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惑う星々

「アルシャ!?どうした!」


部屋に戻って来た途端、エルジュが叫んだ。辺りには焦げた臭いが立ち込め、部屋の中央でアルシャがへたり込んでいる。臭いは、間違いなく彼女から漂って来ていた。


 駆け寄るエルジュの目に入ったのは、臭いの発生源と、焼け爛れた彼女の両腕。


「なにが、あったんだ」


「霊力を暴走させたまま使ったんだ。アルシャ、無事かい?」


 後ろから聞こえた声に、息を呑む。

 恐ろしい程冷静な声の主は静かにアルシャに歩み寄ると、少し間を開けて自分と彼女の腕輪を外し、両腕の応急処置を始めた。手元にまともな道具が無いため、包帯に霊力を纏わせて腕に巻く程度の事しか出来ない。

 あくまでも静かなその態度が、逆に彼女の激しい憤りを表しているように見えた。


 それを指摘せず、エルジュは部屋を見回す。


 焼かれた物を中心として、片腕を伸ばしたくらいの範囲が黒ずんでいる。彼女の両腕もその範囲内にあったのだろう。問題は、なぜ自分の身も顧みず霊力を暴発させたのか。

 精神が乱されて集中出来なかった、というのが全体的な理由だろう。では、それ程までに精神を乱した原因は。

 

 エルジュが中心に視線を向けると、燃え尽きた後の滓と黒く煤けた何かが目に入った。


「何だ?」


「燃えたってことは、紙とか植物とかじゃないかな。黒いのは、よく分かんないや」


 処置を終えたリィはアルシャの横からそれを覗き込むと、黒いものを摘み上げた。手は霊力を纏っており、口調とは反対に相当警戒しているのが窺える。


「硬いね。あと、この黒いのは煤っぽい。取れるかも」


 呟きながらも上下左右、様々な角度からそれを観察するリィに小さく声がかけられる。


「それは、鱗だ…竜の」


 驚愕に目を見開く二人。エルジュが「本当か?」と問うと、「多分」と返された。しかし確信している様子だ。煤を払うと、果たして赤い鱗が現れた。


「まさか、あの竜の?」


「だろうな。あんな吐き気がするような奴がそんな沢山居る訳無いし、いたとしても来る理由が無い」


 心底嫌そうに言う少年の顔には、確かに厭悪の表情が刻まれている。

 リィがアルシャを励まそうと試みるが、アルシャはまだ現実に戻ってきておらず、効果はなかった。

 彼女の背中を撫でながらリィがエルジュに尋ねる。


「竜はどうやって入ってきたんだろう。ここに着くまで人目もあるし、島全体の監視も強化されてたって話なのに」


「空から飛んでくれば、そんなの余裕で突破できるんじゃないか?あの時もそうだったし」


「だとしてもワタシ達が戻ってくるまでに島の外に逃げられるかな。もしかしたら、逃げ遅れてアルシャが見ちゃったのかも」


 竜が逃走に手間取って、目覚めたアルシャと対面してしまった可能性は高い。そう予想するリィだが、アルシャは竜とは会っていない。


 ただ、竜の鱗を見た瞬間、何かが湧き上がってくる予感がしてそれを抑えつけようと必死になっただけだ。アルシャには説明する気力すらないため、二人は本当の理由を知ることが出来なかったが。


「そういえば、この腕輪って霊力を弾くんだね。さっき使おうとしたらできなくてちょっとびっくりした」


「よく分かったね。刻まれた術は相応の条件がないと発動しないらしいんだ。だから腕輪を嵌める事と、霊力を使えなくする事を条件に組み込んだんだよ。これは僕の説明不足だ。すまない」


 ふーん、と頷きながらアルシャの腕輪を見つめる。それは彼女の両腕同様焼け焦げていて、原型を留めているのが不思議なくらいだ。まだ使えるのだろうか。


「そうだ、もう一個予備で作って置いたんだった。アルシャのが不安だから、渡しておくよ」


 彼が懐から新品を取り出し、アルシャに手渡そうとした時、



 扉を叩く音が聞こえた。


 咄嗟に立ち上がり、アルシャを庇うリィ。反応に遅れたエルジュは扉を睨みつけた。


 返答の無い事を不審に思ったのか、もう一度扉が叩かれる。

 リィと一度目を合わせ、頷くとエルジュは腕輪をしまい扉へ向かう。 


 一呼吸置いて、一気に扉を開く。向こうに見えたのは、予測とは違った者達だった。

 

「アルシャ、及びリィ、長が御呼びです。我々と共に直ちに高峰の寺院へ参りなさい」


 そこには二人の獣人が佇んでいた。


 右側の男は犬の純霊らしく、黄土色の髪にピンと立った耳がある。野生的な雰囲気はあるが、纏う服が制服であるために、それが一筋の刃の如き鋭さを得て三人を突き刺す。


 もう片方は女だ。不思議な女だった。普通その人の持つ獣霊は一目で分かるのだが、この女にはそれを断定できる目立った特徴が無い。強いて言うなら猫だろうか。薄桃色の髪はゆったりと波を描きながら一つに結ばれ、男と同じ制服を着ているにもかかわらず柔らかな雰囲気を感じさせた。


 二人は表情を崩す事無く礼をすると、そのままピクリとも動かなくなった。

 

 エルジュは己のジレンマに気がついた。

 長の命令には絶対に従わなくてはならない。直ぐにでも二人を引き渡すのが正解だ。しかし、己の感情はそれを拒む。二人、特にアルシャは現状立場が悪く、長に何をされるか想像するだけでも恐ろしい。


「どうして僕は一緒に行けないのですか?」


 あくまでも命令を尊重する態度は崩さないように問うと、女から返答があった。


「あなたは既に祝福の儀を終えています。大人になれたあなたは必要が無いのです」


 その返答に不快げに眉を顰めたが、それでも反応はない。

 ならばどうするべきか。実力行使という手段は彼らの服装を見た時点で消滅した。あの服は長を守護する武士のものだ。相当な経験を持っているであろう相手二人に、成人したての若造が勝てる訳がない。


 五里霧中、進退両難、その言葉が彼の頭によぎる。


「わかりました」


 背後から、透き通る凛とした声が聞こえた。

 驚きに振り返ると、リィがアルシャの手を握って立っていた。


 いつもの笑みは無く、紅桔梗の瞳は静かな湖面のように澄み渡り二人を見つめる。無表情の立ち姿は、何事も侵すことのできない気品があった。


 正面の二人は視線を交わすとそれぞれに入室する。

 初めて、男が表情を崩した。視線はアルシャの両腕に注がれている。傷ましげに見つめる顔を見ると、彼らも感情があるのかと妙な感慨を得た。


「彼女の怪我は、こちらで治療してやろう。狐の娘よ、腕を上げて」


 言われた通りに腕を上げると、男は小さく詠唱した。掌に暖かな色の光が集まり、男の腕を離れると彼女の患部に移り、染み込んだ。

 じんわりした痛みは再生されている証なのか、痛みが痒みと呼べるものにまで治り、やがて消える。包帯を外すと、そこには火傷の痕ひとつ無かった。彼の治療術の性能の高さが伺える。


「ありがとうございます」


 未だ呆然としながらも、男が怪我を治してくれたことを認識し感謝する。続けてリィも礼を言った。


「では、行きましょうか」


 男の右側にいる女はそう言うと、部屋を出た。振り返らず廊下を歩く後ろ姿に溜息をつくと、男は二人を連れだした。

  


***



 部屋に一人取り残されたエルジュはしばらくその場から動けなかった。

 連れて行かれそうな二人を庇おうとしていたら、いつの間にか二人が自分の意思で連れて行かれていた。結局、ずっと蚊帳の外だったと気付いた時には、既に日が傾いていた。アルシャがひと月ぶりに帰ってきたときは太陽が真上にあった筈だから、相当な時間呆けていたのだろう。


 何も手伝えなかった。後悔に沈みながら部屋の方へ向き直る。本当は自分の部屋に戻らなくてはならないのだが、それができるほど彼は平静を取り戻せていなかった。


 取り敢えず、二人が帰ってくるまであの憎き竜の残したものを調べていようと思考して、目に写る世界に違和感を覚える。目を擦る。視界には、二人が生活していたとは思えないほど綺麗な壁と、アルシャによって少し焦げた床、そして何も乗っていない二人分の敷物。


 何も、乗っていない。


「ーー?!」


 扉を振り返る。当然、先程の武士達は立っていない。部屋を飛び出し、左右に伸びる廊下を覗く。

 廊下は、ただ暗闇を抱いて果てしなく伸びているだけだった。



***



 武士達に前後を挟まれながらリィとアルシャは歩いていた。

 太陽の光は激しく四人を照らしつけ、明瞭な影を前方に伸ばしている。


 居住区を抜け、岩場に入った。坂の多い居住区以上に勾配があり、ただ歩いているだけだというのに息切れする。僅かに生えた草木は風に揉まれ、頭上の雲は目的を持ったように真っ直ぐ流れていた。


 岩を取り除いただけの道は、急に消え去った。顔を上げると、雲を貫いて高く高く塔が聳え立っていた。塔と言っても外見は岩肌がむき出しで、細長い山にも見える。固く風に打たれた表面は赤茶色をしていて、これから入る彼らを拒絶しているように思えた。


「さあ、入りますよ」


 これまで一切口を開けなかった女が首だけ振り向いた。

 前方には岩を削って造られた門がある。目立った装飾は無いが、表面には何か細かな模様が彫り込まれている。門の向こうには奥には岩肌だけがあった。入り口のような穴も、扉も見当たらない。


 躊躇う少女たちを置き去りにして、女はスタスタと歩む。

門をくぐった瞬間、女の姿が消えた。


「ーーは?」


 呆気にとられて門を見つめる。女はさっきまでいたはずだ。門を通ったように見えたが、通り抜ける直前にその姿が元から無かったかのように消失した。


「ああ、ここは初めてだったのか。いいか二人とも、あれはただの門じゃない。長や寺院を守る為に造られた、特別な門なんだ。見たから分かるだろうが、あれには転移の術が刻まれてる。まあ、俺たち獣人は余程のことがない限り自由に出入りできるから、あんま気にしなくていいぞ」


 ぶっきらぼうな喋り方だが説明は丁寧で、何も解説せず行った女とは大違いだ。二人はどちらともなく門へと歩みを進めた。




 門をくぐった、と認識した刹那、景色が変化した。瞬きの間に移動した訳でも、謎の光に包まれて気がついたらそこにいた訳でもない。

 余りにも自然、余りにも不自然なその状況は彼女たちを困惑させるのに十分だった。


「遅かったですね。危うく寝てしまうところでした」


 転移した地点の向こうで先の女が待っていた。こちらを煽るような口調に苛立ちを覚えるアルシャをリィが手を握って宥める。

 リィはそのまま転移した場所を見回した。


 仄暗い空間だった。静寂が場を満たしており、歩けば足音が壁を反響する。外とは反対に壁も床も青く、所々に設置された灯篭だけが色を与えていた。天井は暗闇に閉ざされどこまでも続いている。

 視線で天井を辿っていくと壁に突き当たり、そのまま下っていけば台座が鎮座しているのが見えた。台座の上にはまた同じような門がある。


「ガウナティア、それは酷すぎねえか。そもそもお前が全く説明しないからこんなことになってんだ」


 溜息混じりの声が女の気分を害したようで、幾らか低くなった声が反論した。

「おやヴルストジャ、では子供にも大人にもなれないこの者たちには何の罪も無いと?一ヶ月の間、何かを学ぼうともせず、今も私から何一つ情報を得ようとしない、この出来損ないたちを?」


「口が過ぎるぞ。寺院の中だということを忘れるな」


 空気は悪くなる一方で、息苦しさまで感じてくるほどだ。ガウナティアは一瞬口を閉じたものの、まだ苛立ちが収まらないようで再び口を開いた。が、それに被せるようにヴルストジャが言った。


「だが、責めるような事を言った俺も悪い。すまなかった」


 謝罪。頭を下げ、耳も伏せた真摯な姿勢。勢いを削がれたガウナティアの目に戸惑いが浮かぶ。

 数秒経ってガウナティアが、不満を抱えた表情で男に謝った。


 続いて貶した二人にも謝ると思いきや、彼女は門の方へ振り向いた。そのまま無言で進むのを認めて、また溜息をついたヴルストジャが二人を先導する。足音だけが響き渡った。


 道は短かった。上を向いていた時、すぐに突き当たりの壁が見えたから予想はついていたが、この短さでは長を守るのに役立つのかと疑問に思うリィだった。

 ガウナティアは今回先行することはないようで、三人の到着を待っていた。全員が横に並ぶと、男が忠告した。


「これから長の間に入る。失礼のないようにな」


 頷き、門をくぐる。また視界が切り替わるが、先程のような動揺はない。そして、




「ようこそ、我が寺院へ」


 震えるほどに凍てついた、静謐な声が聞こえた。




***




 目の前に圧倒的な存在感を放つ、美しい獣人がいた。長く伸ばした純白の毛は光を内包し、菖蒲色の瞳も相まって、神と見紛うほどに美麗だった。狐の純霊らしいが、その尾は七つに分かれている。


 その姿に目を奪われた二人は、両側にいた武士によって正気を取り戻した。慌てて両膝をつき、耳と尻尾を限界まで垂らす。両手は床に置き、首を下げる最敬礼だ。誰に言われるでもなく、自然に最敬礼をとってしまう重々しさが長にはあった。


「よくぞ参った、四人とも。今日二人を呼んだのは、ある任務を頼まれてほしいからだ。普段は下の者に命令させるのだが、今回はそうもいかぬ」


 一旦話を止め、二人を見つめる。未だ頭を下げている彼女らにはその瞳に過る感情が何であるか、知る術は無い。


「お主らも知っての通り、ひと月程前、この島に良からぬ者が現れた。その場にいた大人でどうにか追い出したようだが、かの竜の所為で儀式を受けられなかった者達がいる。言わずもがな、お主たち二人だ。

 状況が状況であったとはいえ、大人になれない存在としてそのままずっと放置されてしまった。その詫びとは言わないが、お主たちに特例として再び成人の儀を、三ヶ月後に行う事にした」


「お気遣い、痛み入ります」


 蚊の鳴くような声が出た。この圧迫感を前にして平静でいられるものなどいないのではなかろうか。ただ話しているだけだというのに、理性も感情も手の届かない深くに沈められるようだった。


「そこで、最初の話題に戻るのだ」


 言葉を切り、透徹した眼差しが彼女たちを射抜く。緊張に身を固める二人に長が続けた。


「アルシャ・コ・メーヒルタム、リィ・ウト・メーヒルタム。お主らに、任務を与えるーーー」




***




 「お主らの任務は、…儀式に必要な道具及び幾つかの素材を集めることだ。その為に、お主らには今日より一カ月後、外の世界に出てもらう」


 少しの空白があったが、それが気にならない程の衝撃が二人を包んだ。


 初め、言われたことが理解できなかった。いや、理解を拒んだというべきか。どちらにせよ、それが寝耳に水だった為に、リィは理性を慌てて浮上させた。


「お待ちください、長。我々は、海の向こう側の事を何も知りません。訓練を受けた大人であれば大丈夫でしょうが、我々では荷が重すぎます」


「なに、心配はいらぬ。今日から一カ月、お主らには外の世界について学んでもらう。お主らは学び舎でも優れていたと教師から聞いておる。余裕であろう。それに、」


 意味深に言葉を切る長に、不安と恐怖が溢れ出そうになるのを堪える。リィの隣では、アルシャも同じような動揺を得ていた。


「お主ら、いや、アルシャ。お主には竜と親しき関係にある、という疑いが掛かっておる」


「は、」


 戸惑いに息を吐く音。困惑が頭を支配する。

 誰が、何と親しい?そもそも、何故親しいという結論になった?


「長、私はあの竜とは全く関係ありません。生まれてこのかた、竜と出会った記憶もなく、ひと月前に竜と出会ったのか初めてです。何故、私が竜と仲が良いなどという疑いが掛けられたのですか」


「お主、心当たりは本当にないのか?」


「はい」


 間髪入れずに断言すると、長の形のいい眉が歪んだ。「ふむ」と頷くと、また無表情に戻ってしまったが。


「では、『あれ』にも心当たりはないと?」


「『あれ』とは?」


「シラを切るか。なるほど。ではもう一度己の目で確かめるが良い。ガウナティア」


 呼ばれたガウナティアは長の横に立つと、懐から布に包まれたものを取り出した。布の結び目が解かれ、中にあったのは、


「それは、」


「言い逃れは許さぬ。我々がお主がかの竜と親しいと判断した、確かな証拠だ」


 布から出てきたのは、赤い鱗と灰だった。



 緊張と焦りでアルシャは今すぐにでも吐きたい気分だった。長に呼び出された先でこんな理不尽な尋問を受けるなどと、誰が予想するだろうか。更に言えば、己に一切罪はないのだ。


 尚も問い質そうとする長を静かに、しかし焦りを含んだ声色でリィが遮った。 


「長よ、ワタシから弁明させていただきたい。アルシャはここ一カ月、自分に責任を感じてずっと海の警戒をしていました。その間ワタシが監視していましたが、彼女は一切竜との交流を行なっていませんし、竜は現れてすらいません。たったひとつ鱗が置かれていただけでは、二人に関係性を見出すのに不十分であると思われます」


「ほう、かの竜は、アルシャに花まで捧げていたというのに?」


 突然の言葉に声が出ない。長は花を捧げていたと、そう言ったのか。あの燃えかすがそれであったのかと理解はすれども、それが長の発言に納得することに繋がる訳ではない。それに、ここで引き下がってしまったら、彼女と竜の関係を認めてしまったら、自分は今まで一体何の為にーー


「まあこの話はどうでもよい。例えお主が竜と関係を持っていようといなかろうと、この島ではそういう噂が広まってしまったということだ。花を贈られたことは誰にも言わぬし、誰にも言わせぬ。だが、その噂がお主たちにとって不都合なのは変わりあるまい」


 アルシャの身体は強張り、耳は敬意からではなく恐怖で垂れている。青くなった顔を見たリィは、瞳を震わせた。

 彼女たちの様子を伺いもせず、長は淡々と話を続ける。


「そこで今回の任務だ。悪評を払拭できるように、各々全力で取り組むがよい」


 一つ、息を吐いた。これで終わりだと息をついていた彼女達を、思わぬ言葉が切りかかった。


「そして、武士ガウナティア・トコネ・シラ・レルミータム、同じくヴルストジャ・イグ・メーヒルタム。お主たちにも役を任せたい。この二人が外の世界に出るまでの一カ月間で、外で生存できるだけの力をつけさせるのだ」


 その言葉に動揺したのはガウナティアだ。与えられた任務か、それ以外の理由か、先程までの無表情ぶりをどこかへ落としたのかと疑うくらいに顔を顰めている。しかしそれも一瞬で、瞬きの間に表情を消し去りヴルストジャと共に黙礼し、任務を受け入れた。


「以上だ。四人とも、『何事も』怠るなよ」


 長の言葉を受け、四人はそれぞれに立ち上がると門を潜り、長の間から立ち去った。



***



 帰りの道は、行きとは違った静けさに包まれていた。

 任務に対し、未だ現実と受け入れられていない者が二人、残りの二人は受け入れた上で先の事を考えていた。

 混乱の渦に呑まれたアルシャの手を掴んで歩きながら、リィは先頭を歩く男を見上げた。


「すみません、武士さん。少し質問しても良いですか?」


「何だ」


 ぶっきらぼうに答えつつも、耳はこちらに傾いている。それを見て取って彼女は話し始めた。


「先程長があなた方にも任務を与えていましたけど、何故お二人なんでしょう。武士は忙しいと聞いたことがありますが」


「ちょっと違えな。武士っつう職は、大雑把に言っちまえば長の雑用係だ。だから何でもできるし、知ってる。この島で戦う技術持ってんのは俺らみたいなのと、他に一職くらいだ。そのせいで武士なんていう職名になったって噂もある」


「なるほど、ありがとうございます。…そういえば武士さんって結構荒っぽい話し方なんですね。びっくりしちゃいました」


 笑顔を保って会話を続けようとするリィだが、その目は冷たく凍えている。歩みを止めない男はそれを認めた上で、会話に乗った。


「ああ、やっぱ仕事だと気ぃつかうもんなんだよ、仕方ねえけどな。後、俺の事は名前で呼んでいい、長いからヴルスって呼んでもいいぞ」


「わかりました。ヴルスさんはワタシ達に何を教えてくれるのですか?正直外の世界は、学び舎で学んだ事以外は全然知らないんですけど」


「さっきからずっとそれ考えてたんだよなあ。学び舎でってことは、成人以降でやることはやってねえな」


 「どうしたもんかな」とぶつくさ言いつつ己の後頭部に手を回す。気づけば岩場の中程まで過ぎていた。低木が風に揺れている。

 天頂から少し傾いた太陽の輝く空を見上げ、ヴルストジャは何かを閃いた様子で立ち止まった。振り向き、三人がいることを確認して道を外れる。

 連れていかれたのは小さな平地だった。四人もその中に並ぶ上に、周囲に大岩が点在しているため圧迫感が尋常ではない。


「ヴルストジャ、ここは一体どこですか」


「俺と数人しか知らない秘密の場所。まあ鍛錬用だけど」


 ようやく冷静さが戻ってきたガウナティアがいくらか苛立ちを含んだ声で尋ねた。返ってきた言葉の軽さに、顔が歪んでいる。

 ヴルストジャは改まった様子で姿勢を正し、並ぶ三人を見据えた。


「これから外の世界で生き残るための訓練を始める」


「「はあ?」」


 奇しくも二人の声が重なった。アルシャとガウナティアだ。二人は嫌そうに互いを見ると、すぐに顔を正面に戻した。更にリィも彼を見て、計三人の視線を受け止めたヴルストジャは満足げに口角を上げる。


「だから、ここで実技訓練をしようって話だよ。ガウナティア、お前もとっとと任務終わらせてえんだろ?」


 図星を突かれた彼女が気まずそうに目線を揺らす。少女二人分の視線が寄せられた。


「んで、その実技内容だが、お前さん達、獣化と人化は知ってるか」


 質問に二人は顔を見合わせる。当然学び舎までの知識しか無いため、答えは簡潔だ。


「そういう術があることくらいしか知りません」


「わかった。じゃあ、まずはその術から教えねえとな」


 そう言うや否や、ヴルストジャは目を閉じて霊力を集中させ始める。

 耳の先から足の爪まで全身に薄く霊力を纏わせると、徐々に体に変化が現れた。


 体中から毛が生え、筋肉が膨張し、やがて背を屈めて四つ足になる。俯けていた顔をあげると、そこには逞しい犬の頭があった。どこからどう見ても完璧で剛健な犬の姿だ。服は変化している内に消えていた。


「これが獣化の術だ。霊力を使って自分の獣霊の姿になる。一度なっちまえば何かしない限りそれ以上霊力は使わない。ついでに言うがここじゃ全然使い道がねえ。だが、外の世界に出たらこれか人化の術を使えねえとやばい」


 犬が真面目な顔をして話している。先の男の話の通り、この島では獣化も人化も滅多に見ないのだ。物珍しく思うのも当然だろう。

 犬になった男を凝視して話を聞いていない少女たちを見咎めたガウナティアが話を遮った。


「あなた達、ちゃんと話を聞きなさい。そうやって注意力がないから何も学べないのよ」


 正当性はあるのに、嫌味たらしいその言葉にかっとなる。そのまま、アルシャは彼女に噛み付いた。


「じゃあ、貴方からも教えてください。人化の術でも、獣化の術でも、他の話でも良いですが。とっとと教えてもらえません?それとも、注意力を上げる方法でも教えてくれるんですか?」


「この…っ」


「落ち着けお前ら。ガウナティアは喧嘩を買うな、売るな。狐の娘さんもいちいち噛み付くんじゃねえ。まじで日が暮れちまう」


 慌てて獣化を解いたヴルストジャが二人の仲裁にかかる。短気なアルシャと一言多いガウナティアは、かなり相性が悪いらしい。一言口を挟むだけでこれだ。

 ヴルストジャの言った通り、このままでは何の訓練もできずに夜になってしまいそうだった。実際、もうかなり日が傾いている。夕方と呼ぶにはまだ空は青いが、時間はそれほど待たないだろう。


 彼の言葉で彼女らは落ち着いたように見えるが、まだ睨み合いが続いている。このままではすぐにまた言い争いになるだろう。


「いいか、お前ら。長は一カ月までと言ったんだ。たったの一カ月で、外で生き抜いて、任務を達成できる力をつけなきゃならねえんだ。ここで喧嘩してたら、この先何もできなくなるぞ」


 静かな声だったが、二人を硬直させるのには効果的だったらしい。びくりと肩を震わせてそれから小さく謝った。


「すみませんでした」


「すまなかった」


 謝罪を聞いてヴルストジャは無表情に頷いた。


「よし、んじゃあさっきのを再開させんぞ。人化の術と獣化の術はどっちかができれば問題ねえから、俺がやるのを見て二人ともやってみろ。ガウナティアはやらかさねえか見張ってくれ」


 そう指示して、ヴルストジャはゆっくりと人化し始めた。見て学べ、ということらしい。

 

 そうは言ったものの、このやり方は単純ではあるが難易度が高い。なにせ術について何の説明も無しに、見るだけで術を覚えなくてはならないのだ。通常は誰も選択しないようなやり方だが、彼には二人がそれでも出来るという確信があった。

 そして期待通り、彼女達は三、四回繰り返しただけで術を使えるようになった。


 リィが霊力を纏わせると、彼女の兎耳は何も無かったかのようにかき消えた。尻尾はまだ残っている。

 消えなかった尻尾を困ったように眺めている。


「兎の娘さんは人化の術派か。この感じだともう少ししたら完全な人化できるな」


 犬の耳を震わせて呟く。横を見れば、アルシャも術を使っているところだった。

 彼女の肌が薄紅の毛で覆われ、鋭い目がさらに細く尖る。やがてヴルストジャがやっていたように四肢を着き、完全に狐の姿になった。


 狐の姿では視線が異様に低かった。四つ足だから当然なのだが、不思議な感覚だと思った。低くなった頭をめぐらせると三人がこちらを見下ろしているのが見える。その一つ、見慣れた耳が無くなっている少女に近づこうと足を前に出す。瞬間、視界が大きく揺らいだ。


 左に土の乾いた感触を感じて、自分の足がもつれて転がったことに気付く。なんとも無様だと、今すぐに土の中に潜りたくなった。


「アルシャ、大丈夫?怪我してない?」


 リィが近寄ってきてしゃがみこむと頭を撫でる。いつもより温かく感じるその手に、何故か安堵を覚えた。


「あー、まあ、最初は慣れねえのかもしんねえな。でも、普通はもっと歩けたような気がするけどなあ」


 唸って、ヴルストジャはその様子を眺める。ガウナティアも口を開いたが、すぐに閉じた。

 二人は術を解いた。元の姿に戻り、ほっと息をはく。安心感があるのだろう。


「ま、結構いい感じに進んでるな。これから細かい解説はやるとして、今日はこれでいいか。明日も朝からここでやるぞ」


 彼の言葉で、今日の訓練はお開きとなった。



***



 茜色に染まる空の下、暗く影を滲ませて二人が歩く。岩場はとっくに過ぎていて、今はまばらになった人々の隙間を縫って進んでいた。

 家に戻るまで、二人とも、何も話さなかった。


「あ、おかえり」


 部屋に着いて、ようやく一息つけると思って気を抜いた瞬間に声をかけられる。二人して後ずさりして、声の主に呆れられる結果となった。


「ただいま、エルジュ。あまり驚かせないでくれるかな、本気で殴ろうかと思っちゃったよ」


「ごめんよ。ただ、気がかりなことがあったから」


 リィの言葉の後半は聞き流して、エルジュはその気がかりについて話す。最後まで聞いて、アルシャが苦々しげに言った。


「それなら、あの女武士が持ってるわよ。いつの間にか盗ってたらしくて、長の前で見せつけられたわ」


「えっ、そう、そうか。じゃあ、そのまま返されてないのか?」


「別に私のものじゃないし、返されても嫌なだけよ。それでいいじゃない」


 不機嫌さを隠そうともせず、腕を組む。ついでに鼻を鳴らした。

 その様子に眉を下げてアルシャを見つめる。


「長からは何を言われたんだ?何もされなかったか?」


 質問にアルシャは目を逸らした。


「大丈夫だったよ、ただーー」


 リィが代わって説明する。長の話、任務を与えられたこと、武士たちと訓練することになって、一悶着あったこと。



 大体の説明が終わってエルジュは頭を抱えていた。理解し難い話たちを頭の中で整理して、その非日常さに再び頭を抱える。長という雲の上の存在に謁見して更に直接任務を与えられた、というのは只事じゃない。

 しかも外の世界に行くのだから、二人の先行きが不安でしょうがない。 


「外の世界って、大変どころじゃないだろう。それ本当に大丈夫か?相談があったら乗るよ?」


 矢継ぎ早な言葉が二人を襲う。とうとう答えるのが面倒になったリィは手をひらひら振ると、そのまま敷物の上に倒れこんだ。

 アルシャは彼に、大丈夫とだけ言って同じく倒れた。

 昼はアルシャの暴走によって焦げた布切れと化していたが、今はそんなこともなく柔らかな感触が肌を優しく包み込む。誰かが取り替えてくれたのだろうか、そう思考する余力もなく意識は暗闇に呑まれていった。



***



 倒れこむ二人を慌てて覗き込む。そこには眉を寄せるやつれた顔があった。相当に疲れていたのだろう、ほんの数秒の内に彼女達は眠りに落ちていた。

 それを確認し一息つく。音の無くなった部屋の片隅に、縦格子の窓から月の光が漏れ出ていた。


 暗闇に包まれた世界で、それは唯一色を与える光だった。


「どうしてなんだ」


 何も動かない、誰も聞こえない。


「どうして、何も、二人ともーー」


 言葉は彼にだけ届く。行き場のない感情は、ただ彼を苛むのみ。


「僕は、君達に、幸せになってほしいだけなのに」


 月は、何も言わずに彼を照らし続けていた。

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