94、Fカップ
私と井坂君が赤組の席で並んで座って話をしているところへタカさんが目を赤くしてやって来て、私は驚いてタカさんに駆け寄った。
「タッ、タカさん!!どうしたの!?」
「…何でもないよ。」
「何でもないって…瀬川君は!?」
私は瀬川君は一緒じゃないのかとキョロキョロと辺りを見回した。
でも、彼の姿はどこにも見当たらない。
「瀬川君は関係ないから。ちょっと目にゴミが入って泣いただけで…。」
タカさんは目の周りを手で押さえながら薄く笑顔を浮かべていて、私はこんなタカさんを見たことがなかっただけに、彼女の手を引いて応援席から離脱した。
そして早足で水道までやって来ると、ポケットからハンカチを取り出して水で濡らした。
それを軽く絞ってタカさんに手渡す。
「はい。何があったか分からないけど…、言いたくなったら教えて?」
私は聞きたくて仕方なかったけど、無理に聞き出したくはなくて笑顔を作った。
タカさんはちらっと私を見てからハンカチを受け取ると「ありがと。」と言って、赤い目にハンカチを押し当てた。
私は水道のブロックにもたれかかると、天気の良い青く澄んだ空を見上げる。
そのとき集合のアナウンスがかかり、そろそろ体育祭の開会式が始まることを知らせた。
私はハンカチで目を押さえて黙ってるタカさんを見て、私一人で戻った方が良いかと思い、腰を上げてグラウンドの応援席に目を向けた。
すると今まで黙っていたタカさんがふいに話しかけてきた。
「しおりん。鹿島君って知ってる?」
「…??鹿島君??知ってるけど…??」
私はこの間絡まれたことを思い出して、そういえばアレから何もしてこないな…と思った。
別れてもらうとか自信満々に言ってたことはどうなったんだろう…?
諦めてくれたらいいのにな…なんて思って、頬を持ち上げるとタカさんが衝撃の事を口にした。
「鹿島君の女友達が井坂君のこと、誘惑したらしいよ。」
「!?!?―――へっ!?」
ゆゆゆゆゆ、誘惑!?!?
私は目を何度も瞬かせながら、声が喉の奥で詰まった。
タカさんは少し口の端を持ち上げて、私をからかうように続けた。
「Fカップの聖奈さんっていう女子だって。井坂君から聞いた?」
「Fカップ!?!?うそ!!聞いてない!!」
私はFカップってどんなサイズだと自分の胸を触ってみて、変に焦ってきた。
自分のギリギリBカップじゃ全然比較にならない。
私はサーッと血の気が引いて、タカさんを凝視した。
「カラオケ行ったときだって言ってた。しおりん、井坂君が変だって言ってたとき、確かカラオケの帰りとかいう話もしてたよね?それじゃないのかな?」
あのとき!!
私は井坂君が鹿島君が女子を呼んでてって言ってたときの事を思い出した。
カラオケに行ったはずなのに、すごく早く私に会いに来てくれたときだ。
私のところに来る前にF…Fカップの女子に迫られてたなんて…!!
私はショックで顔にきっとガーンと書いてあるぐらい、素直なリアクションをした。
それがタカさんに伝わったのか、タカさんはハンカチを目から離して笑い出した。
「しおりんっ…わっかりやすいね…!!あははっ!!お腹痛いっ…!!」
私は楽しそうなタカさんとは正反対で、気持ちがそわそわし始めて、井坂君に訊かなければ!!と応援席に向かって走る。
タカさんは後ろから「頑張れー。」と言ってからかってくる。
応援席は開会式前というのもあって、ほぼ全員の生徒が集まっていて、私は井坂君がどこにいるのか分からなかった。
赤いハチマキをつけた面々をキョロキョロと見回しながら、大好きな井坂君の姿を見つけようと目を凝らす。
すると、応援席の前の方で、黄色いハチマキをつけた体操服の上からでも分かる爆乳女子と話をしている井坂君の背中を見つけてしまった。
Fカップ!!!
私は彼女がそうだと分かり、井坂君の所へ行こうとするけど人の生垣があり前にはいけない。
私が最後列でウロウロしていると、その女子は井坂君に手を振って自分の色の応援席に帰っていってしまった。
私はその豊満な胸の持ち主から目が離れなくて、口をぽかんと開けたままで、さっきよりも血の気が引いて頭がフラついた。
あんなの…敵うわけない…
私はふらつく頭を押さえて俯いていると、急に横から肩を支えられてビックリした。
「何やってんの?みるからにガーンって文字しょってるよ。」
「…西門君…。」
すぐ横にはからかうように笑う西門君がいて、私はじとっと彼を見た後に尋ねた。
「ねぇ、男の子ってFカップにときめくよね?」
「は!?!?!っげほ!!なっ、何言ってんだよ!?!?」
西門君が目を剥くと、むせながら声を荒げてきて、私はその反応にYESと言われたようで肩を落とした。
やっぱり胸は大きい方がいいんだ…
でも、私の成長期は終わっちゃってるし…今からFカップとか無理!!!
私はまな板のような自分の胸を見下ろして泣きたくなってきた。
すると、横で大げさな咳払いが聞こえると、西門君が空を見上げながらフォローしてきた。
「しおは、そのままでいいじゃん?え…Fとか気にしなくてもさ…、だ、大丈夫だよ。」
「西門君のえっち。Fとか言わないでよ。」
私は悲しいを通り越して苛立っていたので、ムスッとして西門君に吐き捨てた。
「先に言ったのはしおだろ!?男の僕にこんな話振るなよ!!」
「たまたまそっちが来たから訊いただけじゃん!!誰もフォローは頼んでないの!!余計に悲しくなった!!」
「我が儘だな!!ほんっと面倒臭い!!」
「どうせ我が儘で面倒臭い女ですよ!!」
私が西門君に向かってキッと睨みつけたあと、イーッと顔をしかめて西門君を挑発した。
西門君はその挑発にあっさりと乗っかってきて、私は悪い顔をしている西門君に頬をつねられた。
「いひゃいいひゃい!!」
「ムカつく!!ほんっとムカつく!!」
私が頬をつねられた痛さに涙を滲ませると、仕返ししてやろうと西門君の頬を掴んで思いっきり引っ張った。
「あだーっ!!」
西門君は思っていたよりも痛かったのか、私の頬から手を放すと私の手を叩いき落した。
そしてお互いに自分の頬をさすって睨みあう。
今のは痛み分けって感じだけど、今度は何がくる…??
私が次に来る手に身構えていると、西門君の後ろからタカさんが歩いてくるのが見えて一時休戦することにした。
「タカさん!!もう大丈夫?」
「あれ?しおりん、こんなとこで西門君と何やってるの?井坂君に聞きに行ったんじゃ…。」
そう言われて、私は本題を思い出した。
「そうだった!!西門君と揉めてる場合じゃなかった!!」
横から「おい。」と西門君の怒ってる声が聞こえたけど無視して、応援席の前に目を向ける。
すると、ちょうど開会式が始まるようで座っていたメンバーが立ち上がりだして井坂君が見えなくなってしまった。
うわ…西門君と揉めてる間に話す時間がなくなった。
私が人の壁を見てげんなりして肩を落とすと、その人垣から手が出てきて私の手を掴んだ。
私はビックリしてその手を見つめる。
するとそこから現れたのは井坂君で、私はほっと胸を撫で下ろした。
けれど井坂君は私を見てふっと表情を緩めたあと、西門君に気づいて少し表情を強張らせてしまった。
「……何してた?」
「え…。あ、ううん。ちょっとね。」
私はさすがにFカップの話で揉めてたとは言えなくて、笑って誤魔化した。
でも井坂君には何か伝わったのか「ふぅん。」と言いながら、怪しんでる目で私を睨むように見てくる。
私がその視線に威圧されて小さくなっていると、西門君がふっと小さく笑ってから言った。
「開会式始まるよ。話なら後にすれば?」
「だね。こんな所で固まってたら藤ちゃんに怒られるよ。」
西門君が最初にグラウンドに足を向けて、それを追いかけるようにタカさんも行ってしまった。
私はちらっと不穏な空気を醸し出す井坂君を見てから「行こ。」と声をかけて、グラウンドに足を踏み出したのだった。
***
そうして開会式兼準備体操を終えると、競技がテンポ良く進みだして、出る種目の多い井坂君はグランドに出ずっぱりとなり、私は応援席で応援し続けた。
井坂君は足が速いので走る競技には大体出場している。
私はリレーでバトンを待つ井坂君を見て、彼のカッコ良さに胸がキュンキュンとときめいた。
手足細いのにちゃんと筋肉質なんだよね…
私は抱きしめられたときの事を思い返して、自然と顔が熱くなった。
すると私の横に私と同じ色のハチマキをしたナナコがやってきた。
「井坂君、やっぱりカッコいいね?」
ナナコが笑顔を浮かべながら言って、私は思ってた事が伝わりそうで「うん。」と言ってから顔を背けて俯いた。
「しお達はいつまで経っても初々しいよねぇ~。そこまで他人を好きになれる秘訣を教えて欲しいぐらいだよ。」
ナナコから初めて恋愛相談をされてると分かって、私はじっとナナコを見つめると食いついた。
「ナッ、ナナコは好きな人いないの!?」
ナナコは私を見つめ返して目を丸くさせると、ふっと微笑んで言った。
「急に何?しおのそんな真剣な顔久しぶりに見た!」
「だ、だって!ナナコが自分から恋愛の話するなんて珍しいから!!」
「あははっ。だねー。でも私だって、興味がないわけじゃないからさぁ…。ちょっと聞いてみたくて。」
ナナコの笑顔が作り笑顔に感じて、私はナナコに詰め寄ると尋ねた。
「ナナコ、何かあったんでしょ!?私に話してよ!」
私は何かとナナコに弱音を吐いてきた。
でもナナコからそういう弱音を聞いたことは一度だってない。
私だと頼りないかもしれない。
そう思って相談してくれないのかもしれない。
でも―――私はナナコの力になりたいって、ずっと思っていた。
今がそのときだと、私はナナコを見つめて目で訴えた。
ナナコは私を優しい目で見た後、傍にあった長椅子に座って言った。
「私、しおみたいに誰かを一途に好きだって思ったことないんだよね。」
「そうなの?」
「うん。私の中の好きっていうのは大事な人と、そうじゃない人に分類されてて…。大事な人で言うと、しおや西門君、瀬川君とか…友達っていう人たちと、家族とかなんだ。」
私はその気持ちが自分の中にもあると思って、ナナコの隣に腰を下ろした。
ナナコはまっすぐ前に目を向けて話を続ける。
「でも、最近…その大事な人っていうジャンルの人にやたらと腹が立つっていうか…。ある一人の人だけに、ムカムカしてケンカを売るような事、言っちゃうんだよね…。」
「それって…もしかして、瀬川君のこと…?」
私はケンカをしていた二人の姿を見てるだけに、ふわっとナナコの言う人物に思い当たった。
ナナコは苦笑すると「バレた?」と言って、ふーっと息を吐いた。
「私、どうしても瀬川君を許せないことがあって…、大事どころか嫌ってたんだけど。でも、よくよく考えると、私が一方的に思い込んで瀬川君を悪者にしてるだけだなって気づいたんだ。それで、やっぱり瀬川君も自分にとって大事な人だって思ったんだけど…。」
ナナコはここで言葉を切ると、ちらっと横に目を向けた。
私がナナコの視線の先に目を向けると、そこには瀬川君と彼のリハビリに付き合っているタカさんが並んで何やら話し込んでいる姿が目に入った。
いつの間にか隣にくっついて座れるまで回復してる!!と私は内心嬉しくなったんだけど、ナナコはムスッとすると怒ったように言った。
「なんかムカつくようになったんだよね。少し前まで女子と距離を置くようになって、今までの行いを改めたのかと思ったら、貴音ちゃんに興味持ち始めてさ。今まで一人の女子とここまでつるんだことなかったのに。どういう風の吹き回しなんだか、意味が分からない!!」
私は瀬川君に向けられる怒りの意味を汲み取って、ある結論を導き出した。
これは…嫉妬だよね…??
私はナナコが自分の中の気持ちに気づいていないと思って、言うべきなのか迷った。
ナナコの性格から考えると、私が『それは恋だよ!!』と言ったところで、彼女は鼻で笑って否定するだけだろう。
怒って顔を歪めているナナコを見つめて、どう促すか悩む。
するといつ競技を終えたのか息を荒げた井坂君がやって来て、私は彼を見上げて目をパチクリさせた。
「詩織、俺の走ってるとこ見てなかったろ。」
「あ…。」
私はナナコとの話を優先させて井坂君のリレーを全く見ていなかったと思って、顔を引きつらせた。
井坂君は眉間をピクピクさせながら、今にも怒鳴ってきそうな雰囲気を醸し出している。
するとナナコが空気を読んだのか、スッと立ち上がって「ごゆっくり~。」と言いながら、からかうような笑顔を見せて去って行ってしまった。
私はとりあえず場を和まそうと笑顔を浮かべると、ナナコが座っていた隣を手で示した。
「お…お疲れ様!出ずっぱりで疲れたよね?ここ座って!!」
井坂君はご機嫌をとろうとしている私に気づいているのか、じとっとした視線を突き刺したあとに、ドカッと横に腰を下ろしてきた。
私は怒られる前に素直に謝罪しようと、井坂君に体を斜めに向けると頭を下げた。
「ごめん。ナナコと話してたら、井坂君が走るとこ見逃しちゃって…。で、でも!!走る前はちゃんと見てたんだよ!準備してる姿がカッコ良かった!!」
私が顔を上げながら褒めると、井坂君が口を突き出して拗ねてるのが見えて、私は素直な姿に胸がキュンとした。
思わず笑ってしまいそうになって、手で口を押えて俯く。
可愛い…
井坂君って何でも顔に出るよね…
私はそれがすごく愛おしくて手で隠した下でニヤける。
そうして私がお腹が震えるのを堪えていると、目の前に私の気にしていた爆乳女子が現れて井坂君に声をかけた。
「井坂君。勇ちゃんが呼んでるんだけど、一緒に来てくれない?」
「…??鹿島が?」
私は目の前に立つ爆乳女子の豊満な胸から目が離せなくて、思わずじっと見つめてしまう。
井坂君は横でふーっと息を吐くと、面倒くさそうに立ち上がった。
「悪い。ちょっと行ってくる。」
「う、うん。」
私は何の用なのかということが聞けなくて、ただ井坂君を見送る事しかできなかった。
鹿島君にFカップの女の子…
タカさんが言っていたことが脳裏でリフレインして、私は気持ちが少し沈み込んだのだった。
新たな三角関係と安泰カップルに不穏な影が出てきます。
一つの山場にご注目ください。