表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

消えた星の輝き

  空は雲ひとつない快晴。海は波ひとつ立てず透き通り万全の散歩、いや祈祷日和だ。


ーー目の前に忌むべき竜の姿さえ無ければ。




***




  或る時代の或る世界に、獣の霊を身に宿す者達がいた。彼らは自らを獣人族と名乗り、とある孤島で永い時を精霊を崇拝しながら静かに生きていた。


 そして今日、成人の儀の始まり、精霊の祝福を受ける日。

  島の外を一望できる崖の上に、一人の少女が立っていた。鋭い刃のような少女だ。薄紅色の髪は肩口でばっさりと切りそろえられ、つり上がった目の蒼い瞳は海を睨みつけている。


 少女の名はアルシャ。狐の霊を持つ獣人だ。


  アルシャにとって今日は失敗など許されない重要な日だった。

 才色兼備、賢良方正な彼女は精霊からの寵愛も深く、学び舎でも上位に位置している。それ故に、この日に何かあったらと朝から警戒し続けていた。

  突如、張り詰めた空気を弛ませる、呑気な声が後ろから掛けられる。


「おはようアルシャ。良い朝だね」


 声の主は、兎耳を桑色の頭にのせた少女だ。狐の少女にとって最も親しい友人で、名をリィという。彼女も今日、成人の儀を迎える。

  顔の硬いアルシャを励ますように笑って続けた。


「そんなだと、祝福の儀のとき力を出しきれなくなるよ。それに、今日は“深”から“浅”まで、純霊・混霊色々な大人たちが集まってるんだから、むしろ取り越し苦労になるんじゃないかな」


 からかうように指摘されたが、述べられたことが事実で正しいことも理解したアルシャは、眉を顰めながらも頷く。

 そうなのだ、儀式が行われる広場には、長が来ていないとはいえ力も経験も多い大人が沢山集まっている。誰かに害されたり大怪我をしたり、祈りに集中出来ないなんてことは無い安心・安全・安定した空間ができていることだろう。


  しかし、彼女が崖に立っていたのは、その事に不足を感じた訳では無い。 何となく、本当に何となくだが、胸が落ち着かなくてじっとしていられなかったからだ。

  彼女の言葉に耳を傾けていたリィは吹き出した。


「ふっ、ふふっ、アルシャ、それ緊張。君にも、ぷふ、緊張することなんて、あったんだね」


  尚も口元を手で隠す兎の少女を見ていると居たたまれなくなってきて、取り敢えず彼女を尻尾で叩いてから、広場へ移動した。





 広場では様々な獣耳や尻尾を持つ大人たちがてんでばらばらに作業していた。動き回る大人に紛れて、同年代の子供たちが集まっているのが見える。二人はそこへ歩いて行った。

  彼女らに気づいた狐の少年が話しかける。


「やあ、昨日ぶりだね。二人とも、どこに行ってたんだ?」


「おはよう、エルジュ。ちょっとそこら辺を散歩してただけよ。大したことないわ」


 エルジュと呼ばれた少年は、答えをはぐらかすアルシャに疑問を抱きつつも頷いた。何とか誤魔化せたと安堵する彼女を横目に、今度はリィが話し始める。


「聞いてよエルジュ。アルシャったら、朝からずーっと崖の上に立ってたんだよっ。しかも緊張で!」


「ばっ、ちがう!」


  面白そうに暴露するリィと、慌てて否定すアルシャ。エルジュは朱い瞳を丸くさせ、なるほどそんな訳があったのかと、周りの子供たちは納得した。

  なんで言ったのと詰め寄る狐と、それを躱す兎を見ながら少年は呟く。


「アルシャにも、緊張するようなことがあったんだな」


「だから違う!」


 広場にアルシャの突っ込みが響いた。



***



 粛然とした空気が場を包み込んでいた。

 今日成人の儀を受けるのは、アルシャを含む六人。皆跪き、進行役の話に耳を傾けている。


「今日、新たな蕾が花開く。これまでの歳月を己が糧とし、祝福の儀にて、その全てを顕示できますようーー」


  淡々と進んでいく。精霊の創造主の話。獣人族の起源。精霊について。どれも学び舎で既に学習済みだが、話に口を挟むことなく聞き澄ます姿は典麗としており、見るものを感嘆させる。

 

  祝福の儀の説明が始まった。

  簡単な説明だ。自身の持つ獣霊の力、霊力を空へ放つ。 そしてその力に引き寄せられた精霊たちが、術者を祝福する。この時、寵愛が深い程長命となり、浅い程短命になる。今までの祝福は関係なく、これまで寵愛を多く受けられなかった者が儀式で深い寵愛を得た事があれば、その逆の事例も起きたという。


  祝福された度合いによって、その後の人生が決まるのだ。当然、失敗は許されない、一度きりの儀式である。


  話が終わる。漸く、祝福の儀が始まった。



***



  最初は、猫と鹿の混霊の少女だった。


  混霊は、純霊ほど霊力は澄んでいないが、溢れ出る量は彼らを凌ぐ。

  彼女が中心の台座に立つと、近くにいた大人たちは全て下がった。周りの影響を受けさせないようにするためだ。

  そして、少女は手を組み、力を集中させる。辺りに柔らかな光が満ち、一際強く輝いた直後、天へ駆け上る。


  数秒経つと、天から淡く多彩に煌めく光が降りてきた。精霊だ。

  それはふわりと少女のまわりを舞うと、体に染み込むように消えた。




「“深”です」


  静寂を破って告げられたのは、寵愛の度量。どうやら彼女は無事祝福されたようだ。ほっとした雰囲気の中、少女は糸が切れたように座り込んだ。相当に緊張していたらしい。それでも、なんとか台座から降りて自分の位置に戻った。



  その後も、一人、また一人と祝福を受け、四人目も、今終わった。

  そして、アルシャの番になった。


  緊張はある。しかし、これまで何度も鍛錬してきた記憶が彼女に自信を与えた。

  堂々とした歩みで台座に登り、片膝をつく。 己の内にいる獣に呼びかけ、その荒れ狂う力を練り上げる。体から漏れ出た霊力が大気を揺らすが、それでもまだ足りない。


ーー貴方を、呼びよせるには、足りない。


「ー?」


 思考の混濁。即座に切り捨て、精神を集中させる。暴れていた力がまとまり、これ以上ないほど透き通った。


  今だ。


 そう判断するや否や、彼女は霊力を空へ解き放った。打ち上げられた力は島の天辺をも超えて、天へ吸い込まれる。


 そして、



***



 それは突然訪れた。


 アルシャの霊力が空へと放たれて数秒後、地が暗闇に包まれた。いや違う、太陽の光が巨大な何かによって遮られたのだ。どよめく獣人達を置いて、“それ”が恐るべき速度で島に落ちる。


  衝撃。 

 激しい揺れとともに、粉塵が舞い広がる。その中で、この場にいた全員が見た。

  赤い鱗、広がった大きな翼、丸太の如く太く長い尾。それは紛れもなく、彼らが最も忌み嫌う竜の姿だった。


  竜がその翼を一、二度はためかせると舞っていた砂塵と一部の獣人が吹き飛ぶ。しかし、そこに竜の姿は無かった。そして、緋色の髪を風に揺らめかせる人間の男が、狐の少女の目の前に立っていた。


「アルシャ!」


 普段とは違う切羽詰まった声が己の名を呼ぶ。答える余裕は、無い。 

  アルシャは息を呑んでその姿を見つめた。この人間がいつ現れて、いつ正面に移動したのか、何もかもが分からない。それでもこれが先程の竜が変化した姿であり、気味が悪いほどの好意を己へ示していることはわかった。 分かったからこそ、全霊で後方に下がった。


「ネリネ」


  低く、枯れ木のように掠れた声だった。

 動けない彼らを無視して声は紡ぐ。


「今宵の星は、綺麗…だったか?」




「ーーーー」


  何を言っている?




  空白が生まれ、広場を包み込む前に人影が動く。リィだ。

  誰よりも早くこの微妙な緊張感から抜け出した彼女は、アルシャの前に立ちはだかると、そのまま霊力を集中させ始めた。

  続いて“深”の大人たちが拘束から脱出し、同じように霊力を集中させる。男を取り囲む輪が形成されると、再び空気が張り詰める。神秘の力が満ち、輪の中で渦巻く。だが男は気にも留めず、ただ狐の少女の姿を隠されたことに苛立ちを露わにした。


「俺とあいつの時間だ。邪魔すんな」


「誰がお前と二人きりにさせるか!消えろ!」


  兎の少女が吠えると同時に、渦巻いていた霊力が男に向かって放たれた。

  激烈な光が閃き、轟音とともに地が先程以上に揺さぶられる。数十年しか生きていないとはいえ、今までで最も強大で、死を覚悟する程の力の奔流。誰もが憐れな竜の死を確信した。


  攻撃が止んだ後の広場は酷い有様だった。地面に罅割れが刻まれ、土煙は先程以上に濃く漂っている。

 一時的ではあるものの、立ち上る煙は島の天辺を悠に超え、空を覆い隠している。しかし脅威の排除はできたのだ。思わぬ存在の乱入により、半ばで止まってしまった儀式を続行させようと人々が広場を修復し始めた。

  その最中、



「ーーっ」



  か細い鳴き声。粉塵の中で蠢く、なにか。


 なにかは揺らめき、膨張し、飛び出した。二対の脚が伸び、翼が肉塊を突き出して広がり、跳ねる首の先端が膨らみ頭を形成する。再生された竜の口から、悍ましい蛮声が漏れる。


「オレの、俺のネリネだァ!返セ!返セエエエェエ!!」


 醜悪な姿に目を背け、叫び声に耳を塞ぎ、耐えることしかできない人々を置いて、アルシャは叫び返した。


「私はあんたのモノじゃないし、ネリネなんて名前でもないっ。ただの人違い!あんたなんて知らない!」



  声を聴いた瞬間、鳴声が止まった。醜い姿を晒す竜は彼女の言葉に黄色の目を見開くと、心臓を穿たれたような苦鳴を上げる。

  そのまま足をふらつかせ、倒れるーー寸前、勢いよく飛び上がり、煙を突き抜けて空の彼方へ姿を消した。



***



  結局、儀式は中止となった。精霊の満ちる空間に、それらが最も嫌う竜が現れ、暴れたのだ。続けようにも、精霊たちは混乱していて続けられる状態になかった。



  崖の上。海の向こう、竜の逃げた先を睨めつけながら狐の少女は立っていた。あれからずっと、ここに立ち続けている。何度日が昇り、落ちたか、何度曇り、雨が降ったか、数えていない。

  ただ、あの憎き竜のせいで儀式がめちゃくちゃになり、自分ともう一人ーーリィの祝福が得られなかったことは、確かだった。



***



「アルシャ」

「アルシャってば」

「ねえ!アルシャ!」


 はたと気づく。いつの間に現れたのか、眼前、鼻と鼻がくっつきそうなほど近くにリィがいた。

  声を掛けられた事もだが、何よりそんな近くに居ても気づけなかった己に驚きつつ返事をする。


「ぁ、あぁ。どうしたの?」


「どうしたもこうしたもないよ。いつまでここに立っているつもりだい?もう一ヶ月経ったんだ。いい加減、家に帰ろうよ」


 心配そうな声だ。迷惑をかけて申し訳ないと感じつつ、それでも責任をとるためだと誘いを断ろうとして、



ーー『どうしたのですか?』


  何かを気遣う声だ。相手を怯えさせないように、精一杯柔らかく微笑んで、少しずつ相手のもとへ歩いていく。その視線の先にはーー



「アルシャ?」


「ーぅ?あぁ、 大丈夫」


「全然大丈夫そうに見えなかったよ!絶対疲れてる。早く帰るよ!」


 一瞬、何かが頭をよぎったが、それについて考える間も無く腕を引っ張られた。目の前で意識を飛ばしたのが良くなかったらしく、疲れていると断定されたようだ。そしてそのまま、リィと共に崖を後にした。



  家までの道のりでアルシャは居心地の悪さを感じていた。

  道の周りでは、数人の獣人達が揃ってこちらを見ている。その、憐れみ、嫌悪、不憫といった感情の込められた視線がチクチクと刺さった。

 自分だけならまだしも、それが前を歩くリィにまで向けられているのだから、たまったものでは無い。

 リィ自身もそう感じていたのか、「鬱陶しいな」と呟くと路地裏に足を向けた。


 路地裏は狭く、人一人が入ればそれだけで横幅が埋まってしまう。必然的に、アルシャはリィの真後ろにいることになった。

  リィは入って少し経った所で立ち止まった。何かを探しているようだが、アルシャにはさっぱりわからない。


「何を探してるの?」


「とある道具だよ、ここに置いてもらったんだけど、ーー。ああ、あった。これこれ」


  目的の道具を無事発見できたようで、前を向きながらごそごそやっている。と思うと、くるりと後ろを振り向いて、それをアルシャに手渡してきた。


「これ、腕にはめておいて」


  渡されたものは、腕輪のようなものだった。第一印象は無骨、といったところか。気張った装飾も無ければ質素さを追求した様子もない。ただ腕に嵌められたらそれでいいと言うような形だ。

  アルシャがそれを身に付けると、誰か、知っているような人の霊力が流れるのを感じた。


 しかし、それについて指摘するより早くリィが路地裏から出るよう促してきたため、仕方なく道に出た。


  道に出て歩き始めると、すぐ違和感に気が付いた。

 先程から煩わしいほどに向けられていた視線が、一つも感じられないのだ。それどころか彼女達がそこにいることすら、彼らは認識していないように思える。


 そのまま、二人は家に到着した。この島では成人するまで長屋で暮らす。二人一部屋が基本で、アルシャ達もそうやって過ごしてきた。だが、成人の儀を完全に終えられなかったため、リィは部屋から立ち去ることもできず、結局今までの部屋で寝起きしていた。


  そんな事を説明しながら部屋の扉を開け、「ただいまー」と間延びした声で言うリィ。返す人などいないだろうと考えるアルシャの予想を裏切って、挨拶が帰ってきた。


「おかえり、無事だったか?」


  その安否を気遣う声に、アルシャは聞き覚えがあった。


「エルジュ?」

「その通り。久々に会えたね、アルシャ」


 藍色の髪を揺らし、そうエルジュは答えた。



***



「どういうこと?」


 ひと月ぶりに帰ってきて早々、状況に追いつけなくなってきたアルシャの質問だ。三人はとりあえず部屋の真ん中に座っている。それぞれに寛いでいる中、彼女の質問に返答したのはリィだった。


「大した事では無いよ。ただ、一ヶ月経っても帰って来ない君を心配して、ワタシがエルジュと協力して呼び返しに来たって話だ。全く、不安にさせるんだから」

 

「じゃあ、この腕輪は何?霊力が作用して、さっきみたいになってたのは分かるんだけど」


「ああ、それは僕のだね。姿を隠す術を使ったんだけどちゃんと効果があったようで良かった。一週間寝ずに作った甲斐があったよ。」


「一週間寝ずに作った?貴方の方が大丈夫?」


 大丈夫だよ、と笑う目元には確かに隈が見える。というより、


「いつこんな物作れるようになったの?こういうのは成人して五年経ってからって、…あ」


  問いかけながらも自分で答えに辿りついたアルシャに、エルジュが解説を始める。


「その通り、五年経ってから技能系は学び始める。だけど“浅”の場合はそうじゃない。僕もだけど、“浅”は寿命が短いからね、早く始めるに越した事は無いんだ。」


「それの修行で、この…腕輪を作ったの?」


「いや、これはリィに頼まれて作ったんだ。修行のきっかけになればと思ったのもあるにはあるよ。ただ、何事も挑戦とは言うけど、最初からこんな出来栄えだと結構落ち込むもんだね」


 はは、と笑ってはいるが、耳や尻尾はへな垂れているので実に分かりやすい。

  まあ確かに、腕輪というにはかなり粗すぎる物ではあるので、全く別の新しい道に挑んで欲しいところだ。


「装飾師になりたいと思っていただけに残念だ。いやほんとに」


「何か作りたい物でもあったの?」


「うん、まあね」


  どこか遠くを見ながら曖昧な答えを返す。先程の会話の中に疑問点があった事を思い出したが、質問攻めした自覚はあるので問いが喉を飛び出す前に口を閉じた。


  彼は腕輪を作った事と修行はあまり関係無いと言っていた。ならば、何の為に作ったのか。

  今までの話を整理して考える。リィの心配、エルジュの憂い、そして腕輪。

 それらを総合して考えるとーー


ーー貴女のことを、助けたかった。


「ーー!」


  首を振る。そんな訳ない、と否定したいのではない。逆だ。声と同様の理由に思い至ったのだ。それが、その事が、不気味でしょうがない。いつの間にか現れた声が自分と同じ声で、自分と同じ答えを得たのだ。

  呪いと言っても過言では無いそれは、得体の知れない狂気を纏っているようだった。


「やはり、無事じゃ無いね」


 アルシャの顔色を伺っていたエルジュが、顔を顰めて言った。


「あの竜のせい?アルシャ、ずっと見てたけどあれからおかしくなってるよね。何か病気でも運んできてたりするのかもしれない」


「いや、それは無いと思う。仮にそうだとしたら僕らもアルシャみたいになってる筈だ。だから、他に別の要因があるんだろうけど…」


「竜がアルシャだけを見つめてたこと、とか?」


  リィの言葉に、エルジュが口を噤む。結局、最も怪しく最も考えたくない選択肢しか残らない。しかしなぜ、アルシャだけがあれほど執着されたのか。

  顔を突き合わせて考え込む二人に、ようやく正気に戻ったアルシャが慌てて話しかける。


「いや、私の事は良いから、二人は早く休みなさいよ。特にエルジュ、一週間も寝てないんだから少しでも休まないと、体壊すわよ。あと、二人とも、今日はありがとう。少し落ち着けたわ」


 気を遣いつつ感謝も述べて捲したてる彼女に押し切られると思いきや、二人は反撃に出た。


「私の事は良い?何言ってるの、君が一番疲れてるんじゃないか!ワタシはちゃんと食事も睡眠も毎日摂ってたんだから余裕だよ。君がまず寝るんだ。すぐに」


「そうだとも、君は一ヶ月飲まず食わずだったらしいんだから、君が休むべきだ」


 二人に気圧されたアルシャは、仕方なく寝ることにした。友がこれほど心配してくれていたのかとこっそり喜びつつも、ひと月の間休みを取らなかった体はそれを顔に出す事さえ出来ないくらい怠かった。そうして、彼女は襲いくる睡魔に抗うことも無く身を任せた。



***



「場所を移そう」


  アルシャが眠ったことを確認し、エルジュは言った。

  唐突なその言葉に、リィは不思議そうに聞く。


「良いの?一人で放置しちゃって」


「大丈夫だよ。それに、君に聞きたい事が一つあるんだ」


「ここで話せない事?」


「ああ」


  首を傾げる兎の少女の声に、表情を固くした狐の少年が答えた。



  崖の上。ここ一ヶ月アルシャが立っていた場所で、二人の少年少女が向かいあっていた。

  風を受け靡く耳を押さえながら、リィは尋ねる。


「それで、場所を変えてまで聞きたかった事ってなあに?」


  微笑みを浮かべて待つ少女を見、少年は息を整えた。


「君は、アルシャに、どういう感情を抱いているんだ?」「どういうって、君も知っての通りだよ。アルシャはワタシの大切な友達で、恩人だ。それに相応しい感情を持っているつもりだよ」


  尚も微笑みを絶やさないリィにエルジュは覚悟を決めた。


「じゃあ、」


  一拍置いて、問う。


「君はアルシャを、■■■いるのか?」


  表情が抜け落ちる。何も見えないその顔に、息を呑む。

 そして、それが頬を歪めて、笑いという形をとって、言った。


「何だ、バレていたのか」




***




  目を覚ますと、見慣れた天井が見えた。

  なぜこの場所に、と思ったところで頭が記憶を呼び起こす。リィに連れられ、エルジュの手助けで家に戻って来たのだ。


「リィとエルジュは…」


  部屋を見渡してみても二人の姿は無い。天井の隅に引っ付いている訳もない。個人の部屋は一つしか無く、便所も風呂も共同だ。一応覗いてみたが、彼女らを確認することはできなかった。


  手掛かりも無しに戻り、部屋の扉を開ける。入る寸前、違和感を覚えた。

即座に部屋に滑り込み臨戦態勢をとる。が、誰もいない。そんな筈が無い、確実になにかがいた。確信を持って室内を見回す。


  違和感の正体はすぐに見つかった。


「これ、は」


 部屋の中央付近、アルシャが寝ていた敷物の上に、それらはあった。




ーー薄桃や白の小さな花と、赤く煌めく、一枚の鱗。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ