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柳生三厳 怪異改め方がための最終検分に挑む 3

「それでは、始めっ!!」

 老中・酒井忠勝の合図と共に陰陽師は印を一つ横に切った。するとそれが術の最後の一片だったのだろう、巻物を覆っていた(もや)が急速に膨れ上がりその形を変えていく。

 不吉を孕んだかのような真っ黒な靄はさらにその濃さを増していき徐々に何かの形を取ろうとする。やがてそれが四足獣のような何かだとわかってきたところで、その黒い獣は急にその手を伸ばし三厳に襲いかかった。

「おっと!」

 三厳は素早く飛び退き同時に抜いた刀でその手を切った。暗闇に光る白刃は確かに黒い獣に触れた。しかしその獣の本質は靄のままだった。刀は一瞬靄を晴らしただけで文字通り空を切った。

 そしてこの間も靄の本体はその形を固めていき、ついには体長17尺(5メートル強)ほどの巨大な黒い犬へと変化した。


「おおっ!?」と殿舎内から驚きの声が上がる。

「あ、あれは本当に大丈夫なものなのか!?」

 誰かの問いかけに入側縁に控えている陰陽師が冷静に答える。

「あれは式神の一種にございます。あやかしといえばあやかしですが同時に式神。故に万が一の際はすぐに霧散させることも可能です」

「そ、そうか。うむ、よくできているな……!」

 そう言ってとある旗本は、思わず腰を浮かせてしまったことを恥じるかのように慇懃に座りなおした。


 この間に三厳と黒犬は既に数度打ち合っていた。しかしそのどれもが三厳にとっては手応えのあるものではなかった。

(ふむ。これもダメか)

 何度目かの袈裟切り。並みの丈夫なら絶命必死のその一撃もこの黒犬相手では一瞬靄を晴らすだけにとどまっている。一応切られれば神経的なものも切断されるのか、黒犬の動きは一瞬だけ停まる。しかし靄はすぐに再結合し黒犬は何事もなかったかのようにまたその巨大な前足で襲い掛かってくる。

 幸いその動きは単調なため三厳は難なく避けられてはいるが、それもいつまで続くかはわからない。回復力や体力を考えれば長期戦は分が悪い。三厳は焦ってはいなかったが攻めの糸口を見つけなければならないのもまた事実であった。

(ならばこれならどうだ?)

 三厳は黒犬の側面に回り込み前足の腱と腋の下を切った。その傷により黒犬はその動きを止めるがすぐに靄を再結合させて動き出そうとする。立会人たちから「あぁ……」という落胆の声が聞こる。

 しかし三厳が本当に欲しかったのは一時の時間であった。三厳はこの隙に素早く距離を取り袖口に隠し持っていた竹筒を取り出す。そしてその中に入っていた液体を口に含んだかと思うとそれをぶうっと自分の刀に吹きかけた。刀身はまんべんなく露をまとい、それにかがり火が反射し美しくも異様に輝いていた。室内にてそれを見ていた旗本の一人が近くの宗矩に尋ねる。

「柳生殿。あれは?」

「専門ではありませんが、おそらく清めた酒でしょう。あやかしを切る方法の一つに刀身を清める法があり、その手段の一つとして酒があったと記憶しております」

 宗矩の推察は正しかった。今しがた三厳が刀に振りかけたのはいわゆる清めの酒。古来よりの僧坊酒(そうぼうしゅ)の流れをくむ諸白(もろはく)であった。

 そしてその効果はあった。三厳が気合一閃「えいや!」と刀を振り下ろすと今度は明確にごとりと黒犬の前足が落ちた。旗本たちも思わず「おおっ!」と感嘆の声を上げる。

 しかし落ちた前足はすぐに霧散し黒犬に吸収され、そして切られた場所からは再度前足が生えてきた。周囲の声はすぐに落胆のものに変わった。ようやく切れたと思ったら再度吸収され再生する。これでは勝つことなど不可能ではないか。しかし三厳はこれに満足そうに小さく笑った。

「なるほど。確かにこれは面妖だ。倒し甲斐がある!」

 一連の回復を見た三厳は腕を少しばかり引き防御の構えを取った。だがこれは消極から来た構えではない。黒犬の攻撃を紙一重で交わしながら三厳は相手の『中心』を見極めようとしていた。

 どんな相手にも必ず『中心』となる場所がある。それは物理的な重心であったりあるいは意識や信念と同義であったりするが、この化け物の場合はおそらくあれだろう。三厳は相手の動きのよどみからとうとうその場所を特定する。

(見えた!)

 看破するや否や三厳は上段に構えた。本来上段の構えは攻撃的な構えだが今回のこれは誘いの構えである。

 黒犬は三厳の大きな構えに反応しその横腹をえぐろうと前足をふるう。それを見た三厳はすぐさま腕をたたみ体を小さくし、相手のがら空きになった懐へと迷わず飛び込んだ。自分の手が空を切り相手が視界から消えたことで黒犬はたじろぐがもう遅い。腹の下まで潜った三厳はまるでそこに何があるのかわかっているかのように、その切っ先を黒い靄の胴体へと突き刺した。すると次の瞬間黒犬が今までとは違う鋭いうめき声を上げた。

「クャア!?キッ、キュアァァァァ……!!??」

 大きく暴れる黒犬。対し三厳は黒犬の滅茶苦茶な攻撃を必死にかわしつつ、さらに手に持つ刀をその腹に深く突き刺した。すると今度は黒犬の動きが明確に鈍くなり、見ればその体は端から徐々に霧散し始めていた。

 そしてか細い断末魔と共に靄がすべて消えた時、その場に残っていたのは三厳と彼の刀によって貫かれた巻物のみであった。


 三厳によって貫かれ靄が晴れた巻物。それを見た庭先に控えていた陰陽師は忠勝に向き直り一礼をする。その意図は明白だった。

「それまで!柳生三厳、ご苦労であった。今宵の検分の沙汰は追って通告する!」

 忠勝による検分終了の宣言。忠勝は明言は避けたがここにいた者全員がその結果を確信していた。

 このときより柳生宗矩が長男・柳生三厳は家老直属のお役目『怪異改め方』に内定した。

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