12 一人一人のための一皿
会議室の扉が閉まると安堵の息をつく。息の詰まる部屋から脱した解放感。
室町さんも先ほどまでの強張った表情を幾分か和らげていた。
俺たちは退出したが会議はまだ続いている。扉が閉まっているため音は一切聞こえないが、中では今も重要な内容が話されているはずだ。
自分が話せることは全て話し、襲われた時の状態も何となく分かったが、やはり気になる。
「私たちに出来ることはしました。後は長官方の問題です」
「確かにその通りだけどさ、気にならない方が無理な話だろ」
フィンセントさんの話じゃ、あのオークは本来三階層のモンスターではなく一階層のモンスターだ。
では一階層のモンスターがどうして突然三階層に現れたのか、考えてしまうのは当然の流れだ。
すると室町さんは呆れたように息をつく。
「気持ちは理解できますが、それはあなたがするべきことではありません。今は職員としての自覚を持ち、業務内容を覚えること、それが今のあなたの仕事です」
おっしゃる通り。それが分かっているから仕方なく後ろ髪を引かれる気持ちを抑え扉から離れた。
「分かったよ」
そう言うと室町さんは僅かにだが表情がほんの少し柔らかくなったような気がした。
「少し早いですが夕飯にしましょう。今なら食堂も空いているはずですからそちらで明日からの事とディオスガルグ監獄についてお話します」
時刻は十七時十五分。会議に参加したのは僅か十分程度だったらしい。その割にこの疲れ具合。意識すると疲労感がどっと押し寄せ、同時に腹も空いてきた。
室町さんに賛同の意を示し、俺たちは食堂へ向かった。
◇◇
第四会議室をさらに進んだ反対側に三階層の食堂施設が設置されている。
内装は変わらず西洋貴族の屋敷のようで豪華な造りだったが、多くの職員が訪れる公共の食事スペースのためか照明は明るくかなりの広さがあった。
室町さんの言った通り夕飯の時刻には早かったようで食堂に訪れる職員の数は少ない。
これならゆっくりできそうだった。
壁際のテーブル席に座る。室町さんは正面に座った。
見渡してみると食堂は大きく二つに分かれているようだ。入り口側手前が普通の食堂スペース。そして奥にあるのがバーカウンターだ。バーの方はまだ明かりがついておらずまだ誰もいない。開店前のようだ。
なるほど、フィンセントさんがワインソムリエがいると言っていたのはバーが併設されていたからか。
バーのある監獄⋯⋯。異世界は本当に常識が通用しないことが起こると増々痛感した。
ただし魔界の豆腐ハンバーグは絶対にないと確信しているけどな。
「メニューです。決まったらこの紙に専用の羽ペンで料理名を書いてください」
木製テーブルの隅に置いてあるケース。その中に茶色の紙の束とシンプルな羽ペンが入っていた。
ラミネートされたメニュー表には小難しい料理名がズラリと並んでいた。子羊のビフェット焼き、永年草のジェノベーゼ、北山豚のコンフィ~ペムチーズのせ。
ジェノベーゼってパスタの名前だよな⋯⋯でもこの永年草ってのは聞いたことがない。
これ美味しいのかよ。
名前も見たことのない料理はそもそも分かるはずもないが、食べたことのある料理でも全く知らない単語が含まれているので味が想像がつかない。
流石異世界というべきか⋯⋯食事には当分苦労させられそうだ。
しばらくメニューと睨み合った末、メインディッシュの欄の下方にあったフォンガートのチキンカレーを注文することに決めた。
カレーなら外れることはないだろうとの判断の結果だ。
異世界にカレーがあることには驚きだが、下手に知らない料理を頼むよりは安全なはずだ。
変なチャレンジ精神は押しとどめてケースから紙と羽ペンを取る。
「決まりましたか?」
室町さんは既に決まっていたらしい。彼女の目の前にはいつの間にか料理名の書かれた紙が置いてあった。
待ってくれていたようだ。俺はペンを走らせ料理名を書きこんだ。
するとペン先を紙面から放した瞬間、室町さんと俺の書いた二枚の紙がぼんやりと光を放ちそしてフワフワと浮いた。
紙は上下に僅かに揺れながら食堂のカウンターへとひとりでに飛んでいく。
俺は驚いてあんぐりと口を開けたままカーテンの奥へと入っていく二枚の紙を目で追う。
おそらく中は調理室だ。それはまさしく魔法だった。
「浮遊魔法と物体記憶魔法の応用です。注文の際の手間と時間ロスを防ぐために多くの階層食堂で取り入れられている監獄独自のシステムです」
書くことで浮遊魔法を発動させる羽ペンを使用することで紙が自動的に厨房へ移動するよう魔法加工している。そうすることで注文を受け、厨房へ伝える手間が省けるというわけだ。
注文した本人が紙に書いているのだから注文ミスも起こらない。
羽ペンには浮遊魔法と同様に、書くことでテーブル番号を紙に記憶させる物体記憶魔法が施されているから、どのテーブルのどの客が書いた注文なのかが分かるようになっている。
あとは料理を運ぶだけだ。
各テーブルに用意されている羽ペンと違い、皿やカップなどの食器は全てのテーブルに共用で使われているため、出来上がった料理は職員が運ぶ必要があるが、その負担は人間界の飲食店と比べればはるかに軽減されている。
しばらくして厨房のカーテンが開き、中からトレーに料理を乗せた職員が出てきた。長めの茶髪を短くくくった気のよさそうな成人男性。エプロンをかけているので厨房担当の職員なのかもしれない。
「お待たせしました。フォンガートのチキンカレーです」
カレー独特のスパイシーな香りが鼻腔をくすぐる。空腹には堪らない匂いだ。
目の前に差し出されたカレーはレストランで注文した時とあまり変わらないように見えた。
普通においしそうなカレーだ。
「そして、こちら永年草のジェノベーゼになります」
気になってたやつだ。
草花の模様があしらわれたお洒落な皿に盛りつけられたパスタは濃い緑のソースが絡められている。一見バジルのようだが香りは全く違う。
バジル特有の癖のある香りはなく、鼻を抜けるような爽やかな匂いと緑野菜にあるような青臭さが少しあるだけだ。
「気になるかい?」
運ばれてきた料理にじっと目を凝らす俺の様子に気づいたらしく、エプロンの職員が軽やかに笑った。
「聞いたことない料理ばかりなんで、どんな味なんだろうと思って⋯⋯」
見られていた。流石に恥ずかし過ぎる。
「君は新しく入った西条くんだろう?話には聞いてるよ」
その話口調から、この職員が聞いた話というのは人間界から来たという事とオークの事件に巻き込まれた事、その両方の事を言っているのだと分かった。
あれだけ巨大なオークが暴れていたのだ。現場を見ていなくとも三階層の職員である彼が知らないはずはない。
そうでなくともこの事件は監獄中で持ちきりになっているらしいのでなおさらだ。
「永年草やフォンガートは人間界にはない食材だからね。どちらも魔界の家庭ではよく使われるものだよ」
エプロンの職員は浮羽屋久門と名乗った。驚いたことに彼もまた日本人だった。
日本人が作る異世界料理。なんだか不思議な感じだが、いざ口にしてみるとそれは日本人の下に馴染む優しい味だった。
もちろん美味しさはレストランにも引けを取らないプロ級なのだが、その中にはまるで昔から食べていたかのような親しみ深さがある。言うなれば家庭料理のようだった。
「美味しいです」
室町さんも頬を緩ませている。
「永年草は本来苦みが強くてミントのような清涼感もある薬草でね。魔界ではそういう独特な風味が好まれているんだけど、日本人の舌にはあまり馴染のないものだから、人間の職員に振舞うときは風味を消し去らない程度に癖を抑えるようにしている」
浮羽屋さんは腰に手を当てる。
「フォンガートは魔界に生息する鳥類でね、タンパクであっさりとした味が特徴だから普通のチキンカレーとあまり変わらない味になる」
種族によって好みの味は違う。その違いを理解し、意識して料理を作っているのか。一人一人の職員が美味しいと心から思えるような一皿を提供するために。
「橋雪君や室町ちゃんが傍にいるからあまり実感が湧かないかもしれないけど、ここは天界の監獄だからね。人間の職員は六世界で一番少ないんだ。だから人間の職員が食堂に来てくれた時は自然と気合が入る。せめて食事の時くらいはいろんな悩みを忘れて料理を味わってほしいって気持ちを込めてね」
浮羽屋さんは俺や室町さんよりも長くこの監獄で働いている。
人間は他種族に比べ体格、力様々な面で劣る。だからこそ良いことも、それ以上に辛いことも経験したはずだった。だからこそ浮羽屋さんの思いは深く心に響いた。
「これでも悪魔、天使種族問わず若い職員たちの相談に乗ることが多くてね。君たちも何かあればいつでも頼ってくれていいからね」
思わず兄と呼びたくなるようなそんな頼れる存在、浮羽屋さんはしばらく話を続け、俺たちが食べ終わった後、皿を下げて厨房の方へ戻って行った。