祭雅
「白虎、この検非違使二人を背に乗せ、陰陽寮に運べ」
『グルゥー』
白虎は背を低くし、そこに検非違使二人を落ちないように乗せた。
白虎のことだ。彼なら上手く運んでくれるだろう。
空を駆けてゆく白虎の姿を確認した後、私達は敵に向き直った。
その敵の姿は細身で髪は異様に長い。そして、身に纏っているのは十二単衣だ。
額に角を生やし、紅をひいた赤い唇からは牙がのぞいている。
「なあ祭雅、あの鬼どこぞの姫のようだが?」
「ああ。あの姿からすると、ある程度身分のある姫だったんだろう」
「だが凄い怨念を感じる」
「人が鬼に落ちる、良くあることではある。だがな、そうなるにはそれ相応の出来事があったに違いない」
鬼女になった姫は、ニヤリと笑いながらスッと近づいてくる。
背筋に悪寒を感じ、私達は慌てて後退り鬼女との距離を取った。
よく見ると、鬼女の足元からはシュウと煙が上がる。
鬼女の履物や衣装の裾は、その動きと共にボロボロと崩れ落ちてゆく。
「ヤタガラス、鬼女を攻撃!」
千尋の声が響く。
ヤタガラスは大空から鬼女へ向けて降下し、その鉤爪が鬼女を切り裂く。
「やったか?」
「千尋、まずい!」
ヤタガラスの攻撃はまるで通じず、鬼女はヤタガラスの足を掴んで目を細める。
『ギャーー』
けたたましく鳴き叫ぶヤタガラスの足からは、煙が立ち昇っている。
「まさか、酸?危険だ!千尋、ヤタガラスを離脱させるんだ」
「祭雅、分かった。ヤタガラス、戻れ」
ヤタガラスは渾身の力で鬼女に蹴りを喰らわし、千尋の左腕へと戻った。
ヤタガラスの足は赤くただれている。
千尋は眉根を寄せてヤタガラスの足を擦り「ご苦労」と言うと、ヤタガラスは一声『クルー』と苦しげに鳴き太刀へと戻った。
私は月雅を掲げ叫んだ。
「式神·朱雀」
扇からは燃え立つ紅蓮の炎を纏った朱雀が飛び出した。
「朱雀、鬼女を攻撃」
朱雀は羽ばたき、上空から鬼女に向けて羽根を飛ばす。
その羽根は鬼女に突き刺さったように見えた。しかし、羽根はパラパラと鬼女から落ちてゆく。
そして鬼女は何事もなかったかのように、不敵に微笑んでいる。
右手を前に出した鬼女は、上空の朱雀へ向けて指さした。
指先からは液体が飛散し、朱雀に降り掛かった。
シュウゥゥっと音を立て、朱雀の羽根から煙が上がった。
「朱雀!!引け、炎の浄化」
朱雀は私の真上に来ると、身体を炎上させる。
それは美しく、真っ赤にはぜて、鬼女に受けた傷を修復してゆく。
元通りに回復した朱雀は、『ピュイー』と鳴くと大きく翼を広げた。
「朱雀、炎」
朱雀の翼から現れた炎は、鬼女を包み込んだ。
燃え上がる鬼女は目を見開き、苦しげにうずくまった。
「···中将···さ···ま、助けて···」
炎に包まれながら、右手を天に向けて差し出したその姿は、愛しい人に助けを求めているように見える。
苦痛に歪むその唇から紡がれた言葉は、私を動揺させるのに十分だった。
私は鬼女に同情しているのだろうか?
あれは人ではない、鬼なんだと自分自身に言い聞かせるけれど、その目が、言葉が脳裏に焼き付いて離れなくなってしまった。
「朱雀、止めろ」
思わず私は叫んでいた。
私の声を聞いた朱雀はすぐさま炎を消し去った。
「祭雅、何をしている?!すぐに攻撃を加えるんだ」
「······」
千尋の声にかぶりを振った私は、鬼女を見つめることしかできない。
動こうとしなくなった私に苛立ち、千尋は私の前に出て叫んだ。
「あいつは権中将殿や検非違使に怪我を負わせた我らの敵、憎き鬼だぞ」
「······」
私は答えられずにうつむいた。
けれど、このまま攻撃を続けることが、あの者の為になるとはどうしても思えない。
何かが違うと私の中が訴えかける。
「お前は甘すぎる。ノウマク·サンマンダ·バザラダン·センダ·マカロシャダ·ソワタヤ·ウンタラタ·カンマン!」
千尋が真言を唱えると、彼の持つ太刀が太く大きくなった。
太刀を構えた千尋は、鬼女を睨みつけている。
鬼女は朱雀の攻撃で既に弱っているようで、簡単にとどめを刺せそうに見えた。
「鬼は全て倒す」
千尋は叫び、太刀を構えて駆け出した。
ザクっと太刀の切っ先が鬼女の腹に突き刺さった。
太刀で刺された腹からは血が流れ、それを見た鬼女は表情を変化させた。
その目からは憎しみが滲み出て、顔はまるで般若のようになり、千尋の太刀の切っ先を掴んだ。
ま、まずい!
「千尋、逃げろ!」
鬼女は千尋ごと太刀を軽々と振り回し、投げ飛ばした。
「がはっ!」
「千尋!!」
慌てて千尋の傍に駆け寄る。
背中を地面に叩きつけられ、ゲホゲホと咳き込んではいるが、打撲の他に外傷が見当たらなかったのが僅かな救いだ。
ただ、私が戦うことを躊躇したせいで、千尋に怪我を負わせたことが、私の心を重くした。
「千尋、済まなかった。私が行く」
そう言った私は扇を眼前に掲げた。
ぱらりぱらりと広がる月雅を見つめながら、やはりこの鬼女とは普通に戦うのではダメだと思った。
やり方を少し、変えてみよう。
私は鬼女に向き直ると、舞い始めた。
その真上を朱雀が弧を描いて飛ぶ。
私の舞はお前の代弁となろう。
愛しい人への想いを舞う。
その想いは日増しに募る。
決して伝わることの無い想いを胸に秘めたまま。
叶えられぬ恋心は何処へ行くのだろうか。
静寂の中に、私は一心に舞う。
ひらひらと朱雀の羽根が舞い、それは私の舞と重なり合って、美しく、そして悲しくお前のまなこに映るだろう。
私は両足を揃えて立ち、胸の前で月雅をパチリと閉じた。
鬼女はじっと私の舞を見つめていた。
般若のようだった表情は、いつの間にか柔らかくなり、牙と角は消え去った。
鬼女は美しい姫の姿に戻り、跪く。
右手を天に向けて差し伸べ、その頬に一滴、伝った涙がキラリと光った瞬間。
指先からキラキラと輝き、光の粒子となって空へと昇っていった。
私はガクリと片膝を付き、荒く息を吐いた。
相手の想いを自分の中に取り込み、浄化させて、表現する。
普通に戦うよりも遥かに消耗が激しかったが、どうにか上手く行ったようだ。
「祭雅、お前···」
そう呟いた千尋は目を見開いて、私を見る。
額の汗を袖で拭い立ち上がった私は、上空の朱雀に指示を出す。
「朱雀、あの姫を天へ送り届けろ」
朱雀は光の粒子の周りを螺旋を描きながら飛んだ。
光の行方を導いた朱雀は、やがて『ピュイー』と一声鳴いて、大空を旋回しながら舞い戻った。




