学園入学
「貴族教育もバルバリエ家の一員として恥ずかしくない水準になったと聞いている。
来月から学園に通いなさい」
そうバルバリエ家の義父上に言われ、私は学園に通うことになった。
学園とは言っても、前世の学校のように毎日通わなくてはならないものではない。
定期的に行われる試験さえ合格出来れば、別に通わなくても構わないものだ。
現にアナだって、学園に在籍はしているが通ってはいない。
入学以来ずっと試験だけ受けに行っている。
◆◆◆◆◆
入学に際しては試験があった。
平民なら学力不足で入学を断られることはあるが、貴族はまず断られない。
それでも貴族が試験を受けなくてはならないのは学力水準を見るためだ。
試験によって実力不足が見られるなら、その科目については授業を受けることを学園から勧められる。
試験だが、三日に渡って朝から夕方まで延々と問題を解かされたことが苦痛だった以外は特に問題は無かった。
編入なんてするのは私くらいなので、試験を受けるのも私一人だし採点対象者も私一人だ。
だから、試験結果はその日のうちに教えてもらえた。
もちろん学力に問題なしだ。
それはそうだ。
前世の記憶がある私は、生まれたときから大人だった。
四男のためいずれ家を出なくてはならないことは言葉を理解出来るようになってすぐ理解出来たし、そのために知識を身に付ける必要性を感じたのもそれと同時だ。
おもちゃで遊ぶより商業法規の本を読むことが好きな子供なんて、今考えたら不気味だろう。
だが、そうやって貪欲に知識を吸収したおかげで、この世界の地理や歴史、隣国言語なども入試では苦労しなかった。
定期試験は基本科目しか行わないから、基本科目さえ押さえておけば卒業は出来る。
入試も基本科目だけだった。
だが、授業には試験の対象にはならない応用科目の授業もあって、それらは教授の色が全面に出たマニアックなものばっかりだった。
どれも面白そうだ。
学力に問題はなかったので特に授業の受講は勧められなかったけど、隣国の農業史だとかのいくつか応用科目は受講することにした。
バルバリエ家に戻ると、なぜか試験結果について家族は皆知っていた。
どうも採点終了と同時に学園が知らせを走らせたらしい。
義父上始めみんなから褒められて照れくさかった。
絵に描いたようにお淑やかな義妹からキラキラした目で「さすがですわ。お義兄様」と言われたときは、別の世界の扉が開きかけた。
◆◆◆◆◆
「ジーノ様。お聞きしましたわ。
最高の成績で最優秀クラスになられたのですわね?
おめでとうございます」
「ああ。ありがとうアナ。
君と同じクラスになれて嬉しいよ。
これからは、君が学園に行くときは私と一緒に行こう。
君と一緒なんて、楽しみだよ」
入試の翌日、入学試験の結果が良好だったことをアナが祝ってくれた。
彼女の笑顔を見るだけで疲れが吹き飛ぶから不思議だ。
「聞いたぞ。
全科目満点だったそうだな。
そこまで優秀だったとは驚いたぞ」
「本当に。
英明な人がアナと一緒になってくれて嬉しいわ」
公爵も義母上も一緒になって私を祝ってくれた。
今日は珍しく二人とも私を玄関で出迎えてくれた。
「そうだ。アナ。
今度ドレスを贈らせてほしい」
「ドレス、ですか?」
「ああ。
学園に入学したことで、私も学園主催のパーティに出なくてはならなくなってしまったのだ。
アナも一緒にパーティに参加してほしい」
「もちろん。ご一緒させて頂きますわ」
そう言ってアナは華やかに笑う。
「ありがとうアナ」
嬉しくて思わずアナの手を握ってしまう。
「それで、ドレスとアクセサリーは全部私の色でいいかな?
頭の天辺からつま先まで、アナの全部を私の色で染め上げたいのだ」
アナの手を握ったまま自分の希望を伝える。
「は、はい……」
いつものように真っ赤になって照れてしまうアナ。
可愛いなあ。
「そこまでしなくていい!
アナから手を離せ!」
不愉快そうな顔の公爵から待ったがかかる。
仕方なくアナから手を離す。
「しかし、アナにとっては久しぶりのパーティですし、悪い虫など付いたら大変ではありませんか?」
学園主催の社交行事にはアナも参加しているが、好んで参加しているわけではない。
どうしても出席しなくてはならないパーティ等に顔を出す程度で、最低限の参加しかしていない。
だから次のパーティは、アナにとって久々のパーティとなる。
アナを付け狙う奴がいないとも限らない。
いや、これだけ魅力的な女性なのだ。
合理的に考えるなら、そういう男はかなりの数に上ると考えるべきだろう。
決して油断は出来ない。
「あの、ジーノ様。
悪い虫が付きそうなのは、わたくしよりジーノ様の方かと思いますわ」
横からアナがそう言う。
「ええ。そうね。
敏い人たちは、あの化粧水の出処がジーノさんだと疑っているわ。
あなたがこの屋敷に出入りするようになってから出てきた化粧水ですもの。
そういう人たちには、あなたが商会経営者だと知っていて、商会の力で化粧水を見つけて来たと思っている人も多いの。
当家でも隠密を使ってあなたの商会を見張らせていたけど、随分な数の鼠があなたの商会の周りを彷徨いているわね。
あなたを奪い取れば出処を探るまでもなく化粧水も奪い取れると考えて、女の手管であなたを籠絡しようと考える人もいるはずよ」
やはり私を探りに来たか。
研究所を商会と切り離しておいて正解だった。
ふとアナを見ると不安そうな表情を浮かべ顔色を真っ青にしていた。
そんなアナを見て、抑えきれないほどの猛烈な感情が湧き上がって来た。
どうか、そんな顔をしないでほしい。
笑ってほしい。
彼女を守りたい。
その思いで頭がいっぱいになった。
「すまない。心配をかけた。
私はずっとアナの側にいるから、どうか安心してくれ」
そう言ってアナを抱き締めた。
抱き締めてしまったのは、衝動的に体が動いたからだった。
「え?」
びっくりした顔をして私の腕の中で顔を上げて私を見るアナだが、自分が私の腕の中にいることを理解したのか見る見るうちに目は潤み、顔は真っ青から真っ赤になる。
「何をしとるかあああ貴様ああ!!」
公爵によって強引に引き離され、私は公爵に襟首を掴まれたまま執務室へと強制連行された。
普通なら真っ青になる場面だが、私は抱き締めたときに感じたアナの体温と体の柔らかさの余韻に浸っていて、ふわふわと雲の上を歩いているような気分だった。
結局その日は、夜遅くまで食事抜きで働かされた。
いつもなら帰り際はアナを一目見てから帰るのだが、もう入浴の時間が終わった後なので面会は禁止だと公爵から言われ、私は肩を落とす。
この世界では、入浴後の女性とは会ったりしないのがマナーだ。
トボトボと玄関に向かって歩いていると、なんと!
玄関ホールにアナが立っているのが見えた。
「アナ!」
私は声を掛けてアナの元へと急ぐ。
入浴後のアナは、腰まである銀色の艷やかな髪を首の後ろで軽く一つに結っていた。
就寝前なのか、いつもの公爵令嬢に相応しい豪華なドレスではなく、ずっとラフなワンピースドレスだった。
いつものアナもいいけど、こういうアナも新鮮でいい。
「あの、お願いがありますの」
もじもじと恥ずかしそうにアナが言う。
「何でも言ってくれ。
アナの願いなら何でも叶えよう」
アナに乞われたら、私は何でもしてしまうだろう。
その自信はある。
「……その……ジーノ様のパーティのスーツを……わたくしにプレゼントさせて下さいませ」
何だって!?
アナがスーツをプレゼントしてくれるだって!?
望外の喜びとは、こういうのを言うのだろう!
「もちろんだ!
アナ! 嬉しいよ!」
「お待ち下さい」
「ぐっ?」
衝動的にアナに抱き着こうとした私だが、背後に控えていた使用人が素早く私とアナの間に入り込み、私のみぞおちに掌打を決めるようにして私を押した。
それによって私は押し留められてしまう。
「お嬢様は入浴後です。
接触はお控え下さい」
危なかった。
またやってしまうところだった。
就寝前の女性は、会うだけでもマナー違反なのに抱き着いたりしたら大問題だ。
それにしてもこの使用人、只者じゃないな。
小柄で華奢だから身長差も体重差も私とは大分ありそうなのに、簡単に私を押し留めてしまった。
素早く私とアナの間に入り込んだのに足音一つ立てなかった。
そこまで事情は聞いていないが、きっとアナの護衛も兼ねている人なのだろう。
「申し訳ございません。
大丈夫ですか?」
「いや。止めてくれて助かった。
最近、アナのことになると抑えが利かなくてな」
代わりに謝罪するアナに私はそう返す。
ちなみにこの使用人はブリジット・オードランさん。
アナの専属使用人で、いつもアナと一緒にいる関係で私ともよく話す。
以前なら実力行使で私の暴走を止めるなんてしなかっただろうが、最近私とも親しくなったのでこうやって割り込むことも増えた。
「それにしても嬉しいな。
アナからパーティ用の服を贈ってもらえるなんて」
つい顔を綻ばせながら私がそう言う。
「……あの……わたくしの色をスーツに入れたら……ご迷惑じゃありませんか?」
不安気な顔でアナが尋ねる。
「嬉しいに決まっているだろう。
アナの髪の銀色、アナの瞳の若草色。
どちらでも嬉しい。
そうだ!
全身銀色、もしくは全身若草色というのはどうだろう!」
「あの、それは……」
こんな会話をしつつ、私たちはお互いにパーティ用の服を贈り合うことになった。
ちなみに、全身銀色も全身若草色も却下された。