巻き込まないでくれ」

「それは不可能だ。幕は上がり役者は揃った。後はこの舞台で役者が各々の役割を全うするのみ。絶好の機会を逃すことこそ愚の骨頂である」

「⋯⋯ようは引く気はないってことか。それがヘカテーの意思なんだな」

「答えるまでもない」


 ディオは冷ややかな眼差しで俺を見据える。

 そして俺も真っすぐディオの目を見つめる。

 さっきの口ぶりからして、彼女は俺に攻撃を加えるつもりはないようだ。

 こっちから手を出せば流石に反撃してくるのかもしれないが、かの意ってやつに従うために殺そうとはしてこないはず。

 ならばこっちが優位だ。

 彼女たちの間でどういう風に情報共有がなされているのかは知らないが、気が変わらないうちにディオを六区から遠ざけ、出来れば戦闘不能の状態にまで持っていきたい


 そのためにはどうすればいいか。

 今、俺の持ってる力で出来ることは何か——。

 無意識のうちに自分の体を見る。

 そこで、わずかに膨らんだポケットに硬い感触があるのを感じた。

 

 そうだ⋯⋯!

 脳内に電撃のようなものが走るのが分かった。

 上手くいくかは分からない。

 でも、試す価値はある。


「行くぞ」


 小さな声で呟き、自分に呼びかける。

 汗がにじむ手で剣を握りなおす。

 

 そして——足を踏み込んだ。

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