陰陽師 雪村深月
流石に鬼の姿は確認できない。
ここに居る優秀な陰陽師達が、撃退してくれたのだろう。
ただ、鬼が暴れた為か、広い会場のあちこちに大きな穴が開いており、立入禁止のロープが張られている。
そして、その穴からはじわりと黒い影が滲み出ているように見えるんだけど···。
あれは一体?
私が注意深く辺りを見回していた時、会場に大きな声が響いた。
「深月、悠也、無事か!?」
私達の帰還に気付いた伶さんは、真っ先に駆けてきた。
その声に反応した事務所の面々も、血相を変えて駆け寄った。
「伶さん!真尋!拓斗さん!ただ今、戻りました」
私の叫びに、彼らは私たちを取り囲み、安堵の息を吐いた。
「「「良かった···」」」
うわぁっ!
なんだか凄く嬉しい。
久しぶりにみんなの無事な顔を見たら、とても安心できた。
だけど、この辺りの不穏な空気を見る限り、そう喜んでばかりもいられない雰囲気なんだけどね。
それに、心なしかみんなの顔色が悪いような気がするんだけど···。
「ここの状況は?他のみんなは無事ですか?」
私の問に真尋が進み出て答えた。
「ああ。鬼は俺達が撃退したし、みんな無事だよ。だけど会場がな···」
真尋が会場の大穴と大気の闇を指さし、顔をしかめた。
「あれって、放って置いたらまずいんじゃない?」
「そうなんだ。会場のあちこちに空いた穴が異界と繋がったらしい。そこから瘴気が流れ込んでいるんだ。俺たちも結界を張ったり、浄化をしているんだが、会場全体に闇が広がって浄化が追いつかない」
少しの間にも闇は広がり、大地と大気は侵食されている。
確かに大きな結界が張られ瘴気が広がるのを抑え込んではいるが、万が一結界が破られてこれが会場の外にまで広がったら、大変なことになる。
それに、会場にいる陰陽師は、既に力尽き倒れている者がほとんどで、戦力に数えられるのは、赤星事務所の人間のみだ。
この人数での対応は、流石に厳しい。
私も一介の陰陽師として、できる限りの力を尽くそう。
ふらつくなんて言ってられないよ。
私はユキちゃんに目配せし、腕から降ろしてもらった。
気合を入れれば、あともう少しなら、なんとかなる!
そう思い、天の美月を取り出そうとホルダーに手を掛けた時、あたりの空気が変化した。
「おう!嬢ちゃん!!」
遠くから大きな声が響き、大柄な男性が女性を伴い現れた。
あ、あの人たちは!
「真田さん!京香さん!」
「無事だったようだな!」
「はい。私は大丈夫です」
陰陽師連盟総本部の総長、真田さんと副長の京香さんだ。
二人は急ぎ足でこちらに来ると、「ふむ···」と呟きながら値踏みするように私たちを見回しニヤリと笑った。
「···あんたは相変わらずとんでもないな。また式神が増えてやがる。どこまで強くなれば気が済むのやら···まあ、それはさて置き、このタイミングでよくぞ戻ってきてくれた」
「えっ?このタイミングってどういう事ですか?」
「この会場にまん延しつつある瘴気には気付いているんだろう?」
「はい」
周りを見回し頷く私に、真田さんは話し続ける。
「この瘴気に当てられた人々が、既に何人も倒れている。ある程度、実力のある陰陽師でさえも、抵抗できずに倒れてしまってな。今残っているメンバーだけでこれを抑え込むのは到底無理だろう。この瘴気がドームから外に広がればどうなるか、説明しなくても嬢ちゃんならわかるだろう?」
私は思わず唸った。
状況はかなり切迫している。
この瘴気を一般の人々が浴びれば、ただでは済まないと言うことだ。
「帰って早々に悪いんだが、お前さんに頼みがある」
「頼みとは何でしょうか?」
いつもの真田さんらしく無く、余りにも真面目な表情で話しかけられ、面食らってしまった。
「嬢ちゃん···いや、陰陽師、雪村深月。陰陽師連盟総本部より正式に依頼する。依頼内容は、この会場の瘴気の除去及び浄化だ。どうだ、受けてくれるか?」
ええっ?!
正式依頼!!
うわぁっ!
陰陽師として個人的に依頼されたことなんてないから、驚いたよ!
だけど、依頼されようがされまいが、ここの浄化はすると決めていた。
だから、返事も決まっているのだ。
「もちろん、お受けします」
私の答えに、真田さんはホッとしたように僅かに口の端を上げた。
「そうか、ありがとな」
真田さんは京香さんに向き直ると、矢継ぎ早に指示を出した。
「京香、まずは如月の娘を保護し、搬送の手続きを取れ。それから例のものを嬢ちゃんに渡してやれや」
真田さんはツクヨミが抱える彩香を指差した。
京香さんは不機嫌そうな顔を真田さんに向けた。
「指図されなくてもそうするわよ!深月、如月さんを預かるわ」
そう言って片手を上げると、白衣を着た男性が二人現れ、慌ただしく彩香を担架に乗せた。
「緊急で指定病院に運んでちょうだい。私もすぐに向かうから」
京香さんは、白衣の男性二人に指示を出した後、こちらに向き直った。
「深月。左手を出しなさい」
「は、はい」
そう言われ左手を差し出すと、京香さんは私の左手首に装着された腕輪をじっと見つめた。
「ああ、やっぱり!この腕輪は機能を失っているわね」
この腕輪は、本戦用に支給されたアイテムだ。
それを悠也さんが異界の門を通るための鍵に作り変えた為、本来の機能は失われていた。
「あ、あの···ごめんなさい」
勝手なことをしたのがバレてしまった。
仕方がなかったこととはいえ、やっぱりまずかったのかな?
「いいのよ、気にしないで。有事の際は何でも利用しなくちゃ生きていけないわ。そうね、これと付け替えてあげる」
京香さんは私の左手首の腕輪を外し、違う腕輪を装着してくれた。
なんだろう?
腕輪を着けた途端、すうっと爽やかな風が私の中を駆け巡り、力が湧いてくるような気がするけど?!
「あの、これは?」
私の問に京香さんは微笑みながら答えた。
「この腕輪は、気力、体力、霊力を一定時間回復してくれるの。今のあなたに一番必要な物だわ」
「うわぁっ、凄い!ありがとうございます。助かります」
実は、ふらつきをやっと堪えているような状態なんだ。
ほぼ力を使い果たしちゃったからね。
だからこれは本当に助かる。
こんなに素晴らしいアイテムを装着してくれるなんて、流石京香さん。
きっとこれも彼女のお手製なのだろう。
「あっ!でも油断しちゃダメよ。この腕輪は万能じゃないの。一定時間を過ぎるとリバウンドが来るから気を付けて」
「えっ!リバウンドって?」
京香さんは腕を組みながら、苦々しげに笑った。
「ゴメンね。これ、まだ試作段階なのよ。一定時間というのは約三十分。それを過ぎたら立っていられない程、腕輪に力を持っていかれるからね」
そ、そうなんだ!
大丈夫だろうかと、一瞬不安がよぎった。
でも、三十分で方をつければ良いわけで。
その後のことは、今は考えないことにしよう。
絶対にどうにかなるはずだから。
「わかりました。三十分で方を付けます」
私が不敵に微笑むと、京香さんもクスリと笑った。
「やっぱり。あなたならそう言うと思った。それじゃあ、後は頼んだわ」
「はい、任せてください」
京香さんは私の肩をポンと叩くと、慌ただしく出かけていった。