36 戦闘(3)
「『スピリット・ノート』⋯⋯!」
さらに分裂を始めたサイコロは十数個にも及び、回転を始めたかと思うと、前方にいる橋雪さんの元へ一瞬で転移した。橋雪さんを四方から取り囲むサイコロはまるでマシンガンのように橋雪さんに向かい攻撃を浴びせかける。
「魔法が使えたとしても、この威力の攻撃を全て躱し切れるはずがない」
フィリエスさんは脇腹を抑えながら立ち上がる。しかし次の瞬間試すような余裕の表情は驚きと受け入れ難いという拒絶に変わる。
橋雪さんは激しく特攻してくる銃弾のようなサイコロを剣で薙ぎ払っていく。軌道の逸れたサイコロは橋雪さんの身体をすり抜け地面に弾痕を刻み、また元の位置に転移を繰り返し再び橋雪さんに襲い掛かる。
しかしその全てのサイコロが橋雪さんに届くことはなかった。目にも止まらぬ速さの剣捌き。熟練しているとかそんなレベルじゃない。瞬きの間に一体どれほどのサイコロを躱したのだろうか、もはや人間技ではない。
衝撃でボロボロと崩れていく岩石にも動じることなく、頭上へ落下してくる巨大な岩すらもサイコロを受ける間に軽々と両断して見せる。
フィリエスさんも信じられないという風に目を見開いている。俺も同じだ。見たこともない上司の姿に呆気に取られ、何も考えられなくなっている。
「っ!」
キリがないと感じたのか橋雪さんは首元を狙うサイコロを剣で受け止めると、下方に視線を向け今度は自分から攻撃を仕掛けようと地面を強く蹴り踏み出す。
突如目の前に現れた橋雪さんにフィリエスさんは距離を取るため後退する。
サイコロを呼び戻し今度は1つに結集させる。ルービックキューブのように重なるサイコロの塊は個々が不規則に回転し鈍く光っている。
「『オーダー・ノート』!」
結集したサイコロは複雑に回転を繰り返しながら浮かび上がり橋雪さんへ全てを切り裂く閃光を放つ。
あまりにもまばゆすぎる光に俺は目がくらみ思わず瞼を閉じる。
しかし次に瞼を開けた時、俺は戦慄し息を飲んだ。血の気が失っていく感覚。ひやりと心臓に圧がかかったように硬直してしまう。
橋雪さんと戦っていたはずのフィリエスさんはいつの間にか俺の背後を取らえていた。
「目的は概ね達成された。当初の計画とは違うけれど、今ここで君を殺そう」
風もないのに首筋に冷たい風が吹き抜けた気がした。
苦痛の混じる乱れた息遣いが間近に聞こえる。
オークの時や呪術召喚の時とは違い、フィリエスさんとの距離はお互いが触れられるまでに縮まっている。当然避けようもなく、いくら橋雪さんでも追いつける距離ではない。転移魔法を使うよりも早くフィリエスさんは俺を殺すことが出来るだろう。
「おいっテメェ!待ちやがれ!」
遠くからキッドの声がした。土埃の中から現れた橋雪さんがこちらの様子に気づき駆け出そうとするのが僅かに見えた。
「幾度も邪魔が入ったけれど、ようやくだ」
カンと硬質な物体が重なる音がした。魔道具のサイコロだろう。フィリエスさんはサイコロを動かす。
俺の心臓を貫くために⋯⋯
「な、なんだ?!」
驚愕の声は背後にいたフィリエスさんから発せられた。
俺は自分がまだ死んでいない事に驚き、振り返る。
確実に俺の心臓を捉えていたサイコロは寸手のところでピタリと動きを止めていた。そして、ブルブルと震えだすと、かつてない速さで急速に回転を始める。
制御を失ったサイコロは電灯に衝突を繰り返す羽虫のようにバチバチと音を鳴らしながら宙を飛び回る。
右へ左へ、俺は呆気に取られながらサイコロを視線で追いかける。
——何だ?壊れた⋯⋯のか?訳が分からない。
「どうなっているっ」
フィリエスさんは自分の魔道具がおかしな状態に陥ったことに困惑しながらも手を伸ばし、制御を試みているが、全く効果がないようだ。
そこで、何か思い当たることがあったのか、ハッとした表情を見せる。
「魔力負荷⋯⋯!なるほど、どこまでも邪魔をしてくれるようだ⋯⋯」
クツクツと低く笑い声を漏らしたフィリエスさんは鋭い光を帯びた瞳を一方へ向け、狂気に歪む微笑を浮かべる。
その先には橋雪さんがいた。
「でも、まだ終わりじゃない」
ニヤリと口角を上げたフィリエスさんは土汚れや血が飛んだ制服のポケットから何かを取り出す。
その手に握られていたのは小さな正方形の物体——もう一つのサイコロだった。
「キッド・コアリード、西条鷹梨、そして橋雪奏十⋯⋯君たちは今からここで僕諸とも灰と化す」
闇のような光を帯びたサイコロはフィリエスさんの胸元で浮遊する。包むように手袋を身に着けた手のひらをやわらかく添える。
自爆を覚悟した最後の攻撃。みるみるうちに巨大化していくサイコロはさっきまでの技とは明らかに様子が異なる。
「させねー!!」
慌てて飛び出したキッドがサイコロに向けてナイフを突きつけるが、サッカーボール程の大きさになったそれはナイフを弾き返し、その反動でキッドが後ろへ吹き飛ばされる。
キッドの一撃は全力だったはずだ。強度もさっきのサイコロと桁違いに増している。
フィリエスさんとの戦闘で既に身体は限界だったようでキッドは吹き飛ばされたまま僅かに肩を上下させるだけで立ち上がれずにいた。
フィールドに広がっていく光。まるで吸い込まれそうなほどに暗く、禍々しい闇を生み出すのはそれにそぐわぬ物体。今だ巨大化の止まらないサイコロの魔道具。
「『ラスト・ノート』」
確信めいた笑みとともに唱えられた最後の技。
闇の光は一気に拡大しフィールド全体を覆いつくすほどになる。諦めかけていた。防げるはずがないと行動をすることを辞めていた。仮に動けていたとしても、誰にも止められなかった。
ただ一人を除いて——
「『血炎の魔剣』」
青みがかった黒髪が視界の端をよぎる。剣に纏う深海のように青い炎は鮮血のような紅に変わる。迷うことのない剣。ただ目の前の敵を見据える真っすぐな瞳が炎の明かりに輝く。
切っ先が六面体に触れ、そして次の瞬間には地面に接していた。膨れ上がる巨大なサイコロを僅かに瞬きの内に両断していた。
真っ二つになったサイコロは光を失い急速に縮小していきやがて元の大きさに戻り、ゴトンと虚しく音を立て地面に落ちた。
欠片が転がり、そして静まり返る。
「な⋯⋯馬鹿なっ!あり得ない!あり得るはずがない!」
ふるふると首を振りながらサイコロだった欠片、見る影もない残骸を凝視したまま受け入れられないという風に声を上げる。
「現実とは全てが容易く受けられることばかりではない。西条が学生の身分でここへ来たように、勤勉だと思っていた部下がこのような事件を起こしたように。人間だと思っていた俺が魔法を使いお前を倒すようにな」
橋雪さんの歩みは止まらない。一歩、また一歩とフィリエスさんの方に近づく。
「終わらない!僕はまだ⋯⋯っぐ?!」
冷静さを欠き動揺が現れる。必死の叫びはもしかしたらただの強がりではなかったのかもしれない。
でももう通じはしなかった。
最後、黒塗りの革靴で踏み出した橋雪さんは一気にフィリエスさんの懐にまで迫ると剣を翻し、峰打ちした。
フィリエスさんは、みぞおちを抑えながらズルズルと地面を擦りながら後ろへ下がり、そして糸が切れたように仰向けに倒れた。