74 櫂のある草舟
散らばっていた医療部の職員たちが声を聞きつけ一斉にその職員の方へ駆け寄る。
「僕も行ってくるよ、二人とも手伝ってくれてありがとう」
ハウンフォードさんも、再度俺たちに感謝を伝えてから分析班の職員の方へ向かった。
ここからは医療部たちの領域だ。
素人の俺たちが手伝うわけにはいかない。
別のできることを探そう。
そう思った時だった。
「これはテラに西条くん、手伝ってくれはってたん?」
「おわっ!?」
突然背後からヌッと現れたのは一階層長官であるマキノさんだった。
「長官! 六区の方はもう大丈夫なのですか?」
「ひとまずはやけどね。職員を全員六区から避難させて、問題の闇鏡を全部回収し終えたところです」
どうやらマキノさんは今まで六区の方にいたらしい。
六区は現在特殊対策部他上級職員以外の立ち入り禁止状態になっているようだ。
「闇鏡は結局、寮のどこにあったんですか?」
「男子専用区域に五か所。風呂場に手洗い場、談話室の目立つ場所とあんまり目立たんような場所にも置かれとりました」
「五か所も⋯⋯。だからこんなに被害が」
職員たちが日常的に使う場所に闇鏡はあった。
絶対的な安全圏だと信じ切っていた寮内に。
「あの、マキノさん」
「ん? どうしはったん?」
「寮内は階層所属の職員しか入れないんですよね」
「そうやねぇ。入口に職員を判別する不可視の魔法壁があるから外部の人は入れへん仕組みになってます」
「それなら⋯⋯やっぱり犯人は一階層の職員ってこと⋯⋯ですよね」
何処の階層であろうが、その階層に所属する者しか寮には入れない。
なのに寮内で闇鏡は見つかった。
そして男子寮。
基本的に女子は男子の寮には立ち入らない。
入れないことはないが、恐らく目立つ。
誰にも見られず闇鏡を設置するのだって困難だろうに、さらにそれが異性となればリスクは大きいだろう。
ということは、犯人は一階層の男性職員ということになる。
「長官⋯⋯」
テラが不安げに呼ぶ。
「残念やけど、その可能性は限りなく高いやろうねぇ」
驚いたのは、マキノさんが随分とあっさりしていたことだ。
初めから、マキノさんはそうだった。
二区の時も、今も、ゆるりとした自分のペースを崩していない。
「⋯⋯マキノさんは怖くないんですか?」
他意はなかった。
ただ単純に知りたかった。
俺は、ずっと不安で、自分が何も出来なかったことが悔しくて情けなくて、早く皆の役に立つような、一人前の職員になりたいと思っていた。
だからこそ、マキノさんが不思議でならなかった。
階層長という責任、その責任下のなかで起きた呪死事件、多くの職員が被害にあった闇鏡事件。
俺がもし階層長だったら、きっと自分の無力感にどうしようもなく腹が立っていたと思う。
そして、自責の念に駆られて、恐怖で、何もできなくなっていたと思う。
「そらもう、怖いに決まってはります。でもそれでうずくまってもうたら足踏み出せんようになるし、いざという時に覚悟も判断も決められんようになる。辛気臭い顔してても周りに不安が伝染してしまうやろ? そうなったら、早うとこ解決出来ることも出来んようになるさかい」
「それで、マキノさんは職員たちを不安にさせないようにいつもそんな風に?」
「そない大層なもんやないよ。うちは楽観的で、昔から空気読まへん言われてよう怒られてたんよ」
思い出し苦笑するマキノさんは続ける。
「うちは頭が回るわけでも、妖術に優れているわけでもありまへん。やから、普通の妖怪として、皆さんと肩組んで目の前のことに向きおうていくだけです」
橋雪さんは一人で突き進もうとする人だった。
でも、マキノさんは皆で力を合わせて、向き合っていこうとする。
どちらも個性が強すぎて、勘違いされやすいタイプだけど、それぞれのやり方があるということだ。
「まぁええように言うたけども、ようは櫂のある草舟やゆうことやね」
流れに沿って流される草舟。でもそこには意思があり、どこにだって向かうことが出来る。
道を選択できる。
マキノさんが言いたいのはそういうことだろうか?
「橋雪さんにも少しはマキノさんのことを見習って欲しいところですね」
「橋雪君は頭のかたいところがあるからねぇ、それがええところでもあるんやけど、少し生き辛いようにも感じるわ」
「ホントですよ。おまけに言い方もキツイですし、放任癖は治るどころか増々加速してきてますし」
「ふふふ、西条君が楽しくやれてるようで良かったわぁ」
「え、今のどこに楽しそうな要素があったんですか!? 滅茶苦茶大変だったんですよ!」
研修の時は室町さんがいたから教えて貰えたが、以降はマニュアルがあるところは読み込んで、それでも分からないところはあちこちに聞きまくったりと本当に大変だったのだ。
それとも仕事というのは本来こういうもので、俺が学生だから知らないだけなのだろうか。
マキノさんはさっきからずっとニコニコとして俺の話を聞いているのかいないのか分からない。
「監内放送を聞いた時は心臓が止まるかと思いましたけど、この調子でゴブリン事件の方も解決出来ればいいですね」
「そのためには、もう一仕事、頑張らんといけまへんねぇ」
マキノさんは息を吐くと、着物を翻し入り口の方へ。
「どこかに行かれるんですか?」
「分析班に闇鏡について聞いてみよう思うてね。西条君も、手伝うてくれはんのはよろしいけど、動く時は一人で行動せんと、そこのテラや一階の職員を頼ってくれはってええからね。ほな、失礼します」
マキノさんははんなりとした笑みを浮かべると、医務室を出て行った。
男子寮で見つかった闇鏡⋯⋯。
ということは、今回だけでなく、ゴブリンの死も闇鏡によるものなのだろうか。
いや、それはまだ分からない。
それを突き止めるために今分析班の職員たちが必死になっているんだ。
でも⋯⋯。
胸の内に引っかかっていた言葉。
そういえば、二度目の会議の時、誰かが言ってなかっただろうか?
体調不良者の九割は男性職員——そして、そのうち四割が看守。
九割という、あまりに偏った数字に驚いたことを覚えている。
しかし、この数字がもし今回の事件で被害を受けた数を示しているのだとしたら、自然に受け止められる。
何故なら現場は男子寮だ。
男子寮内にある闇鏡を女性職員が目にする機会はほとんどないと言っていい。
つまり、男性九割は当然の数字となる。
「なぁテラ、闇鏡が発見されたのはついさっきだよな?」
「え? はい、そうですね。職員が集団で倒れたと報告があり、原因を捜索したところ闇鏡が発見されました」
つまりこの一時間前後の間ということだ。
——なら、闇鏡は一体いつ職員寮に置かれたのか。
もし、もし仮にだ。
一週間以上前、ゴブリンの呪死事件以前に闇鏡が置かれていたのだとしたら、体調不良者の性別が偏っていたことには説明がつく。
日常的に使用される共同空間内に設置された闇鏡を知らぬ間に目視し、気づかぬうちに呪いが蓄積され、ついに今日決壊した。
事件の真相はつまりこういうことなのだろうか?
いや、でもこれじゃゴブリンの死が説明できない。
男子寮に闇鏡があったのなら、三区の洞窟を住処とするゴブリンたちは何故死んだのか。
体調不良者に看守が四割を占めていたことと関係するのか?
首を振る。
この数日間、思い当たる場所を調べてみたが、闇鏡はもちろん怪しいものは何一つ見つからなかった。
駄目だ、分からない。
情報がこんがらがって、ぐちゃぐちゃになっていく。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ! 問題の闇鏡については分析班の方々が調査中ですし、監視カメラも正常に動いています。それに、魔道具の使用記録を辿れば、きっと怪しい人物が浮かび上がるはずです!」
テラが励ますように言う。
俺が思いつめていると思って声をかけてくれたのだろう。
だが、俺は彼女の何気ないその一言に引っ掛かりを覚えた。
監視カメラ——?
「っ⋯⋯!? もしかして⋯⋯!」
僅かに感じていた違和感。
それ自体は何もおかしなことではなかったはず
でも、今回は違う。
「確かめたいことがある! 俺一人じゃ入れないから一緒に来てくれ!」
「えぇっ!? は、入る⋯⋯って一体どこにですか!?」
俺が突然腕を掴んだことで
ビクっと長い兎耳と丸い尻尾を跳ねさせ驚くテラ。
ただの勘違いかもしれない。
呪いを、状況を、誤って捉えていただけかもしれない。
確証もない。
だからこそ確かめる必要がある。
もし、これが本当ならば、事件は解決できる。
「三区の雑居房だ! いや、正確にはそこにいる看守——ユーティウス・レイル」
ともかく急がなければならない。
事件はまだ解決していないんだ。
そうこうしている内に、事態が急変してしまうかもしれない。
「補佐くん!? ちょ、ちょっと待って下さいよぉ!」
困惑しているテラを引っ張り三区へ向かおうとした時だ。
正面から一人の職員が駆け込んできた。
「室町さん!? 何でここに?」
息を切らし現れた室町さんは、呼吸を整える間もなく言った。
「緊急指令です! 一階層全域を封鎖することになりました! 解除となるまで皆さんはここから出ないようお願いします!」




