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8 襲来

 嘘だろ⋯⋯本当に放置された。しかも職員寮って何処だよ。

 それに仕事は明日からって言っても、今からはどうすればいいんだ?

 何一つ分からない。


 勝手なことをすれば大変なことになるのは目に見えているし、第一許されないだろう。

 ここで待つのも良いが、橋雪さんがいつ帰ってくるのかも分からない。


 今何時だ?


 目線を上にきょろきょろと部屋の壁を見渡す。時計はすぐ見つかった。

 どこにでもあるようなシンプルなデザインのアナログの壁掛け時計だ。

 針は十五時をちょっと過ぎたところを指していた。

 あの校長室にいた時からまだ二時間と少ししか経っていない。


 そういえば天界に時差ってあるんだろうか?

 いやそもそも昼とか夜とか時間の感覚が俺たちの常識と異なる可能性がある。

 例えば悪魔は光を好まないから夜行性で、夜に行動する、とかだ。

 だがここは多くの異種族たちが集う職場なわけだから何か共通する時間区分があるのかもしれない。

 まずいな、この世界の常識が全然わからない。


 そういえば今更な疑問なのだが、なぜか言語が通じている。

 日本人である橋雪さんに通じるのは当然として、地上一階層で出会った双子は妖精らしいのに何を言っているのかが分かったし、向こうにも俺の言ったことが理解できているようだった。


 これはせめてもの救いだった。もしこれで言語が通じませんなんてことになっていたらもうどうしようもない。

 妖精語や悪魔語があるのかは分からないが、あっても俺は話せないし理解できない。いや、もしかしたらさっきの双子がたまたま日本語を話せただけなのかもしれない。

 ここはあらゆる種族が集うグローバルな監獄なのだから、複数の言語を操る語学堪能な職員がいてもおかしくはない。


 だとしたらこの心配は杞憂ではなく、一刻も早く解決すべき問題になってくる。

 しかし幸いにもここは職場。一応頼る相手はいるのが大きい。

 もし仮に転生して急な草原にポツンと放置されるような状況だったら即死んでいただろう。

 その点、囚人が収監されている監獄とはいえ職場なのだから職員の安全はある程度保証されているはずだ。


 そこで昇降機に乗っていた時に聞こえた獣の咆哮を思い出す。

 獄卒獣⋯⋯だっけか。そういえば、業務内容に獄卒獣の世話があるとか言っていた気がする。

 獄卒獣ってのが一体どんな獣なのかは知らないが異世界というからにはさすがに犬猫の類ではないだろう。まず思いつくのはモンスターだ。


 スライムやゴブリン、オークを始めとするゲームや漫画などでおなじみの異界の怪物、モンスターたちの存在。現実味が帯びた分高揚感よりも不安と緊張で埋め尽くされる。

 流石にモンスターに襲われて死ぬなんてことはないと信じたいが⋯⋯。


 俺は立ち上がる。ここにいても仕方ない。誰か別の職員を探して案内してもらうことにしよう。



 ディオスガルグ監獄三階層。通称――“悪魔の屋敷”。


 真紅の絨毯が敷かれ壁には絵画や剥製が飾られている、まさしく貴族の屋敷のような場所だ。

 自分が今監獄にいる実感がわかないのはこの内装のせいでもある。


 本当にここに凶悪な囚人が収監されているのだろうか。

 その異名の通り悪魔が住んでいると言われれば納得だが到底そんな風には思えない。

 

「どっちに行けばいいんだ⋯⋯?」


 どちらにせよ何処に何があるのかが分からないっていうのが問題なんだよなー。

 頭を乱雑に搔く。

 長官室を出てすぐに廊下は左右に分かれる。


 職員を探すにも、ここが監獄であり、モンスターのいる異世界であることを考慮すればどちらに進むか問題はかなり重要度を増してくる。

 下手に動いてモンスターと鉢合わせ、もしくは囚人の牢屋にたどり着くなんてことがある可能性は高い。

 監内マップとか壁にかかってたりしないかな。ここに来るまでにマップみたいなのあったっけ?

 記憶をたどってみるが、駄目だ。絵画や全身鎧のインパクトが強すぎて思い出せない。


 もうここでずっと立ち止まっていたら誰かが通りかかるんじゃないだろうか?

 下手に動くよりそっちの方がいい。


 そう一人頭を抱え問答しているその時、突然ズシンと地面が揺れるのを感じた。

 音は近づき振動は増々大きくなっていく。


 なんだなんだ!?

 音のする方、右側の廊下へ視線を向けた時、その奥、曲がり角から大きな影が現れるのが目に入った。

 ズシンズシンと耳にダイレクトに伝わる振動音。

 身体がグラグラとして足に力を入れていないと膝から崩れ落ちそうだ。

 背に、額に、首に、冷や汗が伝う。


 ――ヤバい。

 そう分かっているのに目が離せない。ソイツが姿を現すまで、視線が釘づけになり目を見開いたまま唾を飲み込む。

 ゆっくりとゆっくりと姿を現したその巨大なバケモノは――――


「オーク⋯⋯!?」


 おいおいマジでオークがいるのかよ!!


 曲がり角から現れた緑色の巨大な体躯。

 突きだした鋭く長い牙に分厚い唇、鼻はつぶれて、身体のあちこちに拳ほどのサイズのイボがある。

 でっぷりと出た腹、腰にはボロボロな藁が巻かれ、錆びた鉄製の胸当ては鎖でつながっている。

 昔、異世界モンスター特集で見たのと相違ない外見。間違いない、オークだ。

 肉付いて硬そうな手には棍棒。濁った眼玉は少し先の下方で目を見開く俺の方へ動く。


 目が合った。

 その瞬間、まるで獲物を見つけた捕食者のような光がオークに宿ったのを見逃さなかった。

 身体中の血の気が引いていくのが分かった。足の指先まで焦りと冷たさが伝わる。

 このオークは間違いなく俺を“敵”とみなしている。


 逃げなければ、死ぬ! 殺される!! 直感が警鐘を鳴らす。

 つま先に体重をかけ方向転換する。何処に行けばいいのかも分からないが今はとにかく逃げるしかない。足を踏み出し走り出す。


 クソっ、振動に足を取られて上手く走れない。

 それにあの巨大な体躯、一歩のデカさも人間の比じゃない。

 これじゃすぐに追いつかれる!


 その時、前方のもう一つの曲がり角から誰かが数人やってくるのが見えた。


 ――制服! 間違いなく職員だ。


「助けてくれ!! こいつを止めてくれ!!」


 ドシンドシンと地面を鳴らし、こちらへ向かってくるオークから職員達の方へ走りながら叫ぶ。

 オークはすぐそこに迫っている。

 地響きは足元がぐらつくほど大きくなっている。

 だがこのオークはおそらく獄卒獣。それならば彼らがこのオークをどうにか止めてくれるはずだ。


「ヴヴヴヴ――」


 唸るような声が頭上から響く。


 だが⋯⋯、


「なっ、なんでオークがいるんだ!?」


 予想に反し、前方にいる職員達は明らかに困惑し後ずさる。

 オークの存在がそんなにも想定外だったのか、彼らの視線は突如現れたモンスターにのみ注がれ、誰もその下で追いかけられている俺には気づいていないようだった。

 気配と生臭い匂いがすぐそこまで迫っている。


 ――駄目だ、死ぬ!!

 絶望が脳裏に浮かぶ。

 まさか自分の最後がこんなだなんて想像もしていなかった。しかもまさかの就職初日で⋯⋯

 こんなことなら何が何でもサインを拒否していれば良かった。 

 だが今更そんな後悔をしたところでもう遅い。

 影が覆いかぶさり風を切る音がする。


 そして――――


「『百華妖術――氷楼ひょうろう』!」


 全てが静寂に帰した。

 凍てつくような寒さが暴風のように背中に押し寄せバランスを崩し前に倒れた。

 一向に振り下ろされない棍棒。地鳴らしのようなあの足音が止んでいる。

 その代わりに今度は寒さが襲ってきた。腕をさする。ガチガチと歯が鳴る。

 

 振り返ると俺を襲ったオークは全身が凍り付いていた。

 ちょうど棍棒を振り上げたところで制止し、その態勢のままでピクリとも動きそうにはなかった。

 よく見るとオークを凍らせた氷の跡がその後ろに道のようになって続いていた。

 そしてその奥から一人の少女が現れた。


「間一髪でした。私がこの場に居合わせなければ危うく死者が出るところでしたよ」


 怒ったような声色。

 白い息を吐きながら少女は桃色の髪を耳に掛ける。


「っ指令補佐官! 申し訳ございません!!」

「と、突然のことに対応が遅れてしまい⋯⋯」


 目の前までやってきた桃髪少女に職員たちは慌てて次々に言い放つ。


「君は新人の西条くんだったか、我々が動けず申し訳ない」

「怪我はないか? ともかく無事でよかった」


 こちらに駆け寄る職員たちはいずれも赤いネクタイを締めていた。

 橋雪さんと同じ赤色。おそらくは三階層の職員だ。彼らは地面に倒れ込むんじゃないかという勢いで頭を下げる。

 それだけ謝られてしまっては逆に申し訳ない気持ちになってくる。


「いやいやっ、本当に突然だったし、謝ることないですよ!」


 まさかそんなに謝られるとは⋯⋯。

 まあ確かに死にかけたけど、俺はちゃんとまだ生きているのだし。

 いまだ心臓が浮いたような感覚は消えないけれどこうして普通に話せている。

 謝り続ける職員たちに何とか頭をあげて貰い、ほっと息をついた。


 しかし本当に驚いた。

 もう動かないと分かっていても凍り付いたオークの恐ろしい顔を見るとまた恐怖がよみがえる。ディオスガルグにはこいつみたいな巨大なモンスターがうじゃうじゃいるのだろうか?

 今回は助かったけれど次に運よく誰かが助けてくれる保証はどこにもない。


 昇降機内で橋雪さんが言っていたことを思い出す。

 人間で、魔法の使えない自分がこの監獄で本当にやっていけるのだろうか。

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