14 全てはあなたが選ばれたという運命に
「私は推薦を受けてディオスガルグに雇用されました」
「推薦⋯⋯ってことは俺と同じ神界推薦?」
だが室町さんは首を振る。
「推薦は神界推薦の他にもいくつか種類があります。在職中の職員もしくは退職した職員など関係者から推薦を受ける内部推薦と各世界に点在する運営委員会による世界推薦。これはどの世界で推薦されたかによって呼称が変わります。人間界なら人間界推薦で神界なら神界推薦です」
しかし校長室や執務室で言われたように神界推薦は世界推薦の中でもさらに特別だ。
拒否権がないというのは散々聞かされた話だが、神界推薦に至っては悪魔や人間、妖精もその対象になる。
つまり被推薦者の種族を問わない。神が選んだ人材ならばもれなくディオスガルグの職員となる権利を与える。それが神界推薦の異なる要素だと室町さんは言った。
本来の推薦ならば魔族は魔界推薦、人間は人間界推薦という風に定められている。魔族は魔界に住んでいるのだし人間は人間界にしかいないのだから当然の話だ。
その理屈でいえば室町さんが受けたのは内部推薦か人間界推薦ということになる。
だが室町さんが次に言ったのは予想もしていない事だった。
「⋯⋯私が受けたのは魔界推薦です」
「はっ?魔界?!」
思わず身を乗り出した拍子にコップの水を倒しかけた。曇ったグラスの中の水が波打つ。
聞き間違いだろうか、そう疑ったが室町さんはあえてそうしているのかはっきりとした口調で言う。
「魔界です。二年前に魔界で推薦を受け、私はディオスガルグで働き始めました。当初から司令部に配属され、部長補佐になったのは半年ほど前です」
「魔界って、世界推薦はその種族じゃないと選ばれないんだろ?」
この事はさっき室町さん自身が言ったばかりだった。では何かのミス?書類上の記載ミスとかか?想像しにくい話だがあり得ないことではない。
だが魔界推薦を受けたのがミスではないのだとしたら随分とおかしな話になる。
そもそもの大前提の問題。室町さんは果たして人間なのか。
室町さんは察したのか自分は人間ですと言い、この疑問については解決した。しかし肝心の件については解決していない。
人間の彼女がどうやって魔界推薦に選ばれたのか、そしてなぜ魔法が使えるのか。
「あなたに話すのは円滑な職務遂行のためです。勘違いをされたままでは色々齟齬が生じてしまうでしょうから」
そう前置いて室町さんはゆっくりと目を閉じると再び開いて語り始めた。抱いていた疑問の答え。そして彼女がここにいる理由を。
「神隠しを知っていますか?」
彼女はまずそう尋ねた。
――神隠し
もちろん聞いたことがある。突如人が姿を消す奇妙で不可思議な現象。日本に伝わる言い伝えのようなものだ。その中でも有名なの神隠しの話を思い出す。
古い寺で子供が手毬をついて遊んでいると目を離した隙にその子供はいなくなっていた。子供がいたその場には手毬だけが残され、結局何処を探してもその子供は見つからなかったという誰もが一度くらいは耳にしたことがあるであろう話。
しかし事の真相は神隠しが頻繁に起こった場所が山奥など人通りが少なく見通しの悪い山奥や廃寺であったことから遭難や誘拐事件に巻き込まれた可能性が高いと考えられているのがほとんどだ。
そう思って、そしていや待てと自らの思考を停止させた。山での遭難、人間による誘拐事件。全て誰しもに起こりうる現実的な話。
だがそれは悪魔も天使も空想の世界に過ぎない、そう信じられていた頃の常識だ。
室町さんの言わんとすることをようやく理解した。
「じゃあつまり、室町さんはその神隠しにあった?」
もはや確信に近い疑問だった。室町さんは頷く。
古くより日本、いや世界中で人々が消える神隠しと呼ばれる現象。神隠しは現在ではその多くが事件や事故に巻き込まれたのが原因だと解明され、それらの事件も防犯技術と捜査技術の発展により防犯カメラもDNA鑑定もなかった頃に比べ減少傾向に向かっている。
だが0にはならない。なぜならそこに、AIや警察の操作能力の介入のしようがない事実が混じっているから。
それが本物の神隠しだ。
「今から13年前のことです。当時4歳だった私は、公園で砂遊びをしていました。よく晴れた暖かい日だった事を今でも覚えています。砂のお城を作るためのオモチャを袋の中に置いてきてしまった事を思い出した私は母の元に駆け寄ろうとしました。神隠しにあったのはその時です。
何の前触れもなく、砂場にできた真っ暗な穴の中を落ちていきました。いつの間にか意識を失っていて、次に目が覚めた時、私は布団の中にいて、妖狐に見守られていました」
「妖狐?」
「はい。寺院の竹藪で眠っていたところを助けてくれたのがその妖狐、勒嶺様でした。
目覚めてしばらくした後、私に勒嶺様が自分の身に起きたことを話して下さりました。
勿論、当時は訳も分からずただ母に会いたい、帰りたいと泣きじゃくっていたのですが」
室町さんは苦笑する。
「私はいつのまにか人間界を離れ、魔界に辿り着いていました。いわゆる神隠しというものに自分があったのだという事を理解できたのはずっと後のことですが。魔法を教えて下さったのも勒嶺様です。
私が飛ばされた魔界のその地方では魔法は妖術と呼ばれていました。
妖術は他の魔法とやや異なる部分があり、体内に流れる気と精神力に強く影響されます。この気というものは適切な環境と体質が合えば後天的にも得られるもので、人間界で生まれた人間の私が氷の術が使えたのもそのためです」
物心がついて間もない少女が突如知らない世界に飛ばされる、それがどんなに心細く恐ろしいことか、俺には想像しかできない。
しかも13年前は異世界の存在が公表される前だ。
妖術も後天的に得られると室町さんはさらりと言ったが、きっと相当の努力をしたはずだ。人間のいない世界で、自分とは全く異なる存在に囲まれ生きてきたのだ。
「それで魔界推薦に選ばれたのか、なんていうか本当に、凄すぎて同い年と思えない」
もしかしたら魔法が使えるかも、なんて軽く考えていたさっきまでの自分を全力で殴ってやりたい気分だ。
「だけど神隠しってのは森とか寺とか、そういう自然が多くて人の少ない場所で起きるものだと思ってたよ」
実際伝承で言われているのはそういう場所が多いから勝手にイメージが固定されているのだろうが。
「森などの場所が多いのは事実です。ですが過去に起こった神隠しの場所を調べてみるとかなり色々な場所で起きているのが分かります。私のように昼間の人通りの多い公園で起こる場合もあれば、自宅で眠っている間に起きることもあるとか」
「家でもかよ。そんな無防備空間で神隠しされちゃ対処しようがないな」
「その通りです。神隠しとは魔界で起きた時空の歪みや空間魔法の度重なる衝突が人間界にまで作用して発生する一種のバグのようなものですから。
私たちにはどうすることもできません。ですが、被害を減らそうと魔界で対策が講じられた影響で近年では神隠しの発生数は激減しています」
ここ30年の間に起こった神隠しの件数は十件にも満たないと室町さんは言った。どうやら魔界には神隠しの観測データがあるらしい。
巻き込まれた人々がみな室町さんのように助られた訳ではないはずだ。
中には言葉にするのも憚られるような目に合っている人もいるのかもしれない。
少しでも被害が減り、そして起きたとしてもより多くの人が生きて行けるますように。
神様は存在するのだから、心の中で祈った。
壁にかかる時計が19時を回るとだんだんと食堂の出入りも多くなってきた。
ホワイトボードは元の場所に片づけられ、その後運ばれてきたデザートを味わいながら室町さんは俺が投げかけたいくつかの質問に丁寧に答えてくれた。
ずっと不思議に思っていた言語が通じること、これには俺が監獄に来る前、天界へ移動する際に乗ったあの光のエレベーターが関係していた。
全く気付かなかったのだが、あのエレベーターは光の輪に囲われており、どうやらこの光の輪が自動言語翻訳魔法を中にいる者にかける魔道具になっているらしい。だから妖精の双子が話している言葉もフィンセントさんが話していた言葉も俺にはすんなり理解できたし、相手にも伝わっていたのだ。
魔界にしか存在しない物、さっき俺が頼んだカレーの具材にあったフォンガートなどの固有名詞は翻訳しようがないためそのまま伝わるようだが、大概の単語や言い回しは意味に大きな差が生まれない程度に自然に聞こえるように自動変換されている。
魔法って本当に凄いなと感嘆せずにはいられなかった。
異世界の存在は知られているのだ。この調子で世界をまたぐ貿易や政策の話が進めば人間界はさらに発展していくだろう。ゆくゆくは魔法を使った技術で日常生活を送る日が来るかもしれない。
種族の違う者同士が手を取り合い生きていく、そんな未来が待っているかもしれないのだ。
そこでようやく自分はその先駆けのような位置にいるのではないかと理解した。
異種族との交流はいまだ計画段階だ。多くの人々が異世界の存在を認知しているにも関わらず彼らが悪魔や天使、妖精らと実際に出会うことはない。だが今俺は天界のディオスガルグ監獄にいて、生まれた世界の異なる様々な種族の職員らと話すことができる。
人間と異種族の交流を後押しする、ほんの少しのきっかけを作ることができるかもしれない。
彼らを知り、自分たちを知ってもらう。この監獄で働く職員と関わることはそれを可能にする。
俺がここで働く理由。神がなぜ俺を選んだか、そんなことは俺に分かるはずがない。
だが、俺が働く理由は、これからの俺自身が見つけていける。
資格だとか、才能だとか、そんなのはいらない。
自分で見つけていけばいい。
室町さんのおかげで、俺は大事な事に気づけた気がした。