黒い蛇
「ハクタク!」
ずっと静観していたハクタクが、闇の月雅を拾い上げた。
その存在を忘れていた訳ではないけれど、祭雅の事で手一杯だった。
ハクタクの動きにも注意を払っていなければならなかったのに···凄く嫌な予感がする。
「お主の武器に力を与え、闇に落として実体化させたんだが···結果は芳しくないのう。オリジナルの方は更に力を得て、その差は歴然としておる。さて、どうしたものか···?」
ハクタクはそう言いながら、月雅をパチリと閉じて、私を見下しながら口の端を上げた。
これは、何かを企んでいる顔だ。
「ハクタク、あなたの思い通りにはさせないから」
「ほっほ、威勢がいいのう。だが、いつまでそれが続くかのう?」
ハクタクは月雅をドンと地面につけると、そこから黒い塊が溢れ出た。
黒い塊は波打ったかと思うと、細長い物体に分裂してゆく。
「黒い蛇!」
この蛇は見覚えがある。
確か、彩香の手足を拘束していた蛇だ。
一匹でも危険なのに、こんなにたくさん出てくるなんて!
無数に現れた黒い蛇たちは、ニョロニョロと蠢いている。
それぞれが鎌首をもたげ、獲物を探すように視線を動かし、狙いが定まると一斉に動き出した。
祭雅が黒い蛇に取り囲まれると、それは黒い霧となって広がる。
呆然と成り行きを見守っていた祭雅だったが、異様な光景にやっと我に返った。
その霧は黒いベールのように祭雅を覆い、驚いた彼女はそこから出ようと体当りした。
ドンと大きな音がして、祭雅は跳ね返される。
これは黒い結界のようだ。
祭雅は何度も脱出を試みるけれど、すべて失敗に終わった。
月雅を奪われた彼女の力では、どうにもならないようだ。
外界と遮断されれば、私も手の出しようがない。
それよりも、今はこちらに黒い蛇が迫っている。
一刻も早く、ここから離れなければならない。
「退避!」
私の叫びに反応した式神たちは、空中に駆け上がる。
私は黒い蛇たちから少しでも離れるために、全速力で駆ける。
ソウシが龍の姿に変化し私に並走する。
「深月、俺の背に乗れ!」
私は頷くと、ジャンプしてソウシの背に跨った。
「ソウシ、ありがとう」
ソウシはニッと笑うと上昇し、蛇との距離を取った。
黒い塊からはワラワラと黒い蛇が這い出し、とどまるところを知らない。
気がつけば、大地は蛇に覆われ、黒く塗り込められたようにおぞましく揺れる。
蛇はお互いに絡み合い、我先にと私達を追う。
空中へと退避した私達に、黒い蛇は飛びかかってきた。
嘘!
蛇って飛べるの?!めっちゃ怖いんだけど。
空に退避していれば平気だと思っていたのに。
黒い蛇は飛ぶようにしてこちらに向かってくる。
「みんな、空にいても危険よ。気をつけて!」
式神たちにそう声をかけ、黒い蛇との距離を取る。
「深月、俺が仕掛ける!」
ツクヨミが円月輪を投げると、空中で分裂しながら黒い蛇に突き刺さった。
たくさんの蛇を倒したものの、円月輪はみるみる黒く染まり、輝きを失った。
「闇に呑まれてしまう。武器では駄目か···」
ツクヨミは思案しながら腕を組んだ。
「武器が駄目ならこれはどうよ!」
アマテラスが神楽鈴をシャランと鳴らし、天に向け掲げた。
神楽鈴から黒い蛇へ向けて金色の光が放たれた。
それは黒い蛇の上を駆け抜ける。
光の通り道にいた蛇は跡形もなく消え失せた。
「んー、でもちょっと数が多すぎるのよね···」
倒した蛇よりも、増える蛇の方が勝っており、殲滅させるには至っていない。
どう対処したらよいか思い悩んでいる時、私の目にある光景が飛び込んできた。
土偶がにやりと笑いながら、忍び足で動き回っているではないか。
うわっ!
あの人なにやってんの?!
私が指示を出してもいないのに、勝手に行動している。
彼はハクタクの後ろに回り込んで、手ぐすねを引いている。
何か獲物でも狙っている雰囲気だ。
まさか、黒い蛇と式神の戦いに気を取られている隙に、ハクタクの持つ月雅を奪おうという魂胆なのか?
あのハクタク相手に、そう簡単には行かないと思うんだけど、困ったな。
土偶はハクタクの狡猾さを知らない。
下手に声を出したらハクタクに気付かれて、土偶が窮地に陥ってしまう。
ハラハラしながら様子を伺うしかない。
土偶はなぜか自信満々な表情でハクタクに近づく。
ハクタクから黒い霧が漂い、それは黒い蛇の姿に変化し、土偶に襲いかかった。
「儂が気づかないとでも思ったか」
ハクタクは後ろを全く見てはいない。
しかし、まるで背中に目でもついているように、土偶の行動はすっかりバレていた。
完全に油断していた土偶は、黒い蛇に足を絡め取られた。
蛇は瞬時に黒い霧となって土偶を覆うと、彼は苦しげに胸を押さえた。
「土偶っ!!」
「······」
まずい!
あの黒い霧に飲み込まれたら、ただじゃ済まない。
「おお、この者の闇は深く、底を知らぬ。お主の式神にしては珍しいのう。この闇の力、儂が全て吸い取ってくれよう。さあ、儂の糧になるが良い」
黒い霧からハクタクへと力が流れるのに従い、土偶の様子がおかしくなってきた。
目は虚ろになり、生気を感じられない。
私との繫りも、とても細くなってしまった。
このままじゃダメ!助けなきゃ。
「ソウシ、土偶のところまで飛んで!」
「深月よ。お前を危険に晒すわけにはいかない」
「心配いらないよ。私がなんとかするから」
「しかし···」
私の身を案じて躊躇するのはわかるけど、土偶を見捨てることなんて出来ない。
彼だって私の仲間なんだから。
「ソウシ、命令です。今すぐ土偶の所まで飛びなさい」
ソウシはビクッと体を震わせて、「あいわかった」と答えると、空を飛ぶスピードを上げた。
天の美月が私の手の中で脈うち輝く。
この神器があれば、土偶を取り巻く闇を祓う事ができるはずだ。
ハクタクと黒い蛇の動きには注意しつつ、土偶に近づいた私はソウシの背から飛び降りた。
土偶、待ってて。すぐに助けるから。
私は天の美月を土偶の闇の部分めがけて振り払った。
闇は天の美月に取り込まれ、ぱあっと輝いた。
神器が闇を浄化し光へと変える光景は、とても美しく神々しい。
土偶を取り巻く闇は、無事に祓うことができた。
私は土偶の側へ寄ると、肩を揺すった。
「土偶!」
私の呼びかけに、うっすらと目を開けた土偶はムクリと起き上がった。
「······」
「土偶?」
土偶は首を小さく傾げ、微笑んだ。
おかしい。
いつもの土偶と違いすぎる。
この人がこんな殊勝な面持ちをするなんて、まずないからね。
まさか、完全に闇を祓えてないの?
危険を感じた私は、土偶から数歩後ずさった。




