そういう性質 (そういう存在)
相手をどうこうしようとせず共存共栄を望む。
安心できる状態を求め、その確保と維持発展に
勤しむ。これは「慈愛」、「善」と呼んでも
構わないだろう。
「分と我」の考察で「世界」を過去未来に
永遠無限の存在としたが、つまりは「何らかの
理性や感情=事情や理由」があって「生まれた」
モノではなく、「在るから存在し続ける」モノ
ということになる。なら「世界の一部」である
「自分=我」も、そういう存在なのだ。
ところで「ただ存在し続けるコト」は、石コロ
と違って生命にとっては生存、さらには快適な
環境を欲するところだろう。加えて知性に感情
なんそを具備した人類に至っては比較、競争が
闘争、戦争、恨みツラミに心労、過労の種にも
なっている。だが世界の一部たる存在の望みは
何か?「ただ存在し続ける」それを成すために
「何故」と「どうしたら」を駆使し、安らかで
生き心地の良い世界を作り上げ、発展させる。
それが正しい理性の使用法であり、そのような
心の在り様を「愛」とか「善」と呼ぶ。それが
理性を持つ生物の本来の性質なのだ。