21 拷問はお好き?
ディオスガルグでの生活も一週間が経ち、研修期間はひとまず区切りを迎えた。
とはいえ初日に合意書にサインしていたから、特に事務的な手続きもなく、正式に監獄の職員として迎えられた。
なのになぜ今、俺は――――
「誰か止めてくれー!!!」
絶賛巨大岩石に追いかけられていた。
――死ぬ死ぬ死ぬ!!
崖から次々と落ちてくる巨大岩が急斜面を勢いよく転がってくる。もちろん岩が勝手に止まってくれるわけもなく、俺はひたすら逃げるばかりだった。
だが当然人の足が岩の落下速度に勝てるはずはない。おまけに足場がデコボコしているせいでかなり走りづらい。
その距離はみるみるうちに縮まり、今にも踏みつぶされそうな状況。
「なんで俺たちだけじゃなくて職員まで追いかけられてるんだよ!?」
「知る訳ないだろ!? 俺だって追いかけられたくて追いかけられてるわけじゃないんだ!!」
囚人たちも必死に落石から逃げながら同じように逃げている俺に疑問を抱く。その疑問は至極当然だろうが、むしろ俺の方が知りたい。
「室町さーん!! 助けてくれぇぇぇぇーっ!!」
我ながら情けないとは思うが、全力でどこかにいるであろう室町さんへ助けを求める。
岩はすぐそこまで迫っている。
「へへっ、お先!」
一緒に走る囚人はみな悪魔や妖精などの異種族だ。
魔法を使えないように特別な枷を付けられているとはいえ、身体能力は人間よりも遙かに優れている。俺より後方にいた囚人たちも次々に俺を追い抜かしていく。
悔しさと絶望を感じながら懸命に逃げている時だった。
――ガゴッと岩がぶつかり砕ける音が鳴り、転がる音が突如消えた。
嫌な予感がして僅かに振り返って見てみると岩が宙に浮いていた。斜面にできた突出部分をジャンプ台に勢いをつけて飛び上がったようだった。頭上に影が覆いかぶさる。
「おいおいマジかよ!?」
「うわああああ—!! 誰かどうにかしろぉぉぉー!!」
こうなると前も後ろも関係ない。囚人と同じく悲鳴を上げながら死に物狂いで足を動かす。
その時――――
「『百華妖術――氷槍』!」
離れた位置から放たれた槍のように鋭い氷。
それが見事、次々に岩石に突き刺さり、そしてバラバラに砕け散った。雨のように大小の岩石が降り注ぎ、俺は頭部を守るようにかがんで両手で頭を抱え込む。
岩の雨が止むとホッと息をついて天を仰ぐように倒れ込んだ。
「マジで、今度こそ死ぬかと思った⋯⋯」
「大丈夫でしたか!?」
斜面を降りてきた室町さんが慌てて駆け寄る。
「何とか」
また室町さんに助けられてしまったな。
「ゲートの着地点にバグがあったようです。本来はフィールドを展望する観測地点に繋がっているはずなのですが⋯⋯」
七区へ再び訪れた俺たちは囚人たちが拷問場へ連行されるのに同行し拷問場へとやってきた。
白亜の門の中にある三つのゲート。いずれのゲートも拷問場となるフィールドへ続いているが、俺たちはそのうちの一つ、第三ゲートを通りやってきた。
だがゲートを通った先、俺が辿り着いたのは崖の下に続く急斜面のド真ん中だった。そして崖から落ちてきた岩に追いかけられる羽目になったというわけだ。
室町さんの言う感じだと、俺があんなところに飛ばされたのはゲートの不具合だったらしい。
俺、ここに来てからこんなんばっかりだな。トラブルを引き寄せる体質でも持っているのだろうか。
「機器管理部に調整してもらいましょう。西条さん立てますか?」
「あ、ああ。全然大丈夫」
地面に座り込んでいたことを思い出し立ち上がる。
「ここは岩石が落ちてきて危ないので移動しましょう」
拷問場第三ゲートが繋ぐ複数あるフィールドのうちの一つ、『岩責め地獄』と呼ばれる崖のエリア。
四方を崖に囲まれたフィールドにはそのあちこちに似たような足場の悪い斜面がのびている。
フィールドに連れてこられた囚人は四方の崖から落ちてくる巨大岩石に追いかけ回されることになるという非常に悪趣味な拷問⋯⋯いや、刑罰だ。
岩に追いかけられる拷問ってのはこれのことを言っていたようだ。まさか自分が体験することになるとは思わなかった。
もちろん、本来ならば体験することもなかったはずなのだが⋯⋯
室町さんの案内で安全な観測地点へと向かう。崖の上にある観測地点からは広大なフィールド内を一望できた。
洞窟のようなところから次々に同じような大きさの岩石が、送り出されるように飛び出し崖の下の斜面へと落ちていく。
岩から逃げる囚人たちは踏みつぶされないようにと斜面を下へ下へと逃げていくが、その先は奈落へと続く崖だ。底なしの崖から落ちれば悪魔であろうとひとたまりもないだろう。
だが踏みつぶされるよりかはマシだと考えたのか逃げ場を失った囚人たちは次々に奈落へと落ちていく。
いくつもの叫喚が残響のようにこだまして遠く消えていく。
こうして見ているだけでも背筋が凍るな。
「あんなところに落ちたら流石に死ぬんじゃないのか?」
「大丈夫ですよ。崖の下にはフィールド利用時に常に解放される転移ゲートがあるので、一定距離落下すれば自動的に崖の上に戻るようになっています」
ループ機能付きかよ。
これで囚人たちは岩に追いかけられては崖から落ちてまた岩に追いかけられる絶え間ない責め苦を味わわされるわけだ。
考えた奴はまともじゃないな。
誰かも知らない発案者に内心ドン引きながら、哀れな囚人たちを観察していると室町さんが提案する。
「拷問場に入れる機会は滅多にないのでこの機会に他のフィールドにも行ってみましょうか」
「もうお腹いっぱいなんですが⋯⋯」
正直全く乗り気ではなかったが、当然俺の意思が尊重されるわけもなく、重い足取りでゲートへ向かった。
いまだかつてこんな数の悲鳴を聞いたことはない。
頭上まで降ってくる針山、灼熱のサウナ、剣を持った全身鎧との鬼ごっこ――三階層の拷問の種類は豊富だ。
俺たちが見たのはほんの一部らしいが、疲労感が物凄い。主に精神的な方の⋯⋯
「お気に入りの拷問はあったかしら?」
三階層拷問場の門番である獄卒のザミアさんが妖艶な笑みを浮かべながら問う。
「⋯⋯ないです」
げっそりとしながら答える。
「ふふ。随分とお疲れのようね」
「そりゃ、あんなの見せられたら人間なら全員こうなりますよ」
地獄とはまさにこのこと、軽く鬱になりかけた。囚人は毎日あの責苦に耐えているのか。
そりゃ拷問を受けて当然の事をしたのだから正当な罰なのかもしれないが⋯⋯とても人間界の常識じゃ考えられない。
だが人間界にも、似たような拷問が行われていた歴史は存在する。
鉄の処女に苦痛の梨など、誰もが一度は聞いたことがあるような器具による拷問。日本でも釜茹でや、首を晒す獄門など、死んでからも苦痛を味わせる拷問や処刑が行われて来た。
今じゃとても考えられないが、確かに黒い歴史として現代にまで伝わっている。
ディオスガルグではそれが現在まで行われているというだけの話。
だが到底易々と受け入れられる話ではない。
そんなものとは無縁の平和な世界に生まれた俺のような人間が、日常的に拷問が行われているこの環境に適応するなんて出来るのだろうか?
それともいつか慣れてしまって、当然のように振る舞えるようになるのだろうか。
そうなった自分を想像すると少し複雑な気持ちになった。
室町さんは司令部の仕事に戻った。
この一週間、本来の司令部の仕事をセーブして俺に指導してくれていたのだ。常識の欠片も分かっていない俺に一から指導してくれた室町さんには感謝しかない。
室町さんに感謝の言葉を伝えた後、俺は休憩を取ることにした。
ディオスガルグでは与えられた仕事をこなせば、後は自由にしていいという風になっている。
例えば獄卒獣の世話を職務とする警備部の職員は獄卒獣の餌や管理場の清掃など決められた仕事を定刻通りに行えば後は自由時間となる。監獄全体で定められた勤務時間は長いが、実際に働いている時間は人によってそれぞれだ。
俺のような研修扱いの職員の勤務時間は片手で数えられる程度の時間にしかならない。
ただそれ以上に精神と体力面でかなりこたえる。
絶対何キロか体重減ってるな。
「ふう⋯⋯」
一息つき、職員寮へ戻ろうとした時だった。
『お呼び出し致します。三階層の西条鷹梨様、地上一階層エントランスへお越しください。繰り返します。三階層の西条鷹梨様————』
なぜ監内放送で俺の名前が呼ばれている?
しかも地上一階層。意味が分からん。何かしたっけか?
唐突な監内放送で繰り返される呼び出しに困惑していると、後ろから声がかかる。
「こんにちは。西条鷹梨くんで間違いないかな?」
見るからに好青年が現れた。腕章は赤だから三階層の職員であることは間違いないが⋯⋯
「え⋯⋯っと、どちら様でしょう?」
「これは、申し訳ない。僕はフィリエス。三階層副看守長をしている」
そんな俺の困惑を読み取ってくれたようで、申し訳なさそうに眉を下げ自己紹介する職員。
副看守長が一体俺にどんな用があるのかと思ったが、フィリエスさんが俺に声をかけたのはこの監内放送が理由だった。
「君を案内するよう頼まれてね。突然放送で名前を呼ばれて驚いただろう」
室町さんか? と一瞬思ったが、三階層の職員なのだから頼んだ相手は橋雪さんだろう。
少し身構える。
橋雪さんのことだから、俺を補佐として鍛えるために何かを考えてくれているのかもしれないが、その内容が不安過ぎる。
「それなんですけど、地上一階層に呼ばれるような覚えがなくて、一体何の用なんですか?」
地上一階層といえば監獄の運営部署が集まっている階層だ。
初めて監獄に来た時に見た光景を思い出す。あの時は異世界と異種族の存在にただ感動していた。それは不安を打ち消すほどの眩しさで、目に映る全てが輝いて見えた。
「軍事部だよ。君に稽古をつけてくれる人に会わせようと思ってね」
「稽古?」
またもや嫌な予感が的中しそうだ⋯⋯。
◇ ◇ ◇
地上一階層はいわばエントランスフロアだ。そしてこの階層には多くの部署が集まっている。
一週間ぶりに訪れたが、前の時と変わらず職員たちが慌ただしく行き交っている。
三階層はどちらかというと静かな、それこそ監獄らしい重苦しい雰囲気が漂っているが、人通りが多く様々な声が飛び交う地上一階層は、まさにオフィスフロアのようだった。
「お待たせしました。彼が西条君です」
目的の人物を見つけたフィリエスさんはその人物の前で立ち止まり、後方にいた俺に手を向ける。
「西条君、この方は軍事部で自警団を率いる団長のグスタフ・ヴァルツァー殿だよ。今日から君を訓練してくれるお方だ」
グスタフと紹介された団長さんはヨーロッパ系を思わせる彫りの深い顔立ちでガタイの良い男だった。かなり鍛えているのだろう、制服越しでもその筋肉量がうかがえる。制服が少々きつそうだ。おまけに百八十は軽く超えるだろう身長のデカさで威圧感が凄い。
絶対に喧嘩を売りたくない相手だ。仮に売れたとして、魔法があっても勝てるイメージが出来ない。筋肉の『き』の字もない俺なんて間違いなく一捻りだ。
「お前が西条か」
グスタフさんは頭のてっぺんから足の先まで俺を観察する。その瞳が鋭く、一切の隙がないのでそんな目で、ジロジロ見られるとかなり居心地が悪い。
橋雪さんは親切にもこの人に俺の訓練を頼んでくれたようだ。
正直もう帰りたい⋯⋯
だって絶対ロクな目に逢わないだろうし。
「教えることは山ほどありそうだな。簡単にはいかないぞ」
「橋雪長官も承知の上でしょう。では僕はこれで」
目を伏せがちにしてグスタフさんが言うと、フィリエスさんはやんわりと頷き、そして何処かへ行ってしまった。
どうやら本当に俺を案内するためだけに声をかけここまで連れてきてくれたらしい。
良い人だというのは分かったが、できればそのまま俺も連れて行って欲しかった。
こっそりついて行ったら見逃してくれないだろうか。
「天空競技場へ向かう。ついてこい」
天空⋯⋯? どこだよそこ、と思いつつも俺の反応には一切興味がないようでグスタフさんは足の向きを変え構わずに歩き出す。
俺は内心激しく拒絶しながら、トボトボとグスタフさんについて行った。
今日は休めそうにないなと早々に悟る。