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序章:日の国

どうもドラキュラです。


4月に連載開始予定だった時代劇小説。


やっと・・・・やっと投稿できました!!


しかし、三国志の方も連載が停滞しているので、そちらも書きつつやっていくので更新は不定期となる可能性が高いです。


ですが連載を最後までやるつもりなので、どうか時間がある方は御付き合い下さい!!

極東にある島国---日の国と言われる所の首都は江戸と言う。


この江戸だが、世界三大都市---ロンドン、パリ、北京を越えて人口が世界一となった。


更に言えば地理的な要素も重なり、江戸は世界でも有数の貿易国となり、様々な西洋の品や建物で覆い尽くされている。


つい数十年前---3代将軍家光の時代までは鎖国状態だったが、今では面影すら残していないのは驚くべき事だった。


この鎖国だが、鎖で国を囲んだような政策---海禁政策の一種で、東南アジアでも同じようさ政策がされていた。


江戸を例に挙げると海禁政策の中でもマトモに貿易できたのは明、琉球、オランダ位だった。


しかし、李氏朝鮮ならびにアイヌとも貿易をしていたとされているから完全に殻に閉じ籠もっていた訳ではない。


何故、鎖国が出来たのか?


それは古今東西を問わず支配者達の頭を悩ませる宗教組織が理由の一つに挙げられる。


宗教とは人を導いたり、救いの手を差し伸べるのが本来の務めだが、どの国も時代が下るに連れて戒律が緩まったりした。


同時に自分の勢力を広めようと考えるのも無理らしからぬ事であり、そうなると血を流す事も多々あったのだ。


日の国の場合は一向宗が団結して大名に刃向かう事もあったし、果ては比叡山の僧兵なども古い時代---平安時代から問題視されていた、という話もある。


しかし、特に凄いのはキリスト教だろう。


彼の宗教の歴史を紐解けば、戦の歴史ばかりだ。


そのキリスト教だが、戦国時代に初めて日の国に来た、とされている。


理由は布教であるが、布教をスムーズにする為に、また自国の利益も考えて品物を送ったりした。


これが「南蛮貿易」の始まりである。


やがて戦国の世は終わり一人の統治者が日の国を治めた。


徳川家康である。


その家康だが、最初は貿易で利益を得ようと考えていた。


朱印船なる船でスペイン、イギリスなどとも貿易を成功させたが、彼は織田信長などを始めとした大名の最後や宗教勢力の恐ろしさを・・・・・身を持って味わってきた経験がある。


故に最初こそキリスト教を黙認していたが、少しずつ強大に成り始めた彼の宗教に恐怖心を抱いたのだ。


また伊達政宗を始め徳川幕府を瓦解させようと虎視眈々と牙を研ぐ外様大名も大勢いた。


そんな大名とキリスト教を信仰する民草たちが団結したら・・・・・・・・・・


家康の脳裏に飛来したのは、一向宗との戦いであったに違いない。


同時に同盟主だった信長も宗教は宗教、という考えを持っていた。


つまり武器などを所持せず、仏の道を究めろと考えていたのだが途中半ばで死んだ。


代わりに臣下だった豊臣秀吉が後を受け継いで、宗教勢力は排除されたが・・・・・・・


話を戻すと家康としては新たな宗教勢力を中に入れるのを恐れたのだろう。


そこを考えて鎖国したと言える。


だが、家康が死に、子の秀忠から家光に政権が移った頃に流れが変わった。


家光の時代---清国に攻められていた明国は日の国に援軍を要請してきたのである。


この話に家光と、その叔父に当たる大納言「徳川頼宜」は大いに乗り気だった。


恐らく彼の脳裏には家康のように大勢の日の国の人々を海外へ移住させた光景が浮かんだのだろう。


とはいえ恐らくは別の理由も2つ、3つはあったに違いない。


徳川家にとって最大の敵であった豊臣家を滅ぼして天下は太平となり、戦人にとっては生き辛い時代になったのである。


そして家康と秀忠、更に家光は多くの大名家を改易ないし取り潰した事で、多くの牢人が世に出てしまったのだ。


牢人達が徒党を組めば厄介な事になるが、かといって何処にも彼らを受け入れる家は無い。


ここへ援軍を要請されたのだから、牢人を送れば問題は一挙に解決する。


しかし、既に明国は滅亡間近で下手に送れば清国との関係が不味い事になるのは明白だ。


あくまで「国」として「国軍」を派遣するのは駄目だったのだが、牢人達にとっては関係ない。


戦う場所---即ち手柄を立てる場所があるのなら、迷う必要など無い。


そして彼らを使い、他国とのパイプを作りたい商人なども居た。


ここに両者の利害は一致して密入国という形で浪人達は明国へと渡ったのである。


もっとも江戸幕府が誕生してからは造船に対する規則なども厳しくなり、大海原を横断するのは難しかった。


とはいえ・・・・・それを潜り抜けて辿り着いた者も居り、他国とのパイプは不完全ながらも出来たのである。


こうなってしまうと黄金の国---ジパング、と書き記した「マルコ・ポーロ」気取りではないが、是非とも一見したいと思うのが人心というヤツだ。


幕府としても下手に押し返して他国の反感を買うよりは丁寧にして、なおかつ断固として外国人は送り返したりした。


だが、こんな押し問答を何度も続けていても埒が開かないのは明白である。


同時に海と隣接している国---藩は密貿易などで不当ながらも莫大な利益を得て、私腹を肥やしている。


また幕閣の中には早くから農業よりも商業の方が富を生む、と先見性を持つ者も居た。


いや、神君と言われる家康公が天下統一を果たしてから三代しか幕府は存続していない。


まだまだ戦国の風習が色濃く残っているし、堺などの商業都市を考えれば如何に商業が富を生むか理解できる筈だ。


幕閣達の間では、その富が自分達の懐に入るという蜜の匂いを嗅ぎ付けたし、商人なども更に商売繁盛を目論んだのは言うまでもない。


ここで・・・・・幕府は一思いに海禁政策を緩める事にした。


流石に完全に無くすと枷---即ち金や銀、果ては人間などが根こそぎ無くなる可能性があったからだ。


同時に天下統一がなされても未だに牙を研ぎ澄ませる雄藩は多い。


なども理由もあったが、とにかく海禁政策は緩められて・・・・鎖国は後に完全に消え去った訳である。


お陰で多くの人や物が海外に出たり、入ったりした。


今も江戸湾に設けられた港に大きな船が近付いて来ている。


この物語の主人公---と言える者2人と共に・・・・・・・・・・


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