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其之一 木魅

そのおじいさんはどこからともなく現れた。


――栗やんろ。


そういって、おじいさんはどこからかやってきて、いつもわたしにくりをくれるのだ。

あるとき、おじいさんは、聞いた。


―――おめさ、なんて名前ぇだ。


「かえで」


わたしは、ただそれだけこたえた。


ただ、それだけなのに、おじいさんはとてもうれしそうに笑った。


――――そっがそっが。かえでちゃんかぁ・・・・。


おじいさんは、つぶやくようになんどもなんどもわたしのなまえをよんだ。


やがて、おじいさんはまたわたしに聞いた。


――――かえでちゃん。おめさ、いくつだ?


「―――いつつ」


わたしは、おじいさんがなにをかんがえているのかよくわからない。


でも、おじいさんはあいかわらずうれしそうだ。


―――――そっがぁ・・・かえでちゃん五つけ。もうそんなんだもんなぁ・・・・


そういうと、おじいさんはまたいつもみたいにいきなりすがたをけしてしまう。


いきなり、あらわれて、いきなり、きえる。





不思議な老人と楓の交流は、その日を境にぱったりと止まった。










「悪いわねぇ、手伝わせちゃってぇ」

「いえ、こちらこそ勝手に押しかけて手伝いたいなんて言ってすみません」

これは本当のことである。

僕は進んでこの片づけを手伝いに来たのだし、配慮をされる身分などではないのだ。

今、お茶持ってくるわねと、叔母さんは引越しのダンボールを置いて、お茶を淹れに行った。

この家も、あと少しでお別れになる。さしずめ、当家最後の一杯となるのか。



この家は、もともと親戚一同が寄せ合って暮らしてきた古屋だった。

だが、僕の両親が都会に越すことを決め、当時幼かった僕も勿論一緒に付いていった。

だが、叔母一家は残った。

その時叔母はまだ未婚だったし、残された祖父の面倒を誰かが見なくてはならない。

必然的に、叔母と祖父はその家に残されたのだ。



祖父のことに関して言えば―――。


僕は一部を除き、余り覚えが無い。

否、思い出したくないのかもしれない。

祖父は非常に頑固な男だった。

年寄りというのはえてして頑固なものだが、この田舎に数いる年寄りの中でも祖父は極めて硬い部類に入った。

子供嫌いだったのかもしれない。

僕は祖父に度々叩かれた。

悪いことをした時―――。

嘘をついたとき―――。

必ず、祖父は縁側の松の木の下に僕を呼び、厳しく叱った。

何故叱られたのか、具体的な理由など思い出せないが、恐らく、些細な理由、下らない理由だったのだろう。


だが、祖父は叱った。いつも、どんな時も祖父は怒っていたように思う。

怒っているとき以外の祖父を、思い出すことができないのだ。


この引越しを手伝った理由も、もともとは祖父にあったのではないかと思っている。

ここにくるまでは漠然と、ただなんとなく手伝おうとしていただけだが、今分かった。


僕は祖父という忌まわしい記憶を今自ら消そうとしている。

祖父のいた家が潰れる事を見届けることで、自分の中に決着の糸口を見つけているのかもしれない。



僕は、祖父が嫌いだった。







「はい、お茶」

叔母さんはそういって、縁側に座っていた僕に湯呑みをよこした。

軽く礼を言って、僕は茶を口に流し込んだ。

熱いだけで、味も香りも何も無い茶だったが、手伝いで汗を流し、乾ききった喉には充分過ぎる位だ。

縁側から小さな庭を眺めていると、従妹の楓あが遊んでいる姿が見られる。

今年で五歳になった幼い少女だが、何も無いこの田舎で元気一杯遊んでいると聞く。


「ねぇおにぃちゃん!!」

「ん?なんだい?」

小さい従妹の言葉に応え、僕は縁側を降りて庭に出た。

小ぶりではあるが、松がそぞろに植えられた庭で、一際目立った松がある。

幼い従妹はその松を指差しているのだ。

「ねぇ、なんでこの松だけ赤い松と黒い松がいっしょに生えてるの?」

「これはねぇ楓ちゃん。『相生の松』って言うんだよ」

「あいおいの、まつ?」

「うん。松っていうのはね、長生きしますようにっていうおまじないの意味があるんだけどね、この相生の松は特にそのおまじないの力が強いんだ」

「ふーん・・・?じゃぁこの松があると、かえでもお母さんも、長生きできるの?」

「うーん・・・そうだなぁ・・かえでちゃんが良い子にしてたらきっと長生きでき―――」


―――良い子にせんと、長生きはせん。

――――悪い子は閻魔様がしっかり見張っとるんじゃ。

―――――お前が悪いことを隠しちょっても、この松さんがしっかり見張っとるわな。


―――うそだ。松が見張る訳ない。

――――何故そう思う。

―――だって、松は根っこが張ってて動けやしないじゃないか。

――――馬鹿たれ。松さんはな、宗一。魂をもっとるんじゃ。魂がいつどこでもお前の悪事を見張っておる。

――――魂なんて、木が持ってるわけ無い。木は動かないじゃないか。



―――あほう。木々にはな。木霊がおるんじゃ。

――――木霊?

―――そうじゃ。木霊が木に宿ってらっしゃる限りはお前を見逃したりは、せん――――



「おにいちゃん?」

従妹に呼ばれ、ようやく僕は元の世界に戻ってきた。

「どうしたの?ぐあいわるいの?」

「いや・・・なんでもないよ。大丈夫」


――――そうだ。


この松こそ――――僕を嫌った祖父が愛した、僕を叱った、あの松の木なのだ。



「・・・ねぇおにいちゃん、松のおじいさんって知ってる?」

「松の・・お爺さん?」

「うん!松のおじいさんはね、松の木に住んでてね、いつもかえでにくりをくれるんだよ!」

「松の木に住んで、栗をくれる?」

「うん!」



そういえば――――。


――――宗一、わしが買うてきた栗じゃ。どれ、食め食め。うまいじゃろうて。

―――――・・・おいしい。

―――――そうじゃろそうじゃろ。うまいじゃろ。もっと食め。もっと食め。


「ねぇ聞いてる?おにいちゃん」

「・・・うん。聞いてるよ」

「おじいさんね、いつもかえでにくりをくれてね、うれしそうなかおをするんだよ」

楓は嬉しそうにその老人の話をしている。


祖父は、楓が生まれる少し前に亡くなったのだそうだ。

わしの楓は、楓はまだ生まれんのか、と言っていたらしい。


祖父は、淋しかっただけなのかもしれない。

祖母に先立たれ、僕が生まれたことによって息子が家から出てしまうことに耐えられなかったのかもしれない。




なんだか無性に―――――










空しくなった。






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