47 一方その頃(4)
「眠ー⋯⋯」
一階層三区。監視塔からぼんやりと雑居房を眺めていた看守があくびを嚙み殺す。
じんわりと目尻に涙が浮かび視界がぼやけた。
「おや、囚人の前では気を緩ませてはいけないよ」
背後から諭すような穏やかな声がして、看守はビクッと肩を震わせ慌てて敬礼する。
「し、失礼しました⋯⋯! 看守長っ」
「かしこまる必要はないよ。ただ最近眠たそうだったから少し気にかかってね」
腕を背に回しそう言うのは、一階層看守長の李岳、その人だ。
今日も瞳と同じ藤色の麻の着物を制服の上から羽織っている。
「流石看守長。何でもお見通しですね」
全てを見透かすような藤色の瞳。加えてこの人は物凄く頭が良い。
だから一階層の⋯⋯特に看守たちは李岳さんには頭が上がらない。
「実は最近眠れてないんです。何というか気だるい感じで、たまに頭痛も」
十日程前からだろうか、眠れない日々が続いている。
日中の勤務だから仮眠の取り過ぎということもないし、カフェインの取り過ぎでもない。
ベッドの中で目を瞑っていれば寝れるだろうと思っていても、結局起床の一時間程前になって何とか眠れる、という状況をひたすら繰り返している。
だからきっと、この気だるさや頭痛は睡眠不足に由来するものなのだろう。
「仕方なく睡眠薬で無理やり眠ろうとしてるんですけど、それでも寝つきは悪くて困ってます」
「なるほど⋯⋯」
看守長は思案するように折り曲げた人差し指を顎に当てている。
「看守長、どうかしましたか?」
「いや、実は最近不眠や頭痛を訴える職員が多くてね。看守たちの間だけでなく、一階層の職員内で相次いでいる」
そういえば⋯⋯と看守も自分と同じような悩みを抱えている同僚たちがいたことを思い出す。
症状の重さは違えど、皆不眠や頭痛、倦怠感、吐き気がするなどの症状が現れていた。
重い症状を抱える者の中には立っていられず寝込んでいる職員もいる。
「私自身も何名かから相談を受けていてね。原因を探っているんだが、君は何か思い当たることはあるかな?」
「思い当たること⋯⋯ですか」
看守は考えを巡らせる。
だが特に思いつくことはなかった。
何せ自分自身特に思い当たる原因がないのだ。それが集団的なものならば余計に分からない。
「いえ⋯⋯特には」
看守が申し訳なさそうにそう答えると、看守長は「そうか⋯⋯」とまた考え込み始めた。
看守長に分からないなら自分にはもっと分からないな、と看守は内心思った。
ともかく、今は早く体調が戻って寝られるようになればそれでいい。
恐らく症状を抱える職員の多くは、そんな風に考えているだろう。
「仕事の邪魔をして済まなかったね。あまり症状が酷いようなら医療部にかかるんだよ。ではこれで」
「はい、ありがとうございます!」
再び敬礼をする。看守長は薄く微笑むと、そのまま仕事に戻って行かれた。
◇
「あー⋯⋯頭、痛」
あれから二時間ほど仕事を続けた後、急に眩暈が襲ってきた。それと同時に頭痛も激しくなり、早上がりさせてもらうことになった。
本当にどうしちまったんだか、と不具合だらけの近頃の身体を憂う。
今日はもう早く寮に戻って寝よう。
流石にこの体調の悪さなら眠れるだろう。
側頭部をトントンと指で突きながら、寮へ向かい階層内を歩く。
だがその間にも頭痛と眩暈が酷くなっていく。
参ったな⋯⋯。先に医務室に寄って薬を貰おう。
方向転換し、左側の通路を通る。
通路をしばらく進んだ時だった。奥から異様な匂いが漂ってきていることに気づいた。
「っ何だこの匂い⋯⋯」
思わず鼻を覆いたくなるような匂いだ。
ただでさえ眩暈がするのに、こんな匂いを嗅いでいたら余計に気持ち悪くなりそうだ。
でもこの通路が医務室への一番の近道だ。
仕方なく進んで行くと、ずっと先の方で何かが倒れているのが見えた。
「っ!? 大丈夫か!?」
慌てて駆け寄り、そして一定距離近づいた時、倒れていた正体が職員ではないことに気づいた。
「そんな、ゴブリンが何故?」
一つ、二つ⋯⋯それだけじゃない。何体ものゴブリンたちが四肢を投げ出して倒れたままピクリとも動かない。
魂切れたゴブリンの死体が通路の奥の方まであちこちに見える。
中には泡を吹き、喉を抑えながら苦しみ藻搔くような死体もあった。
猛烈な吐き気が襲う。
喉からせり上がるものを必死に堪え、看守は無線機に手を伸ばした。




