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77 逃げることは勇気のいることである

「グァッ——!」


 前方の曲がり角から吹っ飛んできた職員が、勢いよく壁に激突し崩れ落ちる。


「ッ大丈夫ですか!?」


 駆け寄りその職員の体に触れる。

 手が変な方向に折れ曲がって、額や口、あらゆる部分から出血していた。

 あまり下手に動かさない方が良さそうだということは素人の俺にも分かった。


「っキミは⋯⋯?」


 苦し気に顔を歪ませながら職員は問うた。


「三階層所属の西条です、重傷者がいるので救護を探していたんですが⋯⋯」


 だが、どうやらそんな場合じゃないらしい。

 俺は彼が飛んできた方向を見て、そして絶句する。


「⋯⋯どうやら、君も最悪の場面に巻き込まれてしまったようだな。⋯⋯ッここ、は、どこも怪我人、だらけだ。応援要請が⋯⋯出来ないから、救護班もすぐには来れない」


 そこに広がるのはまさしく戦場だった。

 多くの職員が血を流し倒れ、そして攻防している。

 硝煙の先、職員たちが武器を手に取り立ち向かうその相手は⋯⋯


「嘘、だろ? なんでここにいるんだよ!?」


 灰色の長い髪を持つ少女、ヘカテーが立ち向かってくる職員たちを次々に撃破している。


「西条君っ、どうしてこんなところに!?」


 その時、聞き覚えのある声がして一人の職員がこちらに駆け寄って来た。


「え、仁賀木さん!?」


 見ると、他にもアリアさんや市追さんの姿も見えた。

 確か捜査班のメンバーは皆六区に行っていたんだ。


「あれ、木古瀬さんとフリックさんは? もしかしてっ」

「二人には医療部と軍事部への応援を頼んだんだ。残った我々と、人間や魔力の弱い職員は、後方で負傷者への応急処置を行っている」


 仁賀木さんは、壁にもたれかかった職員に近づくと、千切った布で負傷部を圧迫し止血する。


「すまない⋯⋯ッ」

「気にしないでくれ、こんな状況なんだから」

 

 簡単な応急処置が終わると、仁賀木さんは状況を説明してくれた。

 ヘカテーが六区に現れてから十数分、近隣区域にいた職員達を集め攻防を続けているが、ヘカテーが倒れる様子はないという。


「このままじゃここが突破されるのも時間の問題だ」


 仁賀木さんの表情に焦りが浮かぶ。

 だが、俺は同時に別の焦りを抱いていた。

 十数分間ずっと、ここで職員たちはヘカテーと戦っていた?


「あの、仁賀木さん」


 そこで、俺は先ほど遭遇したヘカテーと、怪我をした室町さんのことを話した。


「何だって? もしそれが本当なら大変なことになる。こちらは一人で手一杯なのに」


 ただでさえ怪我人多数で劣勢気味の中、もう一人存在しているとなると手に負えない。

 

「ともかく、その負傷者のところへ行こう。もう一人のヘカテーと接敵しないうちに応急処置をしよう。案内してくれるかい?」

「分かりました!」


 仁賀木さんは、アリアさんたちに少しの間離れることを伝えると、俺と共に転移石で待つ室町さんの元へ向かう。


「室町さんっ」


 室町さんは部屋の隅にもたれかかり目を瞑っていた。


「これは酷いな。痛むと思うが少し我慢してくれよ」


 仁賀木さんは素早く応急処置を施していく。

 室町さんが、痛みをこらえるように唇を噛む。


「よし、一応止血は出来たよ。でも傷が開くといけないから安静にしているんだ」

「⋯⋯ありがとうございます。西条さんも、私が不甲斐ないばかりに」

「何言ってるんだよ。あの時、俺は冷静な判断が出来てなかった。室町さんがいたからヘカテーから逃げられたんだ。だから礼を言うのはむしろこっちだ。それに、不甲斐ないのは俺の方だ」


 武器があれば、身を守る術があれば⋯⋯なんて嘘だ。

 それに伴う実力がなければ、モンスターや囚人と互角に戦えるだけの能力がなければ剣を持っていたって何の意味もない。

 ただの飾りでしかない。

 

「西条さん⋯⋯」


 室町さんは妖術が使えるが、種族は人間、そして仁賀木さんも人間だ。

 もちろん俺も。

 ここには、人間の職員が大勢働いている。

 悪魔や天使、妖精には力では到底及ばないが、それでも働いている。


「でも、魔法が使えないことも、弱いことも、考えてうじうじしたって時間の浪費でしかないって気付いたんだ。そりゃ、さっきみたいになんも出来なかったり、練習でも攻撃の一発も当てられなかったら悔しいし自分のことが嫌になってくるけど」


 少しでも強くなれるように、少しでも橋雪さんに認めて貰えるように。

 初めにここに来た時にできなかったことが、今は少しずつできるようになってきた。

 ちゃんと自分の頭で考えて動けるようになった。

 それが逃げることでも、戦うことでも。

 だから、

 

「西条さん⋯⋯?」


 俺が突然立ち上がったから、室町さんと仁賀木さんは不思議に思っただろう。


「戻ります」

「戻るって、まさか六区かい? やめた方が良い。気持ちは分かるが、君が行って解決する問題じゃない」


 仁賀木さんの言うことはもっともだ。 

 戦って敵う相手じゃないのは重々承知している。

 だから戦いに行くわけじゃない。


「分かっています。でも、もしかしたら、戦いを止めることができるかもしれない」


 ヘカテーは室町さんを狙って攻撃した。

 距離的には俺の方が近かったのに、俺には一切攻撃してこなかった。

 転移石へ向かう途中もだ。

 怪我をした室町さんを支えていたから、スピードはそこまで早くない。

 なのに追いつく気配もなかった。

 わざと追いつかなかったと考える方が自然だ。


 テセウス——彼女が何故俺をそう呼ぶのかは分からない。

 でも、きっと関係があるはずだ。

 それを利用すれば、ヘカテーを止めることが出来るかもしれない。

 当然、仁賀木さんと室町さんは困惑していた。


「仁賀木さん、室町さんをお願いします」

「ちょっと、西条君!」


 仁賀木さんの制止を聞かず、灰色の部屋を出て、職員寮の方へと戻った。

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