43 相棒
その声には聞き覚えがあった。
俺はハッとして声のした方、室内の方へと振り返る。
「なっ、キッド?!」
ケルベロスの背後、部屋の中から出てきたのは同じ三階層の職員であり、105号室に住まう同室の青年——キッドだった。
「ど、どういうことだ⋯⋯?」
「どういうことだってそりゃあ俺の部屋なんだから当然だろ。⋯⋯って前もこんな話した気がするな」
思い出すように明後日の方を見ながらツンツンとした赤髪に触れるキッド。
しかしその返答を聞いて俺は拍子抜けしたように一気に肩の力が抜けた。
聞きたいのはそういうことじゃない。
「そんなことはとっくに分かってる!何で寮内の、しかも部屋ん中にケルベロスがいるんだよって聞いてるんだ!っていうか、もしかしてそのケルベロス、キッドが連れてきたのかよ?!」
慌てるそぶりのないキッドの様子から見てキッドが関わっているのは間違いない。
すると寮室に窮屈そうに収まっていたケルベロスが俺の喚く声に反応してか、中からのっそりと前足を出し、その身体を廊下へと現す。
職員寮は広々とした心地よい空間設計を目指す⋯⋯とかいう目標のため、天井は高く、幅は広めに造られている。
とはいえここはあくまで職員寮。
ケルベロスのような大型のモンスターが自由に動き回れる程広くはない。現に、巨大な体躯をぶつけないように低く前傾姿勢を取っている。それが余計に獲物を狙う獣のようで怖いんだが。
グルルルッと喉を鳴らしながらこちらの方へと歩み寄ってくる。
え、俺⋯⋯本気でエサと認識されてないよな?!
このケルベロスが獄卒獣なら制服を着ている今の俺を襲うことはない⋯⋯はずだ。
近づいてくるケルベロスから離れるように一歩、また一歩と後ろへさがっていく。
談話室へ続く扉は近い。急げば逃げきれる距離だ。
キッドがこのケルベロスをどうにかしてくれないようならば即刻逃げ体制に出られるように、つま先を外側へ向け、やや腰を屈めておく。
これでいつでも方向転換からのダッシュが可能になる。完璧な構えだ。
しかしこの構えが力を発揮することはなかった。
「ステイだウッド!」
室内からゆっくり現れたキッドがそう声を上げると、ウッドと呼ばれたケルベロスは途端に大人しくなった。
唸るのを辞め、後足と前足を曲げてしゃがむ。
ウッドは紅い目を閉じ、三つ頭ををすりすりとキッドの胸に寄せる。
その様子はまるで飼い主と飼い犬のようだった。
えっ⋯⋯?
思考がフリーズした。
「こいつは俺の相棒のウッドだ。見ての通り、監獄一冥界一のケルベロスだぜ。人見知りで俺意外には懐かないから無暗に近づくと噛みつかれるぞ」
犬歯をニッとさせて言うキッドにさらに脱力する。
何が人見知りだ。制服の効果が貫通するなら気を付けようもないだろ⋯⋯。
へなへなと壁に身を預ける。
ペロペロとキッドの顔を舐めるケルベロスを壁際から眺める。
慰労会の時にフィンセントさんが言っていた治療中のキッドの相棒ってケルベロスだったのか。
絶対人型の職員だと思っていた。
だがキッドらしいと言えばらしいのかもしれないな、とぼんやりと考えていた時だ。
相棒という言葉に俺は重大なことを思いついてしまった。
いやいやいや、ちょっと待て!
「まさかその相棒とこれからここで暮らすなんて言わないよな?!」
相棒さんには悪いが、こんな巨体のモンスターと二人用とはいえ狭い寮部屋で夜を共にするのは流石に身が持たない。
そもそもどうやって扉を通れたのかも分からないデカさなんだ。
一緒に暮らせる訳がない。っていうか本当にどうやって入ったんだ。
「あぁ?てめぇ何言ってんだ」
擦り寄るウッドの三つ頭を順に撫でながらキッドは呆れたように言う。
「治療で二カ月もロクに会えなかったんだ。当分しばらくは一緒に⋯⋯」
「あぁ!」
キッドの言葉を遮るように少女の声が廊下にこだました。
驚いて振り返るとそこには三階層の書記長シーアが立っていた。
「げっ⋯⋯」
シーアの登場にキッドは露骨に顔をしかめる。
「以前もお伝えしましたが寮内ではペット禁止ですっ。ルールはしっかり守ってもらわないと困りますよ!」
ずんずんと歩み寄り腰に手を当てて嗜めるシーア。
対してキッドは不満げに歯を食いしばりながらも反論をする様子はない。
傍から見ればまるで母親と息子⋯⋯いや、姉と弟だ。
なんだか少し微笑ましい。
そんな二人の様子を傍観していると、いつの間にか声に出ていたらしく、キッドが何笑ってんだという風に俺を睨んだ。
「あーもうっ、廊下が傷ついてます!また備品管理部に叱られちゃいますよ。
とにかくっ、ペットは寮には入れないで下さいっ」
「だからペットじゃねーよっ。ウッドは俺の大切な相棒だ!」
「はいはい。分かりましたから早く相棒さんを寮外にお連れして下さい。くれぐれも他の職員の皆さんにご迷惑をかけないようにお願いしますよ」
即刻退場勧告を受けたキッドは舌打ちすると、渋々といった様子で相棒のケルベロスを連れそのまま大人しく出て行った。
「手慣れてるな」
あのキッドを大人しく引き下がらせるなんて。
「毎度のことなので。本当にキッドさんのヤンチャは困りものです」
エルフの少女がプンスカと傷だらけの廊下を見ている。
掲示板の破壊や寮内へのケルベロスの持ち込みがヤンチャで済まされるのかは疑問だが⋯⋯。
「朝からご苦労様です」
滅多に戻って来ないとはいえ同室のよしみだからな。
キッドに代わり、お疲れのご様子のシーアを労う。
「いえいえ!西条さんこそ朝からびっくりでしたよね!自分の部屋にケルベロスがいるなんて⋯⋯」
シーアの言う通り、そりゃ多少は驚いたけど⋯⋯
「段々こういうのにも慣れてきたし、大丈夫だ」
慣れるのもどうかと思うのだが、そうじゃないとこの異世界の監獄ではやっていけないと早々に悟ったからな。
「そういうものでしょうか?でも、お怪我がないようで良かったです」
ほっと安心したように息をつくシーア。
「では、私は備品管理部に補修を依頼してきますね」
「いや、流石に申し訳ないし、俺が頼みに行くよ。ほら、俺の部屋のことも絡んでるし」
途中で現れたシーアにそんなことまでさせるのは気が引ける。
俺は自分を指さし、そう言う。
しかしシーアは首と手を振り
「いえっ大丈夫ですよ。これも記録長としての仕事の一環ですので」
風紀管理は別の部の職員の管轄だが、職員の業務状態から備品に至るまで、三階層の様々な記録を担当するのは記録部であるシーアの仕事だ。
こうして定期的に各施設を訪れチェックするのもその一つ。
記録長ともなればやることは山積みらしい。
「何か困ったことがあればいつでも頼ってくれよ。俺だって一応長官補佐だしな」
なんてカッコつけてみるが、今のところ、補佐官としての出番は1つもない。
監獄での基本的な仕事に慣れることが第一と言われたから、というのもあるが、優秀かつ人に頼ることを嫌がる橋雪さんが全て自分で終わらせてしまうために俺まで回って来ないというのもある。
ちゃんと仕事を任せても問題ないって思って貰えるように、頑張らないといけないな。
「ふふ。ありがとうございますっ。では、失礼しますね。西条さんも、お仕事頑張ってくださいっ」
やる気が100上がった。
「ああ勿論だ」
シーアに手を振り返すと、俺はメモ帳を回収し、浮き立つ足で仕事へ向かった。