75 灰色の少女
「室町さん!」
走り去る室町さんを追いかける。
「一体何が起きてるんだ? 全域封鎖なんて、よっぽどのことだろ」
「⋯⋯犯人が自白したんです」
「自白?」
どういうことだ?
まさかの答えが室町さんの口から出たことに驚く。
「犯人が自白って⋯⋯つまり、闇鏡を置いたやつが自分から現れたってことか?」
室町さんが頷く。
犯人が自白したのなら、事件は解決したということだ。
俺は肩の荷が下りたように安堵の息をもらす。
だというのに、室町さんは安心するどころか増々険しい表情を浮かべている。
それを見て、俺はこれはどうも単純な話ではないらしいと悟った。
「何か⋯⋯あったのか?」
「つい数分前のことです。六区に一連の事件の首謀者であると証言する者が現れました。それだけなら、良いのですが問題があったのです。その問題は⋯⋯自白した人物にあります」
「どういうことだよ。もしかして職員じゃなかったのか? 真犯人は脱獄した囚人だったとか、それとも外部からの侵入者? いや、でもあり得ないよな」
自分で言っておいてなんだが、職員ならまだしも、囚人や外部犯の犯行であるとは到底考えられない。
そう俺は確信していたが、室町さんによってすぐに否定されてしまう。
「いえ、自白したのは囚人です。しかし問題はそれが七階層の囚人であるということです」
「は? 七階層!? なんで、最下層の囚人が一階層にいるんだよっ?」
驚かずにはいられなかった。何かの間違いじゃないかとも思った。
当然だ。
最下層は文字通り、ディオスガルグの最も下層に位置する階層。
その囚人が一階層に辿り着くには、あらゆる監視の目を搔い潜り、五階分の階層を上ってくる必要があり、そもそもそれ以前に牢屋を脱出しなければならないのだ。
七階層の収監システムがどうなっているのかは知らないが、少なくとも一階層や三階層よりも何倍も厳重なはずだ。
それを抜け出して一体どうやって一階層まで上がって来たと言うのか。
「⋯⋯分かりません。私も収監する全ての囚人を把握しているわけではありませんから。その囚人がどのような状況下に置かれているのかも分からないのです。⋯⋯ですが、確実に言えることは、これは、何者かが手引きをしていなければ起こり得ない状況だということです」
神妙な面持ちで室町さんは言う。
「西条さんも一階層から出れなくなった以上、単独行動は控え、安全地帯に避難していて下さい。犯人の位置は現時点で六区から移動していません。ですので六区には絶対に近づかず、危機的状態に陥る前に周囲に助けを求めるようお願いします」
「⋯⋯そうは言ったって、室町さんはどこに行くつもりなんだよっ」
「私は各所に状況と封鎖に関する伝達を行います。通信室が破壊され、全体への放送が不可能な状況ですので」
——破壊された?
六区は職員寮と階段のある場所だ。
そんなところで七階層の囚人と戦闘状態になっているのか?
すると、後方遠くの方から激しい衝突音が聞こえてきた。それとともに誰かの叫び声も届く。
夢みたいな話が現実味を帯びていく。
「西条さんは二区へ向かって下さい。犯人の目指す先があるとすれば地上へ続く階段です。二区ならば階段とは反対の方向ですし、軍事部総本部があります」
足を止め音の方向へ振り返る俺に室町さんが言う。
「それなら室町さんも避難すべきだ! これだけの騒ぎなら皆言われなくたって誰も近づかない、危険なのは室町さんだって同じだろ」
テラが看守たちのところには李岳さんがいると言っていた。
一階層には他にも優れた職員たちが大勢いる。
確かに俺は魔法が使えないし、万が一の時に自分の身すら守れるか自信もない。
かといって室町さんが頑張っている中で、自分だけ安全地帯に避難するなんてことが出来るだろうか?
「ですが、事態を把握していない職員がいる可能性が僅かにでもある限り、私が動かなければ——」
真面目な室町さんのことだ。
仕事を放りだすことへ抵抗があるのは分かる。
でも命より優先すべきことなんてないはずだ。
「仕事も大事だが生きることの方が何百倍も大切だ。伝令役の職員は室町さん一人じゃないんだろ? なら、二区に行く道中で声をかけていけばいい。俺も手伝う」
室町さんの腕を引っ張り、二区の方へ走り出す。
初めは驚き躊躇していた室町さんは、すぐにその迷いを断ち切った。
「西条さん——ありがとうございます」
「それはこっちの台詞だ。室町さんが伝えに来てくれなかったら、三階層へ戻ろうとして六区の方へ行ってたよ」
室町さんには何度も命を助けられている。
いつまでも助けられてばかりじゃいられない。
二区へ向け一方通行の道を走っていると、前方に人影が見えた。
「職員か? おーい! 伝令だ! 危険だから今は六区に近づくな⋯⋯って、あれは⋯⋯!」
距離が近づき、相手の姿が鮮明に浮かび上がる。
僅かに曇る視界の先、そこに一人立っていたのは灰色の長い髪を持つ美しい少女。
「エナ⋯⋯!?」
どうしてこんなところにエナが?
「⋯⋯ッ!?」
俺のすぐ後ろで室町さんが後ずさりする。
明らかに様子がおかしかった。
「なぜ⋯⋯ッ、何故彼女がここにいるのですか」
震える唇と揺らぐ瞳が少女の姿を映す。
それは恐れを示していた。
こんな室町さんを見るのは初めてだった。
「彼女って⋯⋯あの子のことか? 室町さんはあの子を知ってるのか?」
「知ってるもなにも⋯⋯彼女が自白した犯人です。六区にいたはずなのに、どうしてここに⋯⋯!」
「犯人? ちょっと待ってくれ! さっきの話じゃその犯人ってのは七階層の囚人なんだろ? あの子は囚人じゃなくて獄卒⋯⋯」
いや、俺こそよく考えるべきだった。
エナが七階層の獄卒?
思い出してみれば、獄卒ってのは彼女がハッキリとそう言ったわけじゃない。
七階層所属だと言われ、制服を着ていないからと勝手に俺が思い込んでいただけだ。
「間違いありません。共有された写真に写っていたのは彼女です。⋯⋯七階層の囚人、名はヘカテー」
「ヘカテー?」
エナじゃないのか?
囚人だから俺には本当の名前を隠していたってことなのか?
俺たちの存在を認識したエナ——いや、ヘカテーはゆっくりと歩を進め近づいてくる。
長い灰色の髪がゆらゆらと揺れ、ターコイズの瞳は真っすぐに俺を見た。
「テセウス」
遠くからでも彼女が何を言ったのかハッキリと分かった。
テセウス。初めに会った時から彼女は俺のことをそう呼んでいた。
だが、目の前にいる少女は、獄卒でも、エナという名前でもない。
その正体は最下層の囚人——ヘカテー。
クレヨンをなくし、パンを美味しそうに食べていたあの少女が一階層を陥れた犯人?
一度に色々なことが重なり過ぎてわけが分からない。
そうしているうちにもヘカテーと俺たちの距離は近づいていく。
どうすべきなんだ。
真実を聞いても信じられない。
本当にあの子が七階層の囚人なのか⋯⋯?
「エナ、俺だ! 西条鷹梨だ! 本当に君が事件の犯人なのか!?」
「西条さん、何を言っているんですかっ」
ヘカテーは俺の声を受けて一度動きを止めた。
ターコイズ色の瞳が俺をじっと見ている。
「そうだ。我がやった」
一切の感情を読み取れない人形のような美しい顔に浮かぶ形の良い唇が淡々とそう告げる。
同じ声、同じ顔、でも、俺には彼女が三階層で出会ったエナと同じ人物には思えなかった。
「どういうことですか西条さんっ、彼女をご存知なのですか!?」
室町さんの疑問は至極当然だ。
三階層の長官補佐である俺が、本来七階層に収監されているはずの囚人の顔を知っているはずがないのだから。
「何度か会ったことがある。階段や階層を行き来していたから、その時は獄卒だと思ってた」
「階層間の移動を⋯⋯!? 一体どういうことなのですか」
「俺もどうやったのかは分からない。あの子が囚人だってことも今知ったんだ」
誰が彼女を囚人だなんて思うだろうか。
監視カメラや獄卒獣、職員たちの目を掻い潜り、どうやって自由に動き回っていたのか。
剣を抜き、構える。
すると、ヘカテーは俺の持つ剣を見やり僅かに唇の端を持ち上げた。
「人は底なしの沼に落ち、始めて己の弱さを知る。憤った挑戦者は船に乗り迷宮へと挑む。されど、攻略には糸が不可欠である」
まるで物語を暗唱するかのように、ヘカテーが紡ぐ言葉は不思議な力を持っていた。
自然に溶け込むように発せられた声が、今度は俺の後ろにいた室町さんを指さし言う。
「アリアドネは私が担おう。お前は生贄としてこの舞台に捧げられるのだ」
瞬きするかのような一瞬だった。
まるで電気が消えるかのように、突然パチッと辺りを暗闇が迫る。
そして、どこまでも続く長い通路の両端に、次々と松明が出現し明かりを灯していく。
「——三日月の釣り人」
灯は、釣り糸のように細長い糸となり室町さんに襲い掛かった。




