大会10
「!!」
見上げると、ヤトは空中で身動きが取れなくなっていた。
まるで見えない蜘蛛の糸に絡め取られたように。
「くっ、何だこれは!なぜ動けない?」
動くほどにがんじがらめになってゆく。
「罠、とでも言っておこうかのう」
爺は低い声でクックと笑うとヌエに指示を出した。
「ヌエ、お前の獲物よ。喰らうなり、なぶり殺すなり好きにするがよい」
ヌエの目は怪しく光り、その場から飛び上がった。足元には黒い霧が湧き上がり、それはヤトへと続く階段のようにヌエを導く。
黒い霧の上をひた走るヌエは、その顔を狂喜に歪ませてヤトに飛びかかった。
「ヤト、狐火」
咄嗟に叫んだ声に反応したヤトは、青白い炎に身を包んだ。
炎を見るやピクリとヌエは急停止した。
炎はヌエの進行を阻害するほど大きく、後ずさったヌエはヤトの動向を窺う。
「ほっほ、甘いのう。炎だけではどうにもならんよ」
「それはどういうこと?」
「おぬしの炎では、どうあがいても儂とヌエには敵わんのよ。のう、儂の可愛いヌエよ、トドメじゃよ。大地を震わせよ、稲妻!」
ヌエは雄叫びを上げると、その身体から爆音とともに閃光が走った。
「がぁーー」
「ヤトー!」
嘘でしょ!
稲妻に貫かれたヤトは、黒く焼け焦げ、その身体からはプスプスと煙が上がっている。
ガクガクと震えが止まらなくなった私は、堪らず片膝をついた。
弱気になってはだめ。
さっきの試合で学んだはず。
現実から目を逸らしてはいけないと。
私が恐怖で動かなければ、ヤトはどうなるの?
私しか助けられる人はいないのよ!
私はキッと前を見据え立ち上がった。
ヤトは、瀕死だけれど意識はある。
流石に天狐の生命力は並ではない。
きっとなにか方法があるはずなんだ。
周りをよく見なければ。
「しぶといのう。ヌエよ、さっさと始末するがよい」
『ヒョウ』と返事をするヌエの身体から、黒い霧がむわっと立ちあがる。
それは空中に広がって、ヤトを縛り付けていたものに付着してゆく。
そして、それは姿を現した。
ヤトを縛り付けているもの、それは真っ黒な鎖だ。蜘蛛の巣のように張り巡らされた鎖。その中央にヤトは囚われていた。
稲妻に貫かれ、更に鎖はキリキリとヤトを縛り上げる。
苦悶の声を上げるヤトに、ヌエが襲いかかる。
動けないヤトを大きな爪で引き裂く。
「ぐあっ!」
ヤトの痛みが私の中に流れ込んでくる。
いつの間にか、ヤトと同調していたことに驚きを感じる。
だけど。
ああ、苦しくて息ができない。
焼け焦げた身体は痺れて熱い。
引き裂かれた身体からは血が吹きでて、そこから力が抜けていくよう。
あまりの痛みと苦しみに私は涙が滲んだ。
もう、やめてよ。
傷つくヤトをここで見ていることしかできないの?
このままここで、手をこまねいていれば、確実にヤトは死んでしまう。
そんなのは絶対に駄目よ。
どうする?
そんな時、きらりと月雅が光った気がした。
そうだ!
今の私にできることは、これしかない。
私は右手に月雅を握りしめた。
そして、おもむろに胸の前に掲げる。
目を閉じ、深い呼吸を繰り返す。
身体が熱く、力が滾る。私の身体の隅々まで熱は行き渡り、髪は巻き上がる。
そして、月雅がぱらりぱらりと開き始めた。
私の力がこの扇を通じて、ヤトへと流れ込む。ヤトは身体から銀色の光を発し赤い瞳をゆっくり開いた。
私とヤトは強い絆で結ばれている。
私の光が彼に流れ、光は満ちてゆく。
ああ、もうすぐよ。
私の想いは溢れ出し、たちまちその傷は癒えてゆく。
『ヤト、もう大丈夫。存分に暴れて来なさい』
私の心の声を感じ取ったヤトは頷き、口元に笑みを浮かべた。
そして、月雅をヤトへと向け私は叫んだ。
「真の姿を現せ。天狐!」
ヤトの身体から、銀色の光が放射される。
それはこの会場中に広がり、辺りのざわめきは大きくなる。
「な、なんと!」
爺はそう呟くと、瞠目して動きを止めた。
ヌエはヤトの光の強さに恐れおののき、ジリジリと後退する。
ブチっブチっと黒い鎖が断ち切られる音が響く。
銀色の光はひと際強くなり、伝説の妖狐である天狐を形作った。
空中に悠然として立つヤトは、先程の怪我を微塵も感じさせないほど艷やかな銀色の毛並みと、凛とした赤き瞳で敵を見下ろす。
巨大で美しい体躯は見るものを圧倒する。
どこからか拍手が上がったと思うと、それは伝播していき、会場中が大歓声に包まれた。
「尻尾が九つとは!九尾の天狐···」
爺は愕然とし呟いた。
敵が怯んでいる今がチャンスだ。
「ヤト!狐火」
ヤトは『オォーン』と吠えると、その身体を渦巻くように青白い炎が現れた。それはまさに炎の竜巻だ。
天狐の状態で発現する炎は、通常の比ではない。
それは尋常でない熱量と、近づくものを全て飲み込んでしまう引力を備え、その力に抗えないと感じたヌエはぶるぶると震えだした。
余程その炎が恐ろしいのか、二、三歩後退したかと思うと、脱兎のごとく逃げ出した。
ごうと唸りを上げた青白い炎は大きく広がり、ヌエを捉え喰らいつき、骨の髄まで焼き尽くす。
『ヒョウヒョウ』と、か細い鳴い声を残し、ヌエは燃え尽き、宝玉へと戻った。
「まさか···」
爺は呆然として肩を落とし、ブツブツと話し始めた。
「よもや、予選で儂が敗れるとは。あの娘、ただ者ではない。予想の遥か上をゆく術士よのう。本人の実力も確かめなければなるまい」
ドロっとして粘りつくような視線を感じた私は、ぶるっと震え爺を見やる。
爺は「ほっほっ」と不気味に笑うと踵を返し、舞台を後にした。
レフリーの勝者宣言の後も、会場は歓声に包まれ、大いに沸いている。
ヤトは天狐の姿のまま舞台に降り立つと、私の元へと歩み寄った。
「ヤト!」
私はそう叫ぶと、大きなヤトの首へ抱きついた。
「ヤト、ごめんね。苦しかったでしょう?」
私の問にヤトは頭を振ると言った。
「祭雅、いや深月よ。私は平気だ。まだまだ暴れたりないんだが」
「えええっ?!」
この人は?!
なんてことを言うのだ!平気なわけ無いでしょ。
私も痛みを感じていたんだから、彼がどんなに辛かったか、わかってるんだけどな。
絶対強がりだよね。
···でも。
「もう、ヤトは···。好きなだけ暴れても良いけどね。今日のところは休みなさいね。はい、宝玉へ戻って!」
ヤトはとても残念そうな目をして私を見るけど、だめだからね。
はあっとため息を吐いたヤトは、私に頬ずりをして宝玉へ戻っていった。
さあ、これで予選突破だ。
本選では私も戦うことになる。
今の予選決勝のように、何が起こるかわからない。
気を引き締めていかなければならないと、決意を新たに私は舞台を後にした。




