隣の席の花丘さんが『すあま』をすすめてくる。
隣の席の花丘さんが、今日も話しかけてくる。
「ねぇねぇ、昨日の日曜日にお菓子作ったの。
枡賀くん、食べてみたい?食べてみたいよね?」
「いりません」
「またまたぁ〜。そういう強がりはいいから」
「いらねー」
「……くっ!突然のため口!きゅんとしちゃうじゃない!」
胸を押さえながら、シャツの第2ボタンまで開けた花丘さんが前屈みになった。
僕はそっと視線を外した。
2秒後だったけど。
「……見た?そそられた?」
「見てません」
ちょっと見たけど。
あえて前屈みになって僕の前にしゃがみこまないで欲しい。
「ちぇー。最強のチャームポイントなのになぁ」
自分で魅力的なポイントと言ってしまっていいんだろうか?
確かにチェリーな男子高校生にはチャームポイント過ぎて、逆にそこには触れられないんだけれど。
「……枡賀くんは、胸の大きい女の子は、イヤ?」
「くっ、ちょっ、急に耳元で囁かないでください……!」
「あれ〜?耳が赤いよ、どうしたのぉ〜?」
不意打ちで接近されて、不意打ちで耳に息があたって。
僕は虚勢を張って、見下ろす花丘さんを睨んだ。
すると、真っ白なシャツが朝の光を浴びて、嬉しそうに笑う花丘さんの顔が輝いて見えた。
***
花丘さんはダブりだ。
理由ははっきりとは知らないけれど、入院生活が長くて、留年したらしい。
2回目の高校1年生の夏休み明けになっても、まだ花丘さんはクラスで浮いたままだった。
ただ、僕にだけは話しかけてくるので、気がつけば花丘さんの世話係のような立ち位置になっている。
「枡賀に任せる」
「なんでだよ。お前、隣の席だろ」
「枡賀だって隣の席だろ」
プリント1枚渡すだけでもクラスメイトたちが二の足を踏む。なんでだ? 確かに美人でお姉さんで胸も大きいけど、話してみると普通だって分かるのに。
「うーん、まぁ、それはわかるんだけどさぁ」
「いーじゃん、枡賀くんが休みの時は普通に話してるんだから。あたしたちだって、別に花丘さんを無視してるわけじゃないんだしさ」
「……それなら、今だって」
「「いーから、行って!!」」
「……わかったよ」
苦手じゃないと言いながら、なんだかんだで僕にすべてを任せようとする。
せっかく毎日高校に通えるようになったんだから、もっとクラスメイトと関わってみたいと花丘さんだって思ってるだろう。
それなのに、みんな花丘さんとの関わりを避けてる。
せめて、僕だけでも、普通にクラスメイトとして接していこう。
そう思うのに。
「……だから、いりませんって」
「食べてよ、美味しいから」
「やです。なんですかその、わけのわからない物体」
昼休みに惣菜パンを食べていると、いつの間にか僕の隣に椅子を持ってきて座っている花丘さんが、ピンク色の柔らかそうな何かを出してきた。
「わからない物体なんて失礼な!
これは米粉に砂糖を混ぜて蒸して作った『すあま』というお菓子なのよ!」
芝居がかったリアクションで、花丘さんが手のひらにのせた個包装の物体を見せてくる。
「……知らないです」
「もちもちっとして、ほんのり甘い和菓子よ。昨日の夜に作ったから、今日中に食べないと美味しくないの!」
「……いらないです」
「なんでよー!美味しいのに!」
きいっとわざとらしく声をあげる花丘さん。
そんなヒステリックに来られても、なんだか分からないものは食べたくない。
「えー?枡賀、すあま知らねーの?」
「枡賀くん食べたことないのー?まぁ、あたしの知ってるすあまは、ナルトみたいに渦巻いてたけど、花丘さん、それで合ってる?」
「そうそう。すまきで巻けばできるんだけど、今回は丸餅みたいにしてみたの」
普段なら遠巻きにしているだけの近くの席の奴らが急に会話に混ざってきた。
おお、いいぞいいぞ。
花丘さんも楽しそうだ。
「ね、だから、枡賀も食べなよ」
かと思えば急に僕に話を振ってきた。
「嫌だ」
「新しいものを食べて、枡賀清人をグレードアップさせようぜ!」
「嫌だ。お前が食えよ」
「ちょ、待て、おい、花丘さんが枡賀に作って来たんだぞ?枡賀が食べろよ」
「ハジメテノモノ食ベタクナイ」
断固拒否の姿勢を示していると、隣に座っている花丘さんが、小さな声で「……クッキーとか作れるなら作ってるわよぉ〜」と頭を抱えながら呟いている。
ん? すあまが好きだから作ったんじゃないのか?
ふと疑問に思ったが、午後の授業が始まるチャイムと同時に、みんな自分の席に戻っていったので、そのまま終わった。
***
終わったと思っていた。
思っていたのに、なんでだろう。
午後3時を過ぎた今、授業中にも関わらず、花丘さんが『すあま』をアピールしてくる。
それなりの進学校のせいか、授業数が多い。
昼休みにお腹いっぱい食べていても、最後の授業にもなれば空腹に襲われはじめる。
さりげなく立てたタブレット端末の影で、昼休みに見せた個包装のすあまを見せてくる花丘さん。
『食べる?』
付箋に書いて見せてくるのやめてくれ。授業中だ。
『有機物だよ!』
化学の授業だけど、それ絶対にテストに出ないから!
「はい、ここまでのおさらいに小テストするぞー」
空腹と花丘さんの誘惑に耐えながら、なんとか授業も終盤に差し掛かった。
よし! いける! 逃げ切れる!
前の席から流れてきた小テストのプリントを受け取る。
ん?
『食べてやれよ』って小声で言うな。
『お前が食えよ』と小声で言い返してやった。
まったく。なんで花丘さんには関わろうとしないのに、クラスメイト全員で花丘さんの味方になって僕を攻撃してくるんだ。
まぁ、みんな思春期のお年頃だもんな。
あんないかにも綺麗なお姉さんって感じの花丘さんになら、腰がひけるのも無理はない。
それにしても普段はタッチパネル入力だから、覚えさせるためにあえて紙のテストにするって、結局アナログに戻ってる気がするんだけどなぁ。
あちこちでタブレット端末を伏せて、鉛筆と消しゴムを取り出す音が聞こえてくる。
僕も薄っぺらいペンケースを出して、筆記用具を机の上に取り出した。
「はい、今から5分で解けよー。
はじめ」
やる気のない理科教師がしわしわの白衣を背もたれに押し付けて足を組んだ。
「5分経ったら隣の席とテスト用紙を交換して、採点するからなー。
隣の席の相手が好きな奴はがんばれー」
やる気がないにも程がある。
そんなことを言われて頑張る奴の気がしれない。
ちなみに僕の隣の席に該当するのは、花丘さんだ。
ぜんっぜん、どうでもいいけどな!
間違いが多いなとか、字が汚いなとか、思われたってぜんっぜん平気だけどな!
でも、小テストといえども、満点にしておけばこれからの勉強にいい影響があることは間違いないからな。
花丘さんに関係なく、解答欄を埋めてやるけどね!
そうして僕は、一気呵成に小テストの記入をした。
ものの1分とかかっていない。
花丘さんの誘惑に乱されることなく、授業を受けていたと自画自賛しながら見直しをしていると。
元素記号のアルファベットの1つが、微妙に読みにくい書き方になったことに気がついた。
うん、書き直そう。
時間はある。
花丘さんが見ようがどうしようが、読みやすい文字を書くことは試験でも大事だからな。うん。
僕はペンケースに指を伸ばして、消しゴムを取り出そうとした。
しかし、指先は求めている感触に届くことは無かった。
無い。
消しゴムが無い。
うおぉい! 消しゴム、どこに行った!
ポーカーフェイスを装いながら、指だけは忙しくペンケースを探る。
中身はペンだけ。
消しゴムは、
無い。
読め…なくはない。ちょっと汚い字かなーって思われるかもしれないだけだ。
見るのは花丘さんと先生だけだ。別に気にしない。問題ない。
気にしないったら、気にしない。
そう思いながらも、無意識のうちに視線が隣の席の花丘さんに向かう。
当然のように目が合う。
なんでこっち見てるんですか。
思わずジト目になってしまう僕に、花丘さんは文字通り花が咲くように笑うと、白くて小さな直方体のものを僕の机に置いた。
消しゴムだ…!
ありがとうという気持ちを込めて、そっと頷いて見せると、花丘さんが嬉しそうに口元をゆるめた。
カンニングの疑いすらもたない教師は、のんびりと窓の外を眺めている。
僕は花丘さんに感謝の念を抱きながら、真新しい消しゴムのフィルムをそっと優しく剥がした。
鼻先に届く甘い匂い。
「………ん?」
よく見ると、フィルムの下にある包装紙には手書きの文字。
『白いすあま』
色なんかどっちでもいーわ!!
てゆーか、消しゴムじゃないのか?!
怒りを抱きながら、隣の席に顔を向けると、優しい手つきで、そっとセロファンをむく花丘さんが見えた。
露わになった白いもちもちの塊。
それをゆっくりと柔らかそうな唇に運び、白い歯を立てて噛みちぎるとのんびりと咀嚼し始めた。
数秒後にこぼれる笑顔。
かわいい……。
って、そうじゃないだろう!!
消しゴム!
今ならまだ間に合う!
消しゴム、貸して!
思いを込めて視線を送るが、花丘さんは幸せそうにすあまを食べ続けている。
う、うまそう……。
って、そうじゃないだろー!
しかし、体は正直だった。
静まり返った教室に、「きゅるる」と僕の腹の虫が鳴いた。
ーーーガココッ!
急いで椅子をひいて音を立てる。
ご、誤魔化せた。
誤魔化せたぞ!
誰も僕のお腹が鳴ったとは……。
「………(にやあっ)」
花丘さんが見てたー!!
恥ずかしい!
ニマニマとした顔で僕を見るな!
そして、2個目のすあまのフィルムを剥きはじめるなー!
ああ、柔らかそうな花丘さんの唇……。
って、ちがーう!!
そう! 僕は、すあまが、柔らかそうだなって、思って!
勢いよく手元の消しゴムっぽいすあまの包装紙をはがすと、口の中に放り込んだ。
どうにでもなれ!
知らない食べ物を初めて口にする緊張感って、なんで他の奴らは分かってくれないんだろう!
涙目になりながら、口を閉じれば。
粉っぽい感触の後。
柔らかいもちっとしたものが舌にあたる。
「………!」
そのまま勢いで噛むと、ほんのりとした甘さとしっとりとした柔らかさが口いっぱいに広がった。
「………(美味しい……)」
目線で花丘さんに伝えると、花丘さんは我が意を得たりとばかりにサムズアップを返して来た。
これが『すあま』。
確かに美味しい和菓子だ。
僕が新しい味覚の感動に打ち震えていると、「テスト終わり〜」と、声がかけられた。
僕は自分のテスト用紙を花丘さんに渡す時、小さな声で、
「すあま、おいしい」
と、言った。
すると、花丘さんは急に顔を赤らめると、口元をもにょもにょとさせて、
「お、お粗末さまでした」
と、答えた。
あ、花丘さんの手作りだって、言ってた。
ありがとうも言えばよかったな。
そんなことを思いながら、僕は花丘さんから渡された、花丘さんのテスト用紙に丸をつけるべく、赤インクのペンを取り出した。
***
今のはやばかった。
やばいやばいやばい。
枡賀くんから甘い声で甘い匂いがした。
かかかっと、頬と耳が赤くなるのを自覚しながら、先生がプロジェクターに映した小テストの解答に目を向ける。
手元には、枡賀くんの手で書き込まれたテスト用紙。
……持って帰りたーい。
綺麗じゃないけど、丁寧に書かれている文字は、枡賀くんの性格がよく出ている。
うん、誠実。
むっつりだけど、絶対浮気とかしなさそう。
やっぱり、好きだなー。
ちらっと視線を向けて、横顔を見る。
うん、好き。
クラスメイトもみんな応援してくれてて、私が枡賀くんと話せるように協力してくれるし。
胃袋から落とせ作戦の初戦も、成功したみたいだし。
高校生男子なら、胸元強調すれば落とせるって、男子たちに言われたけど、枡賀くんはむっつりすけべだから反応するのに、認めないし。
「……同じ高校で3年間、その間に絶対落とすもん」
留年が決まった時は、人生終わったと思った。
でも、その留年した先に枡賀くんがいたから。
「……これはもう運命でしょ」
クラスメイトの女子たちと放課後に恋バナをして、そこに時々合流してくるクラスメイトの男子たちと女子たちがカップルになっていくのを見守って。
私の第2の高校生活は、留年の決まった時には想像もできなかったくらいに、楽しい毎日になっている。
これも全部、枡賀くんを好きになったから。
「………絶対に落としてやる」
小さく呟くと、前の席の女の子とその隣の席の子が振り返って、いい笑顔でサムズアップをしてくれた。
(花丘の前の席ふたり)
モブ乃「今日も女子会だね」
モブ美「だね」
モブ乃「……それにしても、花丘さんレベルの女子がまっすー如きを好きになるなんて」
モブ美「枡賀と小中一緒だっけ。モテてた?」
モブ乃「全然。ちょっとオタク入ってるむっつりすけべだからさぁ。何がいいんだか。花丘さんの好み、分かんないわー」
モブ美「うーん、確かに。でもそういう枡賀がいいって言う花丘さんが可愛いからいいかー」
モブ乃「だよねー」
(*´ー`*)冴えないけど優しい男子に惚れるお姉さんは好きですか?私は好きです。