63 音の世界
まるで着ぐるみのような人の大きさ程ある楽器達が列を作り、独りでに曲を奏でながら、軟体生物…。こんにゃくのように柔らかい体をグネグネとくねらせるような動きで、紙吹雪舞い散る、観衆に挟まれたその大通りを、パレードのように会場へと向かって行進して行く。
それは、ただ奏でるのではなく。サーカス団のような、アクロバティックなパフォーマンスをしたり、マジシャンのように音を音を奏でながら、花や鳥が飛び出す。
楽しげな、その音楽に合わせて観衆は手拍子を。木の枝の小鳥たちはさえずる。
ヨハン・シュトラウス: 『ラデツキー行進曲』
エトムント・アンゲラー: 『おもちゃの交響曲』
その様子を眺めるながら、空から舞い落ちてくる、紙吹雪を手に乗せ、指で摘んで擦り、破り、観察する。
紙を捨て、地面を見てブーツの踵で、音を鳴らす様に地面を蹴る。
これまでの演奏は、演奏者の景色や世界を音で大気の魔素が反応し、光や、水。草木や妖精のように形を作っていたが、そう見えるだけで触れる事も出来なかった。
あくまでも幻想。少し違うが、科学的に言い表せば、大気にある魔素にプロジェクションマッピングをしているようなものだ。
だが、これは…。それと全く違うもの。
紙の肌触り。地面を蹴り鳴らす音と、足に返ってくる反発する感触。照りつける太陽の熱と眩しさ。外の空気の流れ。その全てに、本物な感触がある。ピアノとは別の楽器。オーケストラの楽器たちの音と響きが確かにある。
元の劇場は締め切ってる故に密閉されており、風などのような、空気の流れなどない。
床はヒールなどで音が鳴らないようにと、硬い材質ではなく、カーペットが敷き詰められている。だから、地面を蹴って起こった、硬い感触と音が鳴るなんてありえない。
だから、これはまるで…。劇場が彼の見る世界へと作り替えられたよう。そして俺は、その世界の住人の一人であるような感覚だ。
現に、独りでに楽器が踊るという光景に違和感を一切の感じない。それが当たり前だという認識があり、次の催し物がどんなものか。何となく分かる。
管楽器の吹く音に、トライアングルがリズムを合わせ、疾走感のあるメロディーを奏でる。
ジャック・オッフェンバック: 『天国と地獄/地獄のオルフェ』
コロッセオのような円形の劇場…。いや、陸上競技場が正しいか。そこで先程の楽器たちが運動会をしているかのように走ったりとして、競い、遊び合っているその光景を、観客はスポーツ観戦のようにしておもしろおかしく、大いに盛り上がっている。
いつの間にか、手にはポップコーンらしきものとドリンクを持っていた。それを一つ手に取って感触と匂いを確かめ、口に含んで噛み、ドリンクで流し飲み込む。
…嘘だろ。ちゃんと塩気と柑橘系の味があるし…喉が潤ったぞ…。どういう仕組みなんだこれは…。
そう、疑問を考えていると、興奮に我慢できなくなった観客が一人、会場に乱入していく。
すると、それは楽器たちの様にグネグネと千鳥足になりながら、肉体が変形し楽器へと変化する。
狂気としか思えない光景だが、観客は誰一人として悲鳴や困惑の声を上げる者はいない。
寧ろ、楽し気な笑い声に興奮が高まって、同じ様に一人。また一人と釣られるようにして会場に乱入し、楽器は増えていき。曲が、もう終盤に差し掛かると、楽器達は、慌てるフォーメーションを組み、華やかなフィナーレを飾る。
世界は徐々に暗く暗転し何も見えなくなる。
高いピアノの音色が、穏やかにも少し悲しく奏でられ、聞いたことのないその曲は、長い回路を見せ、歩き出す。
先が真っ黒で見えない。それは、暗いゆえか…。果てしなく長い故に見えないのか。分からない。
次第に募るドロドロとした不安が足に絡みつき重くなる。
だが、それでも強く踏みしめて、歩みを進める。
すると進む先に、ぼんやりと巨大な壁が見えてくる。
それに近づくと、それは巨人が通る為にあるような、巨大な扉だった。
とても一人の力では開くことは出来なそうな、重厚で重そうな扉。
当然、押してもビクともしない。
他に道はないのかと、辺りを見渡すも無い。
あるとすれば、来た道を戻るということ。後戻りをするにはできそうだが。振り向くと、道は所々途切れており、来た時よりも困難な道に変わっていた。
だが、そもそも後戻りなんてする気などない。
その重厚な扉に手をついて振りかぶり、強く叩く。
その音は、回廊に大きく響き。二度、三度と繰り返して叩き続ける。
すると、ビクともしなかった扉が独りでに開き始める。
隙間から眩い光が溢れ、そして、世界は真っ白に染まった。
まばらな拍手の音がきこえてくる。
気が付くと、元の会場に戻っていた。
隣のロメルと、あちこちで数人が拍手をしており、舞台の男は一礼して楽器を押して会場を後にする。
これまでは、演奏者の一例を合図に、素晴らしき演奏に拍手喝采が行われていたが、皆呆然と座り尽くしていた。
そして徐々に一人。また一人と意識を取り戻したのか、戸惑いの声が溢れる。
それは恐らく、先程までの現象が余りにもリアルで、脳が現実との境目をまだ正常に判断、区別できていない為に困惑しているのか。まだ夢のような、非現実的な世界の余韻に浸っているのだろう。
一休みと観客は会場を出ていくのだが、会話をすることなく、初めて酒を飲んだかのように、ぼ〜と何かを思いながら、斜め上を眺め見ている者。
「あなた、何を仰っているのか、分かっているのですか?」
「ご、ごめんなさい」
と、何やら言い争いしている者。
そして、シルスとメアは、そわそわ、もじもじと落ち着かない様子をしている者がいた。
「はい、二人ともお水です」
リーディアが二人の様子を見て、お水を取ってきて渡す。
「ありがとう」「ありがとうございます」
「二人とも、トイレなら我慢しない方がいいぞ」
「ち、違います」「違うわよ」
恥じらいからか、顔を赤くしながら強く否定する。
「違うのか…」
トイレじゃないならなんだ…?だけど、この二人の様子…何処かで見た事が有るんだよな。何だったか…。
そう、記憶を遡り答えに辿り着く。
「ああ。発情期か?」
「ばか!」
その言葉に、シルスは顔を背け、メアは咄嗟の怒り、頬をビンタしようとしたが、軽々と避けられてしまう。
「なんで避けるのよ」
「避けるだろ」
「いや、殴られとけよそこは」
呆れた様子でサディアが口を挟む。
「何でだ?」
「今のは、女性を恥ずかしめる。デリカシーの欠片の無い発言をしたクロが悪いですよ」
「…そうか?…悪かった」
理解しているのか、してないのか…。曖昧な言い方に、二人はため息を吐く。
「じゃあ、どうしたんだ?」
「なんというかその…。無性にピアノを触りたいと言うか…」
「同じく。何でもいいから弾きたい気分なんです」
確かに、あんなにも楽しそうに弾く世界を見せられれば、弾きたくなる気持ちが高ぶるのも分からなくは無い。だが、皆同じ演奏を聴いてるというのに、自分を含め皆、彼女ら二人程の様子は見られない。
周りを見ると似たような様子の者は確かに居る。その殆どは、この国の住人であり、比較的に若い男女少数だ。聴き手を分ける、この差は一体何なのだろうか…。
それを知っているであろう人物に聞こうと思ったのだが、用があるからと何処かへ行ってしまった。まあ、終わってから聞けばいいか。
時間が経つのも早いもので、次の演奏がもうそろそろ始まるのだと、観客が会場へと流れ行く。
「いよいよですね。セネリアさんの出番」
「ええ。やっとだわ」
待ちわびていたのはメアだけではない。先の演奏者に陰口を呟いていた者が一変して、和気あいあいとした雰囲気で、嬉しくも迷惑になるまいと小さな声量で遠慮気味に話しており、開演間近になると、統率の取られた軍隊の如く、直ぐに静かになる。
静寂の会場に、漆黒のロングドレスを身に纏う彼女が入場する。威風堂々とした歩みで舞台へと上がり、ピアノを魔道具から取り出す。
これまで、様々な華やかな演出から、一風変わった装飾のピアノが出てきていたが、彼女のそれはとてもシンプルなもので、ロメルの店で見た何の変哲もないグランドピアノだ。
さて。先の演奏の後に、一体何を見せてくれるのだろうか。
同じ音を二回。音を上げながら響かせて始まる優しいメロディを奏でる。
音に合わせて真っ暗な天井に一つ。また一つと小さな光が現れる。
それは童謡のように、穏やかにきらびやかで徐々に速く、美しい音色に時おり気まぐれな雰囲気と可愛らしさを醸し出し、深淵の空の海に、星々達が輝きを見せる。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト: 『きらきら星変奏曲』
その光景は、この世界で生きていれば日常的。晴れた夜に見るこのできる、何の変哲もないごくごく普通の天体観測。いや、劇場だからプラネタリウムか。
床から光の小玉が湧いて出てふわふわと、シャボン玉の様に観客席を漂う。
第四変奏程流し、静まり一曲目の終わり、穏やかな曲から一変、パラパラと軽快にも激しいメロディが駆け走る。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:『幻想曲風ソナタ 月光 第三楽章』
その激しさは時の流れを現しているようで、先程まで止まったように穏やかに動いていた星々が軌跡を残しながら円周運動をして円環を描き、幻想的光景を見せる。
それに、見とれていた隙に、席に座っている感覚がなくなっていた。それは、体が軽くなってふわりと浮く感覚。そう…。無重力世界。宇宙空間を漂っているようだ。
この曲は、原曲から元々激しいものだが、彼女の奏でるその音色は一層激しく。その世界は、これまでの演奏を圧倒するような存在感がある。
だが、威圧とも言えるそれには、息苦しさは微塵も無い。ただ、とても惹きつけられる。
それは、自分たちだけではない。星々もまた互に引かれ合うように一つ、一つと重なって徐々に大きな星となり。そして、超新星爆発かのような、眩しい光に襲われる。
光の無い。宇宙ではない。真っ暗な何処かに立っていた。
壮大な音と共に、朝日が昇り、地平線の限り、何もない広大な大地が広がる。
アントニン・レオポルト・ドヴォルザーク:『交響曲第九番 新世界より 第四楽章』
新世界…。星の誕生と始まりの黎明期。
星々の衝突によって出来たばかりの、その広大な大地は、荒野の様に荒れくれていた。
背後から何かが来る気がして振り向く。
すると、足元がよろけ、顔を向けられない程の突風が、激しく吹き荒ぶ。
風は直ぐに止み、先の突風は何だったのかと。過ぎ去った後を見るが。そこに姿は無い。
直ぐに見えなくなるほど早い何かが過ぎ去ったのか。それとも、ただの風だったのか…。
そう正面を向き直すと地平線の奥から先の風のように、徐々にこちらへと向かって変化が起きていた。
それは、星の大地に眠る種達が吹き過ぎた風の音…いや、神、生命の息吹によって目覚めたかのように、荒れ果てた大地から、草木の芽が顔を出す。
すると、太陽の動きが徐々に早く、朝昼夜と四季を繰り返し、時が加速する。
大地に緑が生い茂り、目覚めた生物達が幼体から成体となって草原を駆け、また草木に身を隠し、それらは次の生物へと進化する。
それだけでは無い、いつの間にか自身の身に付けている衣服は、原始時代の生器を隠す様な青や干草。獣の毛皮から麻などの植物の布へと、身に付ける衣服やアクセサリー、道具。食事や建物と、世界の時代や文明の変化がパラパラ漫画のように移り変わり、その景色が風の様に吹き抜け、再び白い世界へと溶けた。
何も見えない眩しいその世界に、笛の音が間隔を空けて、鳴り響く。
それは、始まりの笛の音。
ライトアップと共に、様々な楽器の音色と美しい合唱の歌声が聴こえる。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:『交響曲第九番 ニ短調 合唱付き 作品一二五 第四楽章 歓喜の歌』
恐らく、演奏者が居た劇場の舞台に立っていた。
上からは神々しい光のカーテンの光芒が降り注ぎ、それを円で囲うように観客席に立つ人々が合唱する。
その様子は、この素晴らしき世界の始まり。舞台に立つ者の誕生。その者のこれまで歩んできた人生か。捉え方は人それぞれで、何が正解であるかは分からない…。
ただ分かるのは。聴く者が思うそれに、盛大な歓喜の祝福を送っているという事だ。
そうして、祝福の演奏が終わろうと最後の音が鳴り響き、音と共に舞台の明かり暗くなり行く。
静かな音が聴こえてくると、再び何も見えない世界に立っていた。
度超え行けばいいかもわからない中、一歩、歩み踏み出す。
すると、まるで進むべき道は間違っていないと、道しるべの様に、光の道が灯る。
それに安心したのか、決心がついたのか。
その者達は恐れなく、その道を頼りに見えない先へと歩み続ける。
彼女の最後の鳴り止みゆく音に、皆の意識が現実へと返される。
そして、音が完全に消え去り少しの静寂の後、一つ、また一つと拍手の音が増えていき、あまりの感激、我慢出来なくなった人々は立ち上がり、スタンディングオベーションが彼女へと送られ、彼女が一礼し会場から去った後も、しばらく続いた。




