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24 真夜中の異変

「随分とお疲れみたいだね、鷹梨くん」


 ピークを過ぎた食堂の厨房から出てきた浮羽屋さんがカウンター席でダウンしている俺を見て苦笑する。

と同時に香る美味しそうな匂いに伏せっていた頭を持ち上げた。


「もうくたくたですよ⋯⋯。あの人、本当に容赦なさすぎでしょ」


 俺はグスタフさんによる無茶ぶり特訓メニューに対し不満を垂れる。

 結局あれから反復横跳びに懸垂など手加減なく出されるメニューをしっかりとやらされた。やっていることは学校の体力テストと変わらないがレベルは段違い、超鬼畜モードだ。

 おかげでヘトヘト、体力はゼロだ。無事三階層まで自力で帰ってこれた自分をほめてやりたい。


「グスタフ団長は悪魔たちの間でも鬼教官と呼ばれているほどのスパルタだからね。彼の特訓を受けた職員は多く見てきたけど、みんな大変そうだったよ」


 浮羽屋さんによると悪魔や天使ら他種族の特訓はもっとハードのようだ。

 魔法種族を鬼畜とうならせるほどの鬼特訓⋯⋯想像したくないな。


「本当にご苦労様。はい、今日の日替わり夕食シチューとバゲット、スモークサンダーバードとポンポン草のごまドレッシングサラダ、スープはコーンスープだよ」


 「どうぞ」と言って俺の前にトレイを置く。

 スモークサンダーバードがスモークチキン的なものということは分かるが、ポンポン草については全く分からない。 

 でも美味しそうだ。


「いただきます」


 スプーンを手に取るとシチューを掬い息を吹きかけ、ほどよく冷ましてから口に入れる。

 クリーミーな甘みとコク、一口サイズにカットされたじゃがいもやニンジンなどの野菜が口の中でほろほろと溶けていくようにくずれる。


「うますぎる⋯⋯!」


 思わず天を仰ぐ。


「良かった。そう言ってもらえると料理人冥利に尽きるよ」


 そんな俺の様子に嬉しそうに浮羽屋さんが笑う。

 サラダに入っている胸肉といえばパサパサとして硬いイメージがあったが、これは柔らかくて歯ごたえもしっかりしている。

 これがサンダーバード。異世界モンスター特集にある鋭い鉤爪に牙をむき、雷を身にまとう鳥獣の姿を思い浮かべならゆっくりと味わう。

 ポンポン草は丸っこい葉をしたサラダ菜のような野菜だ。プチプチとした食感が面白い。それにかかっているドレッシングのごま風味が野菜独特の青っぽい苦みをマイルドにしてくれているため食べやすい。

 昔から野菜は好きな方ではなく、むしろ嫌い寄りだったのだがこれなら毎日でも食べられるな。

 サラダを食べていると、ふと鼻にツンとした刺激を感じた。

 これは⋯⋯


「ワサビ⋯⋯?」


 もう一口口にして味を確かめてみるが間違いない。この独特な味はワサビだ。


「正解」


 浮羽屋さんが言う。


「ディオスガルグの食事は良くも悪くも異種族向きだからね。日本人の僕らにはあまり馴染のない味つけが多い。たまになら新鮮味があっていいかもしれないけど、毎日食べるとなればやっぱり味わいなれた料理が一番だと思うから。特に、こういう場所ではね」


 せめて食事の時くらいは色々な悩みを忘れて料理を味わって欲しい⋯⋯そう言った浮羽屋さんらしい考えだった。

 日本の家庭料理がメニューに載っているのは、三階層の料理人である浮羽屋さんのそんな思いからなのだろう。

 異世界の食材を慣れ親しんだ日本の味つけで食べることができる。

 最初は食文化の違いに苦労するかと思っていたけど、浮羽屋さんのおかげで不安は一気になくなった。むしろ今では食事の時間が楽しみなくらいだ。


「ディオスガルグには慣れてきたかな?」

「ほんの少しですけどね。おぼえることが多くて大変です」


 魔法の実在は認知されていても、使用者は誰一人としていないのが人間界だ。

 魔法があって当たり前の世界に慣れるにはもう少し時間がいりそうだ。


「長官補佐だと事務仕事や職員と関わる機会も多くなるからね。これからもっと大変になるかもしれないけど、頑張って。リクエストメニューはいつでも受け付けてるよ」

「ありがとうございます。これで明日からも頑張れそうです」



 俺は食堂を出ると真っすぐに職員寮へ向かった。風呂に浸かり、明日の準備を終わらせると早々に備え付けのランプを消した。

 真っ暗になった部屋でベッドに寝転がると、手を伸ばせば微妙に届く位置にある上段をぼんやりと見つめる。

 結局上の住人はまる一週間帰って来なかった。もしかすると夜間勤務の職員なのかもしれないな。

 それならば俺とは生活リズムが違って当然だ。俺が仕事をしている時に寝て、夜勤の職員が仕事をしている時に俺は寝ているわけだから。

 そうなればいよいよ一人部屋みたいなものだ。何しろ顔も名前も知らない同室の所有物は壁のポスターと小棚に少し雑誌が置いてあるくらいのものだからだ。

 2人が過ごせる用に与えられた部屋を1人で使うとなると十分過ぎるくらいの広さになる。

 くわっと大きなあくびが漏れた。駄目だ、眠さが限界を迎えている。

 暗がりで探るように目覚まし時計をセットする。抗えない眠けにほとんど瞼が落ちるように目を瞑った。

 明日も特訓かー⋯⋯薄れゆく意識の中で最後に思ったのはそんなことだった。


「ヴ⋯⋯ヴ⋯⋯ヴ」


 意識の遠くから奇妙な音が聞こえる。

 唸り声?低く、くぐもっていてはっきりと聞こえない。自分はまだ眠っているのかもしれない。


「ヴ⋯ルル⋯⋯」


 二度目の音でようやく夢ではないと分かった。瞼の奥は暗い。なんだ、まだ夜じゃないか。

 なんて思っていると、突然頬にベタッとした何かが落ちてきた。

 粘着質で生臭い何かだ。急に意識がハッキリとして目を開けた。

 どこだここ?

 寮の部屋ではない。

 それに気づいた瞬間バっと身体を起こした。

 起こそうとしてついた手の平が触れたのはザラザラとして固く冷たい感触。ベッドではない。地面⋯⋯絨毯。ここは職員寮の外だ。

 何故こんなところで寝ていたんだ?

 まさか鬼の特訓メニューに疲れて倒れた後そのまま眠りこけていたのかと思ったが、普通に考えてそれはあり得ないだろう。

 記憶をたどってみても、寮に戻って自分のベッドへ寝転がったところまで鮮明に覚えていた。気のせいではない。

 なら一体⋯⋯?まだ少し寝ぼけた頭で考えていると、今度はハッキリと近くでさっきと同じ音が聞こえた。

 今度こそ、この音⋯⋯いや、声がなんなのかが分かった。

 嫌な予感に冷や汗が流れ身体が思うように動かない。


「ヴルルルル」


 獣の唸り声に恐る恐る、その方へ視線を向ける。

 ジャラジャラと静寂のうちに金属が地面に摺れる音がする。暗闇の中から炎が現れた。

 それは真っ赤に燃える炎をその身にまとい、同じく炎のような燃える赤い瞳をした魔獣。ディオスガルグ三階層獄卒獣——ヘルハウンドだった。


「っ!?」


 思わず手を後ろへ動かし後退する。手汗が滑ってその拍子に地面に肘を強くぶつけた。

 ビリビリと腕が痺れる。

 駄目だ、逃げられない。恐怖が支配するように身体を硬直させる。

 オーク襲来時のことがフラッシュバックした。あの時は立っていたからまだ動くことができた。だが今回は無防備にも寝起きのところへ現れたため、その距離はもうとっくにヘルハウンドの攻撃可能圏内といえるだろう。

 例え離れた距離にいたとしても犬型の魔獣であるヘルハウンドから逃げられる未来は想像がつかないが。


 一歩、また一歩と枷の付いた前足を踏み出し前方で動けない状態の俺の方へと迫る。

 絶望の中必死に助かる方法を考える。逃げたところで無駄だというのは分かっているからだ。

 何か、何か⋯⋯そう思って当たりを見回すが階層内は消灯されほとんど何も見えない。

 するとその時背後から別の音が聞こえた。

 今度はひっかくような硬い音だ。それも複数。振り返らなくとも分かる。

 背後から現れたのはガーゴイルだった。無防備にもパジャマ姿で身を守る武器を一切持たず地面に尻をついている獲物へ近づく捕食者たち。

 こうなってしまえばもうどうやったって逃げることは不可能。前後から怪物に襲われ、無残に食い散らかされ自分は死ぬのだ。

 激しい拒絶が脳内を支配する。

 死ぬ、死にたくない、誰か——!

 

「だ、れか⋯っ、あ⋯⋯!」


 声を出そうにもつっかえたように喉がしまって上手く声が出せない。

 そんな俺の事情は知る由もなく前方後方から迫る獄卒獣たち。

 結局こんな訳の分からない死に方なのかよ⋯⋯!

 ギュッと目を瞑り身体をこわばらせ、何も見ず、何も聞かないようにした。自分が喰われる様子なんて死に際だろうが見たくはない。

 

「おい、誰かいるのか!?」


 その時近くから人の声がした。今だ!っと希望が恐怖を押しのけ、俺は声を張り上げる。


「ここだ!助けてくれっ!!」


 必死に声を上げる。突然声を上げた俺にヘルハウンドたちは一瞬動きを止めすぐに唸り声を上げ興奮したように前足を振り上げた。

 声を攻撃とみなしたのだろう。だが、その鋭い爪が俺の身体を貫くことはなかった。


「待て!ステイだステイ!」


 叫ぶような静止の声にピタリとヘルハウンドたちは動きを止めた。

 持ち上げた前足を下ろし、命令の主の姿を認識すると大人しくその場にしゃがむ。


「⋯⋯っ助かった」


 どっと安堵が押し寄せる。獄卒獣に殺されかけるのは二度目とはいえ、慣れるわけがない。

 一気に脱力し、ほっと息をついた。


「おいっ!大丈夫かよ!?」


 力尽きてずるずると仰向けに倒れる俺に駆け寄る職員。

 彼が助けてくれたのか。礼を言わないとな⋯⋯

 何とか身体を起こし、相手の顔を見る。

 ランプを片手に俺の顔を覗くその顔には見覚えがあった。

 確か⋯⋯会議室にいた職員の一人だ。

 ツンツンとはねた赤髪に鋭い三白眼の青年は起き上がろうとする俺の身体を支えてくれた。


「ありがとう。今度こそ死ぬかと思った」

「礼はいらねーけどよ、新入りのヒューマンがなんでこんなところにいんだよ。とっくに消灯時刻は過ぎてるぜ」


 赤髪の青年の訝し気な視線が俺の着るパジャマへ向く。怪しんでいるのが丸わかりだがそれも当然だ。具体的に何時かは分からないが、夜勤でもない職員が夜に制服も着ずにいるのだから。

 しかも俺は一週間前に制服を着用せずオークに襲われたばかりだ。

 第三者から見れば学習しない愚か者にしか映っていないだろう。


「実は俺もよく分かってないんだ。気が付いたらここで寝てて、獄卒獣に囲まれてた」


 そんな馬鹿なと言われるかと思ったが意外にも青年はすんなり俺の話を信じてくれた。

 それどころか⋯⋯


「なんだ、俺はてっきり死ぬ気かと思ったぜ」


 なんて真剣な顔で言ってきた。誰が好き好んで獄卒獣に喰われて死のうとするんだよ。


「立ち上がれるか?」

「あ、あぁ」


 力が抜けていたので身をよじるようにして無理やり立ち上がる。赤髪の青年はふらつく俺に肩を貸してくれた。

 何というか、人は見た目で判断してはいけないなと思った。人ではないかもしれないが。


「?どうした」


 青年が獄卒獣の不審な様子を察知したようだった。

 彼の視線の先で獄卒獣たちが妙な気配を感じ取ったのか鼻をひくつかせるような動作をし、奥の方へ視線を向ける。そして威嚇するように再び唸り声を上げた。

 階層の奥、その先は暗くて人間の俺には何がいるのか全く分からなかったが、隣にいた赤髪の彼は違ったようだ。

 ヘルハウンドたちの視線と同じ方向を鋭く睨んでいる。


「誰だ」


 低く、警戒するような声色で奥にいる何者かに問う。

 だが、返答が返ってくることはない。沈黙が押し寄せる。緊張感に首筋に汗が伝う。

 

「なあ、本当に誰かいるのか⋯⋯」


 気のせいかもしれない、そう言おうとした時、勢いよく何かが飛び出してくるのが見えた。


 何が起こったのか認識する前に赤髪の青年が動いた。俺の前へ飛び出した青年は取り出したナイフでソレをはじく。

 一連の流れが一瞬のうちに行われたので何かが俺を目がけて放たれたことに遅れて気づいた。弾かれた硬い何かが壁に突き刺さった。何だ?暗くてよく分からないが薄い板のような何かだ。


「⋯⋯っ危ねぇな、何もんだてめえは!ここにいるってことは職員か!?」


 警戒心を消さぬまま青年は身をかがめて戦闘態勢を取る。

 獄卒獣たちも同調するように牙をむいた。だが俺の時のように迷わず襲い掛かりはしなかった。

 赤髪の青年も獄卒獣たちのその様子に気づいているためうかつには動かない。

 暗闇の先にいる人物の出方を探っているようだった。


「新入り、お前無線機持ってるか?」


 唐突にそんなことを聞かれた。


「いや、持ってない」


 俺の返答は想定内だったらしく「だろうな」と言ってから軽く舌打ちする。

 

「どうするか」


 助けを呼ぼうにも俺は制服を着ておらず一人では動けない。かといって正体不明の襲撃者に背を向けて逃げるわけにはいかないため迷っているのだろう。

 もう一度声を上げるか?夜勤は他にもいるはずだ。大声を出せば誰かの耳に届いて助けに来てくれるかもしれない。

 しかし今この状況で下手に動けば何をしてくるか分からない。勝手な判断で動くのはやめた方が良いのかもしれない。

 どうすればいい?

 くそっ、まただ。俺が戦えたらこんな状況にはなっていなかった。銃でも剣でもなんでもいい。武器があれば変わったかもしれない。

 

 緊迫した状況が続く。お互いがお互いの出方を探っているようだった。


「まどろっこしいな、付き合ってられるかよ!」


 そんな一触即発の状況に耐え切れず、先に痺れを切らしたのは赤髪の青年だった。

 苛立ちを抑え切れずナイフを構えて暗闇の方へ走り出す。

 ふっと笑うような息使いが僅かに聞こえた気がした。その次の瞬間背後に気配を感じた。

 

「っな!?しまった!!」


 標的が移動したのに気づいた赤髪は慌ててこちらの方へ振り返る。

 俺は動けなかった。自身の身に何が起きているのか理解する間もなかった。だが青年の表情で後ろにいる襲撃者が俺に何かをしようとしているのは分かった。

 必死に俺の方へ手を伸ばす青年。

 そして背後で何かが光った。

 

「止まれ」


 声に反応し、光は瞬く間に小さく消えていく。同時にバサリとマントか何か、布のようなものが揺れ動く音がした。

 この声は⋯⋯橋雪さんだ!


「そのまま手を挙げろ、手以外は動かすな。少しでも妙な動きを見せれば問答無用でお前を攻撃する」


 鋭い橋雪さんの視線が襲撃者を捉えて離さない。僅かに振り返り、その姿を確認する。

 そいつはフード付きのマントを羽織っていた。その視線は突然現れた橋雪さんに向いているため顔は分からない。それに体格も大きなマントではっきりとしない。だがかなりの長身であることは分かった。

 手のひらが俺の方へ向いている。魔法を放とうとして、橋雪さんに止められたため咄嗟に振り返ったのだろう。警戒を緩めないためにこちらに向け続けている。いつでも俺を殺せる合図⋯⋯だろうか。

 しかし後ろには赤髪の青年もいる。

 この状況をチャンスと捉えた青年は再び駆け出しナイフを振り上げる。


「オラっ!観念しやがれ!」


 襲撃者はすんでのところでナイフをかわし壁際に飛びのく。

 獄卒獣、青年、そして橋雪さん。状況は完全にこちらが有利だ。にじり寄る獄卒獣たちに襲撃者も後ろへ後退していく。だが背後には壁。もう逃げ場はない。


「オークを転移させたのもお前か?もう逃げ場はない。大人しく投降しろ」


 橋雪さんが剣の切っ先を向ける。だが襲撃者も簡単には諦めようとしない。こちらに手を向けたまま逃げ道を探っているように見えた。その踵が壁にカツンと当たる。

 奴は包囲されている。退路は断たれ、逃げることは不可能と思われた。

 しかし次の瞬間奴は衝撃的な行動に出た。

 ニヤリとフードの下に僅かに見えた口元が弧を描いた気がした。

 そして——


「おい!?」


 奴の異変に気付いた青年と橋雪さんが足を踏み出したその瞬間、自らに向けた手の平から放たれた魔法。激しい爆発音とともにその身体は爆破されバラバラに散らばった。

 あまりに衝撃的な光景だった。煙が辺りに満ちて、霧消してもまだ判然としなかった。

 目の前で人が爆死した。その事実は決してすぐに飲み込めるものではなかった。

 足に力が入らず、俺はその場でしゃがみ込む。もはやどこの誰かも判別が付けようがないその亡骸が目に入る。身体の中から何かがせり上がってきて、そして口元を手で覆った。

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