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45 内緒のお話

 俺はハ区から四区へと移動する。

 四区の主要な施設、それはもちろん囚人の収容される牢屋だ。

 ディオスガルグが監獄たる証でもあるこの四区の牢屋にはDからBランクの囚人が収容される。

 囚人たちはランク別に雑居房と独房に分けられていて、四区にあるのは雑居房だ。


 鉄格子の門をくぐり抜けると、開けた空間に出る。

 何度来てもこの独特な空気感、慣れないな。

 いくら房の中で、足には逃亡防止用の枷が付けられているとはいえ、すぐ目の前に六世界から集められた凶悪な囚人がいるわけだもんな。

 いやむしろ、このまま慣れない方がいいのかもしれない。

 慣れは油断につながるっていうしな。

 

 囚人たちの様子は3カ月前も今もほとんど変わらない。

 起床時刻の7時から21時まで、その多くの時間を彼らはこの房の中で過ごす。

 自由に外に出ることは許されず、中にはゲームや漫画なんて娯楽は当然ない。

 聞くところによれば、模範囚ややむを得ない事情がある場合に限り、囚人にも本などの物資が配給されることがあるそうだが、それも囚人たちに脱獄の意思を芽生えさせるような内容のものではないと判断された場合のみという条件付きだ。

 それに必ずしも囚人の希望通りの品である保証はない。

 永遠にも近しい時をこの房の中で過ごす。考えるだけでも気が滅入りそうだ。


 俺はガラス張りの監視室からの監視や周辺を歩いている看守たちの邪魔をしないよう房の配置に沿って歩いていく。

 力なく寝転がり天井の鉄格子をぼんやりと眺めている者、爪で地面を叩き何かのリズムをとっている者、そしてその囚人に「静かにしろ」と注意している者。

 同じ毎日の繰り返し。俺だったらとっくにおかしくなってるだろうな。


 それでもここにいる囚人たちは極限を超えて暇そうではあるが、正気を保っているように見える。

 つまり、発狂したりむやみやたらに物や他人に当たり散らかす者はいないということだ。

 異種族と人間との違いは精神力にも表れるのだろうか。

 だが、いつもと変わらない囚人たちの様子を見ている限り、三階層内の囚人にはフィリエスさんの一件は漏れていないようで安心する。

 あの事件で一番の懸念材料だった監獄の混乱が囚人たちに伝わること。

 それがただの杞憂に終わったことは不幸中の幸いだったと言える。

 騒動が少しでも囚人たちに伝わるようなことがあればそこから亀裂は生じる。

 脱獄率0%の大監獄。悪を封じ決して逃さない要塞としての機能が失われればディオスガルグは瞬く間に崩壊し、世界は危機に陥ってしまう。

 そんなことにならなくて良かった。平和⋯⋯という表現が合っているのかは分からないが、今日も三階層はいつも通りの日常を送っている。

 そう安堵した時だった。

 

「ねぇ、そこのお若い看守さん」


 ひょっとすれば聞き逃してしまいそうな本当に小さな声だった。

 びっくりして立ち止まると、ちょうど通り過ぎようとしていた房の中で一人の囚人がこちらの方に手招きしていた。

 振り返ってみるが、他の看守たちがその声に気づいた様子はない。

 どうやらこの囚人が呼び止めたのは俺らしい。

 細く真っ白な腕を鉄格子の中から伸ばして俺を近くに来るよう誘っている。

 だが素直に近づいても良いものか。

 もちろん過度な干渉や脱獄の補助となるような情報を漏らすようなことはあってはならない⋯⋯が、囚人との会話自体は規則違反ではない。

 でも囚人と話す時って一体どうすればいいんだ?

 普通に職員とかと話す時みたいな感じか?

 それとも上司と話す時みたいな堅苦しい感じを出した方がいいのか?

 全然分からない!

 と、そんなこちらの困惑した様子などを気にすることもなく、その囚人は俺を呼び続けている。

 あまり動揺を見せるわけにはいかないよな。

 警戒しつつも仕方なく房へ近づく。


 その囚人は一言で言うと超絶美人なお姉さんだった。

 いや、美人だから近づいたわけじゃない。断じて。

 種族はエルフ⋯⋯か?

 いや、確かに耳は長い。けれどエルフほどではない。

 囚人に化粧品が配給されるはずはないと思うのだが、何故かルージュを塗ったように紅い唇から覗くのは鋭い牙のような歯。地味な囚人服でも隠し切れないその魅惑的な体つき。

 出るとこは出て、引き締まっているところは引き締まっている。いわゆるナイスバディなお姉さん。

 拷問場ゲート門番の獄卒——ザミアさんとはまた違ったタイプの妖艶美女だ。

 うっ、思春期男子には精神衛生上悪い。


「うふふ。そんな警戒しないで頂戴。何もあなたに危害を加えるつもりも、脱獄しようとしている訳でもないから。そもそもこんな枷がついてちゃ魔法の1つもロクに使えないものねぇ」


 囚人の足枷はただの足枷ではない。付けるとたちまちあらゆる魔法の使用が出来なくなる魔道具だ。

 魔法を使える多くの種族にとって魔法が使えなくなるというのは致命的だ。

 身を守る手段も、生活も彼らは全て魔法に頼っている。

 その魔法の使用を制御される。

 室町さん曰く、死角や嗅覚など五感を遮断されたままで暮らせと言われるレベルの問題らしい。

 もはや彼女らにとって魔法はなくてはならない存在。五感と同格なのだ。


「私が聞きたいのは副看守長さんについてなの」


 魅惑的にほほ笑む女囚人。

 しかし俺はその言葉を聞いたバクンと心臓を鷲掴みにされたような感覚に襲われた。  

 冷や汗が背を伝う。

 副看守長⋯⋯それはフィリエスさんのことだ。

 何故この囚人が今フィリエスさんのことを俺に聞いてきた?

 まさか、事件について何か知っている?

 いや、そんなはずはない。考え過ぎだ。

 誰かが囚人に風潮するようなことがなければ囚人にはフィリエスさんが事件を起こし、捕まったなんてこと分かるはずがないのだ。

 ここは同じ三階層とはいえ鉄門に隔離された囚人の収監所。

 平常心。平常心だ。平静を装え。何もこの囚人は事件のことでフィリエスさんの話を出したわけじゃないかもしれない。もしそうだった場合、俺の反応一つで逆に何かが起きたのだと勘繰られてしまう。

 そんなこと、万が一にもあってはならない。

 職員らしく堂々と答えるんだ!


「副看守長に何か用件が?」

「うふふ。用件というよりも、少し気になってしまってね。あの人、以前は毎日のように雑居房に来ていたのに、最近は見なくなってしまったから」


 その口ぶりは怪しむというよりは単純に気になっているだけのように感じる。

 フィリエスさんがここに来ることは二度とない。

 なぜなら、拷問場ゲート内、あのフィールドで橋雪さんはフィリエスさんに解雇を言い渡し拘束に成功した。

 事件後五階層の懲罰房に入ったという話は聞いたが、あれから三カ月経った。

 フィリエスさんの現状は俺にも分からない。

 副看守長の席は今でも欠番状態だ。新任が来るのか、それとも誰か代理が入るのか。

 三階層の職員の間でも密かに予想が飛び交ってはいたがまだ何も決まってはいない。

 下手に嘘をついてこの囚人が他の職員に似たような話題を出して俺が話したことと食い違うようなことがあっても困る。

 その時は上手く誤魔化してくれると信じたいが、既に別の職員に尋ねた後という可能性もある。

 ずっと黙りこくっていては余計怪しまれてしまう。

 何か、言わなければ⋯⋯!

 長期休暇を取ってる⋯⋯とか、いやそもそもこの監獄に夏休みとかそんな概念なんてあるのか?

 自分でも知らないことを言う訳にはいかない。

 何か⋯⋯ないか。俺は表面では必死に平静を装いつつ、全速力フルスロットルで脳を回転させる。

 そして答えを見つけ出す。


「副看守長は異動になった。もう三階層の職員ではない」


 努めて冷静に、なるべく感情を抑えるように答えた。

 長期休暇と言ってしまえば、休暇が存在していない場合に嘘に嘘を重ねることになる。仮に存在していたとしても通用する間は良いが、一年や二年と年月が過ぎるたびに嘘の効力は弱まってくる。

 長期休暇って言っても長過ぎやしないか?なんてことになったら誤魔化すのも大変だ。

 嘘をついたことで回ってくるツケに対して、さらに嘘を重ねる最悪な連鎖が生まれてしまう。

 それは非常に困る。


「あらそうなの。残念だわ。とても良い男だったのにねぇ」

 

 手入れされた爪を唇に当て、意味深な笑みを浮かべる。

 なんかこの感じ、凄く見覚えがある。

 もしやこの女囚人、異世界ものや同人誌でおなじみのサキュバスなんじゃないだろうか。

 潤んだルージュよりも深い紅の瞳、伸びた爪、鋭い牙、少しとがった耳、魅力的な身体。終始こちらを誘惑するような微笑。 

 これは確定だろ⋯⋯。

 だがともかく信じてくれたようで良かった。

 心の内の読めない相手ではあるが、身近に無感情冷徹の参考例がいるおかげでそれなりに上手く誤魔化せた自信はある。ただ囚人たちの前ではこのキャラを貫かなければならなくなってしまったが⋯⋯。

 全く冷や冷やした。


「質問は以上か?ならば業務に戻るぞ」

 

 ⋯⋯我ながら解釈違い過ぎる。

 キッドに見られでもしたら絶対に笑われるだろうな。

 想像しただけで顔から湯気が出そうだ。

 もう早くここから立ち去りたい。踵を返し、房から離れようとした時だった。

 再び女囚人の声が俺を呼び止める。


「さっき用件があるのかって聞いたでしょ?あるわ、用件。副看守長にじゃないけれどね」


 これ以上の滞在はボロを出しかねない。本当に早く退散したかったのだが⋯⋯。


「一つ言伝を頼まれてくれるかしら?」

「言伝?」


 囚人から職員への言伝など怪しい予感しかしないのだが、ここまで来てしまっては聞かないわけにもいかない。

 

「ええ。医務長さんにね。例のお薬、足りなくなっちゃったから持って来て欲しいって。3628番が言っていた、とでも伝えてくれると分かってくれると思うから」


 「よろしくね」と微笑み付きで頼まれてしまった。

 お薬って⋯⋯本当に怪しいものじゃないだろうな。

 いや、でも医務長が関わっているなら流石に大丈夫か。危ないものならそもそもこんなに堂々と俺に頼むわけもないしな。

 

「分かった。伝えておこう」


 了承の意を返すと、俺はまた話しかけられる前に足早に立ち去る。

 しかし頼まれたのはいいが、俺は医務長が誰なのかを知らない。

 職員同士の雑談にも上がったことはないし、対面で会ったことがあるとしても誰が医務長なのかは分からない。

 仕事終わりにでも誰かに聞いてみるか。

 別の職員に代わりに伝えてもらうという手段もあるが、流石に囚人の言伝なら直接俺が伝えた方が良いだろうしな。

 それに、例の薬っていう響きも人には言いづらい。

 房から離れ、見えない位置に移動した俺は、肩をおろしゆっくりと息をついた。

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