16 賽の目は投げられた
時は少しさかのぼり、時刻は十七時十五分。
二人の若き職員が退出し、会議室の扉が閉められた。
「で、そろそろ本題を教えてもらおうか。あの坊主と嬢ちゃんもいなくなったところだしな?」
しばしの沈黙を破り褐色肌の職員、シトリアが言う。
「シトリアさん、意地が悪いですよ」
「だってそうだろ。証言者がいると聞いたから期待してみれば、あの坊主が言ったのは当事者じゃなくとも分かるような見たままの光景だ。まさかそれだけを聞くためにあたしらを呼び出した訳じゃないだろ」
正面に立つ進行長を見る。黙り込むその様子に確信したようにニヤリと笑った。
「これに関しては、僕もシトリア階層長に賛成ですよ。この映像には違和感がありましたから。始めから見せてもらえますか?進行長」
口調は極めて穏やかだがその瞳には有無を言わさぬ圧がある。銀髪に眼鏡をかけた職員の言葉に驚く者も否定をする者もいなかった。
この場にいた全員が、西条鷹梨という新人職員がオークに襲われている映像を見てそのことに気づいていたのだ。
流石各階層、各部を指揮する長たちといったところか。
勿論言及されるであろうことはこちらも予測していたので召集の際、敢えて映像を切り取った事を伝えなかった。
あくまでも形式的なルールとして目撃者の存在があれば証言をさせるという決まりがあるため、あの二人を呼び出し証言させ、早々に退出をさせた。
進行長はゆっくりと口を開く。
「勿論そのつもりでございます」
ここからは例え襲われた当事者であったとしても、彼らが踏み込むことのできる領域ではない。そして、彼らに知られるのは時期尚早だと判断された。
スクリーンが切り替わり新たな映像が始まる。
三階層三区——事件現場となった場所。しかしさっきまでの様子とは少し違う。そこにはまだ何も映されてはいなかった。
一秒、また一秒時間が過ぎていく。映像に音はないため室内は一気に静寂に包まれる。三階層のフロアをただひたすら映すこと十数秒。誰かがあっと声を漏らした。
スクリーンに映されたフロアの映像。そこに突如小さい物体が現れたのだ。中空に浮かぶ物体はゆっくりと回転し、淡い光を放つ。
そして次の瞬間、その物体があった場所からオークが現れた。
音はなくともドシンと激しい振動が伝わるようだった。
カメラが振動に揺れ、映像が僅かに乱れた。
オークはおぼつかない足取りで左右に巨体を揺らしながら歩き出す。
そこからは先ほども見たものと同じだった。
西条鷹梨をその視界にとらえたオークは、先ほどまでの状態が嘘のように瞬時に血相を変えた。
血走った眼で視線の先にいる西条に興奮したように襲い掛かる。
その様子は明らかに異常だった。
そして室町長官補佐が救済の魔法を放ちオークが凍りついたところでまた停止させた。
ここからは語る必要もない情報だからだ。
動揺が伝播している。進行長は誰かに指示される前に映像を巻き戻しオークが現れる前、すなわち小さな物体がフロアに現れたところで再び止めた。
誰もが驚きを隠さず食い入るようにスクリーンの映像を凝視する。
進行長は一足先に映像を見ていたので驚くことはないが、初めにこれを見せられた時の反応は同じだった。
「何だこれは、サイコロ?」
誰かが言った。
「何だって?」
拍子抜けしたような声だった。
それもそのはずだろう。ただの玩具であるサイコロがここにあるはずはない。
「映像はたった今お見せしたものが全てです。突如三階層フロアに謎の小さな物体が現れ、その直後オークが続いて出現しました。この小さな物体はご指摘がありました通り、サイコロです。ですがただのサイコロでないことは皆さまお気づきの通りでございます」
我ながら嫌味な言い方だとは思ったがその一言で全員が思い当たったようだ。
「特殊対策部分析班の解析によると、このサイコロは魔道具の類であろうとのことです。サイコロの出所は不明ですが、犯人が個人的に所有していた物か、もしくは三階層遊戯室にあった物である可能性が高いとおっしゃっています」
対策部から上げられた資料にはサイコロの拡大写真が載せられている。スクリーンにも同様のものを映しておいた。形状が遊戯室にある物と一致するかはまだ解析中だったので断定はできないが、恐らくは当たりだろう。
古今東西、魔界を中心に集められた備品の多い三階層だ。魔道具のサイコロがあったとしても不思議ではない。
「ということは誰かが魔道具のサイコロを使ってオークを三階層に転移させたということですか?」
ぼんやりとした声の割に遠慮なくそう発言したのは四階層階層長代理の嵯夜だ。
「空間転移魔法を使ったってことかよ!? まさか囚人がか!?」
身を乗り出す赤髪の職員。今にも誰かに掴みかかりそうな勢いだ。
若く優秀だが、少々血の気が多いのが彼の欠点だな、と進行長は内心冷ややかな目線を送る。
「あの、階層と階層の間には一切の魔法を通さない超強力な妨害魔法が張られているはずです。あり得ないのではないですか?」
「じゃあこのオークはどうやってここへ来たってんだ」
その近くに座っていたアイスブルーの髪の職員が務めて冷静に、挙手をしながら反論し、それに赤髪の職員が噛みつく。
少し場が荒れてきたことを感じ取ると進行長は一つ咳払いした。
途端に元の静寂が取り戻された。
「フェルナーデ様のおっしゃる通り、当監獄では地上二階層から七階層まで例外なく、階層間には魔法を一切通さない妨害魔法壁が張られています。
魔法感知器によると確かにこの時間帯三階層で使用された魔法の中には空間転移魔法の記録がありましたが、御周知の通り、魔力は使用されたその瞬間ならば探知は可能ですが、足跡のようにその場に痕跡が残り続けるものではございません。
使用されたサイコロの魔道具はその後消失。よって魔道具から魔力解析を行うことも不可能となり現時点で術者は不明です」
「おそらく、サイコロは持ち主のところへ戻ったのでしょうね」
無機物のみに作用する帰還記憶魔法。これを使えば遠距離にある物も瞬時に自分の手元へ戻すことができる。
「サイコロが魔道具として使用された事は分かりましたが、なぜ一階層のオークを三階層に転移させることが出来たのでしょう」
そこで一同はまた黙り込む。
現時点で我々が解明すべき要点の一つ、つまり一階層の獄卒獣であるオークが三階層へ転移できた理由。
これを突破するための鍵は主に三つ。それは、犯人も同様に実行に際して解決しなければならない問題にもなる。
まず第一に妨害壁をどうやって突破するか、第二になぜ転移させたのが一階層のオークだったのか。
第三に魔道具のサイコロは果たしてただの魔道具だったのか、だ。
「そもそもの話ですが、仮に犯人が我が監獄の妨害壁をもろともしない空間転移魔法の使い手だったとして、それほどの魔力をあの小さなサイコロが受けることができたという点も不可解です。
常識的に考えて、それほどの魔法を使用するなら、もっと大きく硬度の高い魔道具が必要になるはず」
映像のサイコロはせいぜい三センチから四センチ程度。魔道具の中でも超小型の部類に入る。
通常そのような超小型サイズでは火炎魔法や凍結魔法などの中級魔法に使用されるのがほとんどで、妨害壁を貫通するほどの魔法には到底耐えられるはずもなく、仮に使用できても破壊されるか故障するのがオチだ。
しかし、あのサイコロはオークを三階層に転移させることに成功し、さらに、帰還記憶魔法により術者のところまで戻ることが出来た。
後者については証拠がある訳ではないのでただの憶測にすぎないが、オークを転移させた後の魔道具の行き場など限られているのだから十中八九正解だろう。
「一階層のカメラ映像はないのですか? オークが消える瞬間をとらえていれば何かヒントになるかもしれません」
銀髪眼鏡の職員が進行長に尋ねる。
「残念ながら。三階層にオークが現れた時間前後の一階層の記録は全て確認しましたが昨日のループ再生になっているようでした」
「細工されたってわけか」
「犯人は随分と用意周到なようだねぇ」
議論は再び行き詰まる。目頭に指を当て唸る者、天井を見上げる者。袋小路とはまさにこのことだ。
現時点で誰もこの事件の答えを見つけ出せていない。
そこで一人の職員が声を上げた。三階層階層長、橋雪奏十だった。
「少なくとも、犯人は監獄をよく知る者に間違いないだろうな」
彼はこの状況下でも冷静さを決して崩さず内の感情は読み取れない。
「犯人は念入りにこの計画を練り事に及んだ。オークの習性、警備状況、魔道具、そして転移魔法に対する相当の知識がなければ実行はまず不可能だ」
「それは⋯⋯どういう意味でしょうか?」
橋雪の隣の席にいる四階層代理の嵯夜が言う。全員が橋雪に注視する。次に彼が再び口を開くまで随分と長い時が経ったように感じた。
「犯人は三階層の職員、ということだ」
彼をまとう気配は鋭く、冷たくそして同時に燃え盛る炎のように熱く一瞬にしてこの場の空気を変えた。
◇ ◇ ◇
「なぜ、三階層の職員だと断言したのですか?」
会議は終了し、多くの職員たちはそれぞれの階層へ戻って行った。
橋雪も立ち上がり、執務室へ戻ろうとした時、残っていた銀髪の職員がそう言った。背中越しに視線を感じる。この男との付き合いは長い。
こうなることは分かっていたのだからもっと早くに退散しておけば良かったと後悔した。
「そう思ったからだ」
うんざりとした声色を隠しもせずに答える。
「答えになっていませんね」
何が可笑しかったのか、男はふっと笑った。
「事実を言ったまでだ」
「相変わらずですね、本当に貴方は言葉足らずだ。
歌衣を執務室に呼んでいる事を伝えていれば彼も外になんか出ず、オークに襲われることはなかったかもしれないというのに」
非難しているわけではなかった。そして、男の言うことも事実ではあるので橋雪も反論などしない。
執務室で西条に説明を行った後、職員寮へ案内し制服を試着させる予定だった。
しかし、それは叶わなかった。
あの時突然かかってきた電話。用件は武器庫の番をしている獄卒獣が暴走したから至急来て欲しいというものだった。
だが実際に行ってみると、武器庫には何の問題もなかった。
そして、問題はそれだけではない。
そもそも室町は十五時に執務室に来る手筈になっていた。
しかし結果的に室町は時間通りには来ず、そのタイミングで偽の電話がかかってきたというわけだ。
結局、彼女が西条のもとに到着したのは俺が出て行って数分後だったようだ。そしてオークは現れた。
電話や遅刻がどちらか一方であればまだ信じられたが、二つは同時に起きた。
どうにも出来過ぎている。
そこで、会議が始まる前、西条が更衣室で着替えてるタイミングで室町にその件について尋ねてみたが、どうやら三階層内を移動している際にちょっとしたトラブルに巻き込まれたようだった。
機材を運んでいた職員が転倒し、その際に箱を取り落とし、中に入っていた機材が散乱してしまったため回収を手伝っていたので遅れたのだと室町は申し訳なさそうに言った。
そして西条にもその事を謝罪しようとしていたので止めた。一見ただの前方不注意による事故だがタイミングがあまりに良過ぎた。
無論考え過ぎの可能性もあるため会議でもわざわざ報告はしなかったが、かといって安易に聞き流すことは出来ない。
もし転倒が無関係ではなかったとすれば、西条がオークに襲われたのは偶然ではないということになる。
ならば不用意な発言は慎むべきだ。
犯人は三階層の職員だと明言したが、手元にある情報は数少ない。
万が一あの場に犯人、もしくは犯人に通じる者がいた場合も考えておく必要があるからだ。
犯人は入念にこの計画を練り実行した。自分が発言した際のただならぬあの空気感を思い出す。
ずっと黙っている橋雪に男は不思議そうな顔をしてそしてため息をつく。
「レベル4。特殊対策部はそう判定しましたが、正直に言ってこの件はレベル6にも相当するでしょう。
犯人は三階層の職員であると断定した貴方に一体何が見えているのか僕には分かりませんが、この件は三階層だけの問題ではないということをお忘れなく。一階層は勿論のこと、二階層や四階層も例外ではない。これは監獄全体の問題です」
この男の言っている事はもっともだった。
ディオスガルグ監獄は脱獄可能率0%の鉄壁を誇る要塞。
妨害壁を突破した空間転移魔法の謎を解明できなければ監獄の安全性、機密性に重大な影響を及ぼす。 0%という絶対が崩れ去り、信頼は墜落する。
信頼だけならまだいい。ここは六世界から集められた囚人が収監される監獄だ。もし転移魔法が囚人に使用され、それが地上一階層にまで及べば一体どうなるか。
残虐性と強大な力を合わせ持つ奴ら囚人共が再び世に解き放たれればどうなるか。
想像することすらおぞましい地獄だ。
我々は絶対に防がなければならない。何としてでもだ。
橋雪の脳裏に犯人の姿が映る。今はまだ靄がかかり、その人相、体格すらも不明だ。
拳を握りしめる。
――必ず捕らえる。強い意思が立ち止まっていた足を動かした。
彼を呼び止める声はもうなかった。