陰陽師 雪村深月2
今の状況をよく確認しよう。
会場の地面に開いているいくつもの大穴。
そこからじわりと広がる瘴気は、銀色の結界によって会場の外へ広がるのを食い止められている。
その代わり、逃げ場のなくなった瘴気は密度を増し、見通しの利かないほど大気を汚染している。
こんな所に入ったら、息をすることもままならないんじゃないかな。
すぐにでも浄化をしなければならない。
私はホルダーから天の美月を取り出し、握りしめなが言った。
「この銀色の結界は伶さんが展開してるんですよね?」
「ああ。そうだ」
私の問に伶さんはコクリと頷いた。
やっぱりね。
こんな見事な結界は、伶さんじゃなきゃできないよ。
「伶さん。結界内の瘴気を浄化するので、一旦結界を解除してもらえますか?」
「···わかった。でも気をつけるんだ。なにか、嫌な予感がする」
嫌な予感?
こんな瘴気の一つや二つ、どうって事ないよ!
って思っていたんだけどね。
どうも、伶さんは何かを感じ取ったみたい。
一流の陰陽師の勘を侮ってはいけない。
何が起きても対応できるように、気を引き締めて行こう。
「わかりました、十分、気をつけます」
私は式神のみんなに呼びかけ、配置についてもらった。
結界の全方位から、瘴気を殲滅する作戦だ。
「では伶さん、お願いします」
伶さんはしばらく考え込み、首を軽く横にふると、サザンクロスを眼前に掲げ目を細めた。
キラキラと輝きながら、銀色の結界は消え失せた。
その途端、結界内で密度を増していた瘴気が、爆発的に増殖し広がった。
予想以上に激しい瘴気の動きに、一瞬躊躇したけれど、すぐに切り替えて攻撃に転じた。
「行け!」
私は天の美月を振り上げると、そこから疾風が出現した。
襲いかかる瘴気の粒子を、疾風が爆風となって祓う。
祓われた黒い瘴気は、光となって消え去るが、祓い損ねた瘴気は、増殖を続ける。
式神のみんなも一丸となって応戦するけれど、攻撃から逃れた瘴気は上空へと舞い上がり、大きく広がった。
いくら攻撃を重ねても、瘴気の増殖は抑えられない。
これは、きりが無い。
地面から湧き出し、次から次へと襲い来る瘴気。
私たちが祓うスピードよりも、増殖するスピードの方がはるかに上回っている。
何か別の手立てを考えなければ、全ての瘴気を浄化することは不可能だ。
そして、瘴気はまるで意思を持った生き物のように、翼を広げてこちらに向かってくる。
それは私一人に狙いをつけているようだ。
触手を伸ばした瘴気の影が、私に覆い被さる。
な!何なの?!
速すぎる!
加速した瘴気のスピードに呆気にとられた私は、瞬時に対応できずに立ち尽くした。
ま、まずい!!
このままじゃ殺られる!
世界がスローモーションのように、ゆっくりと動いている。
「深月!」
叫びとともに、その瘴気の影を細身の剣で祓い、伶さんが私を護るために包み込んだ。
ジュシュっと言う音と、煙が辺りに立ち込める。
しっかりと私を抱きしめていた伶さんは、「ううっ」と苦悶の声を上げ、ふっと力を緩めた途端に崩れ落ちた。
「伶さん!」
嘘っ!
私は蒼白になって、伶さんの元に蹲った。
伶さんの背中は瘴気の影響により、焼けただれプスプスと煙を上げている。
荒い息を吐き、額には大粒の汗が浮かんでいる。
伶さんの忠告があったのに、なんてことなの!
状況を甘く見過ぎていた。
狙われたのは私なのに、伶さんが身代わりになるなんて···。
私は急ぎ周辺の瘴気を浄化し、伶さんの様子を伺う。
「伶さん···」
再び問いかけると、伶さんはうっすらと目を開いた。
「私は···だい···じょうぶ···君が···無事で良かった」
ちっとも良くないよ!
無理して微笑もうとする伶さんを見て、思わず涙が滲んた。
どうしたらいいの?
伶さんにこんな辛い思いをさせたくはなかった。
私は何をやっているの。
ああ···。
今は自分の行動を後悔している場合じゃない。
気を強く持たなければ。
私がやるべきことをやるんだ。
私は深く深呼吸し、自分を取り戻した。
先ずはこの瘴気を隔離しないと、伶さんの治療もままならない!
「ハヤトくん!直ちに結界を張って。あの瘴気を逃がしてはダメよ」
「ミツキ、任せて!」
ハヤトくんは私の前に出て、最強の結界を展開した。
幾何学模様の現れた結界は、難なく瘴気を隔離した。
後は伶さんの治療だ。
この瘴気は普通じゃない。
治療と言っても、普通の医療が通用するとは思えない。
となると···。
私は天の美月から全ての式神を呼び出し、声をかけた。
「式神のみんな!あなたたちの中で、伶さんの治療をできる人はいる?」
「私ができるわ」
私の呼びかけに、アマテラスが手を挙げた。
「アマテラス!すぐに治療に入って」
「任せてちょうだい」
アマテラスが伶さんの元へと駆け寄り、右手をかざした。
頭から足元までサーチするように右手をかざしている。
重傷を負っている背中に右手が充てがわれ、そこから眩い光が溢れだした。
その光は繭のように、伶さんを包みこんだ。
その繭はうっすらと輝きを放っている。
「細胞に入り込んだ瘴気の毒素を除去するため、光の繭に入れたわ。それが済んだら皮膚の再生に入れるでしょう。深月、心配しなくてもこの子は大丈夫よ。私が必ず助けるから。ああ、それと。少しの間、ツクヨミを借りるわね」
良かった···。
アマテラスの言葉を聞いて、ほっと胸を撫で下ろした。
「わかった。アマテラス、ツクヨミ。伶さんを頼むね」
アマテラスとツクヨミは頷き、伶さんを挟んで向き合った。
この二人に任せておけば安心だ。
私は天の美月を握りしめ、立ち上がった。
「あ、深月待って!」
「?」
アマテラスに呼び止められ、彼女を見ると、その手には黒光りする扇が握られていた。
「月雅の浄化が済んだの。あなたに返しておくわね」
そういえば、闇に蝕まれた月雅の浄化を頼んでいたんだっけ。
アマテラスから扇を受け取った。
握りしめたら、優しくて温かな気を感じる。月雅から闇の気配は全て消え去っている。
月雅は以前の輝きを取り戻しただけでなく、更に美しい光を纏っているように見える。
「アマテラス、ありがとう。この月雅、以前よりパワーアップしてるようなんだけど?」
「もちろんよ。この扇はあなたの近くに居る事を望んでいるの。使い所はあなたが決めるといいわ」
へぇ、凄い。
アマテラスは月雅の気持ちがわかるんだ!
でも、私には天の美月があるのに、どうやって月雅を使うんだろう?
まさか、二刀流とか。
いやいや、私そんなに器用じゃないし。
むむ。
今は考えてもわからないや。
その時が来ればわかるんだよね。
きっと。