13 室町さんのディオスガルグ教室
「食事も済んだことですし、始めましょう」
何処から運んできたのやら、立ち上がり何処かへ行ったかと思えばガラガラとホワイトボードを転がし戻ってきた。
黒のマーカーを手に取りホワイトボードに何かを書き込んでいく室町さんはまるで塾講師のようだった。
「監獄の構造を簡単に図式しました」
マーカーで書かれた縦に長い長方形が七等分するように線で区切られている。
「既に橋雪長官から説明は受けているかもしれませんが再度お伝えしておきます。ディオスガルグ監獄は全七階層から成る全世界最大規模の監獄です。収監される囚人は六世界に点在する刑事施設に収容されていた者、もしくは逮捕されたのち、直接移送された犯罪者たちです。
当然のことですが、彼らはランダムに収容される階層を振り分けられている訳ではありません」
室町さんはマーカーで長方形の真ん中を分断するように下向きに矢印を書き込む。
「より危険度が高く重罪を犯した者がより深層に送られます。そのため深層に行けば行くほど必然的に強い力を持つ囚人が多くなります。
反対に、魔法を使うことのできない人間や魔力の弱い下級悪魔たちは上の階層、一階層や二階層に集中します。
中域、三階層と四階層には中級悪魔や妖怪などが多く、下階層の五階層と六階層にはかつて魔界の魔族たちを支配下においた魔王の軍勢の幹部や神々に反逆した上位天使たちが収容されています」
魔王⋯⋯!異世界系ラノベでなくてはならないおなじみの敵役だ。
魔界をはじめとする異世界の存在が明らかになってから、魔王という称号を持つキャラクターは大勢描かれてきたがまさか魔王まで実在していたなんて⋯⋯!と感動を露わにするが、室町さんに、魔王などというものは強力な魔法で恐怖を植え付け圧制する独裁者に過ぎないと冷たく一蹴された。
そんな諸悪の権化魔王は下層域、六階層に多く収監されているらしい。
魔界の歴史上魔王は幾度もその名が登場している。力を持った魔族が他の魔族を従え魔王と呼ばれる。するとまた別の強い魔族が魔王を倒し、新たな魔王に君臨する。
そして敗れた歴代魔王たちは再び断頭することなくこの地下監獄最下層に収容されるというわけらしい。
「ただでさえ凶悪な罪人の集まるディオスガルグですが、七階層に収監される囚人は別格です。魔族たちを揺らがせた魔王など足元にも及ばないほどの存在、神が収容されているのです」
この世の理。すべての世界を生み出し、そしてこの監獄を運営する全知全能なる神々。
圧倒的強さを持ち、この世の全てを司る。全てを兼ね備える神という存在がこの地下監獄に収監されている。
その事実はとても公できる話ではなかった。ディオスガルグには神様が収容されている。そんなことが知られればただ事では済まない事など俺でも理解できる。だからこそ、なぜこの場所で、俺に今そんなことを言ったのかと疑問に抱いたがすぐに理解できた。
ここはディオスガルグ監獄で、そして俺がここの職員だからだ。
冷たい何かが背中を這うような感覚がして、その感覚を消し去ろうと首を振った。
「各階層の特色は収容される囚人のレベルだけではなく、内装にも表れています」
初めて三階層に来た時衝撃を受けたことを思い出す。監獄と言われて想像するのは鉄格子が並ぶ殺風景な場所だ。
だが実際に待ち受けていたのは装飾に凝り、高価な調度品の並ぶおおよそ監獄とは思えない空間だった。
「今想像していただいた通り、ディオスガルグ各階層は一般的に抱かれる監獄のイメージとは全く異なる内装をしています。西条さんはまだ地上一階層とこの三階層しかご存じないでしょうが、他の階層も似たようなものです。ですが、この内装だからこその仕掛けと言いましょうか、侵入者を許さず、また脱走者を決して逃がさないためのシステムが用意されています。その例が三階層の調度品です」
廊下に飾られていた花瓶や絵画、全身鎧を思い出す。
「三階層は全階層の中で最も調度品や装飾品の類が多いのですが、実はこれらの多くは魔道具なのです」
魔道具――その名の通り魔法の宿った道具のこと。
鏡や絵画、その他多くの物を媒体とし、魔界や冥界では日常的に使用されているものらしい。
室町さんが白雪姫に登場する真実の鏡やシンデレラのガラスの靴を例に出した。もちろん白雪姫やシンデレラはおとぎ話の人物で実在はしないが、これらの話の中で出てくる道具の数々は限りなく魔道具に近いものだそう。真実の鏡に至っては魔界の歴史書の中に実際の使用例があるそうだ。
もしかすると白雪姫の物語も魔界にあった魔道具の話が伝わって書かれたのかもしれない。
あくまでも想像の話だが、そんな期待くらいはしてもバチは当たらないだろう。
絵の中の人物たちが動く呪いの絵画に非常時に自立し戦う全身鎧。三階層に降り立った時に見た調度品、芸術品の数々はただの飾りとしてだけでなくちゃんと防衛の観点からも機能していたのだ。
「内装を意識しているのは魔道具だけではありません。獄卒獣もまた階層のテーマに合わせた配置となっています」
三階層を代表する獄卒獣はガーゴイルやグレムリン、ヘルハウンドなどの魔界に生息するモンスターだ。異世界大百科や特集に載るそのままのイメージであるならば、三階層はかなり禍々しい獄卒獣だらけということになる。
「三階層は別名——悪魔の屋敷と呼ばれる通り、その内装は魔界の貴族の屋敷を彷彿とさせます。そのため天井はそれほど高くなく、幅も屋敷の廊下をイメージしているのでそこまで広くは設計されていません」
だから必然的に三階層の獄卒獣は小型や中型、大型にしてもヘルハウンドなど2、3メートル級のモンスターが多くなる。
オークなんてあれほど巨大なサイズのモンスターは三階層では扱いきれないのだ。レベル4にまで重要視されているのは当然だ。
「魔道具や獄卒獣が内装に合わせられてるってのは分かったが、にしてもやっぱり監獄には全然見えないよな。それもこれも、全知全能なる神様の采配ってことか」
「いえ。ディオスガルグの階層が個性豊かなのは神様が決めたことではありませんよ。各階層の初代長官方が自らの望む理想の空間を自由に造りあげた結果です。それが返ってディオスガルグの特異性を高めている訳ですが」
理想空間⋯⋯って。凶悪な犯罪者が収監されるような場所をこんなゴシック調空間にするような人だ。 とんだ変わり者だったのだろう。
警備部部長のフィンセントさんも随分自由人⋯⋯いや、吸血鬼だったし、法典やら規則やらでガチガチの規律社会かと思っていたがどうやら橋雪さんが特別厳しかっただけのようだ。
「職員、内装、獄卒獣それら全てがディオスガルグを構成する重要な要素であり、そしてディオスガルグが脱獄率0%の要塞と言われるが所以です」
一息つき室町さんは七つに区切られた長方形の上二つの部分を丸で囲む。
「ディオスガルグ監獄運営に関わる部署が集まるのがこの地上一階層と地上二階層です」
「確か地下の階層と混同しないために地上の階層は地上一階層、地上二階層って呼んでるんだったか」
地下階層が囚人たちの領域だとすれば地上階層は職員の領域だ。広い空間を様々な種族の職員たちがせわしなく行きかっている様子を思い出す。
「おっしゃる通りです。この二つの地上階層には記録部や経理部、広報部など外部組織と関わる部署も多く、監獄を運営していく上で不可欠な、云わば心臓部になります。西条さんも長官補佐ならばいずれ関わることがあるかもしれません」
長官補佐。橋雪さんもそう言っていたがどうも自覚できていない。
「思ってたんだが、入ってきたばかりの新人がいきなり長官補佐なんて聞くからに重要そうなポジションにいていいのかよ。しかも魔法が使えるわけでも頭脳明晰ってわけでもない俺がだ。やっぱり何かの間違いなんじゃないか」
謙遜ではない。実際どれだけ優秀な新入社員だって初めから課長や部長になれるわけはないのだから。 その中で仕事が出来るやつが重要な仕事やポストを任されるようになり、昇進していく。
魔王が淘汰されてきた歴史と同じだ。強い者が支配権を得られ、仕事が出来る者が上に立つ。
賄賂や依怙贔屓なんてのは確かにあるかもしれないが、少なくとも俺がその対象になることはあり得ない。それだけの金銭力がただの学生の自分にあるわけもなく、友達も少なくあまり人と関わることをしてこなかった俺が贔屓されるはずがないし、そもそも俺は新入りだ。
「私にはあなたが職員に選ばれた理由も、長官補佐の役につくことになった理由も分かりません。ですがあなたは神界推薦を受けこの監獄の職員に推薦されました。神様が絶対のこの世界で神様に選ばれたあなたはあなた自身に与えられた職務を全うせねばなりません。たとえあなた自身が納得していなくとも、勘違いだと思っていたとしてもです」
室町さんは真っすぐに俺の目を見た。
「あなたは何かの間違いだとおっしゃっていますが、神界推薦はご存じのように誰しもが選ばれる訳ではありません。
いくらあなたが自身を不相応だと言い張っても、他者からは選ばれた存在だとしか思われない。
あなたが気づいていないだけで、きっと選ばれた理由はあるはずです。
そうでなければ、あなたはここにいないでしょう」
「理由⋯⋯」
何の間違いか神に選ばれた俺は今ここにいる。だけど選ばれた以上は何か理由がある。
靄のようにかかった疑念は疑念は消えないが、室町さんの言うことは確かにもっともだ。
どんなに自信過剰に自分を評価してみてもやはり推薦を受けるほどの能力が自分にあるとは到底思えないが。
「その答えは神のみぞ知る。今はそう思って答えを見つけていけばいいのではないですか?幸い、あなたの上司はあなたを辞めさせる気はなさそうですよ」
同じ年頃で同じ人間の俺の補佐役を直々に頼まれたことを言っているのだと分かった。始めから辞めさせる気ならそんな面倒なことはしない。
昇降機に乗っていた時の橋雪さんの圧をかけるような目を思い出す。確か今までの部下はみんなすぐに辞めていったんだったか。
そりゃ初対面でいきなりあんな目で見られたら委縮するのは当然だしおまけにかなりの口下手だ。歴代部下は相当苦労したんだなと顔も名前も知らない同士たちを憐れむ。
そこでふと疑問に抱いていたことを聞いてみることにした。
「そういえば、オークから俺を助けてくれた時、あれって魔法、だよな。室町さんがここで働いている理由は魔法が使えるからっていうのもあるのか?」
人間が他種族に劣る理由、それは魔法が使えない事が大部分を占めている。魔法が使えることが当たり前の社会で魔法が使えないというのは絶望的だ。自分を守る術も、反撃する術も持たないということに他ならないからだ。
人間が防御と攻撃の際に使う道具、盾や剣、銃も魔法の前ではあまり役に立ちそうにない。だからこそ人間の採用数は全種族の中で最も少ないと橋雪さんは言っていた。
だが室町さんは人間で、そしてまだ二十歳にも満たない少女だ。男女差別をするつもりはないが、やはり男と比べれば女の人は体格も小さく基礎体力でも劣る。
何かを持っているからこそ選ばれた。それなら人間の少女である室町さんがここで働いている理由、そこには魔法が関係しているはずだ。
だが人間である彼女がなぜ魔法を使えるのか。ずっと気になって聞きそびれていた。
すると室町さんは僅かに迷うような、そんな表情を見せた。言おうか言うまいか、決断に揺らぐ瞳が地を映す。
しかし沈黙は少しの間だけだった。すぐに室町さんは真っすぐな表情と視線を俺に向ける。