10 レベル4
「⋯⋯なるほど。率直にいってしまえばこれは監獄における【非常時レベル4】にあたる事態だ」
――【非常時レベル】――
予期せぬ事態や監獄の安全防犯などの観点から、その秩序が乱れた際にその状況を十段階に振り分けたもので、つまり危険度や重要度を瞬時に測り対応できるようにするための基準だ。
今回の件は十段階のレベルの中で四。素人目でみても無視できる話ではないことは分かる。
「君も薄々気づいているかもしれないが、君を襲ったオークは本来三階層に属するモンスターではない。一階層のモンスターだ」
――管理下亜種生物オーク――
主に獄卒獣や獄卒モンスターとも呼ばれるその生物はその名の通り、監獄で使役されているモンスターを指す。
その役目は一言でいえば警備だ。囚人が収容される区域を中心に階層内を動き回り、囚人が万が一脱獄した際には攻撃し、階層から決して逃がさない。
獄卒獣オークの生息地は本来魔界の森林や平原など自然の多い場所だが、監獄にいるオークのほとんどは冥界で使役されていた個体だそう。
主食は肉で鹿や馬だけでなく人間も食うらしい。だが勿論監獄で働くモンスターたちは職員には危害を加えないように特殊な訓練をされている。
「獄卒獣が職員と囚人の違いを区別できるように職員の制服には彼らにしか認識できない特別な匂いや印を付けているからね。制服を着ていれば我々が襲われることはまずありえないのだけれど⋯⋯」
そこで二人の視線が俺の服に向かう。
「ふむ。とても興味深い服装だ。ネクタイや襟元は監獄の制服と変わらないデザインに見えるが、その生地、何の魔法の気も感じない。その胸元の飾りは勲章の類かな。君はどこかの軍隊に所属していたのかな?」
大げさに見えるほど、フィンセントさんは食い入るように俺の制服を凝視する。こうも見られると変に緊張するな。居たたまれなさに視線を明後日の方向へやる。
「橋雪長官はあなたに制服をお渡しになられなかったんですか?」
そんなフィンセントさんの台詞を無視して室町さんが言う。
「いや、ちょうど合うサイズのやつが職員寮にあるとかでそれを取りに行こうとしたんだよ。
でも職員寮がどこなのかを聞きそびれて、そこにオークが襲ってきたって感じで」
法典まで用意して丁寧な人なのかと思えば急用と言われ即放置。おかげでオークに襲われ殺されかける始末だ。文句の一つや二つ言ってもバチは当たらないだろう。
勝手に出てったのは俺だけど⋯⋯
「なるほど。そこに三階層の“穴”を突かれた訳だね」
「穴?」
「ああ穴だとも。ここ三階層の警備状態の穴の中で偶然起きてしまった悲劇。⋯⋯とそう考えたいところだけど」
フィンセントさんの言い方には何処か含みがあるように感じた。
しかし、来たばかりの俺には彼が何を言わんとしているのかサッパリ分からない。
――とその時、ジリジリジリとけたたましい金属音が鳴った。
驚いて音の方を見てみると音源は電話だった。
壁際の棚の上に置かれたアンティーク調の金色の固定電話。長官執務室にあったやつとはまた違う、ダイアルを回して通話するタイプのやつで、かなりの年代物に見える。
ジリジリと振動する受話器をフィンセントさんが取り上げる。
いつの間にかその足は地面の絨毯の上にあった。腰まで届く長い髪は重力に逆らい天井に垂れる⋯⋯のではなくちゃんと床の方へ垂れていた。
通話の間、室内は嫌に静かだった。
このタイミングで電話がかかってくるということは間違いなくオークの件だろう。
さっき室町さんが職員達に伝えていた指示とやらに関することだろうか。
非常に気になったが、残念ながら僅かにもごもごという音が聞こえるだけで電話の奥の声はハッキリとは聞き取れなかった。
その時、ゆったりとした笑みを浮かべたまま黙って電話相手の話を聞いていたフィンセントさんが一瞬俺の目を見た。
そして――――
「了解」
息をつくようにそう言うと受話器を下ろし、通話を終了させる。
ガチャンと音が鳴った。
「一時間後に会議が開かれるみたいだ。場所は第四会議室、議題はオーク出現について。そこで⋯⋯」
一度フィンセントさんは言葉を切った。
「目撃者であり、襲われた張本人である西条くん。君も会議に参加することになった」
本当にどうしてこんなことになっているのだろうかと、誰か知っている人がいるなら教えてほしかった。
きっと今自分は一生分のありとあらゆる運を消費している真っ最中なのかもしれない。
あれ、俺、就職初日じゃなかったっけ?
◇ ◇ ◇
「―― 一応着てみたけど」
食堂横、手洗い場内設の更衣室から出てきた俺は、向かい側で待っていた室町さんに近づく。
目撃者として会議に参加することになった俺たちはフィンセントさんの執務室から出て、職員寮へ向かった。
それで中にいた職員にフリーサイズの貸出し用制服を持って来てもらった訳だが⋯⋯なんだか少し気恥ずかしい。
受け取った制服は、監獄に来てから何度か目にした職員たちが来ていたものとほとんど同じものだった。
違うところといえばバッチの代わりに左腕には腕章がついており、その枠の装飾が銀色なところ⋯⋯だろうか。
監獄を表すのであろう紋章が胸元に縫われ、ネクタイの色は赤だ。少し物騒だが、まさによく血のように紅いと表現される感じの濃い赤色。
着てみると素材がしっかりしていて案外着心地がよかった。少し袖や裾が長いが不格好なほどではなく、伸縮性もあるためゆったり着られる分、学校の制服よりも断然動きやすい。
銀色のボタンを留めて、腕に赤色の腕章を通すと本当に自分がここの職員になるのだという実感がわいてくる。
だがその分着なれない服を着てるっていう緊張感が凄い。
「着せられてる感がありますね」
「ぐっ⋯⋯」
室町さんまで⋯⋯ッ(涙)。
制服は比較的新しいため、はたから見れば就活中の大学生みたいなものなのかもしれない。
心に強烈な攻撃をお見舞いされる。こちとら数時間前までただの高校生だったんだ。軍服どころかスーツだって着たことがない。
「サイズも合っているようで良かったです。人間は他の種族に比べ小柄ですから、そのサイズが合わなければどうしようもないところでした」
少し安堵の表情を見せる室町さん。
「俺は別に学校の制服でよかったんだけどな」
「いえ、そういうわけにはいきません。会議には各階層の階層長、そしてあらゆる部署の部長の方々が集まります。そのような場で制服以外の服を着るなどあり得ません」
「あれも一応制服だし、正装なんだけどな⋯⋯」
学校の制服は冠婚葬祭にも着ていけるれっきとした正装だ。だがここは異世界の監獄で職場。
職場の制服で参加するのは当たり前か。
「それに、フィンセント警備部部長もおっしゃっていましたが、当監獄では全職員に寮内を除くすべての場所での制服の着用が義務付けられています。今後寮外に出るときは必ず制服を着てください。
これは、あなた自身の身を守るための忠告です。
もし着用せずに再び獄卒獣に襲われたともなれば命の安全の保障はできなくなります」
「⋯⋯分かったよ。寮の外に出るときはちゃんと着る」
室町さんの表情は真剣そのものだった。
あのオークを思い出す。俺を見た瞬間迷いなく殺そうとしたあの目。
オークは間違いなく、あの時俺を獲物として認識していた。
オークがあの場所にいたのはイレギュラーだったのかもしれないが、制服を着ていれば殺されかけることはなかったかもしれない。
室町さんの言う通り、さっきは運よく助けてくれたが、今度もし同じ目にあったとしてもまた誰かが居合わせて助けてくれる保証はどこにもない。
制服には獄卒獣だけが認識できる特殊な魔法がかかっている。
それを知っている今、流石に制服を着ずに外に出ようなんて馬鹿なマネはしない。
「証人扱いとはいえ、いきなりそんなお偉いさんが集まるような重要な会議に出ることになるなんてなー」
一時間後に開かれる会議。場所は第四会議室⋯⋯だっけか。
息をつくように出た独り言だったが、室町さんは神妙な面持ちで目線を下げる。思考するような、焦っているような、そんな表情だった。