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37 皆と祝杯を

「終わった⋯⋯?」


 橋雪さんが剣を収めてフィリエスさんの傍に膝をつき息を確かめる。気絶しているだけで死んではいないようだ。脇腹に滲む血の量は人間であったなら命に関わっていそうな程だったが、流石に異種族——堕天使ともなれば違うらしい。

 とはいえ安静状態での治療は必要だろう。

 

 がくんと力が抜けていくのが分かった。疲労感が一気に押し寄せてきて、立っていられなくなった俺はそのまま地面にしゃがみ込む。

 しばらく呆然としていると、ふと頭上に影が落ちた。


「⋯⋯俺、また何も出来ませんでした」


 もう何度目だろうか。何度も助けられてはその度に自分の弱さを思い知る。

 今回だって、今度こそ自分がと助けようとしたが結局はキッドと橋雪さんに命を救われた。

 何も出来ない自分に嘆いて、腹が立って、切り替えようとして、またその繰り返しだ。

 本当に情けない。呆れて笑いすら込み上げてくる。

 筋肉が震えて足が動かせなくなっている自分に。使うことなく終わった木刀が無傷のまま転がっていることに。


「剣を振るい、魔法を放つことだけが強さではない。そして、命を賭して恐れず立ち向かうことだけが正解ではない」


 橋雪さんは言う。


「死なないことも強さだ。少なくとも命を狙われ、いつ殺されるやも知れぬ身で、なお前を向こうとしたお前は、過去の者たちよりも腑抜けではない」


 また一つ誤解していた。この人は、人を褒める言葉を、人を励ます言葉を口にしない人だと思っていた。

 橋雪さんからの労いの言葉。あまりに不愛想で感情の欠片もこもっていない声色だったが、そこには橋雪さんなりの優しさが灯っているような気がした。


「ありがとうございます。橋雪さん」


 差し伸べられた手を掴む。

 俺がここにいる意味、理由。そんなことは考えなくても良かった。

 俺はただ自分の出来ることを、自分らしくやっていけば良かった。今まで通り、今まで以上に。

 そしていつか、この人と肩を並べて、胸を張って三階層を守っていけるように。


  ◇◇


 あれから一週間が経った。

 深い傷を負っていたキッドとフィリエスさんはあの後、救助に駆け付けた医療部の職員により治療を受けた。

 特に傷もなく問題なしと判断された俺と橋雪さんはすぐにアイロア長官やフィンセントさん達に状況と事件の全容について報告を済ませ寮へ戻るようにと指示を受けた。

 橋雪さんはその後も色々と仕事があったようでそれを片付けてから戻るようだった。

 現場となった拷問場ゲート内のフィールドの修復や、フィリエスさんのことなど気になることは山ほどあったが、多くの職員に今はしっかりと休んでおくようにと言われ、押し切られる形で一足先に寮へ戻ることになった。


 後日聞いた話によれば、フィリエスさんは治療を受けた後すぐに五階層執行部本部の懲罰房に囚われているらしい。この情報は状況が状況であることからか極秘、だったようだが当事者であり事件解決に導いた一端であることを考慮されフィンセントさんがこっそり教えてくれた。「僕が言ったっていうのは内緒だよ」と念押し付きで。


 そして共犯者、アモと偽名を名乗り俺に接触してきたプレア・ケストレアは、橋雪さんに取調べを受け、条件と引き換えに犯人逮捕に協力することを約束したようだった。

 彼女の言う条件について、俺はよく知らないが、彼女が今六階層にいるという情報と何か関係があるのかもしれない。

 ともあれ、プレアが強力してくれたおかげで、転移先を強制変更することができた。

 あの土壇場で魔力の過剰負荷によりサイコロが故障したのは偶然だったようだが、魔道具のメンテナンスはプレアが行っていたようだったし、取調べを受ける以前から二人には溝が生まれていたのかもしれない。

 それに、あの小さな魔道具でオークの転移から今回の戦闘までずっと負担をかけ続けていたのだ。そう考えれば当然だったようにも思える。

 

「お疲れ様でした。西条さん」


 午後七時。寮を出た俺は掲示板の前で待ってくれていた室町さんと合流する。


「こちらこそ。室町さんもあれから大変だったんじゃないか?」

 

 司令部の長官補佐である室町さんは日常的に忙しそうにしている姿をよく見かけていた。

 真犯人を捕まえたことで緊張状態は解けたとはいえ、後処理やその後の報告などで業務に追われているのではないかと思ったのだ。

 

「いえ、プレア・ケストレアとの接触の件で少し尋ねられることはありましたが、私はほとんど何も。司令部自体今回の件にあまり関わっていませんでしたから」


 司令部は各部署への要請や情報の通達などを行う部署だ。

 ゲート封鎖の件や部署への協力の際に少し接触したくらいで、あとは室町さんやその上司のルアスさんが個人的に関わっていたくらいだ。


「反対に、警備部や特殊対策部、備品管理部の職員方は今も対応に追われているようですね」


 そう言われれば警備部に所属しているキッドもあれから全く姿を見ていない。

 医療部の職員からは傷はすぐに塞がってピンピンしているとは聞いていたが、仕事に追われていたようだ。

 確かに、フィリエスさんとの戦闘でフィールドはめちゃくちゃな状態だったしな。本来あそこは囚人への処遇のために使っていた場所だ。一刻も早く修復しなければ仕事が回らなくなる。それに、フィリエスさんやプレアへの処遇に関してもまだまだやるべきことが残っているだろうし。

 

 でも、今夜は——


「やぁ西条くん、それに室町ちゃんも」


 食堂に辿り着いた俺たちは入り口で受付をしていた浮羽屋さんに迎えられる。


「こんばんは浮羽屋さん」

「大変だったって聞いてるよ。気がかりなことは色々残ってるかもしれないけれど、今夜だけでも忘れて、ゆっくり楽しんでいってね」


 三階層衛生部調理課主催の食事会⋯⋯俗に言う慰労会が今夜この食堂で開催される。

 事件は解決しても全てが収束した訳ではない今の状態で、あまり公にする訳にはいかないということで呼ばれているのは三階層を中心として、今回お世話になった一部の職員だけだ。

 それでも俺たちが着いた時にはかなりの人数が揃っていた。

 広い食堂内が活気に溢れ、笑い声に包まれている。

 いつもはこの時間なら閉まっているバーも今夜は開いているようだ。さっそくグラス片手に酒を飲み交わし談笑している職員たちがちらほら見える。

 俺たちもさっそく中に入ることにした。

 すると、俺たちがやって来たことに気づいた職員の内の一人が大きな声を上げる。


「おっ、今日の主役のご登場だぞー!」


  その誰かの一声で一斉に食堂内の視線が俺たちに集まる。思わず振り返ってみるが背後には誰もいなかった。隣の室町さんと視線を合わせるが自分ではないという風に首を振る。

 そして再び正面へ向き直り、ようやく皆の視線がどこへ向けられているものなのかを理解した。

 えっ、俺?!


「ありがとうな!お前のおかげだぜ!西条!」

「君がいないとまだ三階層は暗いままだったよ。本当にありがとう」


 当然何も知らない俺は、皆が突然俺を取り囲み次々に感謝は労いの言葉を浴びせかけられるのに面食らった。


「待って下さいっ、俺、何もしてないですけど⋯⋯」


 皆から喝采を浴びる心当たりがなく俺は両手を広げて否定のポーズを取りながら困惑する。

 だが、次の瞬間バンっと強めに背中を叩かれて肩を引き寄せられる。


「何言ってんだよ!事件解決のために色々掛け合ってくれてたの見てたぜ!」

「俺もだ!ゲート封鎖に協力してくれって頼んでたよな」

「人間の坊主だってのにやるじゃねーか!見直したぜ」

 

 そう声を上げる職員たちには見覚えがあった。

 キッドと共に掛け合った時にいた職員たちだ。覚えてくれていたのか⋯⋯。

 思わず感情が込み上げてくる。嬉しくない訳がない。

 何もないと思っていた俺が、皆にこれだけの言葉を掛けてもらえる程の事が出来たって証拠だから。

 俺は視界をぼやけさせる涙をこらえるように天井を仰いで誤魔化すように笑う。


「俺だけじゃなくて三階層や警備部、特殊対策部他にも沢山の部署の職員の皆のおかげです!こちらこそありがとうございました!」

 

 ほとんど叫びにも近い俺からの言葉。それに呼応するように職員たちが次々に祝福の声を上げる。温かい光に包まれた食堂内はそこから乾杯のムードに移ろうとする。


「ほら新人!お前が乾杯の音頭をやれよっ」

 

 そう促されるが、そこで俺は橋雪さんがいないことに気づく。

 橋雪さんはこういう場のノリが得意そうなタイプには見えないが、フィリエスさんを追い詰め、捕らえることが出来たのも橋雪さんのおかげだ。

 彼のいない状況で、このまま進めてもいいものなのだろうか。

 そんなことを迷っていると、入り口の方がざわざわと騒がしくなった。

 職員たちは入り口からやって来るその人物に、通り道を作るかのように逸れていく。視線は一気にその職員へと注がれる。大勢の職員たちの中から、躊躇わず進み現れたのは意外な人物——三階層階層長である橋雪さんだった。


「橋雪さん⋯⋯!」


 階層長であるからには橋雪さんも招待を受けているだろうとは思っていたが自分から現れるとは思っていなかった。

 でも俺は驚きよりも安堵の方が強かった。


「もう一人の主役だぞー!」

「長官!来てくれて良かった!」


 それは他の職員たちも同じのようだ。浮羽屋さんが橋雪さんにグラスを渡し、食堂はさらに盛り上がりをみせる。


「消灯時間は必ず厳守しろ」


 相変わらずの冷たい口調だったが、皆もそんな橋雪さんの性格には慣れている。


「よしっ、これでちゃんと始められるな。西条っ、頼んだぞ~」


 グラスは全員の手元に渡った。俺は食堂の中心でスっーと息をつく。


「皆さん本当にお疲れさまでした!ではっ、乾杯!!」


 グラスを高く掲げる。続いて皆がグラスを突き上げ乾杯と叫ぶ。祝いの声は鳴りやまない。

 ディオスガルグ三階層食堂は今、幸福な時が流れていた。

 

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