42 穏やかな朝
第二部開始です。
拝啓
父さん、母さん、お元気にしていますでしょうか。
そちらはすっかり夏になり、厳しい暑さが続いている頃でしょう。
地下監獄であるディオスガルグには、季節を感じられるようなものは何もないので、「あっちはもう夏かなー、かき氷食べてんのかなー」なんて想像しては、少し懐かしく思っています。
そういえば帰省なんていう概念、ここにあるのかな?今度橋雪さんに聞いてみます。
あ、橋雪さんは俺の上司にあたる人です。凄く口下手な人だけど、本当はとても思いやりのある人で、初めの頃よりもずっと話せるようになりました。
ここは異種族だらけで人間界の常識の通じない異世界の監獄だけど、俺は橋雪さんを始めとする沢山の職員に支えながら何とかやっていけてます。
まぁ来て早々とんでもない事件に巻き込まれたりしたんだけど⋯⋯それはまた今度帰った時にでも。
まだここに来て半年も経っていないのに、手紙では語り着くせないほど沢山の事がありました。
次に会う時は、以前の俺よりもずっと成長した自分を見せることが出来たらなと思います。
あと、もし良かったら、染谷にも俺は元気にしてるって言っておいて欲しいです。(あいつのことだから心配なんてしてないかもしれないけど)
では、父さん母さんお元気で。
次はいつになるか分からないけれど、また手紙を送ります。
敬具
「よし」
俺は最後に手紙の文章に間違いがないか確認し終えると便箋を封筒に入れる。
どちらも監獄支給のもので、特殊な魔法か何かがかかっているらしいけれど、見目はシンプルな手紙そのものだ。
監獄職員は家族や知り合いなどに手紙を送る時、この便箋と封筒を使うことになっている。
封はしない。機密情報流出防止の観点から監獄外部へ向けての手紙は逐一中身が確認されることになっているからだ。
大した事は書いていないとはいえ、やはり自分が書いた手紙が誰かに読まれるというのはなかなか恥ずかしい。
とはいえ規則は規則だ。万が一にでも機密情報が外に漏れるようなことがあったら大問題だもんな。
俺は食堂横の職員専用ポストに封筒を投函する。
手紙や情報書類をこのポストに投函しておくと、規定時刻に担当職員によって回収され、外部に向けての手紙は地上一階層へ、その他は各階層の該当部署、もしくは該当職員に届けられるようになっている。
多くの職員たちには、階層間の移動は自由に許されてはいない。禁止とまではいかないが、トラブルを避けるためにも暗黙のうちに遠慮する空気が浸透しているのだ。
そのため、俺のように両親に手紙を送る目的ではなく、急ぎではないが別階層の職員に知らせたいことがある職員の多くはこのポストを利用している。
俺は無事ポストへの投函という本日の任務を一つ完了させると、再び職員寮へ戻った。
始業開始時間の八時半より早い、というのもあったが、忘れ物をしたことに気づいたからだ。
メモ帳。ディオスガルグ職員になって3か月。ここでの仕事にも大分慣れてきたけどまだまだ分からないことも沢山ある。そういう時にメモ帳があればすぐに書き留めておくことが出来るし、後に見返すことも出来る。
新たな異世界の情報もあそこに書き溜めている。
始業前の静かな階層内の通路を通り、職員寮へ。
夜勤明けで引継ぎを終えた職員も戻ってきているようだ。丁度起床してきた職員たちと入れ替わるように自室へと入っていく。
こう見ると、本当に寮付きの普通の職場って感じだよな。
いや、俺は学生だし、バイトもしてないから実際の雰囲気なんて分からないんだけれども。
そこで俺はふと先日の事件について思い出した。
3か月前、俺は三階層副看守長のフィリエスさんの策略により何度も殺されかけた。
事件は橋雪さんやフィンセントさん、キッドなど多くの職員のおかげで解決し、半壊していた拷問場ゲート内も修復された。
無事元通りの三階層に戻ったわけだけど、あれ以来職員は事件について口にしなくなった。
これには後日、三階層職員に向けて出された事件についての会話、特に他階層職員の前では控えるようにとの勧告の存在が大きい。
それも階層長である橋雪さん直々の勧告だ。もちろん反抗する者は誰一人としておらず、以降、三階層内であの件に関する話は一度も耳にしていない。
俺自身も、元より他階層の職員と関わることも滅多にないし、控えろと言われていることをわざわざ風潮して回る程天邪鬼でもスピーカーでもない。
そういうわけで、少なくとも三階層ではもうすっかりいつも通りの日常に戻っている。
「ん?何だこの傷跡」
百番台の寮室があるフロアにやっきた俺はその違和感にすぐ気づいた。
廊下一面に敷かれた赤い絨毯。シンプルな装飾の壁紙。
しかしそこに引っ掻いたような傷があった。まるで獣の鋭い爪で付けられたような⋯⋯。
しかも一か所や二か所だけじゃない。廊下のところどころにその傷が付けられているのだ。
いやいや怖すぎるだろ。朝から只事ではない事件の予感がするんだが⋯⋯。
俺はその傷跡を視線で追いながら自室へ向かう。
だが傷跡は自室である105号室の扉に付けられた傷を最後に奥の廊下には一つも残されていなかった。
とんでもなく嫌な予感が押し寄せる。
まさか、扉を開けたら怪物がいたなんて展開じゃないだろうな。
俺は恐る恐るドアノブに手をかける。
しかしそこで俺は思いとどまり、回しかけた手を止める。
下手に開けるよりもここは誰か職員を呼んだ方がいい。
もし仮にこの中に何かしらがいたとして、俺では対処できない。
またあの事件のように大事にもなりかねないからな。
俺は逸る気持ちを抑えつつ職員を呼びに行こうと方向転換した時だった。
扉が突然バンッと開かれる。そして——そのモンスターと目が合った。
「うおあぁーー?!!」
正確には魔獣⋯⋯。三つの犬の頭、逆立つ獅子のたてがみのような体毛、紅く光る眼光。寮室一杯に窮屈そうに収まり、六つの瞳でこちらを見下ろすその魔獣は、ケルベロスだった。
俺は飛びのくように後ろへ下がり、壁に背中から激突する。
「痛っ⋯⋯!」
勢いよく打ち付けてしまった背中をさすりながら、何故か俺の部屋にいるケルベロスを見上げる。
一瞬幻かとも思えた地獄の番犬はグルルルル⋯⋯と唸りを上げる。
ダイレクトに耳に伝わる唸り声、獣の匂い⋯⋯と思いきや鼻に香るのは、そんな湿った生臭さとは程遠いフローラルな香りだった。
ケルベロスが俺の部屋にいて、そのケルベロスはフローラルな良い匂いを漂わせている。
意味不明展開過ぎるんだが?!
何でケルベロスがこんなところにいるのかは知らないが、獄卒獣である可能性が高い。
とにかく助けを呼ぼう。それが一番早い。
俺は刺激しないように慎重に足を動かす。
そろりそろり、一歩ずつ扉から離れようとして、そして——
「あ?そんなとこで何やってんだ?」
若い青年の声がした。
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