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WITHUOOM HSASTE -ウィトゥーム ハズアステ-  作者: KIKP
東北 芸術の国
66/68

65 未だ届かぬ

夢を見る。それは幼い頃の記憶の夢。

産まれて直ぐに、私はピアノに触れさせられ、音を聴きながら育てられた。

そして、三歳になった誕生日に時に、母に無機質な倉庫のような一室に連れていかれ、グランドピアノと三つの楽譜を渡される。


クリスティアン・ペツォールト:『メヌエット ト長調 BWV Anh.114 』

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ:『平均律クラヴィーア曲集 第一巻 第一番 ハ長調』

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト:『ピアノソナタ 第十一番 イ長調K331の第三楽章 ロンド トルコ風 トルコ行進曲』


「一週間後に、またここに来ます。それまでに完璧に弾けるようになっておきなさい」


そう言って母は私をその部屋に残し、家に帰った。

だけど、言われた事をあまり理解出来てなかった。

当然だ。それまでにピアノに触れ、その音や音楽を聴いたことがあっても、楽譜を自体を見るのは初めてで、曲というものを弾いた事すら無かったのだから。

だから、興味が湧くままに、その大きく黒く美しいピアノに触れて、白鍵を押して音を鳴らした。

そこからは、読めない楽譜を眺めながら、模索するように音を鳴らし、何となくどう読むのかを理解していく。

すると、知らない人が部屋の扉を開けて入ってくる。

その人は母が、ピアノに専念できるよう、食と掃除等の生活の面倒を見てくれる家政婦を雇ったのだと、挨拶する。

だけどそれも、三歳という幼さ故に、何ら理解など出来ておらず、ただピアノを弾き続けていた。


一、二時間ほど試行錯誤しながら音を鳴らしていると、少しずつ曲の形が現れてきて、楽譜が何となく読めるようになっていた。

一日、一日と進むにつれて。ようやく一曲を弾けるようになり、楽譜も完全に読めるようになった。

そこからは難しくも慣れたら簡単なもので、六日目には渡された三曲をミスすることなく弾けるようになっていた。

そうして、約束の一週間後。母が部屋に来て「じゃあ聞かせてちょうだい」と席に着く。

自信満々に、一曲目の『メヌエット』を弾いていると、途中で母は立ち上がってズカズカと足音を立てながら歩み寄り、私の頬をぶった。

三歳という幼女に容赦ないその行いは、椅子から投げ落とされるように転げ落ちた。

あまりにも唐突な事に理解が出来なかったが、次第襲い来るその痛みにぶたれた頬を手を抑え、涙が溢れてくる。

顔を見上げて母の顔を見ると、それは初めて見る鬼の形相で興奮した様子だった。何を言っていたか覚えていないが、罵詈雑言を浴びせられていたのは何となく分かる。

しばらく怒り叫んで落ち着いたのか、母は気だるげに「また一週間後来るわ。それまで時間がある限り、楽譜をさらい続けなさい」と言い残して、部屋を出て行った。


なんで怒っていたのか、何が悪かったのか。理解できないまま。ただ、痛いのは嫌だ。怒られたくないと、言われた通りにピアノを弾き続けた。

すると、徐々に視界がぐにゃぐにゃと揺れて、指の感覚が薄れて真っ暗になり、目を開くと白い天井が見ていた。

いつの間にか布団で寝ていたのだ。

家政婦の話によると、あれから二日ほど食事を取らずに水だけを飲んで、弾き続けていた為に、無理が祟って気絶し倒れ、丸一日眠ってしまったそうだ。

その話に、一日無駄にしてしまったと、私は急いでピアノを弾きに戻ろうとするその様子に「せめて食事だけでも撮ってください。死んでしまいますよ」と慌てて止めにかかる。

だが、幼いあの頃は死というものを知らない。だから、あの恐怖に比べれば、気絶したことなんて怖くない。一秒でも無駄にしたくないと、その手を振りほどこうとしていた。

「せめて、これだけでも受け取ってください」と一つの小さな箱を渡されるが、暴れていた為に弾かれて、床に落ちて転がる。


すると、風の音が聴こえてきた。

気が付くと、二人は無機質な部屋から一変し、傍に少し大きな泉と、草木が生い茂る森の中に居た。

風に揺られ木々が音を鳴らし、小鳥たちが囀る。

曲の終わりと同時に、その世界は徐々に元の無機質な部屋へと戻っていく。

何の曲かは分からない。ただ分かるのは、その曲が、興奮していた私を落ち着かせてくれたという事だ。


一体何がそうさせたのだろうと、辺りを見ると、落ちた拍子に箱が開いていた。

そうして、落ち着いた私に家政婦の人は地面に転がるその箱を拾って「お父様からです」と言って渡す。


そういうのだが、仕事で忙しく、一度も家に帰ってきたことがなかった為に、その時の私は父の顔を知らない。

だけど、その箱から聴こえたその音はとても暖かく、何も見えなかった世界に、道標を教えてくれたように思えた。

「せめて、これを聴く間でもいいので食事を取ってください」とお願いされ、家政婦の言う通りに食事は取るようになった。


それからは、楽譜はただ漠然と奏でるだけではいけない。それぞれに作曲者が見た、描いた景色、世界がある。だから演奏者である私は、それを楽譜を読み取り、分析、理解し再現する事が大切なのだと。

曲を奏でながら、その世界をイメージをする練習を始めた。


そうして訪れた、約束の日。母の前で再び曲を奏でる。

父から送られた箱の聴こえた世界の領域には、まだ程遠いいが、それでも二人の男女の手作り人形がドレスを着て優雅に踊る様子を見せる事ができ、今回は途中で止められることは無く、三曲最後まで弾くことが出来た。


すると、母は立ち上がり、静かにこちらへと歩み寄る。

「偉いわ。ちゃんとできるじゃない」と優しく頭を撫でてくれた。だが、その顔に一筋の笑みは無い。

「わた——」

「じゃあ、次はこれね」私の言葉を遮り、また別の三つの楽譜を渡される。

「また、一週間後に来るから」そう同じ事を言って、部屋を出て行った。


私はそれを静かに見送り、再び、ピアノに向かって座り。与えられたその楽譜の曲を引き始める。

何か話しかけるつもりだったが、正直、ピアノを弾き始めればどうでもいい事だと、すぐに忘れた。

今はただ、ピアノを引き続けたい。早く、あの見える世界の音楽を奏でられるようになりたい。そう、起きている時間の九割をピアノに捧げた。


それから、ピアノを初めてちょうど半年。

初めてピアノコンクールに参加した。

というのも、母がいつの間にか受付を済ませており、三日ほど前に知らされた。

その、参加資格は十二歳以下という事のみという、この国では比較的小さなコンクール。

初めてのコンクール。母以外の観客に、三歳が最大九歳も年上の人達と競うのだ。当然緊張していた。いや、わくわくと胸が高まる。他の人は一体、どんな世界を見せてくれるのだろうと。


結果は最年少である三歳のセネリアが最優秀賞を受賞した。

賞を称えられる彼女は心底つまらない、退屈そうな顔をしていた。

それもそうだ。この時、音楽で演劇を奏で観せる彼女に対し、他の参加者は背景はそれなりのものだが、動く登場人物は糸人形。紙芝居。または、それらすらも見せる事の出来ない演奏だったのだから。


それから七歳となり、珍しく評議員が主催した出場者招待制の、少し大きなコンクールに出場した。とはいえ、有名なプロの演奏家は一人として参加してないものだけど。

ここまでに音楽の学校へ入学させられ、徐々にレベルの高いコンクールに出させられ、自己研鑽を続ける日々。

コンクールも学校も程度が低く退屈だが、それでも言うことを聞いて頑張っていれば、まだ早いと行かせて貰えない、この国でも有数の、プロの演奏者達が集い奏でる演奏会に連れて行ってくれると、約束してくれたから。

だから、母の望むとおり、学校で優秀な成績をとって、コンクールで最優秀賞を総嘗し続けた。


そのせいか、いつの間にか周りから『神童』から『幻奏姫(げんそうき)』等ともてはやされるが、無愛想で無機質。楽譜通りに精確に演奏する事から『精密人形』、『作曲家の奴隷』、『母の操り人形』等と、こそこそ陰口を叩かれる。

そんなくだらない事は勝手に言わせておけと、気にせずに順番が回ってきて席に着く。


だが、もうすぐに演奏が始まるというのに、静かにも少し騒々しかった。

それは、彼女に対する期待と嫉妬によるもの。


演奏が始まるのに少しかかるだろうか…。と審査員が時計を見つめながら、そう思っていると、彼女は構わずに弾き始めた。


大きく強い音が響く。

それは、「静かに私の音を聴け」と言うような、威圧し圧倒するような音色。

騒がしかった観客は皆黙り込み、そこに見える演劇の世界に見蕩れて清聴していた。


演奏を終えると、それまでの演奏になかった拍手。


同じ人間であり同じ言語を使おうとも、価値観が違えば話は通じない。だから、言葉を交わす事などに意味など無い。時間の無駄だ。だから、分かりやすく教えてやればいい。己の価値の差を。


係員が次の演奏者を呼び出しをするが応答が無い。それは一人だけでなく、二人、三人と続いて。


「ねぇ、もしかしてさっきの子達じゃない?」

「ああ。演奏の終わりと同時に出ていった子達か。まぁ、仕方ないよ。あの演奏の後に弾くなんて。僕でも逃げ出したくなっちゃうよ」


時間を無駄に出来ないために次々と飛ばされて行く。


評議員の主催のコンクールと期待していたけど、期待通りの演奏が出来たのは、いつも私に敵意むき出しに妖精を見せるあの子だけ。本当につまらない。さっさと家に帰って、練習したいわ。


そんな事を考えていると。


「え〜。十三番」

「はい、は〜い」

一人の少年が陽気な返事をして、一番後ろの席から舞台へと上がる。

その姿を見て、観客達は騒々しくなる。

それもそうだ。その少年は使い古されたボロボロの服装で出てきたのだから。

演奏会に演劇と、観客も演者、奏者と皆が正装を身に纏う。

それは互いに対する礼儀であり、敬意。何よりも神聖なる舞台を汚さない為に。


「ねぇ、あれってもしかして…」

「噂のゴミ山の住民なんじゃ…」


あまりにも場違いなその少年の登場に観客も係員、審査員達もが困惑する中、審査員の一人である評議員は落ち着いて見ていた。

係員と他の審査員たちは、評議員の顔を伺いながら、追い出した方がいいのかと戸惑い考える中、少年は礼をして席に着く。

それを見て、ピアノを提供した職人が声にならない叫びを漏らしながら、倒れ失神した。

その物音を目撃した周りにいた観客達が悲鳴を上げる。

突然のその叫び声に近くの観客が立ち上がって、倒れているそれを見る。すると数人が慌てて逃げ始めた。

遠くの観客は何が起こったのだと分からない。ただ、逃げるその様子に緊急事態が起こっていると危機感を感じて、混乱して立ち上がり、会場から逃げ出そうとする。

だが、狭い出入口。我が身可愛さに、我先に行こうとするために詰まって全く出られていない。


少年は舞台の上で、その様子を呆然と眺めていた。


大人の醜い罵声。泣き出す子供。自分の時以上に演奏を始められないであろう状況。

係員が混乱を沈めようとするも、これだけパニックになっていては声も届きはしない。

審査員達も係員からいち早く状況を理解して、審査の為に座っているけれど。これの後では、これまで通りに集中して聴くこと。本来の演奏をすることも出来ないでしょうね。


呆れながら見ていると、少年が諦めたように演奏を始めた。

その音はか細く小さな音で、案の定、混乱の騒音に容易くかき消されてしまう。


今回のコンクールに出場してるということは、彼も同じく評議員から招待を受けたということ。ゴミ山が何なのかは知らないけど、そこから来た彼の演奏。それが一体どんなものか興味が湧いたのだけれど…。こればっかりは運がなかったと諦めるしか無いわね。


そう、ゆっくりと瞬きをした瞬間。

青空の下。広大な草原の真ん中に立っていた。

果てしなく広い世界だが、少し様子が変だ。それは、ドーム型。半球状の世界の様で空が途中で途切れ、前方も、左右の果ても霧がかっている様に灰色に染まっている。

だが、そんな事に彼女は何の違和感も持たない。

ふと、背後を振り向くと、一つのピアノがそこにあった。

草原に放置されているというのに、新品。まだ使われ始めたばかりの様に綺麗だ。

誘われる様に、その椅子に座り、恐る恐る、一つの音を鳴らす。

その瞬間、鳴らした音が体を通って行くと、自然に指が動き始め音楽を奏で始める。

誰の曲で、何という曲名であるかも分からない。ただ私は、思い浮かぶがままにその即興曲を奏で終える。


気が付くと、目の前には舞台があり、最後の音が響いていた。

その時には会場の混乱は収まっていた。いや、収まっていたというよりも全員が呆然としていたというのが正しいだろう。

そして、演奏を終えたと少年は立ち上がり一礼をする。

それに拍手の音は一切鳴らない。ただ静寂の中。その姿を見つめていると、視界がぼやける。

ゆっくりと涙があふれ、頬を撫で落ちる。

その涙は、未体験…。彼の演奏の美しさに対する感動であると同時に、初めて同世代に負けたという、悔しさのものだった。


—————————————————————————


真っ暗中で目を覚ます。

それは、毛布の中で丸まって寝ていたから。

毛布をめくりながら上体を起こすと、昨日の朝より少し暗く、僅かに外から聴こえるその音に、理解する。


雨か…。


彼女の部屋は、昨日の裕福そうな服装からは想像も出来ない部屋模様だった。

彼女の寝ているそれはベットではなく、無地の敷布団。

傍の床には昨日の服と下着が脱ぎ散らかされている。

机やソファ、時計などといったものは無く。必要最低限さえあればいいというような、一切無駄のない、寂しくも思える部屋。


眠気覚ましとコップに水を注いで飲み干して、外の様子を伺おうと窓へと行く途中、敷布団の反対にあるそれが目に入る。

唯一、申し訳程度として置いてあるフリーラック。

そこには、これ迄のコンクールで受賞した数々のメダル等が並んでいる。

功績、成果を形あるものとしたそれらだが、彼女はとてもつまらない目で見つめる。


ほんと…。コンクールの度に見せられるわね。この夢は…。まぁ、嫌いじゃないのだけれど…。


再び外の様子を見ようと窓へと向かい、カーテンの隙間から外を覗く。

空は雲に覆われているが、木の枝が揺れていない様子からほぼ無風でただの小雨。


昼頃に雨は止んで、夕暮れ時ぐらいに雲は晴れるか…。なら、それまでピアノの練習をして、その後服のクリーニングとご飯の買い出しをして…。


そう、今日の予定をまとめていると、何か音が聴こえた。

何の音と見渡していると、向かいの建物にある、オーニングの下で雨宿りをする人の影があり、それはこちらをじっと見ていた。


…まさか。


顔を軽く洗って、クローゼットから適当にワンピースと上着を選び着て、その影の元へと向かう。


「どうやってここにって、聞きたいところだけれど…。それで、一体なんの用かしら。サン」


そこには全身ずぶ濡れで、着替えていないのか、昨日の格好の上に雨合羽の様な黒いローブを身に纏う、昨日の様子から一転した、暗い様子のサンビアがそこに立っていた。


「これを、昨日の彼らに渡してほしい」


少し雨に濡れ薄汚れた、半折りの紙を差し出す


「わかったわ。それにしても随分と似合わない顔をしているわね。どうしたの」

「そう?」

「ええ」

「いや…何だろうか。もっと早くから君からの提案を受け入れていれば…。良かったのかなってね…」

「貴方が、望むなら今すぐにでもいいけれど。前々から言っているけど、準備はできているから。まあ申し訳ないけど、しばらくの間はつらい思いをさせてしまうわ」


その言葉にサンビアは首を横に振る。


「もう、手遅れなんだ」

「手遅れ…?」

「こっちの話さ」


用は済ませ、サンビアは帰ろうと数歩歩み、立ち止まる。


「セネリア」

「何?」

「君とはこれが最後になるだろう…。いや…。出来たら、そうなる事を…。僕は望むよ」

「そう…」


寂し気なその背中で語った後。雨降る街の中を歩いていく。

彼の言葉に幾つか疑問が溢れる。

だが、何も言わず。ただその姿を、静かに見送った。

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