40 西条鷹梨
ちょうど小腹も空いてきたしデザートでも食べようか。
そう思いついてカウンターに並べられる料理たちを見ていた時だった。
「やぁ西条君。楽しんでるかい?」
音もなく突然隣に現れたのは警備部部長のフィンセントさんだ。
「うわっ、びっくりした。突然現れないでくださいよっ」
フィンセントさんはヴァンパイアだ。種族がら仕方ないのかもしれないが、心臓に悪いので止めてほしい。本気で驚いた。
その手にはワイングラス。中には三分の一ほどガーネット色のワインが注がれている。
「はい。でも実を言うと驚いてます。まさか監獄でパーティーをするなんて想像もしてませんでしたから」
事件解決祝いのためとはいえ、本来ここは監獄だ。
世界中から集められた凶悪な犯罪者たちが24時間警備体制で監視される場所。このような浮ついた場が用意されること自体、信じられない話だった。
「皆緊迫状態が溶けてホッとしているんだ。ふふ、かなり酔っ払っている者もいるようだね」
近くにいた一発芸と称し軽快なダンスを踊り出す職員を見て愉快そうに笑う。
「でも、彼らも本分は忘れていないさ。この一晩を命一杯楽しんでまた明日からの仕事に備える。こんな場所にだって休息は必要だと僕は思っている」
ずっと窮屈ばかりの職場じゃ一向に落ち着く暇もない。寮内ではある程度自由にできるといっても、ここが囚人が収容される地下ということに変わりはないからな。
「そういえばキッドの姿を見かけないんですけど、確か傷はもう治ってるんですよね」
キッドは声も大きいし見た目も奇抜だからいれば気づくはずだ。
しかし見渡せどキッドの姿は食堂にはない。
キッドはフィリエスさんとの決戦での立役者だし、パーティーにはてっきり呼ばれていると思っていたのだが⋯⋯まだ仕事に追われているのだろうか。
三階層の慰労会とはいえ、全員がこうして浮かれているわけにはいかない。
現在進行形で、囚人の織を見張り、職務に追われている者も中にいる。特に看守たちはなおさら。
他階層からも少し手助けに来てくれてはいるが、元々公に認められたパーティーではないのだから仕方ない。万が一囚人たちに気づかれる訳にもいかないからな。
「ふむ。退勤はしているようだから、相棒の見舞いにでも行っているのだろうね」
「相棒⋯⋯?」
キッドはいつも単独でいるイメージが強かったが相棒がいたのか。
「彼の相棒は足を怪我して療養中なんだよ。医療部の治療を受けて大分回復しているから君もそのうち会えるかもしれないね」
キッドは好戦的で考えるよりもまず行動派タイプだ。そんなキッドのパートナー⋯⋯。
なかなか気苦労が多そうだな、その人も。
「慰労会を開くことは伝えてあるし、招待状もきているだろう。来たければそのうち来るさ」
そう言ってフィンセントさんは香りを楽しむようにグラスをゆっくりと回してから一口飲む。
「うん。口当たりはやわらかくて、でも味わい深く厚みがある。やはりベルドワール君の厳選したワインは最高だっ」
感動ここに極まれりという風に歓喜の声を上げるフィンセントさん。今にも踊り出しそうな勢いだ。
俺にはワインの味も良さも全く分からないのでフィンセントさんの感動には共感できないが、そんなに美味しいのだろうか。
「本当に素晴らしいよ。これはもはや芸術の領域だ」
繰り返し頷きながら再び香りを楽しむ。初対面でワインの話を出してきたほどワイン好きなフィンセントさんがここまで言うほどのワイン。少し気になる。
異世界ではどうなのかは分からないが人、間界の日本の法律では二十歳未満は飲酒できないことになっている。
二十歳になったら飲んでみたいな。その時は橋雪さんや室町さん、キッドたちも一緒に。
「フィンセントさん、今回の事件、色々助けて頂いてありがとうございました」
フィンセントさんは初めのオーク事件からずっと今回の一連の事件に関わって尽力してくれた職員の一人だ。
フィリエスさんを逮捕出来たのには、ゲート封鎖と厳重な警備体制を敷くことを引き受けてくれた警備部の力が大きい。
そしてそのために俺たちが協力を要請した職員たちだけでなく多くの警備部の職員を動かしてくれたからこそ、キッドや橋雪さんは安心して戦闘に専念できた。
俺も、ゲートの外に出たフィリエスさんに逃げ場はないと確信を持つことができた。
「僕たちは僕たちの仕事をしただけだよ」
何でもないことのようにフィンセントさんは言う。
「警備部が動いてくれなかったら、三階層はさらに危機状態に陥っていたと思います」
フィリエスさんの目的は俺を殺すこと。だが、俺をここに連れてきた天使と悪魔の職員——ヘルドアとゲダートを彼によって殺されてしまった。
結果的に彼らは共犯だったわけだが、下手すれば関係のない職員も巻き込んでいたかもしれない。
「彼らを動かしたのは僕じゃない。君だよ、西条君」
「俺⋯⋯ですか?」
確かに俺は色んな部署に協力を呼びかけていた。しかしそれはアイロア長官の作戦に必要だったからで、自ら思い立っての行動じゃない。
それに、俺だけじゃなくキッドもいたし、最終的に協力してくれることになったのは橋雪さんの力だ。
俺だけじゃ何も成し遂げられなかった。
「君も体験して分かった通り、例え必要であろうとも、人を動かすことは難しい。君やキッドくんがかけあっても、あの場では誰も動かせなかったようにね」
フィンセントさんは続ける。
「いくら長官補佐とはいえ、君はまだ入って間もない新人だ。地位はあれど、発言力は一介の職員とほとんど変わりない。いや、これは少し差別的な発言になってしまうけれど、人間である分一介の職員以下とも言える」
人間は魔法が使えない。そして基礎体力や寿命など様々な面でも他の種族に劣っている。
だからこそ下に見られやすい。橋雪さんもそう言っていた。
でも⋯⋯とフィンセントさんが呟いて、俺の目を真っすぐに見る。
そこで俺は、食堂に来た時に職員たちにかけられた言葉を思い出す。
実際に事態を前に進めたのは俺じゃない。
でも、皆は俺がその場にいたことをちゃんと覚えていてくれていた。
俺の声を聞いてくれていた。そのことを。
「君の声は届いている。ただ彼らもディオスガルグの職員だ。個人の感情で行動してはならないことを理解しているからこそ、あの時は君の依頼を断らざるを得なかった」
フィンセントさんがゆっくりと視線を食堂中を見渡すように動かしたのにつれ、俺も食堂を見渡した。
「これは慰労会と称してはいるけれど、一方では君の歓迎会でもあるんだよ」
食堂に来た時に主役だと言われたのはこのこともあったのか。
乾杯の音頭を任された理由がようやく分かった。
「君はもう職員Aではないということだ」
その言葉に俺は強く心を揺さぶられる。
何か特別なことをしたつもりはなかった。
でも⋯⋯。誰かに認めて貰えるというのはとても、嬉しいことだ。
「ありがとうございます。フィンセントさん」
きっとこの先も俺はフィンセントさんがかけてくれた言葉を忘れることはない。
そして三階層の一員として恥じぬ職員になりたいと改めて決意する。
その時、後ろから俺を呼ぶ声がした。
「飲んでるかーっ新人!」
「おーいっこっち来いよー!人間界について聞きたい話があるんだ!」
「おっ、何だよソレっ、俺も聞きてー!」
振り返ると、テーブルの方で数名の職員が手を振ってこちらを手招きしている。
「行ってくるといいよ。異世界の話を沢山聞けるかもしれないよ」
「本当ですか?!」
それは嬉し過ぎる。確かに普段は仕事で世間話なんてする暇もないからな。本やニュースでは見たこともない新情報を手に入れるまたとない機会。逃すわけにはいかない。
フィンセントさんに再度礼を伝え、テーブル席へ向かうとあっという間に酔っ払い職員たちに囲まれる。
「なー、人間界では動物を眷属にして大型生物を狩らせて食ってるって話は本当か?」
眷属⋯⋯ってこりゃまた異世界独特な表現だな。
「いや、眷属っていうよりかは家族みたいな扱いで、俺の住んでた日本って国では銃とかで鹿とかを狩るんですけど⋯⋯」
ジェスチャーも加えながら説明する。
皆興味心身に俺の話に耳を傾けている。そして離れた場所にいた職員たちも、俺の人間界の話に興味を示し、どんどん集まってくる。いつの間にかテーブルは職員たちで溢れかえっていた。
俺が異世界のことを知りたいと思うように、皆も人間界のことを知りたいと思ってくれているのだ。
異世界の話⋯⋯か。
そういえば、染谷は元気にしているんだろうか。
校長室に呼ばれ、別れのあいさつもせずにここに連れてこられたからなー。
あっちでの俺はどういう扱いになっているのだろうか。ディオスガルグの職員であることは機密情報のようだから、上手く誤魔化すなら留学⋯⋯とかだろうか。
あいつ、俺が異世界の監獄で働いてるって知ったら度肝を抜かすだろうな。
その時の反応まで想像できて思わず笑いが込み上げてくる。
母さんにも手紙を寄越すようにって言われてたし、一度送ってみるのも有りかもしれない。
後で手紙の出し方を聞いてみよう。
「さ、次は皆さんの世界のことを教えて下さいよ」
一通り人間界の常識や生活などの話を終えると、俺は身を乗り出す。
「おっ、いいぜー。じゃあまずは魔界のモンスターについてだ」
代り映えのない日々に突然訪れたとんでもない知らせ。
全てはそこから始まって、俺は今ここにいて、そして生きている。
この先何が起こるのか、何一つ想像できない。
だけどきっと、人間界にいた頃の俺よりも、ここに来たばかりの俺よりも、きっと今の俺は成長できていると思える。
だからこそ乗り越えていけると信じている。
この六世界一の大監獄——ディオスガルグの職員として。
第一部 終