柳生清厳 高野村を目指す 1
津島に着いた清厳たちはその地の役人に巡視任務終了の報告をするが、その際佐屋という村が最近賑わっていることを知る。
興味を持った一行は一度見ておこうと翌日佐屋を目指して村を出るが、その道中にて牢人に襲われていた旅人たちを助けた。
彼らは勝幡の村の雑貨屋の主人たちで、何やら訳ありらしく清厳たちに助けを求めてきた。
佐屋川ほとりで牢人たちに襲われていた雑貨屋の店主・七郎衛門とそのお供の勘兵衛。どうやら二人には込み入った事情があるらしく、偶然出会った清厳たちに協力を依頼してきた。
「お侍様方!どうか我らに力を貸してください!」
とはいえ事情が分からなければ返事のしようもない。清厳たちがとりあえず話を聞かせてくれと頼むと七郎衛門は居住まいを正し、ここに至るまでの経緯を語り始めた。
「まず改めて名乗らせていただきます。某は坂下七郎衛門。ご承知の通り、勝幡の村で『坂下屋』という雑貨屋を営んでおります。そしてこちらはお供の勘兵衛にございます」
紹介に合わせて勘兵衛が頭を下げた。
二人の年齢は見たところ清厳たちよりも数歳年上の三十前後。身なりの方は街道沿いの村に店を構えているだけあって、しっかりとした旅装束を纏っている。また筋肉のつき方や姿勢から武術の心得がないこともわかった。
しかし見ただけでわかるのは所詮は外面ばかりで、何を考えているかまでは知りようがない。いったいなぜこの二人は店をほっぽりだしてまで旅に出ようと思ったのか?先程耳にした言葉によれば、何か守りたいものがあるとのことだったが……。
「先程申し上げた通り、某たちは祖父が遺した御神刀を守るために村を出て来ました」
「はい、そこまでは聞きました。だがいまいち要領がつかめない。御神刀ということは神職か何かなのですか?」
御神刀とは神仏のために奉納された刀のことで、奉納刀などとも呼ばれている。それを守りたいと言っていることから寺社関係の家柄なのかと尋ねれば、七郎衛門はそうではないと首を横に振った。
「いえ。うちは祖父の代からあの地で店を営んでおりまして……」
「ではその刀にすごい価値があるとか?」
「さぁ……。刀自体はどこにでもあるようなものだと思いますが……」
「……どういうことです?まるで話が見えてきませんぞ」
訊けば七郎衛門は特別な家柄ではなく、また刀そのものに価値があるというわけでもないらしい。ますますわけがわからなくなる清厳たちであったが、七郎衛門曰くそれを詳しく話すとそれなりに長くなるとのことだった。
「それが少々複雑でして、すべてを話すと非常に長くなるのですが……」
「構いませんよ。もう乗り掛かった舟です。最後まで聞きましょう。何なら茶も用意しましょうか?」
どうせ急がぬ身の上である。これも何かの縁と、清厳たちは近くにいた棒手振りに頼んで茶とちょっとしたつまみを持ってこさせた。全員に茶の湯が行き届く頃には七郎衛門も大分落ち着きを取り戻していた。
「お心遣いありがとうございます。ではまずは祖父のことから話させていただきます」
七郎衛門はそう言うと改めて一から事情を話し始めた。
七郎衛門の話は彼の祖父の紹介から始まった。
「まず某の祖父ですが、名を坂下右内と申しまして、若い頃は雑兵として美濃や尾張を西に東に駆け回っていたそうです」
雑兵とは戦国時代の戦場で戦う兵士のうち、主君と主従関係を結んでいない一時雇用の兵士のことを指す。基本は頭数のために近くの村落から集めてきた若い男たちであったが、出稼ぎや戦後の略奪のために自発的に戦列に加わる者も少なからずいた。そして七郎衛門の祖父は後者の方だったらしい。
「祖父は山奥にある小さな村で生まれました。そこは非情に貧しい村だったそうで、祖父は先の見えない生活に嫌気がさして十二の時に村を飛び出したそうです。それから十数年、祖父は美濃を中心に小荷駄役(糧食や武器などを届ける兵站任務)や土地の案内などをして日銭を稼いでいたとのことでした。そしてある日、その経験を買われて、高須城の先代城主であらせられた徳永石見守様を案内する機会に恵まれたそうです」
「石見守というと……、先代の高須城城主様か!?」
「はい。その石見守様にございます」
今名前が出てきた高須城とは、ここ津島から北西に二里半ほど行ったところにある城のことである。そしてその先代城主・徳永石見守とは徳永寿昌のことで、彼は豊臣秀吉や豊臣秀次、徳川家康などに仕えた歴戦の戦国武将であった。
思いがけず出てきた大物の名に清厳は驚いたが、同時に若干訝しくも思った。
「それはすごい。……すごいのだが、祖父君は別に石見守様の家臣団とかじゃなかったのだろう?一雑兵がご本人様を案内するとは思えないのだが……」
「私もそう思うのですが、祖父が『石見守様を案内した』と強く言っておりましたので……」
七郎衛門によると彼の祖父・右内には少し物事を誇張して言う癖があったらしい。しかしあながち嘘とも限らないと七郎衛門は続ける。
「ただ確かに誰かを案内するお役目はあったようです。祖父曰く、今の坂下屋はその時の褒美を元手にして始めたと言っておりましたので」
「ふむ。まとまった額を貰ったというのなら、それなりの方を案内したのは事実のようですね」
右内のような一時雇いの雑兵は土地や俸禄などではなく、金品を直接褒美として受け取ることが多かった。またそうやって得た金を元手に事業を始めることも十分あり得る話である。清厳たちが一応納得すると七郎衛門は話を続けた。
「のちに御神刀となる刀をいただいたのもこの時だそうです」
「ようやく出てきましたか。何か云われのある刀だったのですか?」
「私の知る限りでは特に何も……。強いて言えばそれこそ『石見守様から下賜された』ということくらいでしょうか。誰作なのかもわかりませぬ」
美濃には著名な刀匠が多くいたが、その分並みの刀鍛冶も多くいた。刻まれた銘を見れば何かわかるかもしれないが、それも実物があってのことである。
「してその刀は今どこに?」
「祖父が生まれた村の神社に納められております。場所は揖斐川を越えた先、美濃国・石津の高野村という村です」
そう言うと七郎衛門は筆と紙を取り出し、揖斐川周辺の地図をさらさらと描き始めた。
「祖父は勝幡ではなく、美濃国・石津の高野村という村で生まれました。場所は養老山地の奥深くにございます」
地図を描きながら説明していく七郎衛門。
彼の言った養老山地とは岐阜県と三重県の県境付近にある山地のことで、その最高峰は900メートルを超える。また美濃国・石津とは現代の岐阜県海津市周辺に相当し、周囲には東から木曽川、長良川、揖斐川が流れていた。ちなみに養老山地はその揖斐川よりさらに西に位置している。つまり清厳たちからすれば揖斐川を越えた対岸に目的の高野村はあるということだ。
七郎衛門は地図のそのあたりに×印をつけたが、それを描くやすぐにグチャグチャとかき消してしまった。
「まぁ高野村は当の昔に廃村になったんですけどね」
「え、廃村ですか?」
思わぬ言葉に清厳が目を丸くすると、七郎衛門は痛ましげな顔で頷いた。
「はい。慶長の終わり頃に酷い雪害があって住民の大半が亡くなったそうです。祖父はすでに村を出ていたため無事でしたが、残してきた家族や旧友たちはこの時ほとんど……」
「それはまた……痛ましい話ですな」
「ええ。祖父も長年戻らなかったことを後悔したようで、生き残った村人たちの生活を工面したり、身の振りの面倒を見たりと尽力したそうです。こちらの勘兵衛の父もこの時家族を失ってしまったらしく、祖父が引き取って店で働かせたそうです」
七郎衛門が話を振ると勘兵衛は「先々代様にはご恩しかありませぬ」と言って頭を下げた。どうやら右内は多くの者から尊敬されていたようだ。
「立派な方だったようですね」
「はい。葬式の際には実に多くの方が来てくださいました。……そんな祖父は犠牲者の供養も熱心に行ってました。私費で墓を立てたり、月命日に村のあった方を拝んだり。年忌法要の際には生き残りの村人たちと共に、村の跡地に向かったりもしていたそうです。そして七回忌の時でした。祖父は一つの区切りとして家宝の刀――つまりは石見守様から賜った刀を、御神刀として村の神社に奉納したんです」
七郎衛門によると、この頃から勝幡に開いた店が軌道に乗ってきたらしい。それ自体は喜ばしいことであったが、忙しくなればこれまでのように供養することはできなくなるだろう。それを憂いた右内は一つの区切りとして、七回忌の際にかろうじて外観が残っていた村の神社に刀を奉納したとのことだった。
「なるほど。もう来れない自分の代わりに、というわけですか」
「おそらくは。他の生存者たちも新しい生活が馴染んできた頃ですからね。皆にとってもいい区切りとなったと思います」
「そうあってほしいものですね。……そしてその刀を狙っているのがあなたの弟というわけですか」
「……はい。十四郎。馬鹿な弟です」
七郎衛門は苦し気に眉根を寄せてうつむいた。
七郎衛門の祖父・右内の行いは殊勝なものであった。しかし実の弟がそれに泥を塗るような真似をしている。七郎衛門は悲し気にうつむいたが、やがて顔を上げて話を再開した。
「確かお侍様方はご覧になられていたのですよね?昨日うちの店を荒らしたあの男――お恥ずかしながらあれが我が愚弟、十四郎にございます」
昨日勝幡の村で昼食を取っていた折、清厳たちは偶然七郎衛門の店が牢人たちに襲われているのを見かけた。率いていたのは七郎衛門とよく似た顔の男。彼こそが問題の愚弟・坂下十四郎であった。
「見たと言っても偶然近くにいたというだけですがね。随分と素行の悪そうな連中とつるんでましたな」
「昔は素直で可愛い弟だったんですがね。十を越えたあたりから言動が荒々しくなり、悪い友人らとつるむようになりました。やがて家に帰らなくなる日も多くなり、ついには店の金にまで手を出す始末。いよいよどうにかしなければと頭を悩ませていたところで、今回の刀の件が起こったのです」
七郎衛門によると久しぶりに帰ってきた十四郎は話もそこそこに御神刀のある場所を訊いてきたそうだ。嫌な予感を覚えた七郎衛門は答える前にそれを知ってどうするのかと尋ねると、十四郎は悪びれることもなく売るのだと返したらしい。
『馬鹿なことを言うな!あの刀はお爺様の御家族や友人のための刀だ!それを売るなどと、なんと罰当たりな!』
『馬鹿は兄上だ。死人に刀を預けて何の意味がある?使わないのならば俺が売ろうと勝手だろう。さぁ早く場所を教えてくれ』
『答えるわけがないだろうが、この痴れ者めが!お爺様やご先祖様に恥ずかしいとは思わないのか!?』
『……この傲慢ちきのわからずやが!』
当たり前だが七郎衛門は御神刀が納められた神社の場所を教えなかった。するとそれに逆上した十四郎が仲間たちと共に店を荒らし始めたらしい。清厳たちが目撃したのはちょうどその場面だった。
「……そういえば弟君は草鞋やら食料やら、旅に必要なものを盗っていってましたな。もしやあれは刀を獲りに行くためのものですか?」
「おっしゃる通りです。十四郎は始め私に神社の場所を聞いてきました。しかし私があの地を荒らすべきではないと返答すると、『もういい。自分で探す』と言って諸々盗っていったのです。十四郎も村があった場所は知ってますからね。向こうにたどり着けばすぐに見つけることでしょう」
「七郎衛門殿らはそれを阻止するために村を出たと」
「左様です」
ここで清厳はようやく全容を理解した。七郎衛門らが店をほっぽり出してまで旅に出た理由――それは祖父の残した御神刀を弟・十四郎よりも先に確保するためだったのだ。
「十四郎らはおそらく高須街道を使って陸路で行くはず。ならば海路を使えば先回りができると思っていたのですが、まさかその道中で牢人たちに襲われるとは……」
「そこに我らが出くわしたというわけですか」
「はい。地獄に仏とはまさにこのことでしょう。どうかお侍様方、これも何かの縁と思って我らに力をお貸しください!」
改めて深々と頭を下げた七郎衛門と権兵衛。実を言えばこの時すでに清厳の心は決まっていたが、最後に一つだけはっきりとしていないことを尋ねた。
「最後に一つだけ訊きたいのですが、そもそもその刀は本当に金になるのですか?こう言っては何ですが、数十年前に手に入れた刀なんですよね?わざわざ店を放り出してまで護るようなものではないように思うのですが……」
「正直刀の価値については私にもわかりません。生前の祖父がよく『あの刀はすごい刀だった』と吹聴しておりましたので、それを真に受けたのかもしれません。あるいはもっと単純に二束三文でもいいから金が欲しかったのか……。ですがそんなことはどうでもいいのです!」
七郎衛門はぐっと顔を上げ、決意を込めた目で清厳を見つめた。
「正直貴重かどうかなんてどうでもいいんです。もしこれが蔵に転がっていた刀ならば、気にせず差し出していたでしょう。しかしこの御神刀は祖父が家族や友人たちを弔った時のもの。それを私欲で持ち出すなど、坂下家長男として決して許していいことではないのです!」
この力強い宣言に清厳の口角は自然と上がっていた。見れば儀信や儀玄たちも満足そうに頷いている。もはやわざわざ議論をする必要もないだろう。清厳は平身低頭している七郎衛門の肩をやさしく叩いた。
「よく申されました、七郎衛門殿。貴殿の心意気、確かに感じ入りました」
「ではお侍様!」
「ええ。この柳生清厳、七郎衛門殿の助太刀、確かに承りましたぞ」
異論を挙げる者はいなかった。こうして清厳は偶然出会った七郎衛門の助太刀をすることに決めたのであった。
清厳は七郎衛門たちに協力することを決めた。ここで少し補足を入れておくと、この清厳たちの決断は当時としては別段おかしなものではなかった。
この時代の武士は何より面子を重んじる。そんな彼らが先祖の想いに応えたいという七郎衛門の願いに心打たれるのは自然な話であった。おそらく同じように頼まれれば十人中九人の武士が同じように助太刀したことだろう。見捨てたとあらば武士の名が廃るというものである。
とはいえ家族や主君に何の連絡もなしに行動するわけにはいかない。そういったわけで助太刀することを決めた清厳がまず行ったのは、儀玄を尾張に返すことであった。
「儀玄。私と儀信は七郎衛門殿を助けるためにここに残るが、お前は父上たちに事情を説明しに一足先に尾張に戻ってくれ」
「えっ!?連れて行ってはくれないのですか!?」
すっかり同行する気でいた儀玄は思わぬ命に残念がるが、清厳たちはこれも必要なことだと諭す。
「気持ちはわかるが納得してくれ。父上たちは明日にでも帰ると思っておられるのだ。何の連絡もしなければ心配させてしまうだろう」
「それはそうでしょうが……」
「もう一つ。お前は勘兵衛殿を勝幡まで送ってやれ。ここから勝幡まではそう距離もないが、それでも襲われないとは言い切れないからな」
平和な津島街道であったが、それでも道中襲われない保証もない。儀玄も怪我人の介助ならば仕方ないと、不満顔ながらも言葉を飲み込んだ。
「……承知いたしました。先に屋敷に戻って清厳様たちの無事の帰還を祈っております」
「すまないな。……それでは七郎衛門殿、早速参りましょうか。まずは佐屋ですか?」
「はい。佐屋には知り合いの船頭がおりまして、彼の舟を使えば十四郎たちよりも先に村に着くこともできましょう」
「ではそのように」
時間が惜しい清厳たちは荷物をまとめると早速津島の村を出た。目指すは下流の舟が出る村・佐屋村であった。




