95、二人三脚
私は二人三脚のためにグラウンドに瀬川君と並びながら、気持ちが沈んでいた。
横では私と正反対に上機嫌の瀬川君がニコニコしている。
きっとタカさんと普通に話ができるようになって嬉しいんだろう。
私としてはナナコのこともあるので、微妙に複雑だった。
私が促した事だとはいえ、あまり二人が仲良くなり過ぎるとナナコが辛い思いをする。
かと言って、瀬川君にナナコの事は言えないし…
タカさんにも頼んだ以上、もう話をしないでなんて言えない。
ハッキリ言ってどん詰まりだ。
それに私は瀬川君たちの事に加えて、井坂君とFカップ女子が消えたことが気になって、今にも頭がパンクしそうだった。
さっさと二人三脚なんか終えて、井坂君を探しに行かないと。
私は順番の進む列を見て、大きく息を吸いこんだ。
「お、なんかやる気じゃん?谷地さんがやる気なら、俺も本気で走るよ!!」
瀬川君が横でストレッチしながら笑って、私は少しイラッとしながら彼を見つめた。
元はと言えば、瀬川君が女性不信になったりするから、私がこんなに色々溜め込むことになったんじゃん。
当の本人がヘラヘラしてて、何で私がこんなに頭痛めなきゃならないんだ。
「なんかご機嫌だね。瀬川君。」
「はは!だってクヨクヨしてたって仕方ねぇし、せっかくの体育祭。楽しまなきゃ損じゃん?」
前向き過ぎる…
私は以前と同じような爽やかな笑顔を向けられて、開いた口が塞がらなかった。
どんなときも明るいのは瀬川君の長所だなぁ…
落ち込んでたのなんて、私に相談してきたあの一瞬だけだったような気がしてくる。
私と瀬川君はスタート地点に立つと、お互いの足をつけて紐でくくった。
そして肩を組むとまっすぐ前を見据える。
「今日はホントにありがとう、谷地さん。絶対お礼するからさ。」
「…了解。とりあえず頑張って一番狙おうね。」
「もちろん。外側の足からスタートな!!」
瀬川君に指示されて私が頷いたとき、「よーい」という声がかかり準備した。
そしてパァン!という合図に合わせて左足を出してスタートする。
スタートは順調で瀬川君の足が速いというのもあり、合わせていたら徐々に前に出て後続を離していく。
この調子なら一番とれる!
私は肩を組んでいる手に力を入れて、必死に足を動かしてゴールに目を向けた。
そして後少しでゴールテープを切るという所で、私の目にとんでもないものが飛び込んできた。
ゴールの向こう…人気のない校舎の脇に、井坂君のスラッとした姿。
その彼の前に遠目でも分かる、Fカップ女子。
その二人が密着したと思ったら、キスしてしまった。
え!?!?
私は動揺して、ペースを乱した。
その瞬間、横で「うわっ!!」という声が聞こえたと思ったら、瀬川君に引きずられるようにその場につまずいて転んでしまった。
「―――――っ!!!」
私は手の平と膝に痛みが走り、目を瞑っていたら、横で脇を抱えて抱き起された。
「谷地さん!!あとちょっと!!」
瀬川君も転んだはずなのに、私の体重を支えるように足を動かそうとしている。
その横を青いハチマキをつけた二人組が抜いていって、私はハッと我に返った。
「ご、ごめん!!」
私は瀬川君と肩を組み直すと、痛む足を気にしながらも前に目を向けて、なんとか二番でゴールした。
ゴールすると、瀬川君が二番の紙を受け取って赤組の箱に入れた。
私はその様子を見ながら、さっきの光景が瞼の裏から消えてくれなくて、心臓が嫌な音を立てる。
すると瀬川君が足をくくっていた紐を解いてから、呆然と立ち尽くす私の足を見て顔をしかめた。
「足、血出てる。救護所に行こっか。」
「あ、うん…。」
「歩ける?無理なら、俺背負うよ。」
瀬川君はぼけっとしている私を気遣ってくれているのか、目の前にしゃがんできて、私は瀬川君も腕を擦りむいているのを見て首を振った。
「いいよ!!大丈夫。瀬川君…ごめんね…。」
「なんで謝るの。先にこけたの俺だよ?」
「でも…その前にペース乱したの…私だから。」
私が声のトーンを落として俯くと、ふっとため息をついた瀬川君が立ちあがって言った。
「谷地さん最後まで一生懸命走ったじゃん。だったら、途中で転んだのは誰のせいでもない。だから、謝る必要はないよ。」
瀬川君の明るく前向きな言葉を聞いて、私はなぜか自然と涙が零れた。
「わ!!そんな泣く程、足痛い!?」
「ち…ちが…っ…。」
瀬川君が焦って手をバタバタさせ始めて、私は擦りむいた手で涙を拭った。
傷に涙が沁みて痛い。
こけた傷が痛いわけじゃない…
でも、なんで涙が出たのか自分でもよく分からなかった。
ただ頭の中から、あのキスシーンが消えてくれなくて…ずっと胸が痛かった。
***
私と瀬川君は救護所で手当てをしてもらうと、瀬川君は棒倒しに出ると言って先に戻っていってしまった。
私は井坂君に会うのが怖くて、足が思うように前に進んでくれない。
喉は渇いてくるし、心臓はずっとドキドキと鳴りやまない。
ただの見間違いだったならいい。
でも、そうじゃなかったら?
今になって鹿島君のあの言葉が妙に現実味を帯びてくる。
『別れる』
付き合い始めて、初めて意識した言葉。
今まではただ幸せで、ちょっとしたすれ違いはあってもここまで『別れ』を気にしたことはなかった。
でも、今初めて…別れを切り出されるんじゃないかと心が怯えてる。
Fカップ女子に迫られて、心が動いてしまったのだとしたら…?
私はどうやって引き留めればいいのか分からない。
井坂君の笑顔がこっちを向かなくなった時の事を考えると、今にもまた涙が出そうだ。
そうして暗い雰囲気を出してトボトボと歩いていると、「ねぇ。」と横から声をかけられた。
そこには鹿島君が腕を組んで立っていて、私は彼の姿を見ただけで嫌な汗が吹きだして彼から目を逸らした。
「何、その反応?俺、そこまで嫌われるよなことしたっけ?」
鹿島君が私の目の前に移動してくると、私の顔を覗き込んできて口の端を持ち上げて笑った。
私は手を握りしめて、気持ちを強く持とうとするけど、今は唯一の自信が崩れ去りそうで上手くいかない。
「あんたと井坂、付き合ってる割には今日、あんま一緒にいないよな?さっきも聖奈と一緒にいるの見たし、どうなってんの?」
「……せいな…?」
私は彼の言う聖奈さんが分からなくて、彼の顔を見つめて首を傾げた。
鹿島君は目を細めてから、ふっと息を吐くと姿勢を正した。
「そっか、名前は知らないよな。すっげーナイスボディの女子だよ。確か7組だから黄組だったかな。井坂と一緒にいるの見たことない?」
私は黄色いハチマキをつけたFカップ女子だと分かって、目を見開いた。
さっきも一緒だったって…鹿島君はここにいるのに…何で…?
私は聖奈さんが井坂君を呼び出したのは、鹿島君が呼んでるってことだと聞いていただけに動揺した。
鹿島君は笑顔のままで楽しそうに続ける。
「井坂もやっぱ男だよな~。あんなナイスボディに迫られたら、断れねーもんなぁ~。」
断れない…
それは…もし好きだって言われたら…断れないってこと…?
私はキスシーンが目の前に浮かんで、瞳が震えて視点が合わない。
「あんた彼女なんだからさ、井坂から何か聞いてねぇの?聖奈の事。」
鹿島君にズバッと聞かれて、私は胸を包丁で突き刺されたような気分だった。
井坂君からは聖奈さんの事は何も聞いていない。
カラオケのときも迫られたなんて一言も言っていなかった。
また、その後も接点があったなんて…今日初めて知った。
井坂君は聖奈さんのことを黙っていた。
私はそれがショックで、鼻の奥がツンとしてきた。
「やっぱり井坂は俺と同じ人種だよ。一人の彼女に縛られるタイプじゃないんだって。あんたも遊びの一人なんじゃない?」
遊び…
私は以前、瀬川君から聞いた、そういう人たちがいるという話を思い出した。
井坂君がそういう人たちと一緒…?
そんなわけない。
井坂君はそんな人じゃない。
違うと思いたいけど、さっきのキスシーンが鮮明に思い返されて心が揺れる。
信じたい…
でも、何が真実なのか…私一人じゃ判断できない…
苦しい…
どうすればいいの…?
私は溜め込んでいたものが溢れて、涙が頬を伝った。
「…っ…!!」
泣いたら鹿島君の言葉を肯定することになるって分かってるのに、零れて止まらない。
私が泣き顔を隠したくて、必死に手で拭っていると、背後から走る音と怒声が聞こえた。
「お前!!谷地さんに何してる!!」
私が声にビクついて、振り返ると島田君が怒気を迸らせながらこっちに走ってきた。
島田君は私と鹿島君の間に割り込むと、私を背に庇うように立って鹿島君を睨みつけているようだった。
「なんだ、この間友達だとかクサいこと言ってた奴じゃん?何の用なわけ?」
「それはこっちのセリフだ!!谷地さんに何の話をしてた!!」
鹿島君は変わらずヘラヘラしていて、島田君はそれに挑発されるように肩を怒らせている。
私はそんな状況にも関わらず涙が止まらなくて、ひたすら涙を拭う。
「何の話って、共通する話なんて井坂しか思い浮かばねぇだろ?」
「んなもん分かってるよ!!だから、何で井坂の話をして谷地さんが泣いてんだよ!!」
「知らねーよ。それはそっちが勝手に泣いたんだからさ。俺は俺の思う事を言っただけだよ。」
「それを言えっつってんだよ!!」
島田君が今にも掴みかかりそうな勢いで怒鳴って、周囲の視線を集める。
鹿島君はそれに気づいたのか、大きくため息をつくと頭を振った。
「あっついなぁ~…。つーか、何?その子の彼氏でもないのに、ナイト気取りで現れてさ。こっちは怒鳴られて気分悪いんだけど。そこまで食ってかかる理由を教えてくんない?」
この問いには島田君が黙ってしまって、私は彼の後ろのいるので島田君の表情が見えなかった。
すると鹿島君が「ふ~ん。そういうこと。」と何か分かったかのように言って、ニヤッと意味深に笑った。
「いいと思うよ。君のそういう気持ち。俺は応援するよ。」
「は…?」
「??」
私も島田君も急に応援すると意味の分からない事を言われて、首を傾げた。
鹿島君はニヤニヤと気持ち悪い目でこちらを見ると、顎を撫でながら言った。
「俺が彼女に言ったのは、井坂が聖奈と浮気してるってこと。」
「は!?浮気!?」
「そ。聖奈はすっげーナイスボディの持ち主でさ、あれに迫られて落ちない男はいないからさ。今日、何度も一緒の姿見かけてるし、そういうことだろーと思ってね。」
「な…。そんなわけ…。」
島田君も私と同じで否定しようとしているけど、いつものより歯切れが悪い。
きっと少し疑っているのかもしれない。
「ないとは言い切れないだろ?あんたも男だしさ?」
鹿島君が追い打ちをかけて、島田君が完全に黙ってしまった。
それを見た鹿島君が島田君に近寄ると、島田君の肩を叩いて言った。
「そういう理由から彼女は泣いてしまったわけだ。お前も友達なら、彼女、慰めてあげればいいじゃん?」
鹿島君はそう言ったあとに島田君の耳元に口を近づけると、小声で何か呟いた。
それを聞いた島田君が鹿島君の手を振り払って、鹿島君を睨むように凝視している。
「怒るなよ。じゃーな。」
鹿島君はヘラッと笑うと、手をひらひらさせながら歩いていってしまった。
私は彼の後ろ姿から睨んでいる島田君に目を移すと、島田君と目が合った。
その瞬間、目をサッと逸らされてから、何かを考えて私の顔に手を伸ばしてきた。
島田君の手が私の頬に触れると、島田君がほっとしたように表情を緩める。
「泣き止んでる。」
「あ、ホントだ。」
私はいつ涙が止まったのか、目の周りと頬がカピカピしているのに気付いた。
二人の剣幕の様子にハラハラしてしまって、泣く所じゃなかったのかもしれない。
私はふっと気が緩んで、頬を持ち上げた。
すると両手で頬を包まれて、前から笑い声が聞こえた。
「ははっ!平気そうで安心した。」
「平気そうって…。そんなに心配してくれてたの?」
「まぁ、ね。俺、あいつ嫌いなんだ。」
「嫌いって…鹿島君?」
私が島田君の手を外そうと手をかけると、島田君が慌てて手を放した。
そして少し気まずそうに目を泳がせてから彼が口を開いた。
「そ、そう。あいつ、なんか井坂を誤解してるっぽくて…なんか絡んできてるみたいなんだよな。元に戻すとか訳の分からないこと言ってさ。ホント自分勝手な奴だよ。」
元に戻す…
そういえばさっきも俺と同じ人種とか言ってた…
鹿島君と井坂君は本当に同じなんだろうか?
井坂君ってどういう人?
私は本当の彼の姿を見失いそうで、顔をしかめて考えた。
「あんまりあいつの話、信じない方がいいと思うよ。」
「え?」
「浮気のことだよ。きっと鹿島が勝手に言ってることだろうし、真相は井坂から聞かねーと分からないよ。」
島田君がニカッと私を安心させるように笑って、私は少し気が楽になった。
そうだよね。
井坂君は隠し事とかする人じゃない。
きっと、キスの事も自分から言ってくれるはず。
今は井坂君だけを信じよう。
私は島田君に笑顔を向けると、お礼を言った。
「ありがとう。島田君。元気出たよ。私は井坂君を信じる。」
島田君は少し驚いた顔をしていたけど、また嬉しそうに笑うとピンと親指を立てて言った。
「それでこそ谷地さんだよ。もし浮気の話が本当だったら、俺も一緒に怒るから言ってくれよな。」
「うん。そのときはお願いしようかな。」
「お、いつもの調子に戻って来たじゃん。」
「あははっ!」
軽口をたたく島田君と話していると、あのシーンが嘘のように思えてきた。
気持ちも楽になり、今はこうして話をするのがすごく楽しい。
島田君にはいつも気持ちを救い上げられてるな…と思って、彼の優しさに胸がじんわりと温かくなったのだった。
詩織、島田、井坂、聖奈、鹿島で話が進みます。