71 美味しいパンを求めて
食堂からの帰り道。
捜査班との合流は十三時だから、まだ少し時間がある。
しかし寮に戻って休むにしては少し足りない。
そんな絶妙な時間帯。
仕方なく八区の辺りをブラブラと歩いていた時だ。
前方にある壁際の柱の傍に人影を見つけた。
その人物はしゃがんで何かを探しているようで、特徴的な灰色の髪が地面を擦っている。
「あれは⋯⋯」
誰なのかはすぐに思い出せた。
あれは、この前階段で出会ったあの子だ。
確か名前は——エナ。
「何してるんだ? こんなところで」
俺が近づいて声をかけると、エナは顔を上げてこちらを見た。
ターコイズ色の瞳がゆっくりと細まる。
「⋯⋯探し物」
「探し物? 何を探してるんだ?」
「⋯⋯ペン。⋯⋯絵を描くのに使ってた」
階段では饒舌に話していたエナだが、今の口調はどこかたどたどしかった。
余程そのお絵描き用のペンを失くしたことがショックなのかもしれない。
「手伝うよ。ここら辺で失くしたのか?」
エナはコクリと頷いた。
落としたのはこの近辺のようだし、案外すぐ見つかるかもしれない。
まだ時間に余裕があったので、俺はエナの失せ物探しに付き合うことにした。
ところが、ペンの特徴はとにかく真っ黒で細長いもの——だそうだ。
この柱の部分はちょうど赤い絨毯が敷かれていないから、黒い黒曜石のような地面がそのまま剝き出しになっている。
黒いペンなら地面と同化して探しにくいだろうが、悲しそうなエナの表情を見ているとそうは言えなかった。
——よし、頑張って探すか!
それから捜索を続けること十数分。
残念ながらペンは全く見つからなかった。
エナが分かりやすく落ち込んでいる。
「もしかしたら別の場所にあるのかもしれないな。他に心当たりはないのか?」
エナはフルフルと首を振る。
「じゃあもう少し探してみるか。見落としてる可能性もあるし」
そう言ってペン探しを再開しようとした時だった。
エナが俺の制服の裾を掴んで止めた。
「⋯⋯いいの。別の⋯⋯使うから」
「いいって言ってもな、気に入ってたんだろ? 俺のことなら気にする必要はないぞ」
「本当に⋯⋯大丈夫だから」
エナの意思は固く、結局ペン探しは見つからないまま終了することになった。
しかし、その後もしばらくエナは浮かない表情だった。
だから、何となく気を紛らわせようとしたつもりで話を振ってみた。
「そういえば、この前会った時も三階層の階段だったよな。よく仕事で来るのか?」
エナは七階層の獄卒らしいが、俺が知らないだけで、獄卒でも他階層へ移動することはよくあるのかもしれない。
エナがコクリと頷く。
「⋯⋯三階層のパンは美味しいって言ってたから」
「え? パン?」
——何でパン?
「⋯⋯もしかして、三階層のパンが食べたくてずっとここに来てたのか?」
職員なら基本、どの階層で食事を取ろうが自由らしいが、一応担当は七階層だもんな。
他所の階層の食堂を使うのは確かに遠慮してしまう。
俺も、他の階層の食事は気になってはいるが、実際に食べに行くには至っていない。
「食べたいのなら貰ってくるぞ」
「⋯⋯いいの?」
「もちろんだ。ちょっとここで待っててくれるか?」
「⋯⋯分かった。待ってる」
すぐ戻る、と言って食堂へ走っていく。
ちょうど昼時なので迷惑かとも思ったが、一つくらいなら、と快くパンを貰うことができた。
そして八区へ戻ろうとして、思い直し、方向転換した。
向かった場所は職員寮だ。
自室から目的の物を持ち出した俺は、パンが冷めないうちにと、また急いで八区へと戻った。
エナは柱の傍でちょこんと立って待っていた。
パンを渡すと、エナは表情を柔らかくさせてそれを受け取った。
「⋯⋯美味しい」
一口は小さかったが、元々パンのサイズはそこまで大きくないのですぐに食べ終わった。
「⋯⋯ありがとう」
エナは小さく感謝の気持ちを述べた。
「良いよ全然。他階層の飯って気になるもんな」
「⋯⋯他の階層のパンも美味しい?」
「俺はここのしか食べたことないから分からないけど、多分美味しいんじゃないか?」
浮羽屋さんがディオスガルグの料理人は腕利き揃いだって言ってたし、きっとどこの階層の料理も美味しいのだろう。
「七階層はどうなんだ?」
未知の領域である七階層。
室町さんによれば、神も収監されている階層だ。
「⋯⋯美味しくない。硬い⋯⋯から」
「硬い?」
「⋯⋯冷たくて、硬い。パサパサして⋯⋯味がない」
かなりの辛口評価だ。
どうやら七階層の食事はあまり美味しくないらしい。
「そ、そうか。じゃあ七階層ってどんなところなんだ? ここより下の階は行ったことなくて、気になってるんだ」
気を取り直して質問する。
「⋯⋯何もない。冷たくて、暗い場所」
パンと同じだったか⋯⋯。
しかし、最下層ともなれば、やはり内装も無機質なイメージなのかもしれないな。
本来俺が抱いている監獄のイメージは七階層の方が合っている。
むしろ、三階層が異質なのだ。
貴族の屋敷って言われても全然違和感を感じないもんな。
神をも収監される七階層⋯⋯。
いつか訪れる日が来るのだろうか?
「テセウス⋯⋯」
「それ前も言ってたよな。悪いが、俺の名前はテセウスじゃなくて西条鷹梨だ。ていうかどっから来たんだよ、テセウスって」
そういえば名前を名乗っていなかったことを思い出す。
すると、エナはターコイズ色の瞳を俯かせて言う。
「⋯⋯テセウスはテセウス。ヘラクレスでも、アキレウスでもない」
新キャラが現れたな。
だが、俺が知りたいのはそのテセウスが何故俺だと言ったのか、なんだが⋯⋯。
エナに尋ねても答えは得られなかった。
「ん? もう行くのか?」
おもむろに立ち上がるエナに、声を掛けると、エナはまたコクリと頷いた。
「そうか、なら、コレ」
エナはキョトンとした表情を浮かべて、差し出された俺の手の中にあるものを見た。
「ハコ⋯⋯?」
カラフルで少し色あせた長方形の箱、その蓋には丸っこい文字で『七色くれよん』と書かれている。
うちの母親が何故かスーツケースに入れていたあのクレヨンだ。
「ペンとは少し違うけど、絵を描くならちょうど良いんじゃないかと思ってな。良かったら貰ってくれ」
「良い⋯⋯の?」
「ああ。小さい時に使ってたやつだからあんまり綺麗じゃないけど、それでも良ければ」
「嬉しい⋯⋯」
クレヨンを受け取ったエナは嬉しそうにはにかんだ。
「可愛い⋯⋯」
と、気が付けば声に出していたので慌てて咳で誤魔化す。
「ありがとう⋯⋯オウリ」
ターコイズの瞳がキラキラと輝いていた。
ここまで喜んでくれたらあげた甲斐があるというものだ。
「絵、描けたらまた見せてくれ」
「うん⋯⋯見せる」
エナは繰り返し頷くと、クレヨンを見てまた微笑んでから階段の方へ歩いて行った。
「⋯⋯さて、俺も行くか」
時刻は十三時十五分前。
今から行けば丁度良い時間になるだろう。
そうして俺は一階層へと向かった。




