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38 一方その頃(3)

 五階層執行部本部懲罰房に影が二つ伸びる。

 冷たい石の地面にカツカツと革靴の乾いた音が響く。

 一人はまるで貴族のような高貴さを漂わせるロマンスグレーの初老の男、もう一人は整えた黒髪にすらりと背の高い若い男だった。


「こちらです」

 

 若い男の方が言った。真っ黒な手袋をした指先を奥のある一角へと向ける。

 その先には堅牢な鉄の扉。ここへ来るまでに見たものとは明らかに異質。物々しいただならぬ雰囲気がこの距離からでも伝わってくる。

 しかし二人の男は臆することもなくその扉へと近づいていき迷わず開く。

 重たいそれはギギギと低く音を立て、来訪者を迎え入れる。

 薄暗い房の中央に、両手両足を漆黒の鎖に繋がれた男がいた。

 来訪者には気づいているようだったが、目を伏せまま死人のようにピクリとも動かない。


「彼が一連の騒動の首謀者です」


 三階層副看守長フィリエス。種族は堕天使。

 ロマンスグレーの男は事前に聞いていた情報を思い出す。

 四肢を鎖によって拘束されたフィリエスに近づきその目の前で立ち止まる。

 若い男の方は扉を再び閉めて厳しい表情をフィリエスの方へ向ける。

 いくら両手足を拘束されているとはいえ警戒するに越したことはない。いつでも戦闘体制に入れるように気構えくらいはしておいた方が良いと判断した。

 すると、くつくつと笑う声が房内に響いた。


「とても警戒されているようだ。こんな鎖に繋がれていれば逃げるどころか魔法の一つも使えないというのに」

 

 この鎖はただの鎖ではない。繋がれた者は全ての魔法を使用することが出来なくなる妨害魔法がかけられた特別な魔道具。

 使用者の魔力の流れを抑制し、魔力を放出しようとすれば即座に吸収される仕組みになっているのだ。勿論、力で無理やり引きちぎることも不可能。巨人の力でも壊れやしない。

 そのため、魔法種族にとっては魔法を使用できなくなるという状況は命取りに等しい。

 唯一突破口があるとすれば、それは禁忌魔法を使うことだろう。

 この鎖型の魔道具に宿る魔法はこの世で最高峰にして最強、故に一般に使用することが禁止された禁忌魔法。禁忌魔法ならば同じ禁忌魔法を破ることが出来るという訳だ。

 しかし、遙か昔より使用を禁じられる禁忌魔法を使える者はそもそも存在しない。

 そんな者がいるとすれば神の領域に達した者、あるいは魔法に飲み込まれた者だろう。


「いかなる場合においても備えというものは大切ですよ」


 フィリエスのあざ笑うかのような言葉にも動じずそれどころか余裕すら感じさせる穏やかな声色でそう返すロマンスグレーの男。

 備えは大切と言ったが、警戒しているのは後ろの黒髪の男の方で、目の前のこの初老の男はそんな素振りは微塵も感じられない。まるで会話を楽しむような態度だ。

 フィリエスは伏せていた顔を上げさりげなく目の前の男を観察する。

 指定の物とは異なる上等な革靴にベルト。胸元には鎖と鷲のレリーフが施された徽章。縁は金色。

 瞳は血のように紅く、穏やかに細められているが徽章の鷲のように見た者を捉えて離さない鋭さが宿っている。

 人目で只者ではないと分かる。直接目にするのは初めてだが噂には聞いている。

 

「アルバート・F・ヴァンファル。執行部部長とこのような形でお目にかかれるとは」


 ディオスガルグには優秀な職員が多い。武術に秀でた者、魔法に秀でた者。頭の良い者。その中でもある分野において突出した才を持つ者もごまんといる。

 しかしこのヴァンファルという男は常識内での才には収まらない。

 悪魔でありながら神の域へ到達した者⋯⋯。

 キッド・コアリードやあの橋雪奏十ですらこの男の前では赤子同然であろう。彼らに敗れた自分ならなおさら相手になどならない。


「おや、私の名をご存じなのですか。いえ、貴方は三階層副看守長の地位にいた方。幹部職員ならご存じでもおかしくはないですね」


 幹部でなくともここで何カ月も働いていれば分かる、とフィリエスは内心で思った。

 これほどまでの男がわざわざここへやって来た。それほどまでに一連の騒動が重く見られているということの証明だ。

 しかし、この一週間実に様々な手で取り調べを受けてきた。

 全ての職員に共通する質問。それは誰かに指示を受けているのか、なぜこのような事件を起こしたのか。初めの方は淡々と進められていた取り調べもフィリエスがなかなか口を割らないと分かると声を荒げたり、苦痛を与える呪文を唱えたりとあらゆる手を使い口を割らせようとした。 

 執行部は取り調べ又は懲罰を執行する際に他者へ魔法や拷問器具を使用することが許可されている。

 特にフィリエスのようなイレギュラーな事態においては誰も止めるものはいない。

 果ての自白魔法を始めとする精神魔法。

 しかしそのどれもがフィリエスの口を割るには不十分だった。

 だからこそこの男が呼ばれたのだろうが、結局は同じこと。例え禁忌魔法であろうとも決して破れはしない。


「さて、始めましょうか」


 ほぼ一人語りの世間話を終えた執行部部長は厳かにそう言うと、人差し指と中指を揃え、すっとフィリエスの額に添える。

 ぼんやりと淡い水のような光が広がり、フィリエスの瞳がぼんやりと覇気を失いガクンと首が傾く。

 思考や意思決定などを担う前頭葉に流れる魔力に干渉する精神操作魔法。

 

「私の質問に、はいかいいえで答えてください」


 ゆっくりと質問を始める。


「オークを転移させ、呪術により職員を転移させた首謀者は貴方ですか?」

「はい」

「プレア・ケストレアという職員が共犯であることは事実ですか?」

「はい」

「ゲダート・ヴェグレアム、ヘルドア・ウェンデリ―を殺害したのは貴方ですか?」

「はい」

「貴方に一連の事件を起こすよう指示をした者はいますか?」

「⋯⋯いいえ」

「貴方の魔道具のメンテナンスを行っていたのはプレア・ケストレアですか?」

「はい」

「貴方はここに来た当初は三階層の所属でしたか?」

「いいえ」


 なるほど、と執行部部長は頷くと精神操作魔法を解いた。

 瞳に光が戻り、フィリエスは目を覚ますように顔を上げる。随分と深い精神魔法を受けていたようでまるで麻酔を打った後のように頭がぼんやりとする。


「質問は以上です。お疲れさまでした」


 とても取調べを行っていたとは思えないほど丁寧な口調で頭を下げる。


「では参りましょうか」

 

 黒髪の職員に退出を告げ、そのまま房を出ていく。

 鉄扉は閉まり静寂が訪れる。

 残されたフィリエスは彼らの去った後を見て薄っすらと笑みを浮かべた。


「⋯⋯何をやっても無駄だっていうのにね」


 冷たく薄暗い懲罰房の中、フィリエスは一人そう呟いた。


 ◇◇


「何か分かりましたか?」

「ええ。非常に面白い結果です」


 執行部内通路。

 執行部長アルバート・F・ヴァンファルに黒髪の男、執行部懲罰執行課課長キノ・エンシルが尋ねる。


「面白い⋯⋯?」


 キノにすれば、精神魔法による自白の試みは失敗に終わったように感じていた。

 フィリエスの背後にいる黒幕の存在についての質問の際、一瞬間があったように感じたが、フィリエスはその質問に「いいえ」で答えた。 

 アルバートが使った精神魔法は、数ある精神魔法の中でも最上位に位置する魔法。

 ならば、フィリエスが否定したということは黒幕は他にいないと断定しても良いのではないだろうか。  引っかかる点はあるものの、キノはそう判断していた。

 しかしアルバートは違った。


「四番目の質問に対しての僅かな間。あれは質問を理解するために生じた遅延ではありません。魔法と魔法が対抗したために生じたラグです」

「魔法と魔法の対抗⋯⋯?どういうことでしょうか。フィリエスが精神魔法に対する阻害を行っていたということですか?いや⋯⋯ですが、そうなると情報と合わない。それに魔法を遮断する鎖に繋がれた状態でそのような魔法が使えたとは考えにくい」


 キノが思案する。そして浮かび上がる一つの答え。しかしそれはあまりに不確定で、信じ難いものだった。だからこそ、キノは有り得ないと首を振り自ら出した答えを即座に否定する。

 アルバートはキノのその様子を見てゆっくりと微笑んだ。

 

「フィリエスは魔道具がなければ魔法が使えません。それに、そもそも鎖の魔道具により魔法は使えないはず⋯⋯と思っているのでしょう?」

「仰る通りです。あの鎖は禁忌魔法級の魔法でなければ対抗できない最上級魔道具です。加えて彼は、生得的な魔力量が少なく本来魔道具がなければ初級魔法ですら使えないはずです」


 だからフィリエスが禁忌魔法を使えるとはとても考えられない。

 となるとやはり考えられる答えは1つしかない。

 

「奇妙な感覚でした。まるで細菌の侵入を防ぐために細胞が抵抗しているかのように、私の精神魔法への抵抗を感じました」

「それは第三者がフィリエスに対精神魔法用の魔法か何かをかけたということですか?」

「恐らくは」

  

 精神魔法を自分自身にかけることは容易ではない。

 魔法種族には生まれつきある程度精神魔法に対する抵抗力となる魔力が備わっている。抵抗は極自然に行われるものだが、精神力や忍耐力のように個人差によって抵抗の度合いが異なる場合がある。

 自分で自分の腹を切ることが難しいように、これが精神魔法となるとさらに困難になる。

 ましてやそれが生まれつき魔力値の低いフィリエスならばなおさらだ。


「有り得るのでしょうか。鎖の魔道具や部長の精神操作魔法にも侵されないほどの魔法をかけたものがいるなど⋯⋯」


 その事実を認めるということは他に黒幕がいるということを認めることと同じだ。

 そして同時に事件は完全に収束していないということでもある。

 

「現状考えられる答えとしてはそれしかないでしょう。ですが⋯⋯」


 アルバートはピタリと立ち止まり、そして悪魔らしい血のような紅の瞳をじっと先の方へ見据える。

 まだ見ぬ何かに対峙するかのように。


「そのような魔法がかけられる程の人物。それは熟練した魔法使い、あるいは⋯⋯いえ、止めておきましょうか。不確定な情報で混乱させる訳にもいきませんからね」


 言いかけて口を閉ざしたアルバートはまた歩を進める。

 長い長い廊下の先はいつまでも続く闇のようだった。

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