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22 特訓開始

 地上一階層内にある別の昇降機を使い俺たちは天空競技場へ向かう。

 空の方へ吸い上げられるように上へ上へと昇っていくと、わずか十数秒と立たないうちにチリンとベルが鳴り、昇降機は停止した。

 

 ――天空競技場――


 ディオスガルグ監獄全九階層のさらに上方、空に円盤のように浮かぶ職員専用の広大なグラウンドがそこにはあった。

 どれだけ広いんだ、ここ。奥が霞んで見える。


 俺はグラウンドを見渡すように手のひらを額の方に寄せ視線を動かす。

 草丈が短くよく手入れの行き届いた天然芝。その上を今も多くの職員がランニングしていたり、剣を振ったりしていた。

 互いを励ます声援や息遣いが生で伝わってくる。

 これ⋯⋯結構ガチなやつなのでは。


 職員の多い階層に行くと分かるが、やはり圧倒的に人間の数が少ないようだ。

 グラウンドにはざっとみただけでも百人以上がいたが、その中でも明らかに人間ではないと分かる職員らが多い。

 ここだけ見たならば本当に人間が所属しているのかと疑っていただろう。これまでに人間の職員と関わることが多かったから何だか新鮮というか⋯⋯変な感覚だ。


「西条」


グスタフさんの低くはっきりとした声が俺の名を呼ぶ。


「ハイ、ナンデショウカ」

「お前にはこれから私の作った特訓メニューに取り組んでもらう。期間は定めない。私が認めるまで続けてもらう」


 太い腕を組みながらグスタフさんは恐ろしいことを言う。


「認めるまでって⋯⋯具体的にはどのくらいに達したら許してもらえるんです?」

「ひとまず、素手で囚人五十人を相手に無双できるレベルだ」


 そんなことが出来たらもはや人間ではない。この人は一体俺をどんな怪物に鍛え上げてくれるつもりなんだ。

 もし俺が素手で囚人の集団をワンパンできるようになったら、両親は変わり果てた俺の姿を見て仰天するだろう。色んな意味で⋯⋯


「期間は定めないとは言ったが、一刻も早く戦闘技術を体得させるようにと依頼されている。しかし、今のその状態から短期間で俺の期待するレベルまで仕上げるのは不可能だ」


 グスタフさんは俺の軟弱な身体を見て期待薄と感じたらしい。もっと不可能はないとか言う熱血タイプかと思いきやどうやら違うようだ。

 そこだけ現実的だな⋯⋯。


 確かにグスタフさんの言う期待するレベルとやらに到達不可能なのは事実だが、断言されるとちょっとつらい。

 でも仕方ない。俺はどれだけ外に出ないかが勝負みたいな思考の超インドア派高校生だからな。

 運動といえば遅刻しかけて全力ダッシュか、体育で多少身体を動かすぐらいのもんだ。

 一時期筋トレに目覚めた時もあったが、一週間後にはやる気が自然消滅していた。

 気まぐれで買ったプロテインも、いつの間にかキッチンの棚の奥に追いやられていた。


「――というわけで、試しにグラウンド三十周してこい」

「はっ!? 三十周ですか!?」


 無理無理! 無理に決まってる!!


 このグラウンドがどれだけの広さか分かっていてこの人は言っているんだろうか。

 距離に換算すれば一周一キロメートルはあるはずだ。

 三十周ともなれば三十キロメートルになる。当然試しになどというレベルではない。もはやフルマラソンに近い領域だ。


 一瞬正気を疑った。

 悪魔や天使、妖精らはそのくらいなら楽に感じるのかもしれないが、何度も繰り返す通り、俺はインドア帰宅部だ。


 いきなりそんな距離を走れと言われてはい分かりましたとはならない。

 人には出来ることと出来ないことがあるのだ。気合でどうにかなる問題ではない。


「ゆくゆくは百周を完走してもらうつもりだ。その前段階として今の実力を試させてもらう」


 この人は俺をマラソン選手に育て上げるつもりなのかもしれない。


「ちょっと待ってください! いきなり三十周は流石に厳しいですよ、せめて十周⋯⋯でもキツイけど、それに制服と革靴で走りにくいし」


 そう抗議するが、俺が反抗することは読まれていたらしい。

 グスタフさんは「問題ない」と秒で返し、俺の前にすっと何かを差し出す。

 ランニングシューズとストップウォッチ機能付きの腕時計だった。


「用意周到ですね⋯⋯」

「制服はジャケットだけ脱いで走るといい。ディオスガルグの制服はいついかなる時も戦闘状態に入れるように、通気性が良く熱を放出しやすい素材で作られている。また特殊加工が施されているので多少の攻撃や衝突で破れるなどということもない。安心して走れ」


 流石全世界に誇れるディオスガルグの技術、と言いたいところだが、今は全く賞賛できる気分ではない。

 やらなくて済む理由を片っ端からつぶされていく。

 それでも俺が渋っていると⋯⋯、


「新人に加え、人間の学生であることを考慮して初級レベルにしてやったんだ。ツベコベ言わずにさっさと走れ!」


 物凄い威圧感で睨みをきかされる。

 怖すぎる⋯⋯!!

 俺は仕方なくジャケットを脱ぐと準備運動を始めた。伸脚と屈伸で足の筋肉を伸ばしていく。次に腕と首を回していく。段々と血の巡りが良くなってきた感覚がした。


「念のためこちらでもタイムを計測しておく。ラスト十周と五周、一周のところで私が声をかけるから、それまで構わず走れ」


 マジで走るのか⋯⋯。

 正直なところ認められるまで拒否したかったが、口にはせず俺は仕方なくスタート位置に立った。

 流れ的にも絶対許してくれなさそうだったし、一応これも仕事の一環だ⋯⋯と思うようにした。

 割り切るのは大事だ。これぞ円滑に物事を進めるための極意。

 実際は、あまりしつこく拒否してさらなる無茶ぶりを吹っ掛けられるのが嫌ってだけなのだが⋯⋯。


 橋雪さんは、本当にとんでもない人を紹介してくれたもんだ。

 

「ホイッスルの合図で始めろ」

 

 ストップウォッチを持ったグスタフさんがスタート位置の近くに立つ。

 大柄なグスタフさんの大きな手に握られたストップウォッチは小さく見えた。


 バクバクと心臓が鳴る。短距離でもマラソンでもスタート位置に立つ時は妙に緊張する。

 この感覚はどうにも好きになれない。

 そんなことを考えていたらピィィー! と甲高いホイッスルの音が鳴った。

 俺は反射的に足を動かし、慌てて走り出した。




「ぜーぜー⋯⋯はぁ⋯⋯死ぬ、無理⋯⋯おぇッ」


 ゴールの線を踏んだ瞬間バタリと芝生の上に倒れ込んだ。

 これ以上は限界だ。半分くらいで体力は尽きかけていたが、飛んでくるグスタフさんのほぼ怒号のような励ましもあり、三十周をなんとか走り終えた。

 

 終盤になるとほぼ歩いているくらいのスピードだっただろうがやり切ったことに変わりはない。

 帰宅部員休日は自宅勢の俺がよくやったと自分で自分を褒め称えたい。


 仰向けになり口から空気をめいいっぱい吸い込んで吐く。それをひたすら繰り返していると、徐々に呼吸が落ち着いてきた。

 芝生の青い匂いと、ひんやりとした空気が心地いい。


「ここへ来てからより顕著に感じるようになったが、人間という種族は本当に体力がないな」


 グスタフさんがグラウンドに倒れたままの俺を見て、独り言のように呆れたため息を漏らす。

 これは後から知った話だが、グスタフさんはドイツ人で元々軍に所属していた軍人だったらしい。


 つまりグスタフさんも人間だ。それを聞くと、その体格や鍛え上げられた筋肉には納得だが、どうやら人間という種族全体で見てもグスタフさんは特別運動能力に優れているようだった。

 そんな人の価値基準で平凡男子高校生の俺を測られても困る。

 

「まあいい。ランニングはお前の力を測るためのものだ。結果は概ね私が予測した通りだった。お前は戦闘に向いていないようだ」


 そんなこと走らなくとも分かるだろ! と文句を言いたいが、もう走った後だ。終わったことに今更ケチをつけても仕方がない。

 だが、無駄に走らされた感が否めない。

 まだ少し息を切らしながら俺は腕をついて立ち上がる。


「さっきも言ってましたけど、戦闘って単に護身術を身に着けるわけじゃないんですか?」


 身を守るための最低限の力。それは俺がディオスガルグ監獄の職員ではなかったとしても、持っていて損はないものだ。

 平和な日本だって、いつ通り魔や泥棒なんかに遭遇するかは分からない。

 そうでなくても、何かの拍子に絡まれて暴力でも振るわれようとした時、抵抗できる術があれば被害を防ぐことができるかもしれない。

 てっきりそういうことだと思っていたが、違うのだろうか。


「お前は確か初日にオークに襲われたそうだな」


 どうやら例の一見はグスタフさんにまで伝わっていたようだ。


「はい」


 あの時、自分が戦えたら室町さんに助けられる前に、オークを止めることができたかもしれない。

 もし再び何かの間違いがあって、獄卒獣に襲われた時、魔法とまでは言わずとも、何かしら戦うすべがあれば対処できる。


「もちろん護身の意味も含んでいる。だが、それだけではない。それが軍事部の存在に大きく関わる。軍事部が何故存在しているか分かるか?」

「万が一の時のため⋯⋯ですか?」

「そうだ。その万が一とは外敵の侵入、監獄内部の反逆者による暴動、集団脱獄、管理下生物の暴走など。

 監獄職員はいついかなる時もこれらの非常事態に備えておく必要がある。もし連携の不十分や力量不足により対応が一瞬でも遅れれば、被害は想像を絶するものになる。

 天界はもちろんのこと、魔界や精霊界、人間界もただでは済まないだろう。そのような事態は絶対に避けなければならない。

 その時、人間だから役に立てませんは通用しない」


 六世界から集められた囚人が、集団で脱獄する事態となれば一体どんなことが起きるのか。

 ガーゴイルやヘルハウンド、オーク。他階層の獄卒獣が一斉に暴れればどうなるか。

 想像することすらおぞましい、この世の地獄だ。

 平和な世界は一瞬にして悪夢へと変わってしまうだろう。


 監獄は俺にも戦力となることを求めている。

 魔法が使えない、他種族に力で劣る⋯⋯それは事実ではあるが言い訳にはならないのだ。

 自分自身を守るためだけでなく、監獄を守るために学べということか。


「無論、人間は魔法が使えないため戦闘の大半は武器に頼ることになるだろう。西条、何か思いつくか?」

「武器⋯⋯ですか? やっぱり銃とか、剣とかですかね」


 思いついたものを取りあえず言ってみる。

 武器と言われてパッと出てくるのはやはりそのあたりだろう。


「銃か⋯⋯悪くはないが、遠距離で確実に当てる技術と接近戦に持ち込まれた時に臨機応変に動ける判断力も必要になる」

 

 グスタフさんは思考するように腕を組んだまま斜め下へ視線を向ける。


「だが剣なら接近戦で対処できる。魔道具化すれば遠距離でも可能か⋯⋯剣の心得はあるか?」

「学校の体育で剣道はやったことありますけど、素人みたいなもんです」


 体育でたった一時間の練習を数回やったからといって武道の心得が身につくはずはない。

 経験があるとはあまりいえないだろうが、一応答えておいた。


「いいだろう。だが、剣術を学ぶにしても体力と筋肉量、瞬発力の面で不安が残るな。お前が相手する者の多くは魔法を使ってくる。魔法には遠距離も近距離も関係ない。それを防ぐのが防御魔法だが、私たちのような人間は盾を使うか、自分で避けるしかない」


 魔法を避けるイメージなんて全く想像できない。それもどこから放たれてどこへ発動するのかが読めない一瞬のうちにだ。できるようになるには相当の経験とセンスがいる。

 少なくとも今の俺にできるはずはない。


「防御面については武器と合わせてこちらで考えておこう。だが、どのみちまずはお前自身を鍛える必要がある。その腑抜けた体では重い剣を振り続けることはもちろん、成人男性一人を相手にするのもやっとだろう」


 グスタフさんが続ける。


「明日から毎日十五時にここへ来い。お前を徹底的に鍛え上げてやる。——さあ、次は上体起こし百回だ!」


 どうやら俺のビルドアップ計画が始まってしまったようだ。


「百回!? っていうかまだやるんですか!?」

「当たり前だ。初めに特訓メニューに取り組んでもらうと言ったはずだ。まさかランニングで終わるとでも思っていたのか?」


 思ってましたよ!

 怒りと絶望でギリギリと拳を握りしめながら、俺は再び仰向けに寝転がり、足を体育座りの時のように立てる。

 一回、また一回と身体を起こす。腹に力が入っている感覚がする。普段使わない筋肉が動いているのだ。

 だがランニングで疲れた身体で百回もできるはずはない。ランニングの時のように身体を起こすスピードは徐々に減速していき、持ち上げる動作も小さくなっていく。


「もっと身体を起こせ! もうワンセット追加されたいか!!」


 鬼教官過ぎる。

 俺はだらだらと汗を流しながら必死にグスタフさんの特訓メニューに取り組んでいった。

 さようなら、俺のぷよぷよな腹と腕。


 ようやく鬼の特訓が終わった⋯⋯というか終わらせてくれた時にはすっかり日も暮れていた。

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