お見合い (アナスタシア視点)
お父様がまた縁談の話をお持ち下さいました。お父様とお母様は、これまで何度となく縁談をお持ち下さっています。
お二人が縁談を持ち込まれ、わたくしがそれを破談にする。
今までずっとそれの繰り返しです。
破談となる度にお相手の爵位は下がって行き、今度のお相手は子爵家の方とのことです。
ですが、お相手の方の爵位が低い割に今回のお父様は大層乗り気でした。
聞けば、ラーバン商会の創業者であり現経営者であるとのことでした。
それをお聞きして、わたくしは少し期待してしまいました。
比較的大きな商会の経営者なら、それなりにお歳を召した方でしょう。
お父様は、セブンズワース家の後継者に相応しい能力をお持ちの方しか選びません。
有能な方で、しかもお若い方なら女性など選り取り見取りですから、わたくしとの縁談を喜ぶ方はいないでしょう。
しかし、お歳を召した方ならお若い方ほど女性に選択肢はなく、もしかしたらこんな醜い女でも貰って下さるかもしれません。
そう思ったのです。
「安心して。
歳はあなたと同じ十六歳よ。
しかも調査では、かなり格好良い男の子みたいよ。
周囲の女性からは密かに『黒氷花の君』と呼ばれていて、彼の取引先の商会にはファンクラブまであるそうよ」
お母様は、にこにこと笑顔を浮かべながらそう仰います。
聞けば、十歳で商会を立ち上げ、ずっと商会を切り盛りされている方だとか。
ラーバン商会なら王都にもありますから、わたくしも存じています。
ですが、まさか自分と同じ歳の方が起こした商会とは存じ上げず、わたくしは驚いてしまいました。
十歳の頃の自分を思い返してみても、あの頃の自分が商会設立するなど、とても考えられません。
わたくしなど比較にならないほど優秀な方のようです。
その話をお聞きして、おそらく今回も駄目だろうと思いました。
セブンズワース家を任せられる方ということが前提条件なので、これまで縁談があった方はどなたも才気煥発な方です。
ですが才知溢れる方は、次男や三男であっても周囲から後継に望まれ、縁談に頼らずともご自身のお力で地位をお掴み出来るのです。
そういう方で、爵位と同時に醜女まで付いてくるわたくしとの縁談を魅力的に思われる方は、これまでいらっしゃいませんでした。
加えて、今回は『黒氷花の君』などと周囲の女性から持て囃されるほどお美しい方とのことです。
黒氷花とは、高地で育つ珍しい植物です。
茎と葉は黒く、氷のような透き通った美しい花を咲かせる植物で、容姿端麗な方の喩えとして薔薇と並んでよく使われます。
才覚に加えて容姿まで恵まれていらっしゃるなら、このような醜い女を望まれることはないでしょう。
お父様から、こちら側の「誠意」を見せるため婚約の打診を書面でするのではなく実際に赴いてすると聞かされ、わたくしは呆れてしまいました。
公爵家が子爵家にそこまでしては、実質脅迫です。
こんな脅迫に近い形で縁談を打診されては、お相手の方もこの縁談が不本意なことでしょう。
実質的に脅迫のような方法を取らなくても、今までのお相手の方は皆様不本意そうでした。
今回のお相手は、これまで以上にご不満だと思います。
本当にわたくしをお望みなのか確認する際に頂くお言葉は、きっと相当攻撃的なものになると思います。
憂鬱になってしまいます。
◆◆◆◆◆
「お目にかかれて光栄です。
アドルニー子爵家が四男、ジーノリウスです」
そう言って丁寧な礼をした男性は、特にわたくしへの嫌悪感を示すことはありませんでした。
さすがは、若くして商会を急成長させた方ですわね。
見事に本音を隠されています。
商売をされているとのことでしたので、笑顔の絶えない方を想像していました。
ですが、実際のジーノリウス様はその逆で、ほとんど笑うことのない無表情な方でした。
商人というより技術者といった雰囲気で、数字を扱う知的職業の方と言ったほうがしっくり来ます。
黒髪に紫の瞳のお顔は涼やかでお美しいものでした。
さぞ女性から人気のことでしょう。
『黒氷花の君』は、そのお髪の色と雰囲気が由来ですわね。
ぴったりの表現ですわ。
これなら周囲の女性から持て囃されるのも納得です。
才覚も財力もありこの美貌でしたら、女性など選り取り見取りに違いありません。
間違いありませんわね。
この方が、わたくしとの縁談を望まれることはないでしょう。
やはり、破談にしなくてはなりませんね。
挨拶をした後、わたくしとジーノリウス様はしばらく両家の両親も交えて歓談をしました。
アドルニー家の皆様は、最初はご家族揃って緊張されていたご様子でしたが、それは中下級貴族の方とお会いするときのいつものことです。
お父様やお母様も慣れたもので、気安い態度と軽い冗談で緊張を解しにかかります。
今まででしたら、お相手の男性はこの時点でもう不満を隠せず、わたくしとはお話をされないのが普通です。
ジーノリウス様は違いました。
アドルニー家の領地経営の話など、わたくしがあまり存じ上げない話になってもわたくしが退屈しないよう解説して下さったり、わたくしがお話をお聞きしているだけのときはお声を掛けて下さり、わたくしが会話の輪に入れるようお気遣い下さるのです。
まだ十六歳でありながら、お父様とアドルニー子爵の領地経営談義にも付いて行き、周囲への気配りまでされ、わたくしのような醜い女にも平等に接して下さるなんて、凄いですわ。
本当に素敵な男性です。
お母様の態度からも、ジーノリウス様をお気に召したことが窺えます。
「さて、では後は若い二人に任せましょうか」
お父様がそう仰ると、わたくしとジーノリウス様を残して全員が部屋から退出されました。
「よろしければ庭でも散策しませんか?
セブンズワース家の庭園と比べたらお恥ずかしい限りの庭ですが、王都では咲かないシシスの花がちょうど見頃です」
ジーノリウス様がそう仰ったので、わたくしは驚いてしまいました。
今までのお相手は、家族を交えての歓談では不満を誤魔化されてはいても、二人きりになると縁談へのご不満を隠されないのが普通でした。
一言も話さずむすっとされたままなら良い方で、権力で無理矢理縁談を結ぶやり方を非難され、わたくしを罵倒し続けられる方もいらっしゃいました。
実際ご指摘の通りなので、こちらは平謝りしかできませんでした。
まさか、わたくしが退屈しないようにと庭園にお誘い下さるなんて。
そして、エスコートのために手を差し出して下さったのです。
過去の縁談の席では、当人同士を二人きりにさせるという名目で無理矢理庭園を二人きりで散策させられたことが何度かありました。
どなたも、わたくしをエスコートして下さいませんでした。
お相手の男性は不貞腐れたような態度で一人歩いて行かれ、わたくしがその後を無言で追い掛ける。
そんな苦しい時間でした。
本当に、この方は素晴らしい方ですわね。
だからこそ、破談にしなくてはなりません。
こういう方こそ、お幸せになって頂きたいです。
二人きりになってもジーノリウス様はお優しく、お花が咲いている見頃の所に案内して下さったり、様々な話題を持ち掛けて下さったりと、わたくしが退屈をしないようお心を砕いて下さいました。
縁談の席で二人きりにされて楽しいと思えたのは、これが初めてです。
「ジーノリウス様。お話があります」
会話が途切れたときを狙って、わたくしはジーノリウス様にお話を切り出しました。
「では、あちらのガゼボにお茶を用意させます。
そちらで話しましょう」
ジーノリウス様はそう仰り、わたくしをガゼボへとエスコートして下さり、お茶を用意して下さいました。
「申し訳ありませんでした。
この縁談は、父が勝手にまとめてしまったものです。
わたくしが父に言って何とかしますので、しばらくお時間を下さいませ」
立ち上がったわたくしは、そう申し上げて謝罪の礼を執ります。
「それは、この縁談を破談にするということですか?」
ジーノリウス様はそう仰います。
おかしいですわね。
普通ならここでほっとした表情をお見せになるのですが、ジーノリウス様がお顔に浮かべられたのは困惑でした。
「はい」
「なるほど。
既に心に決めた方がいらっしゃるのですね?」
今度はこちらが困惑してしまいます。
恋する機会なんて、このような醜女にあると思っているのでしょうか。
男性は、わたくしとお話しするだけでも不快感が表情に出てしまいます。
こちらを魔物のように嫌悪される男性に恋することは難しいことなのですが、そういった女心はお分かりにならないのでしょうか。
「まさか。そのような方などいらっしゃいませんわ」
わたくしはそうお伝えして、ジーノリウス様の勘違いを正しました。
「では、やはり私が原因でしたか。
申し訳ありません。
女性には馴れていないもので」
なぜそのような結論になるのでしょうか。
ジーノリウス様は、これまで縁談でお会いした方の中でも抜きん出て素敵な方です。
ジーノリウス様のお考えがまるで掴めません。
「いいえ。そのようなことはありませんわ」
「お気遣い頂かなくても大丈夫ですよ。
自分でも女性の扱いが稚拙なのは理解してますから。
それで、後学のために私のどこが問題だったのか教えて頂けませんか?
自分の欠点は把握しておきたいので」
「いいえ。本当に申し分ない方だと思いましたわ。
何故そのような結論になるのでしょうか」
本当に理解できませんわ。
そう言えば、ジーノリウス様はこれまで商会経営でお忙しく、女性と恋仲となられた経験はないと仰っていました。
これだけ魅力的な方ですから社交辞令かと思っていましたが、まさか本当なんでしょうか。
ここまでご自分に自信をお持ちでないと、本当のことではないかと思えてしまいます。
「このようなことを申し上げるのも何ですが、両親はわたくしのことを深く愛してくれています。
ジーノリウス様がわたくしと結ばれてしまい結婚後に愛妾などをお持ちになったら、両親は持てる力の全てを使ってジーノリウス様を破滅させようとするでしょう。
特に母は、陛下の妹です。
陛下は、母のことになると人が変わるほど可愛がっていらっしゃいます。
母が泣き付けば陛下は激怒されるでしょう。
母の権力は絶大です。
もしジーノリウス様が破滅せずに他の女性と関係をお持ちになるおつもりなら、両親との力関係が逆転した後で、ということになります。
少なくとも陛下が退位なさるまで母は力を持ち続けますから、最低でも二十年は先の話になるでしょう」
あまり家の力をひけらかすような表現を使いたくありませんが、仕方ありません。
当家の持つ力を示し、ジーノリウス様の未来に希望がないことをお伝えします。
「その、何の話をされています?
私は浮気するつもりなど毛頭ないのですが」
ああ。
この方は浮気をしない誠実な方でもあるのですね。
本当に素敵な方ですわ。
先程から話は全く噛み合っていませんが、お話をするほどジーノリウス様の魅力を感じてしまいます。
「それなら尚のことわたくしと婚約されるべきではありませんわ。
ジーノリウス様は怜悧な方だと、父より伺っております。
今日お会いしてみて、ジーノリウス様は見目もお美しく、お話もお上手で、細やかな気遣いのできるお優しい方だと分かりましたわ。
加えて浮気などされない誠実さをお持ちなら、ジーノリウス様はきっと女性から引く手数多でしょう。
わたくしのような女と結ばれてしまうのは悲劇ですわ」
「その、大変お話しし難いことであると承知でお伺いします。
アナスタシア様は何か問題をお抱えなのですか?
私で良ければ、解決のために力をお貸ししますが」
ジーノリウス様のお言葉を聞いて、固まってしまいました。
もしかしてこの方は、わたくしの容姿が見えていないのでしょうか。
そもそも、わたくしの説明からなぜそのようなお言葉が返ってくるのでしょう。
ここまで話が噛み合わないと何だかおかしくなってしまい、思わず笑ってしまいました。
それにしても、今日初めてお会いしただけのわたくしにご助力をお申し出下さるなんて。
わたくしの色香にやられたということはありえませんから、本当にお優しい方なのでしょうね。
「わたくしの抱える問題とは、この外見のことです。
このような醜い女と結ばれるのはお嫌でしょう?
しかもわたくしの両親の権力は絶大で、入婿の立場では他の女性に逃げることも叶いません。
お相手の男性にとって、わたくしと結ばれてしまうのは不幸でしかありませんわ」
「アナスタシア様は、結婚によってはご自身は幸せになれないと、そうお考えなのですか?」
ジーノリウス様の予想外のご質問に、またわたくしは戸惑ってしまいました。
わたくしは男性から嫌悪されるほど醜い女です。
そのせいで、縁談もなかなかまとまりません。
そんなわたくしに、結婚による幸せについて尋ねられた方は今までいらっしゃいませんでした。
「結婚によって幸せ……ですか。
考えたことがありませんでしたわ。
こんな見た目ですから、結婚など疾うに諦めておりますの」
わたくしがそうお答えすると、ジーノリウス様は深い衝撃を受けたようでした。
そんなにおかしな答えだったのでしょうか。
「……諦めないで下さい」
「え?」
「諦めないで下さい!
顔が悪いくらいなんだって言うんですか!
ただ顔の肉の付き方が人とちょっと違うだけでしょう?
たったそれだけのことで、なぜ貴方は全て諦めたような顔をするんですか!?
諦めるな!
幸せになることを諦めるな!
君は幸せになっていいんだ!
君だって幸せを望んでいいはずなんだ!
全てを諦めたように笑うな!
君の人生はこれからじゃないか!」
ジーノリウス様は唐突に立ち上がり、わたくしの肩を掴んで、目を涙で潤ませながらそう仰いました。
魂の慟哭
そんな言葉が頭に浮かびました。
それはまるで、敵国に捕らえられ、長らく奴隷として虐げられ続けた兵士が、人としての魂を護るために上げた雄叫びのようでした。
その言葉の纏う重圧は、まるで何十年も耐え続けた壮絶な痛苦を礎としているようでした。
もちろんジーノリウス様は十六歳で、子爵家のご子息です。
そのような経験などされているはずはありません。
ですがその言葉は、人生の大半を苦痛に苛まれた者の心の叫びのようであり、わたくしのような小娘が軽々に反論することができないような巨大な質量を持っていました。
諦めている
そうですわね。
確かに、男性と結婚して幸せになることなどすっかり諦めていました。
「私に、君が幸せな人生を送るための手助けをさせてほしい」
そう仰ったジーノリウス様は、跪いてわたくしの手を取られ、唇をわたくしの手に落とされました。
(っ!!)
これは!
男性が求婚するときの作法ではないでしょうか!
まさか、自分が男性から求婚されることになるとは思わず動揺してしまいます。
いいえ。そんなはずはありません。
これはわたくしの早とちりですわ。
わたくしが男性から求婚されるなど!
そんなこと、ありえませんわ!
「結婚してほしい。
君を必ず幸せにすると約束する。
だから、自分の幸せを諦めないでくれ」
(っ!!!)
まさか、早とちりではなかったのでしょうか。
涼やかなお顔のジーノリウス様がわたくしを見詰めるその視線には、圧倒的な熱が籠められていました。
紫の瞳の熱に中てられ、頭が沸騰したように熱くなり、ジーノリウス様の瞳から目が離せなくなります。
「……は……はい……」
そのお美しい瞳の強烈な熱に呑み込まれ、わたくしは流されるまま承諾してしまいました。
「ありがとう」
ジーノリウス様はそう仰ると、眩しいほどの笑顔をわたくしに向けて下さいました。
お会いしてから初めて笑顔を拝見しましたが、まるでわたくしの心が溶けてしまうような、輝かしい笑顔でした。
(えええええ!!?)
立ち上がられた途端、ジーノリウス様はわたくしを抱き締められてしまいました。
異性から抱き締められたことなど、初めての経験です。
どうして良いのか分からず、わたくしは混乱したまま固まってしまいました。
咳払いが聞こえたのでそちらを見ると、なんと両家の両親と護衛や使用人まで、全員がこちらに目を向けていました。
求婚されたところも、抱き締められたところも全部見られてしまったのでしょうか。
顔から火が出そうです……
「まあまあ。いいじゃありませんか。
あんなに情熱的に口説かれて、アナだって喜んでいますわ」
ああ、お母様。
その話題はもうお止め下さいませ。
恥ずかしくて死んでしまいそうです。