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20 研修開始

「八区には武器庫や警備部などの施設が多く存在しています。警備部は昨日訪問しましたね」


 警備部にはオーク事件の後、状況説明のために訪れたが、ほとんどおしゃべり吸血鬼ことフィンセント警備部長の話を聞くだけの時間だった記憶がある。

 思わず苦笑いした。


 警備部と表記されたプレートのかかった扉。

 フィンセントさんは今日もあの部屋で逆さまになっているのだろうか。


 八区は昨日既に訪れていたので、見知った光景に室町さんの補足説明を付け足していく。

 ただ、管理場や収監所とは違い、八区には倉庫などの機密情報を管理する部屋が多いため、どれも通り過ぎるだけで入ることはなかった。


 そして度々話題に出ていた他階層への移動手段、階段はこの八区にあった。

 七区を通り過ぎ、三階層最奥の角部屋である警備部へ行く廊下を横にそれるように通路が続いていた。

 階段はその奥にあるようだ。上下に続く階段からは冷たい空気と共に花の甘い匂いが漂ってきた。


 三階層の匂いではないので上の二階層か、その下の五階層からだと思われるが、どちらにせよとても監獄に似つかわしくはない匂いだ。

 だがディオスガルグならおかしくはないのかもしれない。

 ここは常識では測れない奇想天外なことが起こる場所だとそろそろ俺も理解してきた。



    ◇     ◇      ◇

 


「ひとまずこれで案内は終了になります」


 食堂の前に戻ってくると、室町さんが振り返り言った。


「全てではありませんが、大体三階層のことが分かっていただけたのではないでしょうか」

「ありがとう室町さん。これで迷わずに済む」


 少なくとも今回の案内で囚人と鉢合わせや獄卒獣の群れに遭遇、なんてことは起こるはずがないと分かった。

 夜間警備を任されている獄卒獣はともかく、収監所に行くには通行許可がいるようだし。

 時刻を腕時計で確かめる。もう十二時だった。


「十二時か、室町さん腹減ってたりする?」


 続々と職員たちが腹を満たしに昼時の食堂へ入っていく。

 それを見て室町さんも決めたようだ。


「お昼にしましょうか」


 注文後ほどなくしてビーフシチューが運ばれてきた。

 正確に言えばビーフシチューではない別の魔界肉のシチューだったが、見た目も味もほとんど変わらなかったので一瞬で平らげることができた。


「午後の予定ですが、清掃の手伝いと情報書類の確認、そして再び獄卒獣のお世話をして貰おうと考えています」


 補佐官としての仕事はまだだが、その前段階のようなことをさせておきたいということらしい。


「西条さんに確認してもらうのは三階層内から上げられる内書類と呼ばれるものです」


 設備修理の依頼や物資の補充、職員の入室許可申請など、三階層内で完結するものは内書類、別階層や部署への依頼や申請など三階層以外が関わるものは外書類と呼ばれているらしい。

 ゆくゆくはそういった重要な書類にも目を通して処理していかなければならないのか。


「清掃は本来衛生部の職員が担当していますが、そういった仕事をこなすのも補佐官には必要な経験だと橋雪長官もおっしゃっていたので」


 確かにあの人なら言いかねないが⋯⋯


「思ったんだが、そういう掃除とかも魔法でパパっと出来たりしないのか」


 食堂では効率化のために注文は魔道具のペンと紙で行われている。

 それなら同じ要領で掃除も魔法のかかったモップや箒で終わらせることも可能なんじゃないだろうか。

 もちろんサボりたいからという訳ではなく、単純に疑問に感じた故の質問だった。


「掃除用魔道具の使用は多くの階層で取り入れられています。言わずもがなですが、魔道具を使った方が効率が良いので。ですが、三階層では魔道具よりも職員主体で行われているようですね」


 室町さんが続ける。


「清掃に限らず、多くの作業が職員の手によるもののようです。各階層の業務体制は階層長の意向が色濃く表れるので、これも恐らくは橋雪長官の方針かと」


 獄卒獣による警備を夜間に限定し日中は職員に担当させたり、橋雪さんはどうやら極力人の手で行うことを重んじているらしい。


 つまり、橋雪さんはデジタルよりアナログ派ってことだ。

 え、ちょっと違う?


「いっちょやってやるか」


 だが、ここで仕事が出来るアピールをすればあの橋雪さんも見直すかもしれない。

 橋雪さんの態度や発言からして、俺に大した期待を抱いていないのは明らかだ。

 内容はいわゆる雑務だが、何事も最初が肝心。重要度は関係ない。ようは結果だ。

 舞い降りてきた気合が失せないうちに俺は立ち上がった。



   ◇     ◇      ◇



「つ、疲れた⋯⋯」


 かれこれ数時間、ひたすら床や壁を磨くことに熱中していた俺は、遂に任務を遂行し机に突っ伏した。

 意気込んだはいいものの、これは思ったよりもハードだ。広い階層内を隅から隅まで手作業でとなるとかなりの体力と根気を要する。


 幸いなのは階層内が大きな汚れもなく清潔に保たれていたことだが、それでも足腰と腕が限界だ。

 伊達に万年帰宅部ではない。

 衛生部の職員たちはこれを毎日やっているようなのだから尊敬でしかない。


「お疲れ様です、西条さん」


 そう言って室町さんは俺の前に水の入ったグラスを差し出してくれる。


「ありがとう⋯⋯」


 礼を言い、俺は中に入っていた水を一気に飲み干した。


「生き返る~っ」


 労働の後の冷えた水はこんなにもうまいものなのか。


「本来衛生部の職員が分担してやる仕事を、一人で終わらせるなんて凄いですね」


 素直に感心した様子の室町さん。

 俺、もしかして初めて褒められたんじゃないか?


「有言実行、日本男児たるもの一度決めたら最後までだ」


 と強がり半分のなんともダサいドヤ顔を見せるが、魔界育ちの室町さんは言葉のまま受け取ってくれたらしい。


「良い心がけですね」


 何だかむず痒い気持ちになってきた。

 二杯目の水を半分まで一気に飲み、長く息を吐いた。


「少し休憩したら事務室に行きましょう。今からなら二時間もあれば終わるでしょうし、その後夕食を挟んで管理場に行けばちょうど獄卒獣の餌の時間になります」


 そうだ、まだ書類と獄卒獣の世話があるんだったな。

 掃除だけでもかなりの疲労だ。そこに書類の文字列なんて見てたら間違いなく眠くなるだろう。

 体育の後の国語や歴史の授業みたいなものだ。身体を動かし疲れ切った生徒たちが幾人も机の上に崩れている光景は何度目にしたか分からない。


 ――よし、頑張るか。

 突っ伏した顔を上げて俺は両頬を叩き気合いを入れる。これ以上室町さんに情けない姿は見せられない。

 彼女は俺の指導係を引き受けて付きっきりで見てくれているが、彼女にも本来の所属である司令部の仕事がある。それなのにわざわざこちらを優先してくれているのだ。

 一人前とはいかないまでも、せめて室町さんの手を煩わせるようなことはしたくない。


 ――と頑張ったは良いものの、案の定書類確認は眠気との戦いだった。

 何度も夢の世界に誘われそうになるのを何とか堪え忍び、ようやく事務室から解放される。

 長時間のデスクワークで硬くなった腰と腕の筋肉を伸ばしながら食堂へ行き、夕食にありつくと、また息を吹き返して管理場へ向かう。

 二回目ともなればそれなりに要領も掴めるようになり、何度か腕ごと喰われそうになりながらも特に大きな問題もなく餌やりは終了した。



   ◇     ◇      ◇



「本日もお疲れ様でした」


 室町さんから労いの言葉をかけられ、俺も感謝の礼を伝えると司令部へと戻っていく室町さんを見送り、寮内の自室へと戻った。

 本来の就業時間は二十一時までだったが、この一週間は研修のような立場のため二十時には上がれることになっている。

 そういえば今日は橋雪さんに会わなかったな。ジャケットをハンガーにかけながらふと思った。


 やはり階層長ともなれば普段の仕事も忙しいのだろう。

 それに加えてオーク事件⋯⋯あれから何か進展はあったのだろうか。

 俺たちが会議室を後にしてから、重要な話が行われていたそうだが、その内容は知らない。

 あの件について何か口にしている職員も周りには一人もいなかった。だが話すまいと口を閉ざしているようにも見えなかったし、むしろまるで何事もなかったかのように皆が平然と仕事に取り組んでいるようにまで思えた。


 もちろん、以前の様子を知らない俺がただ変化に気づいていないだけの可能性もある。

 襲われた時にいたあの職員達もオークを見て身動きが取れなくなったぐらいなのだし、監獄側もこの一件を【非常時レベル4】に当たると判断した。


 ただごとでないのは間違いない。でも今日一日何事もなく過ごせたわけだし、室町さんの言う通り俺が首を突っ込んで行って何かしらが解決する様な話ではないのは確かだ。

 今は事件の事よりもこの生活に慣れることを優先しよう。


 息をつき肩の力を抜く。しかし朝から晩まで仕事は流石に疲れた。風呂に入って早く寝よう。

 大きなあくびをしながらバス用品を手に取り部屋を出た。

 今日もまだ同室の職員は帰って来ていないようだった。

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― 新着の感想 ―
Xの方から伺わせていただきました。 かなり理不尽な展開で監獄勤めになった主人公ですが、なんかわりかしすんなりと労働環境に慣れてゆきそうな、なんだかんだうまくやってゆけそうな気配を感じるので、ちょっと…
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